2-2.「お任せください、不法侵入には慣れていますので」
「シノ様。改めて考えたのですが、薬を作るにも売るにも、不足しているものが多すぎます」
北方領に引っ越し、二日がかりで生活環境を整えた後。
薬屋を開くにあたり、クラウはまず足りないものを洗い出すことにした。
魔薬師は、薬草を調合したのち魔力を込め、通称ポーションと呼ばれる薬を精製する仕事だ。
薬草の調合知識や、幽術を用いた魔力付与には心得がある。
さらには薬効の知識、および患者に対し最適な薬を進める医学知識も備えてはいるが、逆に言えばそれ以外は出来ない。具体的には――
「まず、魔薬師は薬草採りの名人ではありません。薬草を入手するツテが必要になります」
「そこはご安心ください。私、薬草採りの名人を存じてますので」
「それは心強いですが……次に、店舗の問題でしょうか。それに、経営者も必要かと」
軍属および医院勤めの長いクラウは、経営に関しては素人だ。
シノも似たようなものだろう、と目線で問いかけるも、彼女はニコニコといつもの笑顔。
「そうですね、経営については私も素人ですが、太客のアテがあるので大丈夫かと」
「……もしや、エーデルリス卿一家と交渉を?」
「アルミシアン領自体が、治癒術師も医薬品も不足がちだと聞きます。競合が出てくれば別ですが、今なら何とかなるでしょう」
ついでに、先生の薬の効能は、身をもって体感してますし、とシノ。
クラウにかけられた期待は大きそうだ。
……まあ、出来ることがあるなら、尽力するのみだが。
「了解しました。店舗の問題は気になりますが……シノ様でしたらアテがあるのでしょう」
「私の完璧な事前準備にご期待くださいっ」
「はい。では先に、薬草のアテを教えて頂いて宜しいでしょうか」
たかが薬草採取、と甘くみてはいけない。
医院に勤めていた頃も、業者によって薬効が根にあるにも関わらず葉の部分だけ持ち込んできたり、薬草によく似た毒草を平然と納品してくる業者もいた。
シノの案内とはいえ下手な仕事をされては困る、と、クラウは彼女に”名人”とやらの紹介を頼むことにした。
*
して、翌日。
都市アルミシアン近郊にある、小さな森の前にて。
「……???」
目の前にいるのは、登山用ブーツに、緑色のチュニックにズボン。
手袋に加え腰元にポーチを巻いた、完全装備たるシノがふふんと胸を張っていた。
「では参りましょう、先生」
「シノ様。薬草採りの名人様の姿が、まだお見えになっていませんが」
「何を仰っているんですか、先生? いるじゃないですか、目の前に」
「私の前にはシノ様しかおりませんが……」
「もう、察しが悪いですね。何を隠そう、私が薬草採りの名人なのですっ」
これほど説得力のない名人を、クラウは人生で初めて見た。
……本当に、大丈夫だろうか?
心配するクラウをよそに、シノが帽子を目深に被る。
御貴族様というより狩人にしか見えないシノが、よいしょと空のリュックを背負い、亜麻色のロングヘアをまとめ、準備万端。
いまの彼女を見て、ウィノアール家の元長女であると気づける者はどれくらいいるだろうか……。
「ああ先生、ちなみにですが、私はもちろん地元の薬草狩りの方も存じています。本当に困ったら、ギルドに依頼するのも手です。ただ私達も薬屋の卵として、地元にどんな薬草があるか調べておくのは大切だと思うんです」
「まあ、フィールドワークを無用とは言いませんが」
「それにほら、身体を動かしたほうが健康的ですし?」
それは言い訳になっていない。
要は、自分で薬草採りしたかったんだろうなあ、シノ様……。
「……お気持ちは分かりましたが、シノ様ほどの方が、森に入られるのは危うくありませんか。あと、許可は採っているのでしょうか」
「お任せください、不法侵入には慣れていますので」
「帰りましょう」
「冗談です先生、ほら、許可証」
さっと採取許可書をみせてくるシノ。
彼女の説明によれば、アルミシアン領近郊の森は野生動物や魔物も少なく、安全だという。
それならまあ、悪くないか。
一応、クラウも元軍属なだけあり、戦闘技術が全くない訳ではない。
(しかし毎回、彼女に引っ張られている気がする。……そこまで悪い気がしないのも、不思議だが)
普段は面倒事に巻き込まれるなんて勘弁願いたいが、シノが相手だと、不快感が無いから不思議だ。
彼女の性根が明るいからか。或いは、悪意がないからか。
どちらにしよ、くすぐったいな――と、クラウは薄く笑いながら、彼女についていくのだった。
結論から言えば、彼女の目は確かであった。
「ああ先生、そちらはエキセウムの葉でなく、トルニアですね。葉の形がギザギザしているでしょう? 本物のエキセウムは丸みを帯びていて、日当たりのよい土壌で育ちます。太陽の方向に向いてるのが特徴的ですね」
準備を整えて足を運んだ、都市アルミシアンに隣接する森林地帯。
シノは、名家の御息女とは思えない勢いで「わああ、今日は沢山です!」と薬草を見つけるなり駆け寄り、スコップを使いもりもりと薬草を掘って掘って掘りまくっていた。
お天道様の元、ふぅ、と健康的な汗を拭うシノ。
軍手をした白い手も、靴底も服までもちょっと泥まみれにしつつせっせと取って鞄に詰め込んでいく様子は、健康的な田舎娘にしか見えない。
それはそれで微笑ましい光景だが……知識は大丈夫だろうか?
と、試しにわざとよく似た薬草をみせてみたところ、先の通りきちんと見分けてくれた。
「本当に分別できるのですね。驚きました」
「あ。先生もしかして、私を試しました?」
「失礼ながら。魔薬師が薬草を分別できないようでは失格ですし。……ちなみに、こちらの紫の草はいかがでしょう」
「ああ、セントリワーズですね。確か、塗り薬にして塗ると炎症を抑える効果があるそうです。あと以外と、草の部分を煮込むと美味しい薬草で、たしか滋養強壮効果もあります」
「お詳しいですね。もしかして、実際に食べたことが?」
「ええ。何事も実践ですっ」
冗談で聞いたら、ガチな返答が戻ってきた。
クラウが訝しんでいるのに気づいてか、シノが困ったように頬を掻いて、
「じつは私、ウィノアール領本家にいたころ、ちょこちょこ虐められてたんですよね。料理に毒を盛られたり、食事をわざと不味くされたり。それに懲りて、解毒薬がないかなと自力で探してる間に、趣味が高じてといいますか……」
彼女の家庭環境は、想像していたものよりずいぶん酷そうだ。
眉を寄せたクラウに、シノがひらひらと可愛く手を振る。
「ああ、ご心配なく。私、一応ウィノアール分家の長女として育てられているので、本気で殺すような毒は出てこないんですよ。嫌がらせの範囲です」
「嫌がらせなら大丈夫、という理屈は通らないと思いますが」
「ええ。なので家出しました。いい加減、自分の人生を歩みたくなったので」
からっと話すシノだが、クラウは、その内面にどれだけ強い決意があったのかと推察する。
彼女とて、全く迷わずいまの道を選んだ訳ではないだろう。
(……いつも元気そうに見えますが、きっと、苦労なされたのだろう)
が――だからといって、クラウが彼女を気遣いすぎるのも、良くないかもしれない。
身勝手な同情ほど、面倒なことはないのだから。
代わりに、クラウはシノにバレないよう、後ろ手に魔力を思える。
森林や山岳地帯など自然に満ちた地域は、クラウの扱う幽術の十八番だ。
――彼女に、ささやかな幸福を。
クラウの招きに応じ、現れた草の精霊――タンポポの綿毛のように、ふわふわと浮かぶ種のような精霊に、魔力を渡す。
意を受けた彼が、ふらり、と風に揺られるように浮かび。
直後――突風が吹き抜けた。
ひゃわっ!? と悲鳴をあげたシノが、ちいさくよろめき。
思わず手をついた大木の根元に、たまたま視線を向けると、あら不思議。
木の根に紛れ、蜘蛛の巣を張るように地面にへばりついた赤い草があるではないか。
「へ……わあっ! 先生すごい、これ、リジンですよね!? とても珍しい薬草です。確か本人の抵抗力をぐーんとあげて、病気にかかりにくくなる、でしたっけ?」
「おや。本当に珍しいですね。薬草としてはかなりの貴重品です」
「私も初めて見ました。すごい……!」
おおー、と目を輝かせながらさっそく採取に勤しむシノを、クラウはつい微笑ましく眺めてしまう。
……王都にいた頃は、こんな生活なんて想像もしなかった。
――仕事。仕事。また仕事。
たまにある休日も寝て過ごすか、本を読むか、はたまた無茶な仕事を押しつけられ職場に籠もっていたか。
そんな自分が、平日から他人と出かけ、素直な笑い声を耳にしながら薬草採りに勤しむなど、想像すらできなかった。
(これも、シノ様のお陰か)
全ては、彼女が隣にいるからだろう――
らしくもないことを考えつつ彼女を見れば、シノはすぐさま次の薬草に飛びついていた。
「あ、先生あっちに群生地があります。わー、アルカニアだ! すごい先生、取り放題ですよ!」
「シノ様、あまり慌てないように。薬草を採りに来て、怪我でもしたら大変です」
「分かってますけど、でも美味しそうな薬草がずらずら~って並んでるとわくわくしちゃって」
汗だくで笑う少女は、とても、名家のお嬢様には見えない。
それでも元気に駆け回る彼女は、見ているだけで妙に心がくすぐられ、クラウは知らずうちに笑みを浮かべる。
薬草なんて、業者に頼めばすぐ手に入る。
が、たまにはこういう日も悪くないなと、久しい散策を楽しみながら、シノに続いて薬草を丁寧に採取していくのだった。
して、帰り道。
「重いっ……せ、先生、お、重っ……!」
「シノ様、欲張りすぎです。人が背負えるものの数には限度がありますよ」
「でも、せっかく採ったのを捨てるなんて、自然に対する冒涜ですから……っ!」
うーん! と顔を真っ赤にしながら丸々太ったリュックを背負うシノ様のお顔は、とても人様に見せれるものではなく。
半分受け持ちつつ、この顔は自分の胸の内だけに仕舞っておこう、と思うクラウであった。
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