幕間1-3.「それで、先生。思い出して頂けましたか? 私と出会った時のこと」


「それから、私はたびたび先生の行方を追ったのですが、やはり紛争地におられる方に連絡を取るのは難しく……半ば諦めていたのですが、実は偶然、先生をお見かけしたのです。貴族院でのことですが」


 馬車に揺られつつ長話を終えたシノの返事に、クラウは記憶を遡る。


 確かに二月ほど前、貴族院に顔を出した。

 王立貴族院から「紛争時の体験談を学生向けに語って欲しい」という依頼があったのだ。


 が、蓋をあければ王国兵達の勇敢さを語って欲しいという、間の抜けた内容。

 しかも、クラウが幽術使いだと知ると途端に手のひらを返され、依頼はなかったことになった。


 あのとき偶然、シノに見つかったのだろう。


「本当はすぐにお声をかけようと思ったのですが、少々、周りの目が厳しくて」

「シノ様は王独貴族、それも赤派の筆頭ですから、自分に声をかけ辛いのは理解します。仮に声をかけられたとしても、お互い迷惑になっていたと思いますし」

「ええ。ですので、策を練ることに致しました。事前にまとまったお金を用意したり、先生とお話する準備をいろいろと。……あとは、勇気の問題でしょうか」


 ふふっと表情を和らげるシノ。

 ずいぶん前から家を出る計画を立てていたらしく、それに、クラウも巻き込まれた形だ。


 まあ今となっては、クラウにとっても利益の大きい話ではあるが……。


「しかし、シノ様。ご実家からは、何も言われてないのでしょうか」

「今ごろ、かんかんにお怒りかと」

「……大変まずいのでは?」

「まずいですが、すぐに動くことはないはずです」


 彼女の実家、カーテル家は醜聞を嫌うという。

 元々、シノの出自自体が世間にバレるとまずい面もあり――彼女の実家は、事実をひた隠しにするだろう、というのが彼女の見立てだ。


「もっとも、父と義母はともかく義妹は性格が悪いので、何かしら手は打ってくるかも知れませんが」

「それは……危険ではありませんか?」

「行方をくらませてしまえば、どうということはありません。それに、実家に残っていても同じですし」


 物憂げに笑うシノに、クラウも納得する。


 偶然ながら、今のクラウとシノは大きな敵を抱えている。

 王国一の医療グループを牽引する”緑”派、ライラック家。

 王国上院議会を占める”赤”派、その最大派閥ウィノアール家。


 それらを考えると、王都に残るのは得策ではないだろう。


「……それで、先生。思い出して頂けましたか? 私と出会った時のこと」


 話が一段落したとみてか、シノがわくわくとこちらを伺う。


 チェミル砦での記憶は、当然、クラウにもある。

 数多の怪我人と向き合い、苦しんだあの時代は生涯忘れられないだろう。が……。


「……失礼ながら、思い出せず」

「それは良か……え? ええっ!? 待ってください先生、あんな大きな事件だったのに、まだ思い出せないんですか?」

「砦に仕掛けられた爆発呪術のことは、覚えています。しかし――」


 言うべきか?

 まあ、言わないと納得しないか……。


「シノ様の仰っている爆発事件とは、その……一体、いつの爆発事件でしょうか」

「え? いつの、とは?」

「チェミル砦にて敵による爆発攻撃が起きるのは、平均して月三回ほど。そのどれに該当するのか、と」

「月三回もあったんですか!?」

「ええ。それに、砦では爆破事件よりも凄惨な事件はいくらでもありました。自分は職業柄、後方勤務に過ぎませんが、逐一、爆弾程度で焦っていては仕事になりませんし……そもそも砦、最後は燃えましたし」

「燃えた?」


 シノがぽかんとする。

 ……この様子だと、真実は知らないらしい。


 クラウ達、王国兵が果敢に戦い、勝利したとされるあの紛争、じつは――


「シノ様。王国は、じつはあの紛争にて敗北しております」

「…………は??」

「建前上、王国は勝利宣言をしたうえで和平宣言を行いましたが、実質的には負け戦です。東の部族がこちらに侵攻する余力がなかったのが幸いでしたが、もし全面戦争を続けていたら、王国の被害はより甚大なものとなっていたでしょう」


 クラウが思うに、彼等は決して蛮族等ではない。

 むしろ王国の侵略から己の土地を守ろうとする、精鋭の術師だ。


「まあ、知らなくても不思議ではありません。王国は、負け戦であることをひた隠しにするため、紛争後の恩赦に条件をつけましたし」

「え」

「戦の様相について、世間に公表しないこと。それが恩赦を受ける条件です」


 下級貴族に過ぎないクラウが、ライラック治癒医院の魔薬師として働けたのも、それが理由だ。


 もっとも……恩赦を断るようなら然るべき処置を取るぞ、という脅しもあったが。


「……そのようなことが、あったのですね。申し訳ありません、なにも知らず」

「シノ様が謝られることではありません。自分も、チェストーラ……友人から聞いて知りましたから」


 しゅんとするシノに、クラウは優しく微笑む。

 彼女のことだ、戦争筆頭派たるウィノアール家として申し訳ない……と考えているかもしれないが、彼女に責任はない。


 むしろ疑問が氷解して、ようやく、すっきりした気分だ。


「それにしても、ようやく、シノ様が自分に近づいてきた理由を理解しました。まあ、自分にはいまだ覚えがありませんが――仮に覚えはなくとも、これから学んでいけば良いかと」

「……いいんですか? それで」

「ええ。それに本日、シノ様に助けられた事実は変わりません。それで十分かと」


 過去の記憶はないが、シノに命を救われたのは事実だ。

 ならば、自分はその恩義を返すのみだ。

 相手が誰であろうとも。


(とはいえ、コトはそう簡単に進まないだろうが。なにせ見知らぬ新天地だ)


 未来に想いを馳せながら、外を眺める。


 気づけば雨雲は去り、代わりにうっすらとした寒気が流れ込んでいた。


 王国は、中央と南北において寒暖の差が激しい。

 とくに北方は冬を迎えるたび一面の銀世界に包まれるほど、寒気の厳しい地域だとか。


「あ、先生見えてきましたよ、ほら」


 シノが続けて馬車から顔を出し、わあ、と遠目に見える山脈に声をあげる。



 ――王国北方アルミシアン領。

 夏は避暑地として過ごしやすいかの地は、一転、冬を迎えると厳しい気候に晒される。

 王国領内でも、まだまだ開拓の浅い遠方地――そこで、クラウの実力はどれだけ発揮できるだろうか。


「アルミシアン領は、王国領ではありますが、穏やかな気質の方が多いと聞きます。それに当主のアルミシアン郷を始め、北側は青盾派が殆どですので、ウィノアールやライラック家の手も届きにくいことでしょう」


 笑うシノに笑顔を返しつつ、自分がしっかり働かねばと気を引き締める。



 ――まずは仕事探し。

 働くのは好きではないが、収入がなければ生きてはいけないし、シノにも迷惑をかけてしまう。


 一介の男としてヒモ生活から脱却しよう、と、密かに誓うクラウであった。

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