第3話 悪夢のデザインは1Kのアパートにて

「何これ?」

 築30年の1Kのアパート。

 書籍や用紙が散らばる部屋の惨状を目の当たりにした旭が呆れたように呟く。

「キッタな」

「……お邪魔しますもなしにそれはあんまりじゃない?」

「……お邪魔」

「もういい」

 鍵開けて勝手に入ってくる時点でもう遅い。

 そもそも来るなら来るで連絡くらいよこしてほしい。

「てか、歩いてきたの?」

「当たり前じゃん」

 ただでさえ寝不足なのに余計に頭が痛くなってくる。

 時間はもう夜だ。

 ここまで歩いてきたのだとしたらいくらなんでも不用心すぎる。

「連絡くらいよこせよ。日本の安全神話なんてとっくに崩壊してるぞ」

「あんなおっさんが警察名乗れてるくらいだからね」

 その通りだ。

 そう考えると日本は大分終わってしまってる。

「で、これ何?」

 日本の未来をうれう僕を気にする様子もなく旭が同じ質問を投げかけてくる。

「東のおっさんに送ってもらった資料」

「教団の?」

「そう」

 ふーん、とうなずいたのち勝手の知った様子で旭が冷蔵庫を開ける。

 コンビニで買ってきたのかレジ袋からビール缶を何本も投げ入れた。

 ここ僕の部屋、それ僕の冷蔵庫。なんてツッコミはもう諦めている。

 聞き入れてもらったことなんて一度もないからだ。

 部屋の合鍵を奪われてしまっている時点でここはこいつのテリトリーになってしまっている。

「角煮もらうよ」

 一方的な宣告である。

 食べていいかどうかの確認すらしない。

 勝手に取り出して、勝手にレンジを使って温め始める。

 何という我がもの顔、何という暴君か。

 ビール1本と角煮が納められたタッパーを手に持ち、僕が陣取るテーブルに旭が近づいてくる。

「ちゃんと片づけなよ」

 床に散らばる資料を鬱陶しそうに跳ねのけながら尤(もっと)もらしいことを言ってくる。

「毎回人に自分の部屋を掃除させるやつがどの口で言うかね」

 嫌味をぶつけてみるが、暴君は足で座布団をベストポジションに敷くことに夢中で聞いてすらいない。

 都合のいい耳をお持ちのようで羨ましい限りだ。

「邪魔」

 敷かれた座布団に腰を降ろすやいなや、舌の根も乾かぬうちにテーブルに積み上げた資料をどかす、というより払い除けながら自分のスペースを確保する。

 お前も結局、散らかすんかい。

 しかも、自分がどんなに散らかしたとしてもこいつは絶対に片づけを手伝わない。

「うわっ、キモ」

 ビールの蓋を開けながら露骨に嫌そうな声をあげる。

 たまたま目に入った1枚の写真に対してだ。

「それが『白亜の導き』のご神体だよ。ブダジェル様って呼んでるらしい」

「……適当すぎん?」

 僕もそう思う。

 その場で3秒で考え付いたような適当さだ。

 パッと見は日本の仏像だ。

 しかし、どことなく何かが違う。

 まずは背後。背中からは何故か天使の羽のような翼が広がっている。

 額には本来であれば白毫びゃくごうと呼ばれる黒子のような部位があるはずなのだが、開眼された漫画で言うところの第3の目に置き変わっており、その手に所持されているのはギリシャ神話のポセイドンが持っているような三又の槍だ。

 どこからどう見ても安物臭い神像が金ぴか、恐らくはメッキでコーティングされて、そんな物が仰々しく祭壇に祀られている。

 そんな物に大の大人が頭を垂れてひれ伏す姿を想像してしまうと、下手なホラーよりもホラーな映像だ。

「こんなんがなんのご利益をくれんの?」

「むしろ厄災の方がしっくりくるよね」

 ありがたみどころか目にするだけで精神がゴリゴリ削られそうである。

「人間は神秘や未知を都合よく金儲けに使いすぎだ~」

 萎えるだのヤケ酒だのとぼやいてビールを一気に飲み干す旭。

 その神秘やら未知の力に近いもののおかげでバリバリ私服を肥やしているというのによく分からん価値基準をお持ちだことで。

「ああ、世の中、夢も希望もありゃしねえ。飲まないとやってられん」

 夢も希望もないは概ね同感だけど、酒飲むなら自分の家でやってくれないもんかね。

「飲まないの?」

「今、仕事中なの見て分かんない?」

 開かれたPCやメモが書きなぐられた大学ノート。

 これを見ても分かんないと言うのなら眼科に行け。

「期日までまだ3日あるじゃん」

「あと3日だよ」

 この2日は教団の書籍や資料を読み漁ることに費やした。後は確実にイメージを固めて構想を練っていかなければならない。

「今からでも期限伸ばしてもらったら? 力見せたおかげで依頼人には、こっちのこと信じてもらったんだからもう少し余裕持ってもいいじゃん」

 お前の安直な思いつきのせいでね。

 喉から出かかった言葉を飲み込む。

 手っ取り早く話が進むという考えが巡ったのも確かだったからだ。

 さりとて僕の了解も得ずに力を行使したその場で空っぽの頭は叩かせてもらった。

 割と強めに。

 時と場所を一切考慮していない行動に対して当然の戒めだった。

 不満そうな顔を浮かべた相棒に一瞥もくれずにちょうどいい状態になってくれた水野さんに力を行使した。

 見せたのはの内容だった。

 それでも効果は覿面てきめんだった。

 飛び起きた彼女は、僕たちがどういうことをやるのかということを全面的に理解してくれた。

 無論、こいつと共に平謝りはしたが。

 実力行使はあまり褒められたことではないが、この仕事は信用を得ることが何よりも難しい。

 なりゆきとはいえ好都合と言えば好都合だった。

 実力を証明できたならば多少の融通は利かせてもらえるだろう。

 だけれどもだ。

「そういうわけにはいかない」

「あっ、分かった。依頼人が美人だったから背伸びしてるんだ」

 素っ頓狂なことをほざいたかと思えば、やらしい、と言いたげな視線をこちらに浴びせてくる。

「違うわ」

「じゃあ、巨乳だから?」

「なおさら違う」

「いつもは2週間くらい間を置くくせに」

「今回のターゲットは末期の癌だよ。まだ大丈夫って言ってたけど、それでも何が起こるか分からない」

 間に合いませんでしたでは洒落にならない。

 正直5日でも大分余裕を持たした方だと思う。

「闇バイトそのものなことしてるくせに毎回真剣だね」

「やばい仕事だからマジでやらないといけないんだよ。依頼人だって本気なんだから」

 東のおっさんがどのくらいの報酬で依頼人から仕事を請け負ってきているかは知らないが、顔合わせにまでやってくる依頼人はほとんどがガチだ。

 大金をはたいてでも標的に対して爪痕を残してやりたい、一生の傷を負わせてやりたい、死ぬまで安眠なんてさせたくないという怨嗟を抱いて依頼をしてくるのだ。

 使命感とか正義感とか、そういったものを振りかざすつもりはサラサラない。

 報酬がいいから、こんな仕事を続けている。

 だけど本気の思いが込められた金に対してぞんざいな仕事をやろうと思えるほど適当にはなれない。

 それにだ。

「ターゲットが苦しむ時間はできるだけ長い方がいいだろ?」

「だったらなおさら、焦んな」

 茶化すのを辞めたのか、少しだけ真面目な顔つきで旭が諫めてくる。

 珍しくこっちの本気度が伝わったらしい。

「寝てないでしょ? 目の下、隈がひどいし」

「……平気だよ」

 確かに若さでゴリ押ししてほとんど寝ていない。

 正直、身体はしんどいが。

「夢で商売してる人間が寝むれてないっておかしくない?」

「そりゃあ、確かに笑えないね」

 苦笑交じりにそう答えたところで急にPCの文字が霞み始める。

 やばい。指摘を受けたら急に瞼が重くなってきた。

「紅い飛行機に乗った豚も言ってたじゃん。睡眠不足は良い仕事の敵だ、て」

「……そうだな。紅い飛行機乗りのかっこいい豚さんが言うならその通り、かもな」

 なら、しょうがないのかもしれない。

 やっておきたいことはまだあったが、そろそろ潮時か。

 これは良い仕事を依頼人に提供するために必要な休憩、と自分に言い訳する。

 相棒の忠告にしっかり耳を傾けることもたまには大事だ。

 僕って何て真面目なんだろう。

「2時間くらい横になる……。帰るときは、鍵だけかけといて」

「どこで寝んの?」

 ベッドに決まってるだろ。

 そう言おうと旭の方を向く。

 ……面白いことを思いついたと言いたげな表情が目に入る。

「何、考えてるの?」

 僕の質問には答えようとはせず、胡坐から正座に旭が座り直す。

 そのままタッパーの蓋を開け、割りばしで角煮をつまむ。

「おいで、おいで~」

 まるで猫じゃらしのごとく振りかざしながら自らの太ももをポンポンとたたく。

「猫じゃないんだけど」

 むしろお前の方が猫っぽいだろうに。

「たまにはお姉さんが甘えさせてやるよ~」

 年が1つ上なだけでしょうが。しかも、留年してるから学年自体は同じだし。

 ……しかし、迷うところだ。

 ここで無視してベッドに横になっても臍を曲げたこいつに何かしらの嫌がらせを受けるかもしれない。

 それどころか、いつまでも不機嫌になって余計に面倒くさいことになる可能性もある。

 よし。

 今後のこいつとの関係性を考えて、ここは恥を忍んで挑発に乗るのがベストだ。

 決して太ももが柔らかそうだと思ったからではない。

 断じて違う。

 もそもそと眠い身体を引きずりながら相棒に近づく。

 身体は重いはずなのに近づけば近づくほどに、ブラックホールのごとく吸い込まれていく不思議な感覚に陥ってしまう。

 躊躇する間もなく、僕の頭部は仰向けの状態で彼女の膝の上に収まった。

 ついこの前、つまんだ脇腹に似てここも中々に肉厚だ。

「口開けろ~」

 仰せの通り、大きく開ける。

 豚肉の脂身が口中に広がる。プルプルとした歯ごたえが会心の出来であることを伝えてくれる。

 ネットで見て作ってみたけど、簡単レシピすげえ。

 今度は違うもの作ろう。

「20分くらいは貸してあげる」

 短か。いや、この姿勢って実はきついって聞くし、そう考えると破格か。

「寝落ちするまで、お話でもしようか?」

 足の間に沈むこちらを見下ろしながら旭が楽しそうに言う。

 どうでもいいけど、このアングルでこいつから見下ろされると何だか捕食されているような気分だ。

「何でさ? お前だったら?」

「風情の分からないやつめ。それでも文学部か?」

「文学部関係ないでしょ」

「夢を創作しようってやつが人の心の機微が察せられないってどうなのよ」

「滅茶苦茶考えてるでしょ? 相手にとって最適な夢をお届けするために教団のありがたい経典を研究してたんだから」

 その人間が最も苦しむものを与えるには、その人間が最も寄る辺とするものを知る必要がある。

「インチキ宗教のこれ?」

 近くに落ちていた書籍を拾いながら旭が聞いてくる。

 仰々しいタイトルにチカチカするような配色が施されており表紙だけで目が疲れそうな1冊だ。

「教祖の本だよ。それ1冊でいくらか分かる?」

「10円でもいらない」

「10000円」

 分不相応な値段が明らかになった瞬間、汚物のごとく再び書籍は床に放られる。

「ケツ拭く紙にもなりゃしねえ」

 どこかで聞いたことのあるセリフだ。しかし、この資源の無駄遣いとしか言いようのないゴミを正しく表現している。

「読むの大変だったよ」

「読んだんだ?」

「ギャグとしてなら結構面白かった」

 存在の高次元化だの、神様の求める魂の在り方だの、死後に訪れる安息の世界だの。

 冗談として表現しているのであれば中々にパンチが効いた内容ではあったと思う。

「真面目に読んだら?」

「精神が死ぬ」

「やっぱり」

「それでもそんなものに何千万も泣いて差し出す人が一定数いるんだよ。人間っていうものが信じられなくなりそうだった」

 本一冊にしても普通の人間であれば歯牙にもかけないような文字の羅列だ。

 しかし、こんなものに縋ってしまう人間が一定数いるのが悲しいが現実なのだ。

 まともではいられない人たち、弱っている人たちにとっては訳の分からない浅い言葉であっても自分に寄り添ってくれる祝詞のように感じてしまうものなんだろうか。

 だからこその宗教ということか。

「巡り巡ってそれで首相も殺されたじゃん?」

「元首相な」

 そう言えばそんな事件あったなぁ。

 あれって親が宗教にのめり込みすぎて人生がハードモードになったから世の中を恨んでの犯行ってことだったっけ?

 ホント、欲の皮が突っ張った宗教もどきというのはロクな結果をもたらさない。

「知ってる? 僕らが産まれる前に日本のあちこちであるカルト宗教が大規模なテロを起こしてたことがあったんだよ」

「細菌兵器とかで有名なやつ?」

「そうそれ」

「それが何?」

「前テレビの番組で死刑になった教祖の写真を見せてその印象を若者にインタビューするって企画があったんだ」

「さぞや、ジジババが喜びそうなコメントが取れたんだろうね」

 この流れならさすがに読めるか。

「『根は良い人そうだ』ってコメントが出たらしいよ」

 最近の若者はバカだ、愚かだ、考えなしだとマウントを取りたい年寄り連中が飛び上がりそうなコメントだ。

「馬鹿は騙されてそのまま私の迷惑のかからないところで死ねばいい」

 感想としてはまっとうかもしれないけど、言葉はもう少しオブラートに包めんもんかね。ネットでももう少し上品な言葉遣いをすると思うよ?

「まあ、無知は罪っていう意見にはおおいに賛成だよ」

 このテレビの企画が若者をバカにしたい老人世代のやらせであったとしても、無知な人間もまた一定数はいる。

 日本を震撼させたカルト宗教には後継団体があり、事件から長い年月が経った現在、あらゆる方法で若者を勧誘しているらしい。

 引っかかってしまう人間も当然ながらいるのだろう。

 無知故に人は未知に惹かれてしまうものなのだろうか。

 例えそれがどんなに邪悪なものであったとしても。

「わっかんないな」

「どした?」

 考え込むように手遊び感覚で旭は僕の頭を撫でてくる。

 裏社会のボスが膝に乗せた猫を撫でるかのような手つきだ。

 しゃくに障ることに心地よい。

「私は神に祈ったことがない」

 これまたどこかの有名漫画で聞いたことあるようなセリフだ。

「そういえば初詣とか行ったことないよね」

 中学からそれなりに長い付き合いだけれど、そういったところに行ったことはない。まぁ、誘ったこともなかったが。

「見たり聞いたりの創作物としてはそれなりに面白いと思うけど、祈ったり崇めたり、自分の人生の真ん中にする意味が分かんない。世の中なんて結局なるようにしかならないじゃん」

 撫で方が少し雑になってきた。

 痛い。

「怒ってる?」

 手つきにわずかばかりのいきどおりを感じる。

「世の中はバカが多すぎることに怒ってる」

 何目線で話してるんだろうか。

「……例えば、水野さんの母親みたいな?」

 撫でる手つきが止まる。

「優しいな」

 黙れと言わんばかりに鼻を摘ままれる。

「いつあの薄幸巨乳の話をしたよ?」

 そんな乳製品みたいなあだ名をつけるなよ。

「はい、してません、してません」

 だから息苦しいから手を放して。

 鼻声のお願いが通じて手が放される。

「……でも、写真のあの笑顔はムカついてる」

 見上げる旭の顔つきは険しい。

 納得がいかないと言いたげだった。

「そうだね……」

 世の中なるようにしかならない。

 旭の言うように考えられたら人間もう少し楽に生きられることだろう。でも、そうはいかないのが世知辛いかな人の弱さでもある。

「でもさ、まあ、頑張ってみるよ」

 人には寄る辺が必要だ。

 心の平穏を得るために縋るもの。

 水野さんの母親にとってはそれが神様のバッタモンであり。

「勝ち逃げはさせないように全力はつくすからさ」

 今の水野さんにとってのそれは僕たちである。

「……えぐいの創れよ」

「まかせろ」

 小さくグッドサインをして相棒のエールに応える。

 あくびが出る。

 あれこれ話してるうちに瞼が重くなってきた。

「寝る?」

「……うん」

 いいもの創るためにもまずは休息だ。

 20分のカウントは意識が落ちてからでいいだろうか。

「今から30分寝ていいよ」

 どうしたことか今日はサービス精神旺盛だ。

 褒美に目が覚めてこいつが家に帰る際には送ってやるとしよう。

「……さんきゅ……」

 旭が角煮の残りに箸を伸ばす姿を最後に瞼を閉ざす。

 頼むからタレだけはこぼさないでくれ。

 そう願いながら意識も落ちていった。

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