1-5.「先生。これ、食べても大丈夫ですか?」
翌朝も、王都を包む雨模様は変わりなく続いていた。
クラウにだけ聞こえる精霊達の声によれば、今日一日、雨は降り続くようだ。
雨は、嫌いではない。
しとしとと響く、世界を重く包むカーテンのような雨音は、孤独を好む自分とは相性がいいとさえ、思う。
外出の予定さえなければ、心地良さを覚える程だ。
とはいえ、今日はどうにも落ち着かない気分ではある。
さすがの彼女も、この雨の中を駆けてくることはないだろう――そう思うのに、何となく予感がするのは気のせいか。
その憂いは残念ながら、控えめに響くノック音とともに的中したことを知る。
戸を開けば予想通り。
いつもの亜麻色の髪の少女が、半ば濡れ鼠となりながらクラウに笑顔を向けていた。
「おはようございます、先生。すみません、すこし遅れてしまって。あ、でもお食事は大丈夫です、濡れないように内側に抱えてですね、こう……」
「こんな日まで、来なくても良かったのですが」
「気にしないでください。趣味ですので。それに、自宅や学校にいるより先生の元にいるほうが落ち着きますし」
そう語るシノの有様は酷いものだ。
彼女ご自慢であろう亜麻色も、うっすらと濡れそぼり。
防水コートを羽織ってはいるものの、靴からスカートまでべったりと湿気を吸い、身体に張り付いている。
見るのも失礼だし忍びない、とクラウはそっと両手に魔力を込めた。
(熱の精霊よ。ほのかな暖を)
クラウの術により招かれた、ぼんやりと輝く赤光……熱の精霊が、ふわりと、シノの周囲をくるりと包んでいく。
直接触れれば火傷に至る火の精霊と違い、熱の精霊はあくまで暖める存在だ。
風邪を召されてはたまったものではない、と彼女の周囲に二つ、三つと漂わせ――
遅れて、気づく。
彼女が不思議そうに、クラウの放った魔術を見上げている。
しまった。
彼女に、自分の魔術を……。
「先生、これは? ……あれ。なんだか身体がぽかぽかしてきました。見慣れない術ですね」
「すみません。それは」
口ごもったのは、クラウの扱う特殊な魔術のせいだ。
大陸一の魔術王国と名高いアストハルトには、大別して三つの魔術系統が存在する。
王国独式魔術。
簡易魔術。
卑式魔術。
独式はその名の通り、王独貴族という王家の上流貴族のみに使用が許される、由緒正しき伝統ある魔術。
それらを簡略化し、普段使いに適した形にしたものが、簡易魔術。
最後に、それらに含まれない存在……
悪しき魔術、王国非公認の魔術として卑下されているもの、それが卑式魔術だ。
クラウが得意とする幽術は、典型的な”卑しい”魔術。
ガルシア局長が目くじらを立て「気味の悪い魔術」と称するほどに、王国では異端の術ではある。
……止めるべきか?
僅かに手を引き、しかし、クラウは術を継続する。
嫌悪を抱かれようと、濡れそぼった彼女をそのままにして風邪を召されることは、クラウの義に反する。
魔薬師として。人として。
悪評を買おうと卑しかろうと、まずは彼女の暖を優先するべきだろう。
クラウは瞼を伏せながら、やむなく説明を挟む。
「これは……幽術、と、呼ばれている魔術です。王国では一般的ではありませんが、自然に住まう精霊に語りかけ、その力をお借りする魔術です」
「なるほど。あのとき見た魔術も、たしかに、私に覚えがありませんでした」
不思議そうに瞳を瞬かせるシノに、クラウは、また奇異の目で見られるのだろうと身構える。
西ライラック魔術医院でも、この術を使うと周囲から悪評を買ったものだ。
彼女もきっと、そういう反応をするのだろう――
と、彼女を軽快しながら伺い、……?
(……えぇ……?)
シノは――あろうことか漂う熱の精霊を興味深そうにみつめ、人差し指でそ~っと、精霊をつつこうとしていた。
「……シノ様。なにを、なされているのです?」
「あ、先生。これ触っても大丈夫ですか?」
「触る? ……すみません、ちょっと待ってください」
クラウが慌てて魔力を足し、熱の精霊にお願いをする。
精霊は、魔術で呼び出す物理現象と異なり、ぼんやりとした意思がある。
ご機嫌を損ねるとすぐ逃げてしまうので、魔力という餌を与えてお願いするのが基本だ。
幸い、おかわりをあげると彼女らは願いを聞き入れてくれた。
ふよふよと、綿毛のように浮かぶ薄明るい光が、シノの身体にまとわりつくように触れていく。
例えるなら、空飛ぶ子猫が戯れているような感覚だろうか。
シノがそっと触れ、わわ、と目を輝かせた。
「わ、わっ。本当に温かいですね! それに触るとふわふわしてて気持ちいいです」
「……驚きませんか。自分の魔術はよく、怖いと言われるのですが」
「怖い? いえ。不思議ではありますが、私のために使って頂いた魔術でしょう? 怖がる理由がありません。それに温かいですし、気持ちいいですし。先生の心意気が伝わってくるようです」
シノがあまりにあっさりと語るものだから、クラウは逆に、困ってしまう。
他人の悪意には慣れているつもりだが――こうも素直に好意をむけられると、逆に居心地が悪いというか。
つい裏を疑いたくなってしまうのは、クラウの悪い癖だろう。
「……あまり、怖がらなさすぎるのも、どうかと思いますが」
「そうですか? でも本当に可愛らしい術だと思います。それにしても、先生はどうしてその……幽術? を使えるのでしょう。王国一般魔術より便利なのでしょうか?」
「実用的だから、です。それ以外の理由はありません」
卑式魔術だから、威力が低い、なんてことはない。
むしろ王国では認められていない術にこそ、王国独式魔術よりも遙かに高い効果を発揮するものも数多く存在する。
特権意識の強い独王貴族が、それを認めることはないだろうが……。
そう考えると、シノは、特殊な感性を持っているのかもしれない――
「先生。これ、食べても大丈夫ですか?」
「そ、それは勘弁して貰えませんか……?」
「すみません、口に含んだら口の中まで温かくなるのかなぁと……あ、あっ」
ふわりと、赤い灯火が飛び立つ蝶のようにシノから離れ、空へと消えていってしまった。
しょんぼりしたシノがこっちを見るが、クラウは悪くない。絶対に。
「……先生、食べると言ったからって、術を解かなくても」
「違います。精霊自身が怖がって逃げてしまっただけです」
そりゃあ捕食されそうになったら逃げるだろう、と苦笑しつつ、本当に妙な方だと思う。
幽術を見て、奇異な眼差しを送ってこない人物は珍しい。
それからシノはすぐに元気になり、ほらほら、と乾いたスカートを自慢してきた。
「でも、見てください先生。服が綺麗に乾きました。この魔術、お洗濯もとても便利ですね」
「まあ、重宝してますが……」
「助かりました、ありがとうございます。代わりと言ってはなんですが、本日も朝食をお持ちしましたので、宜しければ。あ、こちらきちんと防水仕様ですのでご安心を」
「先に、ご自身を防水された方が良かったのでは?」
「私が濡れ鼠でしなしなになってしまうより、美味しいご飯がしなびてしまう方が罪深いと思いませんか?」
両方防水すればいいのでは、と当然の疑問を抱きつつバスケットを預かり、テーブルに広げていく。
気づけば二人で食事を取るのが日課になりつつあるなと思ったが、余計なことを口にすると彼女にからかわれそうな気がして、口に出すのは憚られた。
準備をし、手を合わせ、いつもの朝食。
黙々と美味しいサンドイッチを頂き、舌鼓を打ち、たわいもない雑談を交わしながら――
この状況に慣れてしまうのは不味いな、と、クラウは己を叱咤する。
気を害したわけではない。逆だ。
彼女といるのはそこまで悪い気はしない、と思い始めている自分がいるからこそ、よくないな、と思う。
(理由は、わからないが……彼女のような方が、自分の家にいるのはやはり、場違いだ)
彼女の感性と抱擁力の高さは、貴族として見ても大変懐の深い方だ。
その穏やかさと純粋さは、きっと、多くの人を魅了するだろう。
彼女が自分に固執する理由は、分からないが――自分のような、場末の貴族に来る器ではない。
そう考えたクラウは朝食を終えた後、丁寧にご馳走様と述べ、シノと向き直った。
「シノ様。すこし、お話をよろしいでしょうか?」
「婚姻の了承でしょうか?」
「違います。むしろ逆です。……一度、ご自身の行動を省みられてはどうか、と思いまして」
彼女の正体は、未だ不明だ。
しかし少なくとも、クラウの家に毎日訪れさせるのは、彼女の人生を無駄遣いしている――
見切りをつけるのは、早いほうが良いだろう。
「このようなことは、本日限りに致しましょう」
「え?」
目を丸くするシノに、クラウはそっと手を挙げ、彼女を遮る。
彼女は――人が、良すぎるのだ。
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