夢のちアサヒ

集落 調停

第1話 悪夢の依頼はフードコートの片隅にて

 時刻は午後の3時に近づいていた。

 片田舎に足を突っ込んでいるような市のショッピングモールに客はさほどいない。

 フードコートも例外ではなかった。

 いるのは老人か買い物ついでに寄っている親子ぐらいで後は閑散としたものだ。フードコートの店員も随分と暇そうにしている。

 何となく視線を泳がせていると椅子にもたれかかって船を漕いでいる老人を見かける。

 席が近いので顔までよく確認できた。

 あまりいい夢は見れていないようだ。

 眉間に皺が寄り、奥歯を噛みしめる表情から容易に察することができた。

 80を超えたぐらいだろうか。

 こんな年齢になっても夢というものは人をさいなむものなのだろうか。

 人には面と向かって話すことができないバイト故、あとは香久山朝日かぐやまあさひ個人としてそういうものにはついつい敏感になってしまう。

「何見てるの?」

 つまらなそうにテーブルに突っ伏していた相棒が上目遣いで聞いてくる。

「ん~、いや、どんな夢見てるのか、どうにかと思ってた」

「……なんで?」

「仕事の参考になるかなと思って」

「……引くわ~」

 こんな仕事熱心な若者を前に失礼な。

 一発デコピンでもお見舞いしてやろうかと指の可動域をほぐそうとした瞬間。

【悪徳警官】

 画面にそう表示されたスマホがテーブルの上で振動する。

 二人同時に顔をしかめる。

「……呼んでるよ?」

 相棒はそう言うと顔を伏せて狸寝入りを決め込む。

「僕が出ろと? あいつに対応しろと? ここは公平にジャンケンでしょ?」

 このスマホは仕事用で持たされたものだ。

 僕と相棒の2人で共用という形で使っている。つまり、かかってきた要件に関しては2人で対処する必要があるはずだ。

「す~す~」

「わざとらしい寝息立てんなや。お前が、ことは知ってるからね、こっちは」

 僕がそう呼びかけても、相棒は偽りの夢の世界から帰ってこようとはしなかった。

 その間もスマホはこちらを呼び続ける。

 どこか遠くに、それが無理なら、ここの備え付けのゴミ箱に投げつけてやりたくなるが跡がすこぶる面倒臭い。

「あぁ、もう」

 観念してスマホを手に取る。

「もしもし、僕は無実です」

『証拠はあがってるんだ。それは無理な話だ』

 小馬鹿にしたような声が耳に響く。

 外は快晴だというのに、その声が耳に入っただけで心の天候はどんより曇り空になってしまった。

『出るのに随分かかったな? 2人で押し付け合ったのか?』

「押し付け合うまでもなく、狸寝入りで夢の世界に逃げられました」

『そうかい、そうかい。じゃあ、お前さんので良い夢見せてやればいい』

 電話越しの男はおかしそうに笑う。

 ウィーヒヒヒ、という独特な笑い方だ。

 僕も相棒も、この鼻につく笑い方にはいつも閉口している。

 最初に聞いたときは、あまりのわざとらしさにウケ狙いかと思ったが素でこういう笑い方をしているのだから始末に悪い。

「それで何の御用ですか?」

 不快極まる笑い声を直で聞くという罰ゲームに耐え切れず、すかさず本題に入るように促す。

『ん? あー、お前ら、ちゃんと待ち合わせ場所には着いてるか?』

「きっかり30分前には来てますよ」

 今時の若者にしては何て勤勉なことだろう。

『そうか。さっき、依頼人から連絡があった。もうすぐそっちに来るぞ。白いカーディガンを羽織った女だ』

 事前の連絡通りということか。

 ホッと息をつく。

 当日になっていきなりキャンセルする依頼人もいるので無駄足にならずにすみそうだ。

「じゃあ、予定通りですね」

 それじゃあ、こちらも目印を用意しておかなきゃならない。

『儚げな感じの美人さんだ。世慣れしてない感じだったから優しくしたらワンチャンあるぞ。味見できたら感想教えてくれよ』

「いたいけな学生に何言ってるんですか?」

 このおっさんの年代でも容認できないくらいのセクハラだろ、今の。

『いたいけな学生がこんなロクでもない商売するかよ』

 またしても独特の笑い声が電話越しから響く。

「……思いっきり片棒担いでいるくせによく言うよ……」

『おい、聞こえてるぞ』

「聞こえるように言ってるんですよ」

『依頼が途切れないように定期的に仕事を回してやってるだろうが』

「紹介料と称して、代金は随分とピンハネしてくれてるようですけどね……」

 実働しているのは僕らだというのに卑劣極まりない。

『学生にしてはいい額やってるだろ? それとも何か? 適当な罪でっち上げて手錠かけてやろうか?』

 なんてことだ。この警官、事もあろうに国家権力をチラつかせてきやがった。

 何課の刑事かは知らないが、この男、絶対に過去に何人かえん罪をでっち上げているに違いない。

 日本の司法は終わってる。

 この世に正義はないのか。

『俺の気が変わらないうちにせいぜい働け』

 一方的に吐き捨てられたのち、通話は途切れた。

 スマホを耳から離す。

 今すぐゴミ箱。もしくは狸寝入りを決め込んでいるこのバカの頭にそれを叩きつけたくなった。

 しかし、僕は紳士である。

 人前で女性に物を投げつけるようなことはしない。

 代わりに人の目が行き届かない足元。

 その脛を蹴ってやる。

「……痛い」

 不機嫌そうに相棒は顔を上げる。

「おはよう。これで起きなかったら素敵な夢をプレゼントしてあげるところだったよ」

 偽りの夢の世界からご帰還していただけたようで何よりだ。

「陰険野郎……」

 相棒はフワフワとしたセミロングに隠れていたクリクリとした目を細める。

 長いまつ毛、整った鼻筋に自然と目が惹かれてしまう。

 美人の顔つきだと思う。

 必要最低限にしか施していない化粧でも随分と見栄えするほどなのだから。

 春日井旭かすがいあさひは、テーブルから身体を起こすと大きく伸びをする。

 その姿はまるで気ままに動き回る猫を彷彿させる。

「話は聞こえてただろ、仕事だよ」

「……寝てたから聞いてない」

 嘘をつくな、嘘を。

 面倒ごとはいつも僕に押し付けやがって。

「客が来る」

 リュックに手を入れて、白と黒、2つのニット帽を取り出し、白い方を旭の手元に放り投げる。

「洗ってる、これ?」

 匂いをかぎながら旭が尋ねてくる。

「ガッツリ洗っとるわ。消臭スプレーもガッツリかけてる」

 僕がね、僕が。

 内心で強調をしながら毒づく。

 目印用に使ってるこの帽子も2人の共用のはずなのに管理保管は何故か僕だ。

 洗濯、除菌の手間暇を全て僕に押し付けておいて何を文句を垂れるのか。

 まあ、こいつにそういう細かな気配りを要求しても無駄か。

 この女、家電製品がすべてそろった良いアパートに1人暮らしのくせに生活力が乏しいのだ。

 以前、アパートの部屋を訪れた際にやたらと溜め込まれた洗濯物が目についた。

 その時にこいつときたらこれ幸いとばかりに、ちょうどいいから洗濯してくれ、とおほざきになったのだ。

 さらに言ってしまえば、本来はあるべき洗濯用洗剤の代わりに買い置きされていたのは芳香剤と柔軟剤のみ。

 洗剤は? と尋ねたところ、はてなと首を傾げられた瞬間に僕は全てを諦めた。

 洗濯用の洗剤の種類すら知らなかったのだ、この女。

 結局、洗剤の準備から干すところまで全て僕がやった。

 恋人でもない女の服をだ。

「ねえ」

「何?」

 こいつの所業を思い出してしまったからか返事にも棘が混ざってしまう。

「ひょっとしてさ、私が被った帽子っていつも洗う前に匂い嗅いだりとかしてる?」

 そうか、そう来たか。

 言うに事欠いて他人様を変態として扱うか。

「よろしい。二度と安眠ができない夜を望むか」

 いいよ。

 買うよ、その喧嘩。

 まずはチョークスリーパーで意識を落とすところから始めてそれから……。

「あの……」

 物騒な思考は唐突に割り込まれた声で中断させられる。

 声のした方向を振り向く。

 僕らが座るテーブルの前に立っていたのは若い女性だった。

「白のカーディガン……」

 女性の着ている服に目が行く。

 依頼人の目印は確か。

「あの、間違ってたらごめんなさい……。その帽子ってひょっとして」

 女性はおずおずとした様子でニット帽を指さす。

 どうやら間違いなさそうだ。

水野美穂みずのみほさんですか?」

 名前を確認するとハッとした表情を女性は浮かべる。

「は、はい。そうです」

あずま刑事からお話は伺ってます」

 椅子から立ち上がって視線を合わせる。

香久山かぐやまといいます。香久山朝日かぐやまあさひです。こっちは春日井旭かすがいあさひ

 紹介すると、旭はおっかなびっくりといった様子で会釈をする。

 先ほどまでの不遜な雰囲気が嘘のように引っ込んでしまっている。

 見知らぬ人間を前に借りてきた猫とかしてしまっていた。

「あさひ、えっ、どっちも?」

 困惑した顔で僕と旭を交互に見る水野さん。

「びっくりしますよねぇ。字は違うんですけど、同じ名前なんですよ、僕たち」

 水野さんの様子に苦笑しながら、席に着くように彼女を促す。

 一瞬だけ逡巡した様子を見せながらも、水野さんは空いている椅子に腰を下ろした。

 それを見届けると僕も、同じ名前、同じ意味を持つ相棒の隣へと座り直す。

「さっそくですがご依頼の件を窺いましょう」

 被ったばかりのニット帽を脱ぎながら本題を切り出す。

 水野さんの表情が強張る。

 テーブルの下の両手はこちらから見えないが恐らくは固く握られていることだろう。

 大体の依頼人の反応がこんな感じだ。

 緊張、不安。

 隠しきれないほの暗い感情を一瞬だけ引っ込めてこちらの次の言葉を待つのだ。

 何を思い、何を抱え込んでいるのかを推し量ることはきっとできない。

 けれども、それなりに重いものであることは間違いないのだろう。

 そうじゃなければ。

 僕らを頼ることなんてないのだから。


「教えてください。?」

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