幕間1-1.(私は、何のために生きているのでしょう)

 二年前の出来事を、シノはいまも鮮明に覚えている。







 シノだけが不在のリビングで、家族会議が行われている。

 喋るのはいつも妹で、母は受け身がちに聞くだけで、シノは会話に参加すらさせて貰えない。


「ねえお母様。話をする時は、きちんと考えてから話してくださらない? このウィノアール家次女、カテリーナ=ウィノアールたる私が、蛮族共のいる辺境地に赴くなどありえないでしょう? 肌も荒れるし空気も悪い、なにより戦をする男共など、気持ち悪いにも程があります。母様もそれ位ご理解していなくって?」

「そ、そうねぇ……ごめんなさい、カトリーナ。でも、お父様が仕事だって……」

「でしたらアレに任せれば良いでしょう。同じ臭いがする者同士、気が合うに違いありませんわ」

「そういう言い方は……でも、お父様に相談してみるわ、ええ……」


 シノが耳にするのはいつも、偶然通りかかったときに漏れ聞こえた会話だけだ。


*


 シノ=カーテル=ウィノアールはウィノアール家分家、カーテル家の長女にあたる身だが、直系ではない。

 実父と召使いとの間に生まれた、妾の子。

 本来なら放逐されてもおかしくない身である。


 が、シノが他の庶子と異なったのは――表向き、シノが正当なウィノアール家として扱われている点にある。


 父と義母は結婚後、子宝に恵まれない時期が続いていた。

 そのことを、ウィノアール本家当主ブラグマース=ウィノアール郷が極めて不快に感じたらしい。


 ウィノアール家当主、ブラグマース=ウィノアール氏は”家族”を愛することで有名だ。

 血を分けた者はすべて愛しき子だと過剰な愛をそそぐ一方、家族の外に対しては冷徹にして冷酷、あらゆる手管を用いて排除する苛烈な人物。

 先の紛争の主導者でもあり、戦犯でもあるが、誰もその権力には逆らえない。


 そんな圧の中で起きた、父の不義。

 数度の過ちで召使いが身籠もったと知った父と義母は――生まれてきたシノを取り上げ、正当な子として当主様に紹介した。

 当主様のご機嫌を取るためだけに、ありえない嘘をついたのだ。


 よって、シノは表向きはウィノアール分家長女でありながら、家庭内では不義により生まれた子として蔑まされている。


 当然、両親からの愛などなく。

 世間体のためだけに生きる操り人形として、シノはひたすら文句を言われながら過ごしていた。


*


「――それで、お父様。ご用件とは?」

「ああ、シノ……丁度よかった。じつは王国兵の士気高揚のため、東のチェミル砦にて戦地激励の演説を行うこととなったのだ。だが、私は別件の仕事があるし、母のメルザや妹のカテリーナに任せるのは、可哀想だろう? そこで、お前に行ってくれないかと……」


 猫背ぎみに背を丸めた父が、ぼそぼそ声で囁く。


 ……それは。私は可哀想ではない、ということか?

 出かかった言葉を飲み込み、亜麻色の髪をそっとかきあげ溜息をつく。


「お父様……ウィノアールの名にて激励を行うのでしたら、当主様自ら赴かなければ効果がないと思うのですが。私のような小娘が激励に赴けば、それこそ、軽んじられていると非難されるだけではありませんか?」

「それは、そうなのだが。しかし私にも仕事が……な? 父さんの気持ちも分かってくれないか」


 もぞもぞと貧乏揺すりをするのは、父が嘘をつくときの癖だ。

 都合の悪いことや面倒事があると、仕事を理由にシノへ厄介事を押しつけてくる。


 父が気弱で可哀想な人だから……ではない。

 単に、責任から逃れたい卑怯者だからだ。


 中途半端に優柔不断で、体裁を気にしすぎるくせに逃げ癖がある父だからこそ、今のシノがある。

 妾の子を正当な長女として偽るという、バレたら王国中の醜聞として広まる愚行を、平然と行う。

 父は、自分にとって都合のいい現実しか見ていないのだ。


「…………」


 ……けれど、シノが仕事を断っても無駄だろう。

 あとで義母や義妹にせっつかれ、父は結局なくなく自分に縋ってくる、そんな未来が見えるようだ。


「……分かりました。では、お引き受け致します」


 仕方なく返事をすると、父はびくびくしながら「すまないね」と頭を下げた。

 心にも思ってないくせに、とシノは父に腹立ち。


 結局、断れない自分に対しても苛立ちながら――数日後、チェミル砦に向かうこととなった。


*


「我が王国の誇りある戦士達よ。遠く離れた地にて、勇猛果敢に戦うその勇姿と犠牲に、王国民の一人として心より感謝を申し上げます。……東の蛮族との長きにわたる紛争、その驚異はまさに私達の理解を超えるものでしょう。しかし……」


 王国東方、チェミル砦。

 その一角、訓練所となる広間にて開かれたシノの演説会場には、じつに寒々しい空気が流れていた。


 世間知らずな小娘が、さも戦を知ったかのような美辞麗句を並べる。

 一体、誰が得をするというのか?

 しかも、シノはウィノアール家当主ですらない。

 ただ身分が偉いだけで、手渡された原稿を読んでいる少女の激励など――聞いてる側も、喋っている側もバカらしい、と思うはずだ。


 つらつらと原稿を読みながら、ふと、シノは空しさを覚える。


(私は、何のために生きているのでしょう)


 ウィノアール家の偽長女。

 外聞のために、両親に育てられた女。

 義母と義妹はそんなシノを見下し、一方で、無責任なまでに長女としての責務を押しつけてくる。


 父はいつも及び腰で、頼りになるどころか逃げてばかり……。


 いっそ家出してしまおうか、と思ったことは何度もある。

 しかし小娘一人で生きていけるほど、世間が甘くないことも、シノはよく知っている。

 一応、貴族院でできた友人のツテはあるが、迷惑をかけるのも忍びない。


(私の人生は、ずっと、このまま続いていくのでしょうか)


 ぼんやり考えるシノの耳に、乾いた拍手が届く。

 知らぬ間に、原稿を読み終えていたらしい……。


 シノは丁寧に一礼し、広間の兵達を見渡していく。

 面倒そうに手を叩いている者。

 長い演説に苛立ち、踵を鳴らしている者。

 シノの容姿を値踏みしている者。


 ……気持ちは分かる。シノだっていつも、貴族院の学院長挨拶は長すぎると思う。


 そのうえ、シノはただの小娘に過ぎない。

 特別な権限もなければ実行力もない、ただ、政争の道具に使われている女だ。

 そもそも父ですら当主の言いなりに過ぎず、全てはウィノアール家当主の意向に過ぎない――。


 内心毒づきながら、自分も同じ穴の狢であると理解していたシノはますます陰鬱な気分になる。

 ああ。

 早く、この場から消えてしまいたい。


 そんな想いが、自然と足取りを早くしたのか。

 急ぎ階段を降り、シノは舞台裏へと引っ込もうとして、


「……?」


 足下を、黒い影が横切った。

 走るムカデのような、蛇のような――言葉にできない、おぞましい何か。

 ぞくり、とシノの背に寒気が走る。

 周囲の兵達は誰も気づいていない。けれど、何かいま……




 直後。

 ズン、と重い爆発音。


 シノは、唐突に起きた熱と風に巻き込まれ――






 ……気づけば仰向けに転がり、太陽を見上げていた。


「……え?」


 何が……起きた?

 感覚が鈍い。

 全身がズキズキと痛み、直火に炙られたような熱を覚え、訳も分からず混乱する。


「……っ」


 それでも何とか、動こう――本能的に、逃げなければ、と右手を持ち上げて。

 その手が酷く汚れ、濡れていることに気づいて、喉を引きつらせる。


 砦のあちこちから立ちのぼる煙。

 崩れ落ちた監視塔の瓦礫。

 次第に耳に届く怒号と、吹き上がる黒煙に、シノは初めて――ここが戦の最前線であると、理解した。

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