1-7.「不当な言いがかりへの、お掃除です」
「あの、えっと、お母様……クラウ魔薬師にも理由があったに違いありませんわ。でなければ、わざわざ症状を悪化させるような薬を出したりなんて……」
「ああ、ヴェーラ。お前は本当に優しい子だねぇ。でもね、これは許してはいけないことなの。いい? 世の中にはねぇ、何度叱ってもわからない、人として終わっている人間がいるの。そういう人にきちんと言い聞かせることも、わたくし達の仕事なのよ? ああ、ヴェーラ、あなたのような優しい子の前でこんなことを話すなんて、本っっっっ当に不憫だわ……」
久しく訪れた局長室で待っていたのは、巨体を震わせハンカチで目を覆うガルシア局長と、それを賢明に支える御息女ヴェーラ様という、いつもの二人組だ。
床には書類が散乱し、絨毯のあちこちに染みのように広がっている。
理由もわからず糾弾されたクラウは、いつものことだと思いつつ、問う。
「すみませんが、要件は何でしょうか」
「要件? ねぇ、今さら何をとぼけたことを言っているの? わたくしが何も知らないとでも思っているの!?」
「事情を聞かないことには、判断できませんが……」
「そうやって何も知らないフリをしていれば、許されると思っているのね。でも、これを見てもそう言えるの!?」
ばらまかれるように、余りの書類を投げつけられる。
クラウにも見覚えのある診療録だ。
患者の容体と、診察記録。
最新事項にヴェーラ御息女の記述があり、時系列を遡れば、前回のクラウの記載があり――処方内容に、そっと目を逆立てる。
「あなたが診察していた患者がねぇ、ヴェーラが引き継いだ途端、急に容体が悪くなったのよ。それも何人も! それで見てみたら何よこれ、明らかに間違ってるじゃない!」
「……仰る通り、こちらの患者に魔力回復用の魔薬を処方しては、逆効果です。魔力はあくまで魔力であり、自己免疫力とは非なるものです」
「なら、どうしてこんな薬を出していたの? ねぇ、分かってやったのなら人殺しと同じよ!?」
全くの同意見だ。
殺人とまではいかないが、魔薬師としては首を飛ばされてもおかしくない。
自分が処方した記憶がない、という点を除けばだが。
クラウは診療禄の用紙を天上にかざし、目をこらす。
よく見れば、似せてはあるものの書かれた文字はクラウにしては筆圧が弱い。
……あまり、考えたくはないが。
「失礼ながら、局長様。本紙は何者かに偽造されていると考えられます」
「なんですって?」
「少なくとも自分であれば、このような処方は致しません。まずは筆跡鑑定など、真偽の程を確認して頂ければと……」
「本っっっ当に、あなたは自分の非を認めない人ね!?」
「は?」
「ねぇ、ここまで証拠が揃ってるのにどぉして認めないのかしら? 隠蔽? あなた以外にそんなこと出来る人間いないでしょう!? ねぇ、ねぇ!」
「……逆では。自分が勤務していなかったからこそ、犯人は改竄しやすかったのでは?」
ことは重大だ。患者に直接関わる、診療録の改竄。
黙って受け入れようものなら自分だけでなく、第三者にさらなる被害をもたらす可能性が高い。
まず第三者の調査を加え、犯人を特定するのが先決だと思うが――
「酷い……なんて酷い人……信じられませんわ。ねぇ。あなたには本当に、人の心がないの……?」
だというのに、ガルシア局長がその巨体を震わせ、ほろほろと。
零れるような大粒の涙を流し、ハンカチで自らの顔を押さえ、号泣し始めてしまった。
「ねぇ。すこし考えればわかることでしょう? 裁判? 第三者? ねぇ。そんなことしたら、あなたの治療を受けた患者さんがどんな気持ちになるか、本当に分からないの?」
「……どういう意味でしょう?」
「ライラック治癒医院は、由緒正しき御方が多く通う高貴な医院よ。あなたみたいな下っ端貴族じゃ分からないだろうけど、人に言えない事情を抱えた人だっているの。いえ、そもそも医療情報なんて人に言いたくないものよ。ねぇ。そんな人達を裁判の場に引きずり出して、公衆の面前で毒を盛られました、って言われたらどんな気持ちになるかしら? ねぇ、可哀想だと思わない? あんまりだと思わない? 被害者に対して、あなたはには罪の意識っていうのがないの?」
ねぇ、ねぇ、とヒステリックに問い詰められ、クラウは黙考する。
確かに、被害者の名が裁判で世間に晒されるようなことになれば、二次被害は避けられないが……。
その話は、本題と関係ないのでは?
「しかし局長。だとしても、まずは真実を明らかにし、次の被害を出さないことが大切かと」
「あなたがやったことを素直に認めないから、こんなことになっているんでしょう!? どうして、理解できないのかしら!?」
「は……?」
「診療録に触れたのはあなたと私の可愛いヴェーラだけよ? だったら犯人はあなたしかいないじゃないの! そのうえ患者を盾にして、裁判だ、鑑定だなんて脅しをかけて、卑怯者!」
「自分はただ、真実を明らかに……」
「どうせ、わたくしへの当てつけでしょう?」
何の話だ、と眉を寄せるクラウに、局長はふるふると頬を震わせ、
「自分を謹慎処分にしたわたくしに恥をかかせるために、その怪しげな術で書類を改竄したに違いありませんわ。ああ、なんておぞましい男。わたくしへの嫌がらせのために、患者やヴェーラまで利用するなんて……酷い、なんて酷い……!」
ガルシア局長が自らの巨体を抱き、ついには、わんわんと泣き始めてしまった。
大の大人が大泣きする様は、それだけで不気味だが、クラウはやむなく黙る。
反論なら、幾らでもある。
幽術は特殊な術だが、さすがに書類の改善のような器用なことは出来ない。
そもそも書類を改竄したとして、実際の処方薬が変化するはずもない。
道理も論理もこちらに部があるのは明らかなはず……なのだが。
「あ、あの。クラウ先生……あまり、母を虐めないで頂けると……」
おずおずと差し込んでくるヴェーラだが、それは逆だろう。
「自分が責めている訳ではありません。ただ、事実を述べただけで」
「で、ですがほかに、当院に偽造するような不届き者がいるだなんて、私にも思えなくて……それに、もしうちの母がこのままクラウ先生を訴えますと、王独法の問題もありますし……」
「…………」
王独法。
王国を支配する、王独貴族にのみ与えられた特権のひとつだ。
王独貴族は王国の秩序を保つ、天上人。
ゆえに彼等が多少の不法行為を行おうとも、王国を守るために行われた罪であるなら咎はなし――という建前のもと制定された、優遇措置だ。
例えクラウの主張が正当なものであっても、王独法を前に構えられると、部が悪いだろう。
診療録を抱え、ヴェーラが母と同じく涙を浮かべながら頭を下げる。
「お願いします、クラウ先生。私も、同じ医院で働いた人を疑いたくはないですし……えっと、本当に偽造があったかどうかも、こっちで、調べるので……」
「誰が調査するのですか?」
「それは、わ、私が責任をもって」
「――あなたが?」
局長が仰っていたではないか。
『診療録に触れたのはあなたと私の可愛いヴェーラだけ』と。
……クラウが改竄した犯人でなければ、疑わしいのは一人だが。
が、追求したところで彼女は認めないだろう。
仮に認めても、ガルシア局長が隠蔽してしまうに違いない。
……なら、クラウに出来ることは、殆どない。
被害にあった患者に、正しい薬を処方するくらいだろう。
「ヴェーラ様。先の診療禄ですが、正しい魔薬のリストを作成しお渡ししておきます」
「え?」
「早めに、該当患者に処方してあげてください。ご心配なら他の治癒術師か魔薬師に、確認を」
自分が冤罪を被るのは仕方ないが、ほかの患者を巻き込むのは避けるべきだ。
それ以上のことは、クラウの手に余るし、どうしようもない。
(……誰も、自分の言い分など聞いてくれない、か)
諦観の溜息をつく、クラウ。
腹立たしくないわけではないが、世の中とはそういうものかもしれない。
まっとうな理論より、権威や権力、感情的にわめいた者が勝つのが社会だ。
思い返してみれば、昔の紛争でもそうだった。
現場がどれだけ疲弊しても、上層部からは最低限の物資すら届かなかった。
挙げ句、紛争を終わらせられないのは現場の怠慢だ、と。
(もう、王都にいる意味もないか。……今後、どうやって生活していけば良いのか)
おそらく自分は、ガルシア局長の通報により逮捕されるだろう。
診療録の改竄は、明白な違法行為だ。
しかも西ライラック医院に勤める患者は貴族が多く、被害者の数によっては重罪も免れないだろう。
もちろん冤罪だと主張するが、王独貴族相手に通るとは思えない。
理不尽だなと息をつくクラウを、ガルシア局長が泣きはらした瞳で睨み付けてくる。
「術師クラウ。わたくしはいま、決めましたわ。あなたを決して許さない、と! ええ、二度とわたくしの院に……いえ、二度と王国の地において、魔薬師として働くことを許しませんわ。ライラック家の名にかけ、あなたの非道を徹底的に追求いたします! わたくしの、わたくしの可愛いヴェーラにまで罪を着せるなんて許せない……!」
怒りを滲ませる震え声に、どうしようもないな、とクラウが呆れた、そのとき――
局長室の重い扉が、音を立てて開かれた。
ガルシア局長がびくっと震え、クラウも訝しげに振り返る。
ライラック直系たる彼女の部屋に、許可無く足を踏み入れられる者がいるとは思わないが……。
と、背後をみて――
……は? と、クラウはらしくもなく、呆けた声をあげる。
「突然のご挨拶、ならびに雨天の不法侵入、失礼致します」
現れたのは、見慣れた亜麻色の髪。
小柄な背丈ながら、凜とした表情を保ってきちんと背筋を伸ばし。
にこり、と。
微笑んでいるはずなのになぜか寒気を覚える笑顔を浮かべ、彼女はうっすらと瞳を細めながら。
「今朝がたぶりにございます、クラウ先生。じつは折り入ってご相談があるのですが……私と結婚する前に、ひとつ、お掃除に手をつけても宜しいでしょうか?」
「……何の、でしょうか」
「不当な言いがかりへの、お掃除です」
これも王国への社会貢献です、と。
シノはいつもの笑顔で囁きながら、平然と、ガルシア局長に言い返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます