第2話 長い雨

 いや、正確には、地上にも落ちなくなった。雷はその姿を途端に消し、まるで置手紙を残したかの様に、代わりに長い長い雨が降り続けた。海を捨てた村人たちは、しばらくは雷の変化に気が付かなかった。皮肉なことに、連日の雨で花火が打ち上げられないことに起因して、彼らはやっとその事実に気が付いた。私の家を囲む様に人々は集まり、祈る様にしてただ雷を待っていた。しかし、いくら待ってみても、やっとがらんどうになった海上を自由に飛べる喜びを謳歌するカモメの鳴き声だけが、虚しく雷の隙間を埋めていた。

 一か月程経つと、大雨の影響により水位は上がり、沿岸の家は全て沈んでしまった。また、山の地盤は緩み、大きな土砂崩れが村を襲った。海からと山からの災害により、村は途端に活気を失い、混乱を極めることとなった。当然、海にもしばらく行くことは出来なかった。

 村人はこぞって、これは海の祟りだと騒いだ。我々が海を粗末にしてしまったからお怒りになったのだと、本気でそう信じていた。神棚にお供え物をしてみたり、雨の中外へ出て海へお経を唱えるものまで現れ始めた。当然、そのどれもが意味を成すことは無く、天から降る雨を黙って受け止めるしか無かった。村外にまで及んでいた経済的な盛り上がりは終焉し、夜は改めて月が支配するものにかえった。雨の続く村においては花火を打ち上げることも出来なくなった為、いつしか祭りも無くなった。また、雷が止んだことにより、村のエネルギー事業は解散する運びとなった。局所的に見れば盛り上がりを見せていた村も、大局的に見れば、一過性の消費されるトレンドに過ぎなかった。

 かく言う私は、今後どうしたものかと悩んでいた。家は流され、雷は止み、避雷針の謎はそのままになった。人生の目的を奪われた様な気分だった。暫くは両親の世話になり、自室にこもって雨だけが象徴と成りつつある村を眺めていた。


 長い雨が止んだ頃、人々は正体不明の雷のことも、賑わいを見せていた夜のこともすっかり忘れてしまい、元の寂れた村での暮らしを取り戻していた。大雨の影響により、土はぬかるみ、畑の水はけが非常に悪くなってしまった為、暫くは農作物を収穫することが出来なかった。しかしその一方で、雷と大雨が止んだことにより、再び海へ出ることが出来るようになった。そのお陰で、村の特産品であるサンマが再びよく出回るようになった。漁業組合は改めて発足ほっそくし、私も再びそこで働くこととなった。海食崖が奏でる、元の寥々りょうりょうたる村を見ていると、あの頃の賑わいは幻だったかの様に感じられた。それでも私だけは、未だにあの避雷針のことを考えていた。なぜ避雷針は砕け、海にのみ雷が落ち、長い長い大雨が続いたのか。偶然の出来事の様には到底思えなかった。何かから、目を逸らさせられている様だった。船の上で底魚類と目を合わせながら、解決しない心のもやを必死に掻き分けていた。


 或る早朝のこと、夢の中で雷が落ちた。その激しい音と光によって、強制的に目が覚まされてしまった。久々に見た雷は非常に力強く、そして、どこか啓示けいじめいたものがあった。突然思いついた私は、海へ出ることにした。今日は休日だった為、漁港の小舟を勝手に持ち出し、一人で沖へと出港した。空は好天に恵まれ、波は非常に穏やかだった。それがむしろ、何かが起こる予感を私に期待させた。しかし、期待とは裏腹に何も事件は起きず、時間だけが過ぎた。残念だったが、折角せっかく沖の方まで船を進めたので、釣りをすることにした。暫くして、眠気を感じ始めていた時、魚が掛かった感覚がした。寝ぼけたまま、慌てて体を起こした瞬間、強く竿に引っ張られて、海へ落ちてしまった。途端に体が冷やされて、竿から手を放してしまった。マグロでも掛かったのかと思い水中を眺めるが、そこには落ちてきた人間に驚いて、必死に逃げている小魚がいるだけだった。慌てて竿を探すが、既に何処かへ消えてしまっていた。落胆したが、仕方の無いことだ。船の縁に手を掛けて船上へ上がろうとした時、途端に思い出した。避雷針が砕けた頃の、あの海から聞こえた声を。好奇心が止めど無く心の底から湧き出て来た。海に連れ去られた竿のことなど、うに忘れていた。幸い、息には自信がある。リスの様に頬を大きく膨らませて、海の底へと潜る。


 不思議そうに見つめる魚たちを横目に暫く潜ってると、遂に緑に染まる岩肌が見えてきた。サンゴ礁が飾る海底には、色とりどりの小魚が棲んでいた。周りを見渡すと、無くした竿が向こうに在った。それはサンゴ礁の上で眠っており、まるで魚たちが大切に守ってきた秘宝の様だった。探していた訳では無いが、見つかったことに安堵してそれを取りに向かう。竿の在るサンゴ礁の場所へ着いた時、その向こう側が少し深くなっていることに気が付いた。初めは海底扇状地かと思ったが、半球状に海底がえぐられており、その真ん中に何かが刺さっていた。海に慣れ親しんだ私でも初めて見る光景だった。その正体を明かす為に、抉られた土地の中心を目指す。近くへ寄り、それを認識した時、驚きと共に、どこか安堵する自分がいた。海の底には、避雷針が突き刺さっていた。あの日の声は、海の底で眠る避雷針のものだった。海において、彼の役目など何も無い。表面には苔が生えており、既に海の一部に成りかけていた。来るはずの無い雷を、彼は海底にて、健気けなげにずっと待っていた。その姿は、愛おしくも残酷なものだった。彼の周りを泳ぐ魚たちは涙を流さない。私は一人その姿を目に焼き付けて、船に戻った。


 そして、その日から海に行くのは一切止めた。不吉な予感を感じた訳では無いのだが、もう既に私は用済みなのだと、はっきりと分かったのだ。その日からは、よく眠れるようになった。

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避雷針が砕けた頃のこと 路地表 @mikan_5664

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