先生、私と結婚しませんか? ー追放された魔薬師は、逃避令嬢とともに辺境地にて薬屋になるー
時田唯
1-1.「折り入ってご相談があるのですが――私と結婚して頂けませんか?」
「ねぇ。あなたには、常識というものがないのかしら? ねぇ。医療の世界には守るべきルールがあるのよ? ねぇ。わたくしはあなたに何度もなんども丁寧に、丁寧にていねいに同じ話を聞かせているの。それなのに、あなたはどうして分かってくれないのかしら? ねぇ……」
貴族街西方に位置する西ライラック魔術医院は、アストハルト王国百年の名の下に運営されてきた由緒正しき医療施設だ。
その局長室にて――
歳若き魔薬師、クラウ=ドーラは深々と頭を下げながら、じんわりと苦いものを感じていた。
「……申し訳ございません、ガルシア局長様。越権行為については、深くお詫び致します。……しかしながら、局長様。ご息女様の治療方針には、医学的に問題があると……」
「んまああああっ! あなた、わたくしの愛娘の判断が間違っていると言うの? ねぇ、うちのヴェーラは名高き王独貴族ライラック家の一人娘よ? 卑しい下級貴族とは、出が違うの、出が。ねぇ、そんなこともわからないの? ねえ、ねえねえねえねえねえ、そもそも自分が悪いことをしたらまず謝るのが筋じゃあないの?」
ドンドンと机を叩く女局長、ガルシア=ライラック。
齢四十過ぎにして、体重およそ百カロを超えるであろう巨漢の女が、苛立たしげに頬肉を揺らしてあげる金切り声が、クラウの鼓膜をひどく擦る。
「ねぇ。謝るっていうのはね、ただ頭を下げればいいんじゃないの。ねぇ、誠意っていうのはね、もっと気持ちと心で――」
「あの、お母様……クラウ魔薬師も悪気があって、やったわけでないと……」
「まあ! 愛しのヴェーラ。わたくしの可愛い愛娘。ごめんねぇ、ママはどうしても、あなたのことになるとついムキになっちゃってねぇ……」
巨体の隣でか細い声をあげるのは、局長の愛娘ヴェーラ=ライラック。
黄金の髪に、汚れひとつない白の法衣。
儚げな少女が母ガルシアの袖を引き、薄い涙を浮かべる様は誰もがつい、同情したくなる仕草だろう。
しかし話の発端は、彼女が診断ミスをしたことだ。
名家の出、かつ、名だたる”王独貴族”の娘であろうと医療の世界では素人だ。
しかも、彼女はまだ貴族院すら卒業していない学生であり、正規の資格はない。……にも関わらず、局長のごり押しで体験入職している、半人前にも満たない治癒術師である。
そんな人物を放置すれば、いずれ、患者に致命的な悪影響をもたらす。
実際、弊害も既に出始めている。
このままでは患者の不幸はもちろんのこと、ヴェーラ本人も、他のスタッフも傷つくだろう。
そう判断したクラウは、魔薬師として越権行為だと知りながら、何度か注意を行った。
クラウは、ベテランの魔薬師という訳ではない。むしろ院では新米の方だろう。
十代半ばから紛争に参加、後方支援の魔薬師として働き。
戦の終結後、王国から恩赦をもらい今の院に勤め始めた若手だ。
けれどこの仕事に従事する以上、相手が誰であれ見過ごせなかった。
結果――逆鱗に触れてしまったらしい。
ガルシア局長が愛娘ヴェーラを撫でながら、クラウを睨む。
「大体ねぇ、本当に問題があるのなら他の治癒術師が注意をしてるはずでしょう? 違いますの? ねぇ、ねぇねぇ!」
「それは……」
他のスタッフは、王独貴族のいざこざに巻き込まれるのを嫌い、口を挟まないだけ。
実際には散々、陰口を叩かれている。
クラウはそれをよしとせず、患者の迷惑も考え、進言しただけ、なのだが。
「そもそもねぇ、クラウ。あなたは王国の恩赦、温情、お情けでわたくしの院に入れて貰っているのですよ? あなたの扱う、不気味な魔術に目をつむってあげてるのも、心優しい私達の気遣いなの。なのに、あなたには感謝の気持ちがないの?」
「……私の術は、有用であると実績が――」
「んまあああ、なんておぞましい! 自分の罪に自覚がないんですの!?」
ぶるり、とじんましんを起こしたように巨体を震えさせ局長が悶える。
その様に耐えかねてか、隣のヴェーラがおずおずと局長の袖を引く。
「あの、お母様。く、クラウ魔薬師は紛争の被害者です、あまり強く言うのは……」
「いいえ! ヴェーラ、あなたは優しい子ですから、同情したくなるのは分かります。確かに彼は、紛争の被害者かもしれませんわ。そこは王国が認めた通りでしょう。でも! だからといって患者様にご迷惑をかけていい理由にはなりませんわ」
「……自分は、迷惑をかけたつもりは」
「お黙りなさい! あなたは本当に、感謝の気持ちがないんですの? そもそもわたくしは、あの紛争はもっと早くに終わらせることが出来たと考えていますわ。なのに、どうして五年もかかったのか、わたくしは未だに怪しんでいるのです。本当はだらだらと紛争を続けて、わたくし達の税金をむしりたかったに違いありませんわ。ああ、だから王国の医療費が……」
ほろほろと涙する局長の話は、ついに本題と関係ない愚痴へと飛び火した。
――これだから戦帰りは駄目なのよ。
――大体ねぇ、東の蛮族如きにどうして五年もかかったのかしら。本当は手を抜いていたのでは?
――王国民の貴重な税金を、わざと長引かせて食い荒らしていたんでしょう? あなたも本当は、被害者のふりをしながらいい思いをしてきたんでしょう?
酷い難癖をつけられ、クラウはじっと拳を握る。
確かに昔、クラウは王国の起こした紛争につきそい、軍専属の魔薬師として働いていた。
その戦のことも知らない、身勝手な言い分には幾らでも反論はあったが……口にしたところで、彼女が話を聞き入れるとは思えない。
口を出したのは、余計なお世話だったのか?
けど、放置すれば患者に迷惑が。ひいては、院全体の評判に関わると判断したのは、自分の間違い――なのだろうか?
クラウはただの魔薬師だ。
それでも一介の医療人として、改善を図ろうと進言しただけのつもりだったが。
上流貴族の世界では、通じないのだろうか?
困惑のまま口を閉ざしたクラウに、局長が呆れたように溜息をつく。
ドン、と再びテーブルを叩き、出された答えは――
「魔薬師クラウ。これだけ言っても、あなたには反省の色ひとつないのねぇ。ただ頭を下げれば許される、そんな卑怯者の顔なんて見たくありませんわ? ……あなたには十日間の謹慎処分を。その後の処置は、追って伝えますわ」
「え……しかし、自分の仕事は」
「ヴェーラに引き継がせれば良いでしょう? 魔薬の精製くらい、あなたみたいな低俗な魔薬屋に頼まなくても簡単ですもの。でしょう、ヴェーラ?」
「え? あ……えと。が、頑張ります。わ、私は、可哀想な彼のような人に寄り添い、一人でも多くの人を助けたい、と」
「ああ、お前は本当に優しい子だねぇ……」
怯えながら応える愛娘に、ほろりと涙する局長。
母娘のやり取りを見ながら、クラウはこれ以上何を言えばよいか分からず、頭を下げる。
その頭上に、局長の無慈悲な言葉が降ってきた。
「あなたは本当に、人の心を理解できない男ね。……どうしたら、そんな冷たい人間がこの世に生まれるのかしら?」
*
石畳が並ぶ、夕暮れ時の王都貴族街。
身を裂くような肌寒さを覚えながら、クラウはひとつ息を吐く。
……自分は、間違えたのだろうか?
確かに、規律に反したのはクラウの方だ。
己の非は、認めるべきだろう。
以前務めていた戦地においても軍規違反は重罪だったし、ルールの大切さはクラウ自身もよく理解している。
ただ……
真に大切なのは規則よりも人命だ、という気持ちも、クラウの中には確かに、強く燻っている。
人を救うという、目的のためを成すためには、感情よりも。
建前よりも身分よりも、合理を優先すべき時があるのでは、というのが、クラウの本心だが――
(……ここは違う、か)
建前の大切さ、規則の大切さは理解する。
彼女らには彼女らの生き方、考えがあり、一方的に否定するのは宜しくない……はず。
「…………」
ざらりと、砂利を転がしたような感触が舌に触れる。
感情に流されるなんて無意味だと知りながら、どうしようもない空しさに襲われる。
自分はこの仕事に向いていないのか。
紛争が終結し、王都で働く恩赦を頂いたにもかかわらず、不満を持つ自分が歪んでいるのだろうか?
……ダメだ。どうにも、余計なことを考えすぎている。
答えの出ない思考を幾らぐるぐる回したところで、無価値だと分かっているのに。
「……疲れたな」
独り言を呟きながら、クラウは貴族街の端にある自宅の戸を開く。
迎えるのは、冷たい隙間風。
貴族といっても、クラウの位は魔術師――他国における騎士と変わらず、生活はすこし裕福な市民といった体だ。
小さな家に、一人暮らし。実家とは紛争前に絶縁した。
唯一の友人と呼べる相手は紛争の功績を買われ、華々しく中央へと戻っていった。
他はだいたい死んだ。
もちろん、愛しい者などいるはずもない。
求める気もない。
コートを脱ぎ、魔術具で沸かしただけの水をカップにそそぐ。
味気ない白湯で喉を焼きながら、明日も仕事か……いや、謹慎処分を受けたから、仕事はないのか。
生活費にまだ余裕はあるが、今後はどうなるのか。
そもそも自分は、仕事に復帰させて貰えるのか……?
――そんな、とりとめのない将来への不安を考えていると――
コン、と
控えめなノック音が玄関戸を叩き、クラウは息を顰めて息を殺した。
「…………」
宗教勧誘か、訪問販売の類か。
正直いまは誰とも関わりたくなかったし、自分の心をこれ以上乱されたくなかったので、居留守を使う。
幸い、クラウ宅の魔術鍵はそこらの安物で突破できる代物ではないので安心だ。
という、密かな自信は。
くるり、と音もなく回転した鍵をみて、もろくも崩れる。
は? と呆ける前で、ドアをそっと押して現れたのは、見目麗しい少女だった。
年の頃は十八……もう少し、下か。
明るい亜麻色のロングストレートに、透き通るような白い肌。
少し幼いながらも意志の強そうな瞳をまっすぐにこちらへ向ける様は、どこか、人を引きつける力強さがあり、クラウは珍しくも一瞬見惚れ――
「突然のご挨拶、ならびに夜分の不法侵入、失礼致します」
少女はそんなクラウにゆるりと微笑み、一礼をし。
「お久しぶりにございます、クラウ先生。じつは折り入ってご相談があるのですが――私と結婚して頂けませんか?」
「は???」
呆けた返事をするクラウに、少女がにこりと微笑んだ。
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