幕間1-2.「なるほど。では失礼ながら、今すぐお返し頂いてもいいですか」

 悲鳴と怒号。

 もうもうと立ちのぼる黒い煙がシノの視界を遮り、焦げ臭いにおいがツンと刺さる。


 ……何が……?


 声を絞り出そうとして、うまく、喉が鳴らないことに気づく。

 それだけじゃない。

 先程から、シノはとてもまずいと理解しながら立ち上がることができずにいる。


 ズキズキと痛みが広がり、舌先に覚えのない鉄の味を感じながら……早く逃げなければ、と思うのに。


「……だれ、か」


 なんとか形になった声は、誰にも届かず。

 腰をあげれば、たまたま、シノの側に瓦礫が――砦の監視塔から崩れたらしい岩盤が、シノの足を下敷きにしているのが見えて、ひっ、と喉を引きつらせる。

 その下がどうなっているか。想像したくもない。


 慌てふためく兵達に、シノの姿は映らない。

 不運にも、吹き上がる煙と瓦礫の残骸がシノを覆い隠しており、事態の収拾にかかる兵達の目に届かない。


 状況を理解し、シノは痛みを噛みしめながら身を縮める。

 じっとりと汗を浮かべながら感じたのは、自分はここで死ぬのかな、という恐怖と……


 それを上回る、失望。

 人生って、こんなにあっけないのかなあ、という、諦観。


(私、死ぬのかなあ)


 ゆっくりと、自分の中にある生気が失われていくのを感じる。

 足首以外にも、怪我を負っているのだろう。

 魔力が流れ出ていくのを感じ、自分の身がそう長くないことを自覚する。


 涙でぼやける視界の中、思う。


 ――私の人生は、こんなもの、なのだろうか。


 結局、何もせず何もできず。

 自分の意思もろくに持てず、義母や義妹に言われるまま、ウィノアール家のニセ長女として振舞い。

 ある日なんの脈絡もなく命を落とし、きっと、世間ではテロに巻き込まれた悲劇の女としていいように語り継がれてしまうような。

 そんな、情けない人生なのか。


 嫌だなぁ、とシノはうめく。

 元々、諦めがちな方ではあったけど。

 ……さすがに、こんな終わり方は嫌だ。


 ――でも嫌だからって、誰かが助けてくれる訳でもない。

 シノが死んだところで、本当は、困る人も心配してくれる人もいない。

 ……ただ笑われ、馬鹿にされ。

 あとは悲劇の材料として、聴衆を沸かせるだけの存在になるだけ。


 結局のところ、シノは――誰にも愛されていなかった。


 じわりと大粒の涙が浮かび、血と砂利を握りしめる。

 嫌だ。

 こんなに苦しく、辛い終わり方は、やっぱり嫌だ……。

 絶対。こんな、惨めな終わりなんて、あまりにも。


 狂おしいほど助けを求めつつ、けれど、シノの身体はすでに熱を失いつつある。


 誰か、助けて、と。


 心の中で願い、空に向けて手を伸ばしたところで。

 誰も、聞いてくれる人なんて――




「大丈夫ですか」




 最初に触れたのは、妙に温かい光。

 ……誰?


 浅い呼吸で返すシノに、柔らかな男の声がする。


「喋らないでください。傷に障ります」


 うっすら見えたのは、王国では珍しい黒髪だ。

 薄汚れた白衣をまとい、シノの身体をじっと見下ろしたのち胸元に手を当てるのは、まだ若い青年だ。


「――――」


 青年が何かを語り、――すぐに。


「え……?」


 強烈な……熱の渦、とでも呼ぶべき感覚が、身体の内より吹き上がる。


 強いて例えるなら、生命力、だろうか。

 ……回復魔術?

 けれど、こんなに強力な力をもつ回復魔術なんて。


「……あなたは……?」

「幸運なことに、命の精霊と結ばれることができました。これなら、大丈夫です」


 命の精霊。

 王国魔術では聞き覚えのない名前だが、思い出したのは、精霊術と呼ばれる魔術だ。

 確か、自然の力を借りる、とか……?


 貴族院の教師からは蛇蝎の如く嫌われていたが、少なくとも、シノの体内を巡る熱に悪意は感じない。


「瓦礫のほうは取り除きました。……まずは、こちらの薬を少しずつ」


 身体を起こされ、差し出された蜂蜜色の薬を口にする。


(……温かい)


 ゆっくり飲むようにと言われ、ちびちびと口をつけてみたが、効能は驚く程高かった。

 内側からぽかぽかと暖められる、冬場の魔術懐炉のような熱が全身に満ちていき、なんだかとても心地良い。


 これも……薬、だろうか?

 王独貴族であるシノすら驚く効能に目を瞬かせつつ、ようやく、ほっと息をつく。


 気づけば足の傷もゆっくり癒やされつつあり、シノは、こんな薬があるのかと目を瞬かせる。

 正直、王都でもこんな薬の存在は聞いたことがない。

 まるで、伝承に登場する奇跡の薬のような……。


「……すごい、ですね。これは魔薬なのですか?」

「私の自作品です。ただ、あなたの場合は相性が非常に良かった、というのが真実でしょうか。常日頃、精霊に愛されているのでしょう」

「……? すみません、よく、わからないのですけれど」

「野山に触れたり、草木に触れる経験が多ければ、自然とそうなります」


 確かに、シノは理由あって実家の裏山によく籠もっていた時期はあるが……。

 ――いや、そんなことよりも。


「っ――あの。もしかして今の薬は、とても高価なものだったのでは……? でしたら、私よりもっと優先すべき人がいたのでは」

「優先、といいますと?」

「ええと、その。もちろん、助けて頂いたことは感謝するのですがっ」


 命が助かったことは、泣くほど嬉しい。

 本当に嬉しいし、彼に感謝しかない。


 が、シノは所詮ただの小娘に過ぎず、現場の誰よりも無力で非力だ。

 ウィノアール家の者という身分はあれど、今この場で高価な薬を使うのは、もったいなかったのではないか――?


「勿体ない、ですか。正直そこまで考えておりませんでした」

「じゃあ、どうして」

「あなたが一番重症かつ助かりそうだから、優先しました。それだけの理由ですが」

「それだけ……?」


 当然のように返されつつ、男がシノの足首に触れる。

 ずきり、と痛んだのもつかの間。

 彼が白い光を呼び出し、シノの足首に触れさせ――ゆっくりと、しかし着実に、傷が癒やされていく。


 痛みが引き、シノはおそるおそる膝を引く。

 ……動ける。

 自分はまだ、生きて……自然に立ち上がれる。


(生きてる。私、――生きている)


 シノは、今になってぶるりと心の底から恐怖を覚え、つい泣きそうになった。

 けど、ぐっと唇を噛んで我慢する。


 顔を上げ、恩人と顔を合わせた。

 黒髪の、まだ歳半ばの青年だ。

 シノより幾つか上と思われるが、彫りのある怜悧な顔立ちは、男として見ても美形だろう――と思ったのは、シノの気分が高揚してるせいか。


 対する青年も、シノの治癒速度には驚いたらしい。


「もう立ち上がれますか? ……驚きました。あなたはよほど、精霊との相性が良いのでしょう。普通、幽術は直接の回復には向いてないのですが、こうも効く事例は珍しい」


 黒髪の男が、ふっと唇を綻ばせる。

 その純粋なまでの喜びようには、いかにも年頃の青年らしさがあって、シノもつられてつい、綻んでしまう。


 ……ああ。

 少し無愛想だけど、この人はきっと、優しい人なんだろうな――


 シノは、こんな状況にもかかわらず小さく笑い、一礼をして。


「……ありがとう、ございます。あなたは命の恩人です。宜しければお礼をさせて頂けませんか?」

「お礼、ですか」

「ええ。私にできることは少ないですが、お力になれることがありましたら仰ってください」


 恩には恩を。シノも人として、礼は尽くしたい。

 もっとも、今のシノに出来ることは少ないけれど――


「なるほど。では失礼ながら、今すぐお返し頂いてもいいですか」


 え。今すぐ???

 けど、シノには手持ちが……。


「すみません。いまの私には返せるものがなく」

「その身体だけで十分です」

「へ?」


 一瞬、ほんの一瞬、シノは不埒なことを考えたが――男に背後を示され、気づく。


 そこは今なお、惨事が広がっていた。

 屈強な兵達が怪我人を運び、声をあげ、生存者を助けるため懸命な救援活動が続いている。

 何らかの爆発物が炸裂したのだろう、大地に転がるものの中には、シノが目にしてはならないものまで、幾つも……。


「っ……」


 身体が強ばり、恐怖に身がすくむ。

 が、男がすかさず遮断する。


「目をそらしたくなる気持ちは、分かります。しかし、いまは少しでも人手が必要です。人命救助のために」

「っ、そ……れは」

「無理なら正直にお断りください。あなたが怪我人であることは事実ですし、避難して休んで頂いて結構です」


 その物言いは、冷たかったが――彼が本気で言っているのは理解できた。

 彼は自分を、ウィノアール家の娘でも何でもない、純粋な人手として頼っているのだ。


「…………」


 ……怖い。

 正直にいえば、今すぐ震えて逃げだしたい。

 自分はウィノアールの娘だ、こんなお願い事をするなんて無礼な、とひどい言い訳をつけて逃げ出したい。


 でもここで動かなかったら、自分はきっとダメになる。

 自分からお礼をすると申し出て、しかも頼られている――ここで断っては、自分は弱虫のまま。


「っ……!」


 シノは気合いを入れ、なんとか立ち上がる。

 足の痛みは多少あるけど、大丈夫。動ける……!


「……っ、わかりました。手伝わせてくださいっ」

「ありがとうございます。ではさっそく」


 そんなシノに青年は遠慮なく指示を出し、次の怪我人にとりかかるべく歩きだす。





 それからの数十分は、本当に貴重な体験だった。


 義妹カテリーナなら、激怒しただろう。

 私にこんな命令するなんて、と。

 義母はいうに及ばず、父親も言い訳を並べて逃げたはず。


 けど、シノにとっては初めての現場体験であり、同時に――

 人生で初めて、ウィノアール家の娘でなく。

 現場に居合わせた、ただの小娘として扱われた……不思議な言い方をすれば、自分を認められた時間だった。



 必死に担架をかつぎながら、前を行く彼を見る。

 泥臭く白衣を汚した、王国では珍しい黒髪碧眼の青年。

 その顔をしっかりと記憶に刻みながら、どうしても、聞きたかったことを口にする。


「……あの。あなたの、お名前は」

「すみません、もう少し力を入れてください。落とすと大変なので」

「あっ、す、すみません! 頑張ります――」

「おい、怪我人を粗末に扱うな……って、シノ様!? 貴様、何をさせてる――!」


 しかし結局、シノが彼の名を聞くより先に、お偉いさん達にバレてしまった。


 後に聞いた話だが、シノはとっくに避難済みだと勘違いされていたらしい。

 まさか一般兵に混じって患者を運んでいるとは想像もしなかったらしく、目を丸くして驚いていた。


 ……さっきまで、瓦礫の影にいた私に気づきもしなかったくせに……


 不満を抱きつつも、シノは、どうしても尋ねたかったことを、お偉方にもう一度だけ問う。


「すみません。先程の黒髪の術士様は、なんと仰るのしょうか」

「シノ様が気にされるような方ではございません。ええ、処分の方はこちらで致しますのでご安心を!」

「ち、違います。そういう意味ではなく、彼は私を助けてくれ……」

「ああ、もしや彼の魔術を受けましたか? あの男は、治療成績はよいので重宝はされてますが、何かと不気味な男でして……名前など聞いては、不幸が移ります。どうか、お気にせぬよう」


 ウィノアール家の御息女様に、おかしな名を吹き込まれてはたまらない。

 そんな様子で言葉を濁され、シノが、彼の名を聞くことはなく――





(だったら、自力で探せばいいじゃないですか)


 と、丁寧に護送される、帰りの馬車のなかで気がついた。


 戦場で出会った、名もなき黒髪の青年。

 不思議な魔術を使う彼と、もう一度、きちんと話をしてみたい。


 シノ=カーテル=ウィノアール。

 名高きウィノアール家の長女に力仕事を任せるような。

 命の恩人にして、自分をごく普通の人間として扱ってくれた、不思議な人に――シノは人生で初めて、深い興味を抱いたのだった。

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