2-4.「あなたを疑うことはあれど、彼女を疑う必要はないでしょう?」


 新規魔薬を精製しつつ日々を過ごすこと、はや十日。

 開店にはまだ遠いながらも新生活に慣れ始めた頃、シノからひとつ提案があった。


「先生。じつは薬局の開店を行う前に、診て欲しい方がおりまして」

「自分は魔薬師ですので、お力になれるかは……ああ、もしや以前から仰っていた方ですか?」


 専用の魔力壷に薬草を入れ、薄緑色の煙をくゆらせていたクラウの手が止まる。


 以前から、シノは無謀な婚姻話とは別に、診て欲しい友達がいると話していた。

 そのことだろうか?


「はい。以前お話した通り、並の治癒術師では手が出なくて」

「お力になれるか分かりませんが、自分でよければ。して、その相手とは?」


 彼女の友人なら、相応に格式高い人物かもしれない。

 まあさすがに、ウィノアール家分家のシノより、位の高い者はいないだろう。


*


 そう思っていた時が、クラウにもあった。


「……シノ様。こちらのお屋敷は? 領主館の隣にあるように、自分には見えますが……」

「アルミシアン領、領主補佐、エーデルリス家のご自宅ですっ」

「……もしや、患者というのは」

「私の友人、エーデルリス本家の次女エリス様です」


 領主館の隣にある、中庭つきの豪華なお屋敷。

 エントランスホール付きの豪邸にて、クラウが若干びびりながら執事様に案内された先、広々とした寝室にいたのは――新緑色のストレートヘアをさらりと流す、シノとそう年頃の変わらない少女だった。


 身を包む白のガウンは、それ自体に魔術がかけられているのだろう。うっすらと淡い光を放っている。

 にも関わらず彼女の顔色は蒼白に近く、年頃であればもっと張りのある顔立ちも、腕も、指先に至るまで……とにかくか細い、という印象が目立つ方だ。


 そして――匂うな、と、クラウは直感する。

 魔力的な香りでも、薬草によるお香でもなく。


 クラウにだけ感じ取れる、独特の……


 エリスがクラウを見つめ、会釈をした。


「初めまして、お客様。わたくし、名をエリス=エーデルリスと申します。このような格好で申し訳ございませんわ」

「いえ。お力になれるか存じませんが、自分はクラウ=ドーラと申します。隣のこちらは……」

「存じています。久しぶりですわね、シノ」


 ああ。そういえば知り合いだったか。緊張のあまり忘れていた。


「エリスは貴族院の同期なんです。途中で、エリスは病気のせいで退学になってしまいましたけれど」

「久しぶりに会えて嬉しいわ。……それで、そちらの先生が、前にお話してた?」

「はい。力になれるか分からないけど、先生ならと思って」


 フランクに話すシノに、クラウは二人が良好な関係にあるのだろうと推察しつつ……不思議だ、とも思う。


 ”赤”派のウィノアール家と、”青”派のエーデルリス家は犬猿の仲だ。

 その派閥関係は貴族院でも幅を効かせているはずだが……そこは、シノの人柄だろうか?


(何はともあれ、自分は仕事をするのみです)


 政治的なことは、今考えるべきじゃない。

 それよりも、彼女の病は――幸か不幸か、並の治癒術師には荷が重く――クラウの得意分野でもある。


 クラウはシノを伺い、頭を下げる。


「シノ様。診察にあたり、お願いがあるのですが……外でお待ち頂いても、構いませんか?」

「え? ええ、構いませんけれど……」

「あら。殿方とわたくしを二人きりに? 初対面の淑女に、お医者様とはいえ少々強引ではなくて?」


 まあ、とけん制を仕掛けてくるエリスだが、クラウの返答に変わりはない。


「お願いします。それと、可能ならドアのすぐ外でお待ち頂き、誰も立ち入らないようにしてください」

「……よく分かりませんが、分かりました。でも先生、エリスに治療といって変なことをしてはいけませんよ?」

「仕事中にそのようなことをする余裕はありません」

「先生らしい回答ですねぇ。エリス、可愛いと思いますけどね」


 シノが含み笑いをしつつ、退室した。

 残されたクラウは彼女に感謝をしつつ、少女エリスへと目をこらす。


「あらあら。随分とシノに好かれているのね。それで? か弱い女を一人にしたあなたは、わたくしにどのような狼藉を? どうせ治らないのに、格好をつけようとしてるだけなら、余計なお世話と言わせて頂きますわよ?」

「……その前に少々、音を聞いても宜しいでしょうか」

「音?」


 幽術の基本は、対話と傾聴にある。

 自然のなかに紛れる彼等の声を聞くことこそ、精霊の力を借りることの始まりだ。


 ……その音が聞こえるクラウは、逆に、自然にはあり得ない”音”も、捕らえることができる。


 対話や傾聴とは、真逆――理不尽な価値観を押しつけ、理をねじ曲げるもの。

 通称”呪術”。

 幽術とは正反対にあたる卑式魔術のひとつにして、文字通り、相手を呪うための魔術――


(これは、病気ではない。呪術の類を何者かにかけられているな。しかし)


 そう目星をつけたクラウの課題は、ふたつ。

 一つは解呪方法そのもの。これは、時期さえ合えば難しくはないが……と、クラウは懐に用意した魔薬を渡す。


「エリス様。本日はとりあえず、こちらの薬をお召し上がり頂けますでしょうか」

「あら。まだ触れてもいないのに、診断をくだせるのですか?」

「いえ。残念ながら、こちらは単なる体力回復薬に過ぎません。さして効果はないでしょう」

「存じていますわ。ええ、国中の医者に診せたのです、そう簡単に分かるはずありませんもの――」

「いえ……」


 クラウは黙考する。

 語るべきか。黙するべきか。


 悩むが――一旦、現状を素直に話すべきだろう。信憑性がなくとも、だ。


「エリス様。一般の方には馴染みが薄いかと思いますが、あなた様の病は病ではなく、呪術の類いによるものです」

「呪術……? そのようなよもやま話を、わたくしが信じると?」

「判断はお任せします。しかし、心当たりはありませんか。……貴族院時代、たとえば、誰かから恨みを買ったとか」


 彼女の表情がちいさく揺らいだ。

 呪術は一般に知られない術ではあるが、その有用性はクラウ自身、身をもって理解している。


 チェミル砦で、東の部族がこよなく愛した術であり、シノに致命傷を負わせた爆発も、呪術によるもの。

 有用性を理解しているなら、存分に利用することだろう。


「……クラウ先生、と仰りましたか。あなたはその呪いに対する対処方を、ご存じであると」

「はい。ただ、その薬を精製するには、夏までお待ち頂けますでしょうか。その間は自分が別途精製した、ある程度効果のある薬をご用意いたします」

「……それを行うことによる、あなたのメリットは? 金銭目的ですか? あるいは、当家との繋がり目当てですか?」


 僅かに尖るエリスの眼差しに、クラウはいずれも違う、と首を振る。


「自分は魔薬師なので、患者様に見合う薬を用意する。仕事だからです。……後は、エリス様がシノ様のご友人とお聞きしたから、でしょうか。……自分は、シノ様が喜ばれることであれば、助力したいと思っておりますので」


 治せるものを治さない理由は、ない。

 それに、シノから頼まれた希少な仕事だ。尽力しない理由もない。


 という自分の話を、エリスが信じてくれるかは、わからないが。


「……まあ、自分が信用頂けないことは、理解します。ですので、後はエリス様ご自身で決めてください」

「私に?」

「自分にできるのは、薬を渡すところまで。それを口にするかどうかは、御本人様の判断ですので」


 あとは、彼女次第だ。

 シノに頼まれたからといって、エリスに無理やり薬を飲ませるのは、クラウの主義に反する。

 もちろん、クラウは嘘など一つもついていないが――


 返事を待っていると、エリスの口元がゆるりと綻ぶ。


「……分かりましたわ。そこまで仰るなら、まずは試してみましょう」

「ありがとうございます。自分のような下級貴族を、信用いただきまして」

「いいえ。あなたを信用した訳ではありませんわ」


 え、と驚くクラウに、エリスはさらりと、当然のように新緑色の髪を流しながら。

 青白い顔ながらも、ハッキリとクラウを見上げ、誇り高く語った。


「あなたは、シノの紹介ですもの。あなたを疑うことはあれど、彼女を疑う必要はないでしょう? シノはとても可愛らしく、素直な子ですから」


 その返答に、彼女もまたシノの魅力を知る一人なのだな……と。

 クラウは妙にくすぐったい気持ちになり、つい、小さな笑みを零してしまうのだった。

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