1-9.「……先生って、遊び心がないって友達に言われたりしません?」
「それにしても、思い返せば返すほど不愉快な話です。ご自身のミスを顧みることなく、先生に押しつけるだなんて。嘘をつきたくなる気持ちは分からなくもありませんが、無実の人を貶めることに抵抗はないのでしょうか?」
馬車に揺られ王都を後にするクラウの前で、シノがむすっと頬を膨らませる。
西ライラック魔術医院より飛び出した二人は、善は急げとばかりになぜか用意されていた馬車へと乗り込み王国北方の移住先に向かっていた。
クラウの手荷物は、希少な医学書と着替えのみ。
もともと、挨拶すべき隣人もいない。
唯一の友人には後で、導話で事情を伝えればいいだろう。
(それにしても、ずいぶん思い切った展開になったものだ)
一晩経たずに王都を飛び出すなど、らしくない行動だと自分でも思う。
しかし慌ただしさに反して、クラウに後悔はない。
あのまま王都に居着いても、将来は明るくないだろう。
クラウはそっと、頬を膨らませている少女を見やる。
もう、と不機嫌そうに眉を寄せる年頃の大々々お貴族様。その正体は……ウィノアール家のお嬢様。
彼女は分家筋の人間らしいが、それでも、立場の重さは計り知れない。
……そんな少女が、自分と旅を共にして良いのだろうか?
聞くところによれば、彼女は自分と縁があるらしいが……。
「シノ様。少々お時間よろしいでしょうか?」
「どうぞ。いつまでも怒っていても、時間がもったいないですしね」
ふるふると首を振り、旅路を楽しむように馬車の外を眺めるシノ。
外はいまだに雨模様だが、専用馬車かつ魔術の加護がついているため、防水はもちろんのこと防犯対策も問題ない。
そのことに安堵しつつ、クラウは本題を切り出すことにした。
「改めて、お聞かせ頂きたいのです。シノ様と自分にもともと、どういう繋がりがあったのか」
「うーん……」
「話しにくい事情があるなら、語る必要はありませんが……自分としても、気にはなりますので」
彼女についていくことは確定事項だが、納得感は欲しい。
シノはしばらく、うーんと考えたのち、クラウをちらりと伺う。
「やっぱり、覚えていませんか?」
「まったく」
「まあ、あの時は本当に大変でしたからね。私のような小娘のことなど、覚えてなくても自然かもしれません。ちょっと残念ですけど」
昔を思い出すように、ふふ、とシノが含み笑いを浮かべ。
窓を見上げ、思い出すように溜息をつく。
「あの日は、今日と真逆の、とてもよく晴れた晴天の日でした。まあ、ある意味で最悪の日でしたけど」
そうして彼女が告げたのは――懐かしくも、忌まわしい記憶の話だった。
「二年前。チェミル砦事件。……そう言えば、すこしは思い出して頂けますでしょうか?」
クラウの頬が歪んだことは、彼女に悟られたことだろう。
王国東方チェミル砦。
辺境伯バルストレイト領に属するその砦は、王国東の森林地帯に居城を構える蛮族との小競り合いを続けてきた地だ。
クラウが魔薬師として長年務め、友人チェストーラと知り合いになった場所。
数年にわたり幾多の血と呪詛が飛び交ったあの記憶は、彼女の語った通り、あまり思い出したいものではない。
そもそも――クラウは望んで、紛争に参加した訳ではなかった。
――王国民として、清く正しく生きなさい。
――王国のために戦うことは、あなたの正義のために必要なのよ。
両親にせかされ、当時若かったクラウはそれが正義と信じ、卒業したての魔薬師として従軍した。
それが地獄の始まりだった。
現場につく前から、体力作りをはじめとした基礎訓練をやらされた。
脱走者が幾人も出るなか、クラウは望まぬ鍛錬を続け。
さらに現場入りした後は、常に不足する薬草を薄めたり使い回したりする不十分な環境の中、幾人もの患者を看取っていった。
魔薬師の仕事は魔力を用いてポーションを調合することだが、魔力にだって限界がある。
それを誤魔化すため自ら薬を服用し、薬を生産する、火の車のような運用を行っていた。
クラウが幽術を持ち出したのも、元はその不足を補うためのものであり、実際、一部からは感謝されたこともあった。だが結果は――
「……先生、大丈夫ですか? 話、止めましょうか?」
「すみません、昔のことを思い出しておりました。……しかしどうして、シノ様のような方が、チェミル砦の名を?」
王都の人間には遠い話のはずだが……。
シノがゆるりと、申し訳なさそうに首を振った。
「先に、とても言い訳めいたお話になってしまいますが……私の本家こと、ウィノアール家は”赤派”。つまり戦争推進派の筆頭であることは、先生もご存じでしょうか」
「ええ。噂程度には」
「民からは激しい顰蹙を買いましたけどね。……ですが、私もウィノアール家の一員。その都合で、私の心情とは関係なく、戦争に関する仕事が振られることがありました」
重たげな吐息が、彼女の唇から零れる。
シノにとっても好ましくない話だと察したクラウは、手元の給水器で継いだ水を手渡す。
彼女の表情が和らいだのが、せめてもの救いだろうか。
「先生は相変わらず、察しが良いです。いつもそうやって、黙って気遣いをしてくださいます」
「……自分は、鈍い人間だと思いますが」
「そうでもありませんよ。あの時も、倒れていた私に気づいてくれたのは先生だけでしたし」
思わせぶりに口にしつつ、彼女がそっと口を開く。
己の胸に手をあて、クラウに感謝するように――
「二年前。チェミル砦で起きた爆発テロ事件。そのとき演説台に立ち、激励の声をあげていたのが、私です。……そして私は爆発に巻き込まれ、瀕死の重傷を負ったところを、先生に助けられたのです」
「……?」
「さらに先生はその時、私をウィノアール家の者でなく、ごく普通の患者として扱ってくださいました。実家から疎まれ、何者でもなかった私を。……先生にとっては何気ない日常の一コマだったかもしれませんが、そのときの記憶が、私には鮮明に残っていた。だから、あなたを頼ったのです」
シノがクラウに近づき、その手を取る。
指先に祈りを捧げるように頭を垂れた彼女が、薄くはにかむように、笑う。
……ここまで語れば、それ以上は必要ないでしょう?
そう、眼差しで問われた気がして。
クラウは――
「すみません。全く記憶にありません」
「なんでですか!? そこは『ああ、あの時の』と思い出して感動するところではありませんか?」
「気持ちはわかりますが、事実をねじ曲げるわけにはいきませんので」
「思わせぶりに喋った私がバカみたいに見えるじゃないですか……」
シノが頭を抱え、うんうんと唸り出す。
でも本当に、まったく記憶にないのだから仕方が無い。
「じつは人違いとか……」
「それはありません! わかりました、仕方ないので一から全部お話しますっ」
ちょっと怒らせてしまった。
でも最初からそうして欲しかったと願うクラウの前で、シノがようやく重い口を開き……
「あれは昔々、まだ王国が戦に明け暮れていた頃のこと――」
「シノ様。演技は不要ですので、かいつまんで事実だけをお願いします」
「……先生って、遊び心がないって友達に言われたりしません?」
仏頂面で睨まれ、どうやら自分は失敗したらしい、と己の不器用さを恥じながら、彼女の昔話に耳を傾けた。
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