1-8.「私、美人で可愛いですからね。嫉妬深い人に、いつだって追われているんですよ」

「んまあ、あなた誰よ!? ねぇ、わたくしが誰だか分かっているの!?」

「お初お目にかかります、ガルシア=ライラック局長様。お噂の方は、かねがね。治癒術師ライラック家の直系にありながら初等魔術しか扱えず、管理職に回されたというお話、よく耳にさせていただきます」

「んまあああっ!?」


 平手打ちのような挨拶をするシノに、局長の声がカエルのようにひっくり返る。

 シノは続けて、ヴェーラ嬢にひらりと優雅な会釈を行った。


「ご無沙汰しております、ヴェーラ=ライラック様。以前お会いしたのは、冬礼祭にございましたか? このような形で顔を合わせましたこと、至極残念ではありますが、よろしくお願いいたします」

 

 恭しく頭を下げるシノに、びくっと顔を強ばらせるヴェーラ嬢。

 驚愕……というより呆けたような表情を浮かべる彼女の頬に、にうっすらと冷や汗が伝っていく。


「え。ど、どうしてあなた様が……え? え?」

「まあ、ヴェーラ。こんな怪しい女と知り合いですの? わたくし、あまりに口汚い声が聞こえて意識が飛んでしまいましたわ。この不敬な女は誰ですの!?」

「っ、お、お母様……! 口を慎んでください、この方は」

「どこのどなたか知りませんけど、口を出すんじゃありませんわ! ここは神聖なる王国の医療機関ライラック家にして、わたくしはその局長ですのよ? ご自身の立場というものを理解していらして!?」


 ぶよぶよに肥えた腕を叩きつけ、業務妨害だとわめくガルシア局長。

 対するヴェーラ嬢はひどく青ざめ、ふるふると震えるなか……


 残されたクラウが抱いたのは、全く別の感想だった。


 彼女がなぜ、ここに?

 いくら彼女が貴族の出であっても、部外者が局長室までくるのは不可能なはずだ。

 あるとすれば――


(……いや、まさか)


 ライラック直系、ガルシア局長に物怖じせず口を挟める立場。

 先の友人が残した『本物』の伝言。

 ……そもそも彼女は最初から、口にしていたではないか。自分の名を。


「そういえば、局長様にはまだ名を告げておりませんでしたね。改めまして、名乗らさせて頂きます」


 クラウの意識を察したように。

 彼女が前へと踏み出して一礼を行い、にこりと笑った。


「私、名の方を、シノ=カーテル=ウィノアールと申します。それ以上は聞かずとも、ご理解頂けますでしょう?」


 本日は私服にて失礼、と語るシノ。

 しとしとと雨音が響くなか、信じられないものを耳にした局長は、その顔を真っ赤にさせ。


「な……んまああああっ! 言うにことかいて、なんてことをっ。信じられません、信じられませんわ! ねぇ、不敬にもわたくしの部屋に土足で踏み入り、しかも名高き”赤”のウィノアール家の名を名乗るだなんてっ」

「お、お母様」

「不敬! 不敬にも程がありますわ! 今日はなんて厄日なの! ああ、ヴェーラ。ごめんなさいね、あなたに見せるべきものでないことは分かっているのよ。でもね、もうママ我慢できないの――」

「違うんです。お母様……」

「大丈夫よヴェーラ、今すぐこんな不届き者は追い出して差し上げますからね。ほら、早くこの二人を」



「っ、ほ、本物」

「へ?」



 ガルシア局長が固まり。

 ぎょろりと、魚眼のような瞳がヴェーラを捕らえる。


「……? ヴェーラ。あなたまで嘘をつかなくても良いのよ? 怖いことなんて何もありませんわ、全部ママに任せて」

「いえ……何度か、上院議員の会でお見受けした覚えが……お母様は丁度、欠席してらした時、で」


 掠れ声のヴェーラに対し、局長はまだ事態を飲み込めていないらしい。


 それは、クラウも同じだ。

 頭では理解したが……本当に、本人なのだろうか?


「それで? ガルシア局長様。不敬罪、でしたか」

「……え? え?」

「確かに、王国法には王独貴族に対する不敬への罰則がございます。しかしながら、同じ王独貴族相手には通じない法であることくらい、ご存じのはずでは? それと、いかに相手が王独貴族でないとはいえ、相手の話も聞かず一方的に己の主張ばかりを繰り返すのは、王独貴族の名に恥じる行いでは?」

「っ、あっ」


 何かを言いかけ、けれど言葉が続かない局長に目もくれず。

 シノは足下に散らばった診療録を拾い、改めて問いただす。


「クラウ先生は先程、偽造の可能性をご指摘されました。であれば、調査をすることが先決ではないでしょうか?」

「っ、で、ですからそれは、その男がわたくしの院を傷つけようと不当に!」

「その真偽も含め、調査を致しましょう、と」

「それだと患者の迷惑になると……」

「独王法には、個人情報を保護する決まりもございます。公に出される情報はないでしょう」


 優雅に応えるシノだが、そう言い返せるのは同じ身分の者――或いはもっと上の立場の者だ。

 その気迫が、彼女が本物であることをさらに際立たせる。


 シノがにこやかにはにかみながら、しかし、明白な怒気を込めてヴェーラを睨む。


「後のことは、専門の方に一任します。宜しいですね?」

「っ……でも私達が騒ぐと、患者様の心に傷が……」

「真実が明らかになると、何か不都合があるのですか?」


 ヴェーラはもう言葉もなく震えるのみ。

 みるみるうちに大粒の涙が溜まるが、それで手を緩めるシノではなかった。


 そうか、彼女も――怒るのか、と、クラウは今さらの感想を抱く。


「そして、ヴェーラ嬢。ひとつご忠告ですが、いつまでも、その涙が通じると思わない方が宜しいですよ?」

「え……」

「あなたが本当に困っている弱者なら、私も手を差し伸べます。しかし、あなたはただ弱い者のフリをした卑怯者。本当に頑張っていたのは、クラウ先生の方でしょう?」

「っ――」

「そのような薄っぺらい女と、これ以上話すことはありません。では、後のことはまた後日」

「なっ、ま、待ってっ」


 引き留めようとするヴェーラを振り切り、では参りましょう、とクラウに手を差し伸べられる。


 改めて、クラウは彼女を伺った。

 今朝と、その姿は変わらない。


 ふわふわと揺れる亜麻色の髪に、明るさを失わない笑顔はいつも通りのシノだ。

 けれど、目に見えない気迫が漂っているように感じるのは、クラウの気のせいではないだろう――


「……幻滅しましたか?」

「え」

「あまり、身分を傘にした言葉は、使いたくないかったのですけれど」


 はかなく呟く彼女に、院の出口についた頃、気づく。


 シノは、少々無理をしてくれたのだ、と

 何のために?

 もちろん、クラウを助けるためにだ。


「…………」


 普段、他人に頼ることのなかったクラウは、少々自覚が遅れてしまった。

 けれど間違いなくいま、クラウは不当に逮捕されかねない危機から、救われた。

 場合によっては、命の恩人と取れる程の恩だ。


「……すみません、シノ様。ありがとうございます」

「いえ。以前から例の局長様の話は小耳に挟んでいましたし、先生とのもめ事も聞いていましたので。むしろ、はっきり言えてすっきりしました」


 うーん、と背伸びをするシノ。

 そのまま出口から出ようとする彼女に、クラウは慌てて雨よけ防具を被せながら、不思議に思う。


「しかし、シノ様。どうして自分を……?」

「その質問にお答えする前に、ひとつ、ご相談がありまして」

「何でしょうか。なんでも、仰って頂ければ」

「私と結婚して、ついでに、王国から逃げませんか?」


 クラウの思考が固まる。

 目を丸くするには十分すぎる内容に、けれどシノは、当然のようにふふっと微笑んで。


「私、本物のウィノアール姓ではあるのですけど、家庭の事情により虐められている可哀想な少女でして。そこで前から、家出を計画していたんです。……ただ、私は見てのとおりか弱い美少女に過ぎず、ずっと連れが欲しかったのです」

「…………」

「なので、逃避行にお付き合いして頂ける方を、探していたんです。じつは私の友人も、その逃避先に住んでいるんですよ」


 シノがくいっと、クラウの袖を引く。


 良ければ、一緒に来て頂けませんか?

 と、見上げた瞳が本気で語っている。


「資金のアテはあります。突然の話ではありますが、ご了承頂けませんでしょうか?」


 そんなこと、突然言われても。

 雨音の中、完全に真っ白になるクラウだったが――しかし。


(いや。……話の流れは唐突だが、もしかしたら、悪くない、のか?)


 冷静に考えれば、悪くない、というより他に道がない。


 今回の件で、クラウはライラック家と決定的に袂を分かつ形となった。

 今後、クラウが王都で医療業務に従事するのは不可能だろう。

 さらにいえば、クラウが王都に住んでいる限り、ライラック家の者と顔を合わせるたびに厄介事へと発展する可能性もある。


 ならいっそ、新天地で新しく魔薬師の仕事をしてみるのも手ではないか?


 それに、今回の件で彼女には多大な恩ができてしまった。

 シノが自分に尽くしてくれる理由は不明だが、恩には恩を返すのが、クラウの主義だ。

 彼女が困っているのなら道を共にし、自分にできる限りのことをするのも良いだろう。


 そこまで考え、クラウは静かにシノの手を握り返す。


「畏まりました。では、ご一緒させてください」

「……本当ですか? ありがとうございます!」

「ただし、婚姻の話はまた別件です」


 逃避行にはついていくが、結ばれる必要はない。

 そもそも自分のような男と婚姻しても仕方ないだろうと拒否すると、シノはちょっと不機嫌そうに眉をひそめ。


 けれどすぐ嬉しそうにほころび、クラウの手を握り返してかけ出した。


「ではすぐに準備いたします。追っ手に捕まると、面倒ですので」

「追われるような状況なのですか……?」

「私、美人で可愛いですからね。嫉妬深い人に、いつだって追われているんですよ」


 茶化すように笑う彼女だが、きっと、本当のことなのだろうな、とクラウは思った。

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