第3話 斜陽

 長い時が経ち、私は再び一人で暮らしていた。両親が不在の実家にて、彼らの遠い帰りを待っていた。長い長い余生は、親の元で静かに過ごそうと考えていたのだが、その生活が実現することは無かった。私は、自らより最も遠いところにあると考えていた、土仕事に精を出して生計を立てていた。


 我が家が名家だったのは昔のこと。家計は火の車の如く傾いてしまい、余裕の無い暮らしをすることとなった。

 それは、或る日のことだった。駅前にて日々宣伝される怪しい新興宗教に、母がはまっていることを知った。最近、やけに数珠じゅずを手首に巻いているなとは思っていたが、そんなことは気にも留めていなかった。それを放置し続けた結果、いつの間にか母は、家のお金を殆ど教祖に注ぎ込んでしまっていた。

 また或る日は、突然の体調不良が父を襲い、村外の総合病院の世話になることとなった。不幸なことに、父の病気は日本で数例しか報告がされていないものであり、手術を受ける為には、渡米する必要があった。その手術費は、日本で生きる者としては信じられない程に高額なものであった。しかし、そうは言っても、他に代案も無かった。金の悩みはそこで尽きずに、更にかさむ渡航費と滞在費が、私たち家族に重くかった。

 資本主義にいて、金を持たない者は生きる権利すら無いのだと、そう宣告された気分であった。私たち家族は、先祖より引き継ぐはずであった財産を投げ打って、父の生還をただ待つことになった。

 突然家を支配したその二つの問題によって、家計はその全てを犠牲にせざるを得なくなってしまった。

 毎日の様に骨董屋こっとうやが家へと訪れ、金目の物をくまなく家中探し回っていた。その姿はまるで、いつかテレビで見た、死体を必死に探すハイエナのそれだった。


 不幸とは、伝染するものなのだと知った。二人に降りかかった厄難やくなんの順序など覚えてはいないが、今となっては、どちらが先だったとしても、同じ結末になっていたのだろう。

 当時の私は、家計に──いや、世間に全く興味が無かった。いつの間にか社会への興味を失っていた私は、事態が最悪なものになってから、やっと二人のことを認識した。その時にはもう、全てが遅かった。

 現在、母は富士の近くの宗教施設本部にて、教祖の側近としてあくせく働いているらしい。それが、父の為になると固く信じて。一方父は、渡米先の病院に到着したものの、容態が急変してしまった為、その回復を待ってから手術をすることとなった。未だ具合の安定しない異邦いほうでの父を思うと、胸が張り裂けそうになる。消費されるだけの母を見ていられず、信仰を棄教ききょうする様に、母に何度も直訴じきそしたものの、既に心はそこに無かった。

「教祖様の言うことに従っていれば、お父さんは必ず良くなるのよ」

 私が息子だということを、母はすっかり忘れてしまっている様子だった。


 お金を工面する為に、代々所有していた多くの土地を売ることにしたが、雨で膿んだ土地に価値など無く、二束三文の値が付くだけだった。

 初めは気を遣ってくれていた村民も、何時いつしか私を避ける様になっていた。「三十を過ぎた息子が、未だ仕事も結婚もせずに、実家の世話になっている」。そのことが全ての原因であると噂されていることを、スーパーマーケットの便所にて知った。閉鎖的な村では、我が家の惨状さんじょうは非常に良い教訓として、都合良く扱われる様になった。


 私はと言えば、ただ必死にくわを振り下ろしていた。両親への不安、お金への不安、将来への不安。そのどれもが物質的な問題では無く、精神的な問題に過ぎなかった。お金の問題でさえ、ただアルバイトでもして稼げば良いだけなのだ。村人が恐ろしければ、村外へ出て行けば良いだけなのだ。頭では分かっているのだが、その選択肢は、全く現実的では無い様に思えて仕方が無かった。今の私に出来ることは、売ることも出来ない程に瘦せた土地に芋を植え付け、ただ必死に耕すことのみだった。何度か収穫してはみたものの、当然出来は悪かった。哀れに思った村民が購入してはくれるが、収穫に半年程掛かる割には、全く金にならないものだった。その度に「もうこんなこと辞めて働こう」。そう思うが、次の日にはまた同じ様にくわを握っていた。今思えば、あれはうつだったに違いない。しかし、そんなことが思いつくはずも無く、もう何も分からない程にまで、心が疲弊ひへいしていた。自身が自立出来ていないことを、誰が直接言う訳でも無いのに、独り受け止めて心がつぶされそうだった。

 急いだところで土地は既に死んでいるのに、それらを忘れる為に、慌てて畑を耕していた。

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