第三章

「でね、三組のクレープ食べたんだけど、最後の方に行ったからおまけしてくれてさ〜って、あぁ、もう着いちゃったか。」

 クラスTシャツを着たまま、縁日の景品でもらったというヨーヨーを遊ぶ莉乃。その横を歩いている間、彼女はずっと楽しそうに今日の事を話してくれた。まだまだ話し足りないんだろうけれど、時計の針は止まらない。せめてもう少しゆっくり歩けば良かったと、今更どうにも出来ない後悔を浮かべる。

「じゃあ、また明日。」

 惜しみながらも笑顔で手を振る彼女。ヨーヨーを持ったまま振るものだから、チャプチャプと中の水が波打った。

「うん。またね。」

 ホームに降りていく莉乃の背中が見切れてから、私は別のホームに向かった。


 丁度来ていた電車。急ぎ足で乗り込むと、一席だけ空いている所がある。一日中校内を歩き回った足は、迷うことなくそこへ吸い寄せられていった。


 大成功だった文化祭。準備も間に合ったし、大きなミスもなかった。莉乃も紗希も、クラスのみんなも、ずっと笑顔だった。だから、これで合ってたんだ。間違いなんてなかったんだ。そう、言い切りたいのに。

 窓ガラスに反射した自分の顔。笑顔も自信もないその顔を、自分のものだと理解したくなかった。

 顔を曇らせていく窓ガラスの私。それを遮るように誰かが私の前に立った。カツッという音と共に茶色の杖が視界に映る。

「あ、あの、席どうぞ。」

 反射的に立ち上がると、前にいたおじいちゃんは目尻に皺を寄せて「ありがとう。優しいね。」と微笑んだ。

 優しいか……

 あのまま譲らなかったら悪者に見えそうだったから譲っただけなんだけどな。

 未だ拭えない利己的な自分の存在が、感情の尾を引く。


 その場にいるのも気まずくて別車両に移ると、私はスマホを取り出し検索を開いた。

 どうしたら本当に優しい人になれるんだろうか。

 正しい事を言えばいいの?

 相手を肯定してあげればいいの?

 尽くしすぎるのは駄目らしい。優しさと何が違うの。難しいな。時には未来の相手の為に叱るのも優しさなんだって。

 私にはそんな事出来ないよ。

 そんな、優しい人じゃないんだよ、私。

 調べれば調べるほど、見ないようにしていた自分を顕にされていくようで、怖くなって電源を切った。


 文化祭は思い出の一部となり、吹き抜ける風が一層冷たくなっていく。その風に身を震わせながら、綺麗に引き直されたグラウンドの白線を見ていた紗希は、微かな唸り声をあげた。

「あぁ……走りたくない……うぅ……」

 秋の風物詩とも言える長距離走大会。その練習として暫くの間は体育の授業で結構な距離を走らされる。

 今日はその一回目。

 笑顔でいる生徒は少なく、その中でも紗希は特段渋い顔をしていた。素直と言えば聞こえはいいが、やっぱり負の感情は伝染しやすい。かれこれ十分以上嘆く彼女に、私の意欲も下がっていく一方だ。

 普段の私なら「走り始めたら案外すぐ終わるよ。頑張ろ?」などと笑顔で励ますところだろう。

 けれど、今日はその言葉が上手く口から出てくれない。口を開けては閉じてを繰り返し、その度に言葉を考えては消した。また「愛想笑い」だとか「綺麗事」などと言われるかもしれない。それが不安で怖くてしょうがないんだ。

 言われても上手く返せればいいが、前回のようにたじろいで謝ってしまうとより空気が重くなってしまう。それだけは避けたかった。

 そうだ、この前「綺麗事」だと言われてしまったのは、現実味のないまま励ましたから。

 だったら……

 うなだれる紗希と同じような声色で「マジで走りたくない……帰りたい……」と嘆いてみた。

 綺麗事と言われるなら、自分の本心を話すまでだ。弱音は今まで吐かないようにしていたから、久しぶりに口にしたその言葉にどことない罪悪感が湧く。

 ぼーっとしたままこちらを見つめる紗希。てっきり「それな、帰りたい。」と共感が返ってくるかななんて思っていたから、絶妙な間が怖い。そうして紗希は言った。

「なんか香菜らしくないよ? そんな同情の為に嘘なんてつかなくていいのに。」

 もう、わけが分からなかった。

 本心で話したのに、私らしくない?

 嘘を付いた?

 何を言っているんだろう。紗希が見ている私は誰なんだろう。

 またも上手く反応出来なかった私は、「そっか。そうだよね。」と納得した素振りを見せた。愛想笑いが張り付いて剥がれない。

 あぁ、優しい人になるのって難しいや。

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