避雷針が砕けた頃のこと

路地表

第1話 海食崖の村にて

 避雷針が砕けてしまった日、僕は雷を久々に思い出した。


 もちろん知ってはいたのだが、日常からは遠くにあるものだと思っていた。避雷針はその許容量を超えた雷を受けて、跡形も無く海に融け出してしまった。その影響なのだろうか、次の日から雷は海にしか落ちなくなってしまった。

 海岸を訪れると、雷が毎分の様に海へと落ちていた。世界にこれほどまで雷が落ちているなんて知らなかった。

 避雷針は、きっともう疲れてしまったのだろう。初めは喜んで引き受けたであろうその役目も、感謝も無く日々消費されてしまったら、どこかで「もう、いいかな」。そうなってしまうものだ。



 私の住む村は、半円状の切り立った海食崖かいしょくがいに沿ってそこに在った。日本海の荒波が作り出した断崖だんがいは、元来持つ村の寂しさを一層強調させていた。

 また、殆どの村人は外の世界を見たことが無かった。かく言う私も、十八で家を出てはみたものの、結局は村の外れで一人慎ましく生きていた。

 山間やまあいに在る実家から十キロは離れた海食崖の近くに小さな家を建て、村の漁業組合で世話になっていた。毎日沖合に出て、村の特産品でもあるサンマなどの底魚類ていぎょるいを釣っていた。

 しかし、それも例の雷のせいで海に出ることが出来なくなり、暇な日が途端に増えてしまった。組合は空中分解してしまい、私は仕事を失った。幸い地元では名家だった為、食糧に困ることは無かった。

 その一方で、雷の余波は意外なところに現れた。

 村の家屋は海岸に沿って存在する為、強制的に村は夜通し明るくなった。寂れた私の村は、無理に明るくさせられたせいで、妙に浮足立っていた。誰の手を借りずともひとりでに沈みゆくはずだった村は、雷の奇妙な恩恵を受けて、少しずつ沸き立ち始めていた。

 明るい村は防犯面でも安全な為、夜に出歩く村民が増えた。飲食店は昼の営業を辞め、夜中まで延長することが多くなった。

 また、雷の噂を聞きつけて、村外からの来訪者が急増した。地方の沿岸沿いの寂れた村は、突然の雷によって初めての活気を得た。行政も遂に動き始め、雷がもたらす静電気を利用した大気電流発電を開始した。この政策は非常に上手くいき、エネルギー事業は爆発的に大きくなった。

 他にも、人々の盛り上がりを見て、村には祭りが増えた。海には近付けないので、花火は山から打ち上げられる様になった。

 海を背にして、今までとは真逆の方角に打ち上がる花火を見ていると、海のことなどすっかり忘れてしまいそうになる。海がルーツのはずだった村は、山からの花火が齎す魅惑的みわくてきな光と音によって、見事にその歴史を塗り替えられた。そこには最早もはや、元来花火が持つ慰霊の意味は無く、打ち上がる度に経済発展を賛歌する音がよく聞こえた。


 私はと言えば、村民の興味を失った海岸にて、遠くの祭りの音を聞きながら海を眺めていた。

 村の突然の発展による感傷的な郷愁を感じていた訳では無い。

 ただ、あの日の砕けた避雷針が忘れられなかったのだ。雷が落ちた途端に粉々に砕け散り、傍の川へと流れ出たあの一連の風景が、どこか生きている様に見えたのだ。

 まるで、彼自身がそれを望んでいたかの様に。


 村の盛り上がりは凄まじいものだったが、世間もそれにすぐ慣れた。初対面での良い話題であった雷も、今では誰も話さなくなってしまった。初めは雷の音と光のせいで眠りの浅い日が続いたが、今となっては、雷が少ない日はむしろ寝付きが悪くなる程だった。そうして月日は流れた。



 村の開発はどんどんと進み、沿岸の家屋はその殆どが廃墟となってしまった。

 それでも、私は未だにあの海岸沿いの家に住んでいた。現在の私は、村の誰もが知る有名な変わり者だった。

 決して私は、変わりゆくこの村に対して意地を張っていた訳では無い。

 ただ、誰かがこの海を見ていなければならない様な気がしていたのだ。それは、直感の向こう側に在る感覚であり、啓示けいじを受け取ってしまったかの様な心持ちだった。

 時間が許す限り、目が痛むことも気にせずに、雷が落ちる海を眺めていた。時折無理矢理光らせられる海は、それでもびくともせず、海の底を見ることは決して叶わなかった。


 そんな日々が続いた或る日のこと。私は普段通り預言者の気持ちで日課の観察を行っていた。

 曇り空を割る様にカモメの鳴き声が響き渡った時、その中に混じった酷く悲しみを帯びた声が聞こえた。

「もう、十分なんだよ」

 それは、海の底から確かに聞こえた。しかし、その声は間違いなく海のものでは無かった。

 海に触れて生きてきたからこそ分かる、海では無い何者かのメーデーだった。


 そしてその数日後、ある晴れた日のことだった。それは、誰もが雷に慣れた頃のこと。

 海に、雷が落ちなくなってしまった。

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