2-3.「見えなくてもわかるものだってありますから」

 幽術――精霊術の基本は、対話と傾聴にある。


 精霊はいつだって、人々の身の回りにいる。

 ただ、その存在に気づいていないだけだ。


 熱の精霊はたとえ炎が存在せずとも紛れているし、水の精霊も水滴ひとつもない空気の中に紛れている。

 彼等、彼女らはただ人目を避けているだけ。

 そっと耳を傾ければ臆病な少女のように、密かに隠れていることに気づくことができる。


 そんな彼等に、クラウは魔力を優しくお裾分けする。

 警戒心の高い猫を、餌付けするように。

 彼等の手を無理やり引くのでなく、どうかお力を貸してください――お伺いを立てるのが、彼等との付き合い方だ。


 手早く結果を求めようと欲を出した瞬間、彼等は一目散に逃げてしまうだろう。

 ゆえに、幽術の使い手は少なく。

 けれど、クラウは日頃から彼等に耳を傾け、暖かな魔力を渡してているからこそ、彼等の力を借りることができる。




(――熱よ。水よ。生命よ)


 採取した薬草を大鍋に入れ、水を注ぎゆるやかに煮沸させながら、クラウは精霊達に声をかける。

 クラウ自家製の魔薬は通常のポーションと異なり、魔力と精霊の力を両立させた、混合薬だ。


 もちろん、薬に精霊そのものを閉じ込めるわけではない。

 薬に宿らせるのは、精霊の残り香……残滓のようなものだ。

 精霊は主薬ではなく、あくまで、薬効を引き上げるエッセンスとして宿らせるのがコツだろう。


 それだけで、ポーションの効能は数倍にも引き上げられる――時もある。


 クラウは完成した魔薬をそっとすくい、冷まして口をつける。

 うん、悪くない。


 せっかくなので、隣で興味深そうに眺めていたシノにも味見を進める。


「シノ様。試しに熱と水、そして生命の精霊を込めてみました。……いかがでしょうか」

「あ、口にすると何だか身体がぽかぽかしますね! ちょっと熱いくらい……けど、すごく飲みやすいです」

「口当たりをよくする水に熱を込め、生命力を活性化させる残滓を宿しました。仰る通り、身体が熱くなるはずです」

「風邪のときにすごく効きそうですね。今まで使ったどのお薬よりも効果あるかも」

「はい。精製過程は難しくないので、良い商品になるかと。……あとは種類ですね」

「種類? ポーションは、ポーションではないのでしょうか?」


 疑問に思うシノに、クラウは改めて説明を挟む。


「そもそも王国魔薬研究部は、魔薬に対する認識がとても雑です。どんな薬にも回復魔術を込めればいい、と考えているようですが……魔薬も普通の薬とおなじで、本来は効能によって分けるべきです」


 胃腸系に効く薬、心臓に効く薬、腫れものに効く薬。

 当然ベースとなる薬草は異なるし、魔力付与の過程で効能も変化する。

 にも関わらず魔薬精製を司る王都のエーゼック家は、とにかく魔力さえ込めればいいと思っている節がある。


 確かに、と手を叩くシノ。


「エーゼック家って、王都の魔薬研究家ですよね。そんなに質が悪いんですか?」

「友人から聞いた話では、エーゼック家が魔薬研究部を独占する以前はまだ、試行錯誤している節が感じられたそうですが……どうも独占してから、方針が変わったようで」


 魔薬界隈にはもうひとつ、リズレット家と呼ばれる名家があったのだが、あちらは二年前の不正癒着問題を端にお家取り潰しとなってしまった。

 一介の医療人として、非常に惜しまれる話だ。


「なるほど……ということは、このお薬がきちんと作れて流通に乗れば、私達が王国魔薬の最先端をいくわけですね。やっぱり先生すごいじゃないですか」

「そこまで簡単ではないですが……魔薬研も、馬鹿ではないと思いますし」

「そうですか? でも私、これはいけると思いますよ」


 にこっ、と屈託のない笑顔で笑うシノ。

 つややかな亜麻色の髪が揺れ、踊るように近づいてくる様は相変わらず眩しい。


 クラウは、何となく逃げるように視線を逸らしながら、


「……自分の作った薬だから有効だ、というのは根拠が薄すぎるかと」

「でも先生。実際、先生が作った薬より効果がある市販品、市場にありますか?」

「それは……」

「治癒医院にもありませんよね? そもそも幽術を使った薬が市場になくて、でも効果がバツグンなら、売れるとみて良いのではありませんか?」


 素直に言い返され、クラウは反論が思いつかず黙り込む。

 理屈としては正しい気がするが……こうも素直に褒められるのは、些か、恥ずかしい。


 それに――以前まで、薬を作って褒められた記憶など、なかったのだが。


 クラウは照れを誤魔化すように、次の魔薬精製に取りかかる。

 こぽこぽと泡立つ鍋を見つめながら、本当につかみ所のない少女だ……と彼女を盗み見れば、シノは自分でも魔薬精製に取り組もうとしたのか、薬草を前にじっと観察している。

 一生懸命、眉をこらす顔がなんとも愛らしい。


 そんな彼女に、クラウはそっと感謝の念を伝えようとして、……しかし。


(どうにも、言葉に出すのは恥ずかしいものがあります。――なら、代わりに)


 返答の代わりに、クラウは魔薬を封入する小瓶を手に取る。

 小瓶の蓋をあけ、小さなガラス玉を封入する。


 カラン、と音を立てて転がる小玉にクラウはじんわりと魔力を込め、精霊に語りかけた。

 守護の精。

 炎や水、生命といった物理現象と異なり、概念的存在であるため効力は弱いが――彼女一人くらいなら。


 瞳の裏にシノの姿を思い描きながら、クラウはじっと祈りを込めた後。

 集中を解き、右手に握りしめた小瓶をシノにそっと手渡した。


「シノ様。簡単なものですが、こちらを」

「……これは? ガラスの玉と、瓶?」

「精霊の守りを加えたお守りです。魔薬ではなく、肌身離さず持っていると、小さな災難であれば防げるかもしれません。……本来なら、こういったアイテムは指輪などにするのが一般的ですが……」


 魔術の守りは、身につけるアクセサリに付与するのが基本だ。

 クラウがそうしなかったのは、アクセサリに下手な意味を持たせたくなかったからだ。


 肝心のシノは、唐突に渡されたお守りの意味がわからなかったらしい。

 ちょこん、と小首を傾げて、


「先生。嬉しいですけど、突然どうされたのです?」

「いや。まあ……」


 説明するのは、恥ずかしいのだが。

 ……仕方ない。


「普段のお礼、といいますか。色々、お世話になっていますので」

「あら。私こそお世話になってますし、これからもお世話になりますけれど」

「それでも、です。……自分は口下手なので、これ位しか返せるものがない、ので」


 他に恩返しの手段を知らないのです、と、言い訳のように付け加えると。

 シノが口元を隠し、ふふっ、と照れたように瞳を細める。


「甘い言葉などなくとも、先生がお優しい方であることは、きちんと理解しているので大丈夫です」

「……優しいかどうかなど、人の心が見えない以上、分からないと思いますが」

「見えなくてもわかるものだってありますから」


 軽やかなステップを踏み、上機嫌に小瓶を眺めるシノ。

 本当に羽根のような人だと感心しつつ、クラウは再びゆるりと鍋をかき混ぜていく。




 妙に、のんびりとした時間だが、悪くないな……と。

 らしくない感想を抱きながら、クラウが淡々と薬草作りを再開すると、


「しかし頂いたからには、私も先生にお返しをしなくてはなりませんね。うーん……やはり結婚指輪でしょうか?」

「その話、諦めてなかったんですね」


 突拍子もないことを語るシノに、クラウは目頭を押さえて唸るしかないのだった。

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