Hint.3 ホームランを数える / Home Run
得点を要するスポーツには様々なものがある。
たとえばサッカーは、球がゴールへ入った回数を「得点」として競う競技である。
バスケットボールも同じく、球がゴールへ入った回数を競う競技であるが、投擲距離に応じてその評価が揺れ動く点において、他のスポーツにない独自性を維持している。
そして野球は投手の放った球を打者が打ち返す競技ではなく、本塁へ返した走者の人数を「得点」として競うスポーツである。
野球の複雑性はここにあり、また野球の面白さもここにある。
チームの目的は 球を打つこと / 球を打たれないこと ではなく、走者を進塁させること / 走者を進塁させないこと にあるのだ。
野球において得点とはボールではなく選手自身であり、ボールは得点の付与を決定づけるための目印にすぎない。
打球が野手以外のものに触れることなく、そのまま規定の地点を通過すれば「ホームラン」として一撃で走者を本塁へ返すことができる。だから「ホームラン」なのである。
「ホームラン」の主語は走ってくる人間であり、そこに球の存在は確認されない。
それは野球における得点システムが、球ではなく人間に依存しているからである。
しかし、だ。
我々は「ホームラン」を数える際にどのような単位を使うだろうか。
それは「一本」である。我々は「本」を使い、ホームランを数えている。
「ホームラン」において想定されている主体は人間であるというのに、なぜ「ホームラン」を数える場合に「人」ではなく「本」を用いるのか。
それを考えることに、今回の「スポーツのヒント」が隠されている。
検索してみると、これには以下の説があることがわかる。
「ホームラン」の軌道を想像すると、どこにも着陸することなくスタンドへ飛び込むその軌道は、一本の細長い弧であると考えられる。
その軌道が長く細いものを数える「本」と結びつくからこそ、「ホームラン」は「本」で数える、という説だ。
なるほど確かに受容しやすい。いくら野球の得点システムが人間を主体としているとはいえ、「ホームラン」と見なされるものそれ自体は、本塁へ帰ってくる打者ではなく打球そのものである。
であれば「人」という単位ではなく「本」という単位が使われることが正当であるように思える。
しかしこの説には大きな欠陥が存在している。
それは我々は「ヒット」を数える際にも「本」を用いるし、もっと言えば「バット」を数える場合にも「本」という単位を使うということだ。
単位が被っているのである。
これほどわかりにくいことがあるだろうか。野球場において「一本」と言われたときに、それが「ホームラン」を指すのか「ヒット」を指すのか、はたまた「バット」を指しているのか、我々は即座に理解できないのだ。
この認知上の阻害を考えると、「ホームラン」の単位は「本」であるべきではない。なぜなら「バット」は「細く長いもの」でしかあり得ないため「本」で数えられるべきだが、「ホームラン」においては軌道と人間という両軸が認められる以上、いくら軌道が細く長かろうが、帰ってくる人間までもが「細く長い人」だとは限らないからだ。
それは「太く長い人」かも知れないし「細く短い人」かも知れないし、「太く短い人」の可能性もあるので、その場合「本」という単位は全く適さないのである。
だったら「本」という単位はよりふさわしい「バット」にこそ譲られるべきだろう。
ならば、我々は「ホームラン」をどのように数えるべきか。
それを考えるために、野球で使われるさまざまな単位について網羅的に眺めてみる必要がある。
たとえば「ホームラン」を「回」で数えるのはどうだろうか。
これなら「ボールが規定の地点を通過した回数」「ある打者が一打で本塁へ帰った回数」の両方を満たす単位であるといえる。
「ホームラン」の単位を「回」で数えるのは理にかなっているのではなかろうか。
いや、駄目だ。
このスポーツは、こともあろうにお互いが攻守交代するタイミングのことを「回」で数えているのである。
「一回ウラ」とかじゃなく「一ターンウラ」なら「回」を「ホームラン」にあてがえたろうが、「一回ウラ」と先に言ってしまっているので仕方ない。
では「個」で数えてしまうというのはどうだろう。
「ホームラン」という概念そのものを想像し、「個」というまとまりで捉える。
少々強引かもしれないが、これならば安心して「ホームラン」を数えられる。
いや、そうもいかない。
なぜなら野球中継の実況を思い出してほしいのだが、彼らは「三振」のことを「個」で数えてやいないだろうか。
「強打者から二つ目の三振を奪いました!」のように。
まずバットを振ること自体を「一振」と数えるのかという疑問こそあれ、バットを三回空振りすることを「振」という単位を用いて「三振」と数えているにもかかわらず、更にその「三振」をひとまとまりとして「個」でカウントしているのである、このスポーツは。
つまりいま「ホームラン」で行おうとした取り組みが、すでに「三振」で行われているのである。
万能単位「個」も駄目。となると、次に考えられるのは「度」である。
「ホームラン」を「走者が一撃で本塁に帰った回数」として捉えるのであれば、「走者は何度一撃で本塁へ帰ったか?」と換言することができる。
この手があった。「ホームラン」は「度」で数えれば万事解決である。
いやいや、ふたたび野球中継を思い出してほしい。
「本日のナゴヤドーム、気温は二十三度」
残念、気温の計測に「度」が使われている。
「度」で数えられている歴史が長すぎて、今さらホームランごときが「度」を使おうなどとは何とおこがましいことか。
しかし困ったことに、「本」「回」「個」「度」すべて野球で使われてしまっている。
ここはよっぽど特殊な単位を使わないと、何かと被ってしまうのは避けられないのではなかろうか。
「ホームラン」という事象について、視点を変えて考えてみる。
つまり、打者ではなく投手側のチームの視点に立ってみるのである。
相手にホームランを打たれるということは、投手や捕手、監督の采配すべての裏をかき、打者に出し抜かれたということを意味する。
完全に隙を突かれ、打者の一撃により守備陣全員が殺される。つまり「死」だ。そこには「死」がある。
単位を「死」にするという突拍子もない案である。
「ホームラン」を数える際に「死」を用いるというのはどうだろうか。
しかし何とこのスポーツ、「アウト」のことを「死」で数えてるのである。
なんだ「死」が単位になるって。特殊すぎるだろ単位が。
誰が思い付いたんだよ、「死」を単位として数えようって。
野球以外で見たことないだろ、「死」で何かが数えられてるの。
「死」すら「死」で数えないというのに。
ならばもういっそ「球」で数えてしまおうか。
いや、このスポーツは「ボール」のことを「球」で数えている。
だったら原点に戻って「人」で数えるのはどうだ。
いや、このスポーツは「人間」のことを「人」で数えていやがる。
それじゃあもう「勝」にしよう。「ホームラン」は打者の勝ちだから「勝」。
いや、このスポーツ「勝ち」を「勝」で数えてるじゃねえか。
野球とかいうスポーツ、単位を使いすぎている。
単位のSDGsにまったく則っていない。この無駄遣いのせいで我々は「ホームラン」を数えにくくなっている。どうしてくれるというのか。
と、ここまで読んできて聡明な読者の方ならお気づきだろうが、「ホームラン」を数えるには実はもっとメジャーな単位があるのである。
そう、「発」だ。
「大きな一発が生まれました!」という実況解説の声を聞いたこともあるだろう。
「ホームラン」以外で野球においてこの単位は使われていないし、その威力を想像させるのに「発」はあまりにも単位として適任だ。
しかし、この単位にも実は欠点がある。「ホームラン」には「ランニングホームラン」というものが存在するのである。
球を打った打者が、走塁のみで本塁へ到達した場合を指すのだが、実質「ヒット」のような軌道を描くこれをも「発」で数えるのはやはり違和感が拭えない。
そこでここまで見逃されてきた、「ホームラン」を数えるのに最適な単位があることにお気づきだろうか。
そしてこの発見こそが、今回の「スポーツのヒント」まさにそのものなのである。
「ホームラン」を数えるもっとも適当な単位、それは。
「本塁打」である。
そう、「本塁打」を数えたいのならば、単位も「本塁打」を使えばいいだけのことだったのだ。
実際に「一本塁打」などという表記がなされているのを見たことがある方もいるだろう。「本塁打」は「本塁打」で数えれば良い、ただそれだけのことなのだ。
というわけで、この結論をもって、今回の「スポーツのヒント」とさせていただく。
正解を探しているとき、それはあなたのすぐそばにある。
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