第4話 運命

 まだ夜が支配する、或る明け方のこと。

 昨夜の夕立ゆうだち痕跡こんせきが残る土道つちみちを崩しながら、死んだ畑へと向かう。道中の曇り空は、その向こうに太陽が在ることを忘れさせる程に、厚く広がり空をさえぎっていた。畑に着いたものの、予想通りずくずくであり、昨夜の雨が土本来のその色を、更に深い色へと染め上げていた。既に水はけの機能を失った畑は、一向に乾くきざしが見えなかった。

 どうしたものかと畑を見渡していると、畑の端の方に、盛り上がった土山が在った。そしてそれが、もぞもぞと少しうごめいた様に見えた。近寄って観察すると、そこには直径十センチ程の深い穴があった。恐らく、土竜もぐらが掘った穴だろう。その予測は大方正しいものであったはずだが、穴は不思議な程に暗く、吸い込まれそうな感覚があった。

 呆然と眺めていると、突然左方より光が差し、私の横顔を照らした。その光線の元に目を向けると、蛍光色の運動着を着た、顔だけは知っている三つ先の家の主人である四十代の男の、ジョギングをしている姿が在った。早朝から運動とは感心する。気まずそうな彼の目を見て、私も穴に目線を逃がす。

「……ん? 穴と、光……?」

 それは突然のことだったが、何かを思い出しそうな感覚がした。いつか感じた、啓示と同様の感動。何か、大事なことを忘れている気がする。それはかつて覚えた、何かから目を逸らさせられている感覚。

 ──そうだ、避雷針だ。

 途端に、あの頃を思い出した。それは、雷が海で踊り、雨が村を沈めようとした頃のこと。

 避雷針が砕けた、あの日のこと。

 そして重要だったのは、避雷針が砕けた直後のことを思い出したということ。

 不思議だ、なぜ忘れていたのだろうか。確か、避雷針が砕けた後の穴も、これと同様の暗さを放っていた記憶がある。今思えば、避雷針はなぜあれ程まで深く根を張っていたのだろう。全く見当がつかないが、もしかすると、避雷針は何かを貫いていたのかもしれない。それはただの思いつきに過ぎなかったが、核心を突いた考えである様に思われた。

「そうか、避雷針が砕けて、それが解放されてしまったから、私たちに不幸が訪れたんだ」

 馬鹿げた考えは、当時の鬱も相まって、真実の姿をしていた。

 全て、あの避雷針の所為せいである様に感じた。今思えば、あの頃から、少しずつ狂っていったのだ。

 くわをその場に突き刺し、畑を後にして、そのままの足で避雷針の跡地を見に行くことにした。


 避雷針──それは、実家の裏山に在ったはずである。というのも、実を言うと、避雷針が砕けた詳細な場所は、私にもよく分からなかった。あの日、砕けた避雷針と共に、私の記憶も少し、海へ流れ出てしまった様なのだ。どうやって向かったのか、何の目的があったのか。濃霧で隠された記憶は、未だに白くかげってた。ただ、裏山に在ることだけ、それだけを思い出した。


 暫くして、自宅まで戻ってきた。空を見渡すと、いつの間にか雲はそこには無かった。地平線に沿う様に、空には橙色だいだいいろが広がっており、又それを覆う様に、天上まで青藍色せいらんしょくが占めていた。所謂いわゆる、マジックアワーであった。

 実家の横の小道を通過し、殆ど獣道となってしまった山道を見つける。深呼吸をして、山に入ろうとした時、途端に体の表面を不安がよぎった。その正体は、禁じられた秘密を明かすことへの恐怖だった。かつて少年時代に、無許可で父の書斎しょさいへ侵入した時のに似ていた。今も、少しの好奇心はあるが、それを忘れていたという事実が、私を酷くおののかせた。忘却には、意味があったのかもしれない。ともすると、これは、忘れるべき出来事を、無理に掘り返す悪質な行動なのかもしれない。

 そんな不安を覚えてすくんでいると、突然、周りがぱっと明るくなった。真っ白な空間に包まれて、少し遅れて目を閉じる。

 そして次の瞬間には、巨大な硝子がらすを勢い良く割ったかの様なとどろきが、天空から鳴り響いた。その音は耳から侵入して、脳を大きく揺らした。

 酷い耳鳴りと眩暈めまいが収まった頃、少し遅れて、私は気が付いた。

 喜びと共に、使命であり啓示であるその事実を、私は間違いなく受け取り、そして、これが運命であることを確信した。

「これは、避雷針と僕の、逃れられない運命なのかもしれない」


 避雷針が、山に戻ってきたのだ。



 


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