1-2.「うそつき……先生が凄い人だって、私は知ってますけど」
もちろん、最初は聞き間違いだと思った。
あるいは疲労による幻覚か。
最近、休みをろくに取れていなかったし、疲れているのかもしれない、とクラウは目頭を押さえる。
「幻覚か」
「幻覚ではありませんけれど!?」
小さく怒られ、クラウが顔をあげると少女はやはりそこにいた。
ゆるくウェーブのかかった亜麻色の髪を揺らし、むっと不機嫌そうに睨んでくるが、あまり迫力はない。
彼女が「失礼」と、ぺこりと一礼。
「でも確かに、驚かせてしまったことは申し訳なく思います」
「自覚はあるのですね」
「すみません。でも先生、いつお伺いしても居留守でしたので、つい」
確かに最近、ずっと居留守を使っていた。
仕事が忙しかったことと、精神的な余裕がなかったせいだ。まあ、その仕事も謹慎を食らったが……。
「……相手が居留守でも、不法侵入はやめておいた方が良いかと存じます。強盗と間違われかねませんし」
「いえ先生、ご覧になってください。私のように可愛らしい強盗が、この世のどこにいますでしょうか?」
ずいぶん自己評価の高い不法侵入者だった。
そして会話の意味が分からない。
己を可愛らしいと自慢し、ふふんと笑い、聞き間違いでなければクラウに求婚してきた気がするが……。
「それで。結婚とは、どういう意味でしょうか」
「ああ、すみません。話しが飛躍していましたね。じつは先生に、折り入ってお願いがありまして」
座っても? と彼女に問われ、クラウは返答の代わりに椅子を引いてさしあげた。
不法侵入者がゆるりと会釈し、腰を下ろす。
丁寧な所作をみるに、貴族であるのは間違いなさそうだが……何者だろうか?
「それで、自分に頼み事とは何でしょうか」
「じつは、薬を作って頂きたいのです」
「どのような?」
「……すみません。それは、実は分からなくて」
少女の返答に、クラウはつい眉を寄せる。
作る薬がわからない、とは――つまり。
「症状の原因すら分からない、と、解釈して宜しいでしょうか」
「はい。私の友人なのですけれど、既に何人もの治癒術師が匙を投げてしまって。それで先生に、診て頂けないかと」
「しかし――」
自分は魔薬師であり、治癒術師ではない。
診断および治療方針の決定は、治癒術師の権限であり、魔薬師の業務はその指示に基づき魔薬を精製することだ。
何人もの術師が匙を投げたのなら、自分の手に負えるとは思えないが……。
懸念するクラウの前に、彼女が革袋をどさりと置いた。
「こちら、お支払いになります」
その重さに、怪訝な顔をするクラウ。
相場のおよそ十倍以上はある金貨を前に、疑わない人間はいないだろう。
「申し訳ございませんが、それ程のお金がかかった仕事を私にこなせるとは思いません。どうか他をあたって頂けませんか」
「いえ、こちらは前金になります。失敗しても、お支払いいたします」
「は?」
「ですので、一度診て頂けませんでしょうか? さらに成功報酬として、私を差し上げます」
は? と意味不明すぎる発言に眉をよせるクラウに、少女はそっと己の胸に手をあて、にこりと微笑む。
こんなに可愛らしい少女が、あなたのものになるのです。
どうですか?
と、言わんばかりの態度に、クラウは直感する。
(間違いなく、厄介事だ)
未知の薬に、法外な報酬。己を差し上げると申し出る、不思議な少女。
これで犯罪を疑わないなら、その人物はよほど平和な世界で過ごしてきたに違いない。
そもそもどうして、こんな依頼を場末の下級貴族たるクラウに持ち込むのだろう。
彼女は何者なのか?
「お話の前に、その……あなたは、私と面識がありますでしょうか?」
「あら? もしかして先生、私のことを覚えていらっしゃいませんか?」
「失礼ながら」
「そうですか……ああでも、あの時は大変でしたし、記憶にないのも仕方ないかもしれません」
頬に手を当て、あどけなく笑う少女。
もしや、業務中に顔を合わせた元患者だろうか?
魔薬師であるクラウが直接診察することはないので、その事例は考えにくいが……?
「私です。シノ、です」
「……シノ?」
「シノ=カーテル=ウィノアール。それ以上は聞かずとも、理解できますでしょう?」
「――――」
クラウが言葉を失ったのは、面識があったから、ではない。
ウィノアール家。
その名は百年以上の歴史を持つ、アストハルト王国貴族社会において最も恐れるべき名のひとつだ。
アストハルト王国には、当然ながら国王陛下がいる。
が、実際の権限を握っているのは上院議員に名を連ねる独王貴族達なのは、周知の事実だ。
その議会における最大派閥、赤杖派。
通称”赤”派、その筆頭こそウィノアール家であり、事実上、もっとも王国で権限のある者の一人であり、クラウには近づくことすら恐れ多い相手であり――
もちろん、面識などあるはずもない。
「どうです? 先生。思い出して頂けましたか?」
「……失礼。少々、お待ち頂けますでしょうか」
「畏まりました。まあいきなりの話ですし、混乱することもあるでしょう」
ちょこん、と姿勢よく居住まいを正すシノに、クラウは動揺を抑えようと息をつく。
分からない。
常識的に考えて、王国の最上位たるウィノアール家の者が、下級貴族のクラウに薬精製の依頼を行い、その報酬が婚姻……など、あり得るはずがない。
新聞社に気取られれば、明日には国中に広まる醜聞である。
だからこそ、クラウは逆に考える。
こんな事態、現実に起こるはずがないのなら。
どこかに、嘘が紛れている……と。
(一番考えやすいのは、彼女が偽名を名乗っている可能性、か)
彼女は、知らないのかもしれない。
ウィノアール家の名を勝手に名乗ることが、どれだけ罪深いか――貴族における”姓”の価値の重さは、社会にうといクラウでも重々理解しているが、彼女にはその重さが理解できていないのだろう。
そして一般市民の義務として、彼女のような人物は即、警備局に突き出すべきではある……けれど。
(大金を積む理由が、わからない。そもそも嘘をついてまで私と結婚しようとする理由は、なんだ?)
金銭目的なら、彼女が大金を持っている理由と結びつかない。
薬を作って欲しいのなら、そのお金をもって腕のいい魔薬師に頼めばいいだろう。
それを差し置いて、クラウに頼みをする理由は、何だろうか。
確かに、クラウは他の術師と異なる特殊な魔術を使えるが――いずれにせよ、だ。
「申し訳ございませんが、依頼はお断りさせていただきます。このような大金を頂く身分にはありませんし、それに、私はいま、仕事先から疎まれておりまして。魔薬を精製する薬草に触れることすら、難しい状況です」
「薬のほうは急ぎません。よければ一度、患者さんだけでも診て頂けませんか? 私の友達なんです」
「……何か、表沙汰にできない理由があるのでしょうか」
「ええ。私にはあれが、そもそも普通の病気とは思えなくて。……あと、別の理由もありますし」
やはり何かしらの裏事情があるらしい。
それも、下手すれば大物貴族が関わってきそうな、厄介事の気配が濃厚だ。
面倒事に関わりたくないのが、クラウの本音である。
先のガルシア局長の件で、いたく思い知った。
王国のお偉い貴族様の名が関わる仕事では、クラウの身がいくらあっても足りない――早めに断るべきだろう。
「申し訳ございませんが、やはり、私には荷が重いかと考えます」
「そうですか? でも、私が知る先生でしたら、きっとお力になれると……」
「買いかぶりすぎです。自分は、ただの魔薬師に過ぎませんので」
他人に比べ、秀でた所などない。
クラウが謙遜すると、シノはちょっとだけ眉をひそめ、
「うそつき……先生が凄い人だって、私は知ってますけど」
「え?」
「何でもありません。わかりました」
大人しく身を引き、深々と頭を下げた。
どうやら分かってくれたらしい。
――と、思っていたのはクラウだけだった。
「では仕方ありません、代わりに私だけでも貰ってくれませんか?」
「……何でそうなるんですか? 成功報酬だったはずでは」
「奮発して、成功報酬も前払いいたしますっ。ほら見てください、こんなに可愛くて器量のよさそうな、いたいけな少女が身を挺しているのです。協力したくなりませんか?」
ならない。とても、大変に、胡散臭い。
これほどまでに怪しい人物を見るのはクラウも初めてで、怪しすぎるからこそ逆に本当のことを口にしてるのでは……なんて余計なことを考え、クラウは首を振る。
まあ、なんだ。
断っておくに越したことはない。
「少なくとも私は、夜分に不法侵入してくるいたいけな少女を存じません」
「それは先生が居留守を使うからでは?」
「……それは、そうですが……では次は、私が在宅している時間に来たら、開けますので」
「了解いたしました。では、次来た時はよろしくお願いいたしますね」
楽しげに語る彼女に、クラウはまた来るつもりかと身構える。
約束した以上、次は居留守を使えない。
とはいえ日中は朝から夜まで仕事だし、今日きちんと断ったし、次はないだろう――そんな、気楽な気持ちで。
「はい。次は、居留守は使いませんので」
「ありがとうございます。それでは、本日は夜分も遅いことですし、一度失礼致します」
そうして席を立ち、丁寧に礼をする少女を見送った。
彼女の姿がドアの向こうに消え、ほっと、一息つくクラウ。
結局、彼女が何者かは分からなかったが……再び会うことはないだろう。
仮に来たとしても、仕事中――ああ、謹慎処分を言い渡された所だったか。
一瞬しまったと思うも、クラウの反応の悪さを考えれば次はないだろう。
(結局、最後までわからない話だったな)
クラウはすっかり冷めてしまった白湯に口をつけつつ、まあ大事に至らなければよいかと考えながら、自身も横になる準備をする。
通常業務に、局長の説教。謎の少女のお願いにと、忙しい一日だった。
せめて、明日はゆっくり休めますように。
祈る気持ちで布団に潜りながら、クラウはそっと息をついた。
もちろん願いは叶わなかった。
「おはようございます、先生。今日はとてもいい天気ですね。じつは朝ご飯を持って参りました、よければ一緒に頂きませんか?」
早朝からトントン扉を叩かれ、居留守を使わないと宣言したことを早くも後悔した。
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