第2話 その悪夢は神様を選んだ愚か者に
死に逝く母親に悪夢を見せてほしい。
予想と違う内容に目を見開く。
改めて見ると水野さんは随分と疲れた表情を浮かべている。
年齢は20代半ばといったところだが、化粧でも隠しきれていない濃い隈のせいで実年齢よりも年を重ねているように見えてしまう。
カーディガンの下の服装はシンプルそのもので、伸びた長髪も必要最低限の手入れがされているのみだ。
いかにも、人生に疲れ切ってしまった人、という印象をこちらにもたらしてくる。
整った顔であるのも相まってひどく哀愁を誘ってくる。
身内か……。
てっきり、いじめてくる会社の同僚か、上司が相手だと踏んでいたがこれは参った。思ったよりも重い話になってしまいそうだ。
「伺いましょう」
驚きはしたが話を遮ることはしない。
とにかく話を聞かないことには何も始まらないのだから。
「はい……」
依頼人の口が重々しく開かれる。
「『白亜の導き』ってご存じありません?」
聞いたことあるような、ないような。
「……教祖が変態の……」
隣に座る相棒がボソリと呟く。
「あぁ……」
思い出した。
少し前のことだ。
確か地方に根を張った宗教で山奥の施設で信者が共同生活を送っている集団だとニュースでやっていた。
それだけであればお近づきになりたくないただの怪しい団体というだけなのだが。
「そうです。教祖を始めとした幹部が信者に対して過剰な虐待や性的な行為をしていたことでニュースになった団体です」
そうなのだ。
一般人が想像するカルトのご多分に漏れず、やらかしたせいで教祖を始めとしてかなりの逮捕者を出したことで一時期ネットが騒がしかった。
被害者の1人はまだ小学生の女の子だったと思う。
「母は、そこの信者でした」
何となく話が見えてきた。
「子供の頃は、私、すごく身体が弱かったんです。何度も入退院繰り返して、大きな手術も2回くらいやりました」
水野さんが胸に手を当てて視線を落とす。
悪かったのは心臓かどこかだろうか。
「……両親もきっと苦しんでいたんだと思います。ただ、父と母では、その向き合い方に違いがあったんです。父は仕事が忙しい傍らでも私の付き添いやお見舞いも欠かさずにいてくれて、退院できたときはわざわざ仕事を休んで家で一緒に遊んでくれたりしました。ただ母は……」
母親は違ったと。
「……はい。母は父よりも私に付き添う時間が長かった分、その心労も大きかったんだと思います。心の拠り所がどこにもなかったんです。いつ死ぬかも分からない私に対してどう向き合えばいいか分からなかったとき、出会ったのが」
「『白亜の導き』と……」
水野さんが相槌に頷く。
「父の話では、向こうから接触を図ってきたらしいです」
えげつないことをするもんだ。
弱った人間の心の拠り所として存在するのが宗教だ。
クソみたいな世の中を生きていくために大きな何かに縋ることは決して悪いことではないはずだが。
「弱りきっていた母はあっという間に教団に取り込まれました」
「食い物にされたんだ」
ポツリと他人様の地雷を踏み込んだ相棒の側頭部をはたく。
「すいません」
すかさず謝罪したが、気分を害した様子はなさそうだった。むしろ、口元を抑えて若干の笑みすら浮かべている。
「いえ、大丈夫です。実際に本当にその通りなんで」
相手が大人で本当に良かった。
「母は教団の教えにのめり込みました。家の一部屋を丸々使って訳の分からない絵が描かれた壁紙や仏像の出来損ないのような像を拝み続けていました」
「こってこてじゃん」
性懲りもなく旭が呟くが、はたくのを忘れて思わず僕も賛同してしまう。
「そうですね。世間一般が想像するような怪しい宗教そのものでしたね。あれは」
悲しみとも、諦めともつかない笑みを浮かべながら水野さんは言う。
少し前だったか、ネットの番組で特集されてた宗教2世がこんな顔をしていたような気がする。
身近で言えば中学のとき、親戚が宗教にのめり込みすぎて失踪したというクラスメートがいたが、周囲にそのことを揶揄されたときの表情にも近いものがある。
何とも言えない、どうにもならないことへのやるせなさを感じさせる曖昧な表情だ。
「最初のうちは私の体調の変化に対して奉っている神様に感謝したり、お祈りをしたりするくらいだったんです。でも、時間が経つごとに段々とひどくなっていって。いくらしたのかも分からない得体の知れない水を飲まそうとしたり、病室に仏像の出来損ないを設置しようとしたり、あげくの果てには教団から教えられた意味不明の治療法を試そうとして病院の邪魔をしようとしたこともありましたね」
まあ、何とも分かりやすいほどの洗脳だ。
「いくら使ったの?」
旭が露骨に顔をしかめる。
そうだよな。ほとんどの人は宗教=金という風に紐づけてしまう。
病気の娘のため、という分かりやすい目的を持ったカモは教団からしたら垂涎ものであるだろう。
「さあ、本当にいくら使ったんだろう。知りたくもないなぁ」
まるで独り言のように水野さんは再び小さく笑う。
「私の見えないところで父は母を何度も諫めようとしていました。でも、母はもう戻れないところまで行ってしまっていたんです。退院して家に帰ったときも私よりも祭壇に向き合う時間の方が長かったくらいですから」
「……終わってるじゃん」
イチイチ棘のあること言わんと死ぬのか、お前は。
戒めのチョップをお見舞いしながらも内心は同意見だ。
完全に本末転倒だろ、それ。
「それでも父は耐えました。母の代わりに私に寄り添い続けてくれました。母の破綻を悟られないように、私を心配させまいと必死で」
娘さんにはバレバレだったみたいだが、父親は本当にギリギリのところで踏ん張っていたのだろう。
「そのバランスも10歳くらいのとき、私の病気に完治の目途が立ってきたころに崩れてしまったんですけどね」
「お母さんがやらかしちゃったんだ」
お前、もうそろそろ黙ろうか。
段々、馴れ馴れしくなってきてるの自分で分かってる?
「そう、その通りです。母は、私の病気が治ったのは病院の先生たちや父のおかげじゃなくて、訳の分からない神様のおかげだと本気で信じていたんです。それで教祖にお礼を言うために私を教団に連れていこうとしたんです」
これだから新興宗教はクソって言われるんだろうな。
またしても何かを口走ろうとする相棒の口を塞ぎながら、良からぬ考えが頭をよぎってしまう。
「あの、ひょっとしてなんですけど、いや、失礼なことは百も承知なんですけども、お母さん、もしかして水野さんを教祖に……」
僕の邪推に水野さんは力なく頷く。
「……教祖が望んだら差し出すつもりだったと思います」
水野さんは美人さんだ。食指が動いていた可能性はあっただろう。
「未遂だったんですよね?」
「もちろん。父が気づいてくれたおかげで事なきを得ました。もの凄く怒ってましたね。普段は物静かな人なのに」
怖かったなぁ、と遠くを見るような目で水野さんは呟く。
「それで、ご両親は?」
「……父は母を諦めました。離婚が決まったあと、母は家を出ていきました。最初はどこに行ったのか誰も分からなかったのだけれど、その時にはもう教団の運営する共同施設に身を寄せていたんでしょうね」
フウっと一息ついて間が置かれる。
嫌な間だ。
「それだけで済んだらまだ良かったんですけど……」
すごく含みのある言い方だけど、まだ何かあるのだろうか。
「あの人、親戚中からお金借りてたんです。私の治療費って嘘八百を並べて」
「その言い方ってことは……」
「全部、教団につぎ込んじゃったんです」
無関係なはずの僕だが聞いてるだけでなんだか乾いた笑いが出そうになってしまう。
「クソじゃん」
旭が端的に吐き捨てる。
失礼ながらまだ優しい表現だ。
「その通り。本当にクソ」
水野さんは背もたれに体重をかけながら天を仰ぐ。
「あの人のやらかしが分かったのは離婚してすぐのことでした。それからの父の人生は、私と借金の返済のために捧げられることになりました」
母親は教団に匿われて雲隠れしたことで取り立ては難しい、ならば父親に返済を要求したということか。
「離婚したのなら、返済義務はお母さんにいくのでは?」
その問いかけに力なく首が振られた。
「父は、私だけじゃなくて、あの人にも負い目があったみたいです。自分がしっかり支えなかったから壊れてしまったって、だから、あんな教団に取り込まれちゃったんだって」
気持ちは分からんでもないけど、それはちょっとな。
口を挟みそうになるのを何とかつぐむ。
ついでに隣に座る相棒の口は脇腹をつねって物理的に黙らせる。
放っておいたら間違いなくろくでもないことを口走りかねない。
「借金はどうなりました?」
思いのほか肉厚な脇腹をつまみながら尋ねる。
身内といっても相当な額だろう。
「……最終的には残してくれた保険金で完済できました」
あっ、これヤバい。激重なやつだ。
「あの、お父さんは……?」
「去年の暮でした。クモ膜下出血で倒れてそのまま」
うわあ、という感情がうっかり顔に出てしまう。
隣の相棒も明らかに不機嫌な顔つきだ。
「それは、何て言っていいか……」
いたたまれない。
「すまない、ごめん、申し訳ない。身体がよくなってからの記憶の中にいる父はほとんど謝ってばかりでしたね。私のため、あの人の尻ぬぐいのために生きてきたような人生でした」
他意はないのだろうが追い打ちかけるように水野さんは語る。
「まるで入れ替わるように母に再会したのは、今年の春ごろです」
確か教団のニュースが報じられたのはそれくらいのころだったはずだ。
「捜査のために入った教団の施設で寝たきりの状態で見つかったそうです。ガンでした。発見されたときにはもう手遅れだったみたいです。……病院にも行かず教団の祈りで治療をしようとしていたらしいんですよ」
バカみたいですよねぇ。
あざ笑うとも、嘆くともとれる呟きがテーブル周囲に響く。
「お母さんは、今?」
「病院です。時々、面会にも行ってます」
「会ってるんですか?」
あっけらからんと言いきる姿に目を見開いてしまう。
「えぇ。週1程度ですけどね」
そう言いながら彼女はスマホを操作し始める。
「これが母です」
テーブルに置かれたスマホの画面を2人で覗き見る。
ある意味、今回のターゲットの顔確認だ。
……目元が水野さんに似ているだろうか。
やつれた女性がベッドに横たわっていた。
病院着を身に包み、腕には管が通っている。
視線こそカメラに向けられているが、その目はどこか遠くの方を見ているような気がした。
パッと見はテレビのお涙頂戴ものドキュメンタリーで出演する末期患者みたいだ。
だけど。
「キモ……」
隣からの端的な呟きが僕の抱いた感想をそのまま表す。
穏やかすぎる。
どこか遠くを見ている視線とともにその口元は薄く笑っていた。
死を目前に控えているというのに。
自身が身を寄せていた教団がなくなってしまったというのに。
なによりも。
裏切り、置き去りにした娘が目の前にいるというのに。
何一つ不安のない、満ち足りた表情で女性は笑っていた。
「私と再会したときからこんな感じでしたね。……もっと違う感じを期待してたのに」
淡々と語るその姿には、何を思い、何を感じているのか推し量ることはできなかった。
もう一度、写真を見る。
久しぶり、とか、元気にしてた? とかかな。第一声は。
どんな言葉であれ、まるで久しぶりに帰省した我が子を迎えるような感覚で、穏やかに、優しい母のような声色で言ったことだろう。
何もなかったかのように。
「教団の教義やら神様のことやら、言ってることはほとんど理解できなかったんですけど、話の最後は必ずこう締めくくるんです」
自分は幸せだった。
再び画面に視線を落とす。
穏やかな表情を浮かべた女性。
死を目前に控えていながらもこんな顔を浮かべられるということはきっと、この人は幸福や安らぎを手にすることができたのだろう。
人間のそれとは違うベクトルの幸福を。
「何なんですかね……」
水野さんが天を仰ぐように呟く。
「何だったんだろう、父の人生は」
片や、病気の娘を抱え、妻は心を病み、借金を押し付けて家族の前から姿を消し、身を粉にして働いて、すべてのものに謝りながらこの世を去った。
片や、インチキ宗教に身を委ね、夫と娘、様々なものに後ろ足で砂をかけ、自分だけの幸せを求めてきた結果、最期を迎えようとする今この一瞬が安らぎに満ちている。
「納得できませんか?」
答えの分かりきった質問を投げかける。
天を泳いでいた視線がこちらに向けられた。
「できるわけがないでしょ」
口調はとても静かだ。
それでも
とてもどす黒く、濁りきっていて、それでいて生々しい。
あるがままの人間の怒りをまざまざと見せつけられた。
「一生懸命、文字通り一生を費やして父は償ってきた。何も報われず、何も返すこともできず、死んでしまったのに、あの女は謝りもせずにノウノウとあの世に逝こうとしてる。バカにしないでよ。自分のやったこと何も後悔しないで自分だけ幸せになって……ふざけるな」
ポトリポトリと水野さんの両目から涙がこぼれ出ていた。
……母親には言ったのだろうか。その気持ちを。
多分だけど、彼女はすでに伝えていると思う。
これよりももっとひどい罵詈雑言を、大きな声で、あらん限りの負の感情を投げつけたと思う。
でも、母親にはきっと何一つ響かなかったのだろう。
写真の中の女性はここではない遥か遠くに行ってしまっているのだから。
「悔しい?」
そう口を開いたのは旭だ。
いつ取り出したのかハンカチを水野さんに差し出している。
「すみません……」
申し訳なさそうに水野さんがそれを受け取る。
「質問に答えて、悔しい?」
涙を拭く女性に対し、視線を一切外すことなく旭はもう一度尋ねる。
「悔しい、ですね」
顔からハンカチを離し、水野さんもまっすぐ旭を見据える。
「許せない?」
「許せないです」
「死にかけでも?」
「それでもです」
合わさった視線で確認されているのは彼女の意思だ。
どこまでやるか。
その確認だ。
「人生の最期を滅茶苦茶にしてやりたい?」
「もちろんです」
最終確認は間髪入れず返答が入った。
「分かった……」
旭が僕に顔を向ける。
「受けるから」
随分と勝手に話を進めてくれたけど、まあ、断る理由はない。
最後にもう一度スマホを確認する。
何の悔いもない、と言いたげな幸せそうな顔。
インチキ臭い神様に身をささげて、自分だけの幸せな世界に逃げてしまった人間。
僕たちとは縁もゆかりもない無関係な人間だ。
だけど。
逃げ得とは何とも腹が立ってくる。
「水野さん」
依頼人を見据える。
「5日ください」
準備、構想を練るにはそれくらいの時間が必要だ。
「必ずあなたの納得のいく悪夢を提供します」
自分の母親だろ、なんて青臭いドラマみたいなことをいうつもりはサラサラない。
依頼人の願いに応え、ターゲットに眠れぬ夜を与える。
僕らはそのためにいる。
「あの……」
「はい?」
「……今更で、申し訳ないんですけど……悪夢って具体的になんですか?」
不安げな顔で向けられた当然の質問に口を開けて呆けてしまう。
次の瞬間にやってきたのは強烈な羞恥だった。
「ダサッ」
隣からの嘲笑混じりの呟きも恥に追い打ちをかける。
両手で顔を覆う。
いや、ちょっと待って。
ちょっと待ってくれ。
あの腐れ警官、詳細をもっと話しとけよ。
仲介だけしてあと知らんふりかよ。
報酬ピンハネしといてそれはないだろうが。
というか僕、今、結構キメ顔で言い切ったのにめっちゃダサいじゃん。
なんか水野さんも別の意味で申し訳なさそうな顔してるし。
「……はい、そうですね……。悪夢なんて、意味わかんないですよね。表現、曖昧すぎて」
「いえ……あの、すいません」
あなたは悪くありません。
なんも悪くないです。
むしろ謝られるとこっちがますます恥ずかしくなりますんで勘弁してください。
「大丈夫です。何も説明していないこっちが悪いんで」
そう言いながら思考を巡らせる。
さて困った。
信じろと言ってもこればかりはどう説明したものか。
「あのですね、どういうことかって言うと……」
「ここで実際に見せた方が早くない?」
僕の逡巡を察してか隣の相棒がとんでもなく安直な答えを提案してきた。
「いや、ここで?」
周囲を確認する。
確かに話は早いかもしれないけど人目もあるにはあるぞ。
「どうせバレやしないって」
楽観的にそう言い切ると旭の視線は何が何だかまるで分かっていない水野さんに向けられる。
えっ? 本当にやるの?
ここで、今?
「私の目を見て」
止める間もなく、彼女たちの視線が重なる。
そうなってしまったらもう手遅れだった。
この馬鹿。
考えなしのアホを罵りながら、間もなく依頼人に訪れるであろう異変に身構えた。
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