場外乱闘の決闘大会 - 3
「流石に遅くない?」
マデリンが心配の声を上げた。
ガルス殿下が入場した時の黄色い声はコロシアム中に広がっており、近くにあるはずのお手洗い場にも届いていそうなもんだ。
彼は今、対戦相手に剣を向けて静止している。相手も同じ男性の剣士だ。
魔術師と同様、最初は互いの力量を見る時間らしい。
「あんなに楽しみにしていた殿下の最初に試合に来れないなんておかしいわ。何かあったのかしら。」
「確かに、試合が始まったら一気に空くはずですし、並んでいるというのもおかしいですね。やはり道に迷ったのでは?」
「イザベルならあり得るわ......あの子本当に方向音痴なんですもの!」
デリケが心配そうにキョロキョロと辺りを見渡しているが、あの快活な令嬢の姿はない。
「それなら私、探してきますよ。」
すっと手を挙げて提案してみる。イザベルが心配なのは私も一緒だ。
「本当?でもあなたが試合を見逃してしまうんじゃ......」
「構いませんよ。皆さんみたいに殿下を特別応援している訳ではありませんし、ガルス殿下が強いお方だというのは聞いていますから。後でまた試合を見れますよ。それに、私魔力探知が得意なので。」
実際あの調子だと殿下が勝ちそうだ。剣を向け合っている間のフェイントの掛け方も、それに対する反応も殿下の方が対戦相手より上。
重心の運びも剣の構え方も違うし、それどころか彼は魔力の練り方すら優れている。
あれだけ強い自己強化魔法を乗せた体術で斬り込まれれば、相手は耐え切れないだろう。
「じゃあ、お願いするわね。」
「ええ、それでは行ってまいります。」
急いで観客席を抜け、校舎側へ走っていく。ここまではイザベルも来れたはずだ。
集中して魔力探知の範囲を少しずつ広げていく。彼女の形は分かっている。少しでも範囲に掠れば気づく。
お手洗い場の方に居ないのはすぐに分かった。恐らく道に迷ったのだろう。
ではどこに行ったのか?あまり時間が経ってないから、そこまで遠くに行くことはないはず......
暫く範囲を増大していくと、不意に引っかかった。
あれがイザベルだ、かなり遠くにいる。しかしおかしい、あんな場所で何をしているのだろう。
確かあそこは校外の森付近だったはず。迷ってたどり着いたとしても、あんな場所に滞在し続ける意味はない。明らかに道が違うことに気づくはずだ。
その直後、イザベルの付近で魔力が蠢いた。
---
イザベルは動けなかった。
楽しい大会を観戦している途中に少しばかりお手洗いに行っただけだ。少し迷ったが、問題なくたどり着けた。
問題はそこからの帰り道だった。
別に迷ったわけではない。周りには同じように試合の合間に用を足しに来た生徒たちが沢山居たから、彼らについて行けば良かったはずだ。
それでも、そうしなかった原因は恐らく目の前の存在だ。
何かに誘われるような感覚に襲われ、気が付いたら逆方向に向かっていた。
その感覚が何だったのか上手く言葉で説明できないが、何か忘れ物をしたときの感覚に似ていた。焦りと困惑の入り混じったあの感覚に突如襲われて、逆らうことができなかった。
だから、試合に遅れてしまうと分かっていても、そちらに向かわざるを得なかった。
それが罠とも知らずに。
牛の角と猿の顔が合体したような頭に、熊のような巨大な胴体が続き、何とも似つかわしくない馬の細い前足がついている。
その巨大な体躯を支える為なのか、後ろ足は獅子のように太く立派である。尾は何の動物のものか分からないが、あれに叩かれれば人の身など粉々に砕け散ってしまうに違いない。
不気味な怪物はケタケタと笑い声にも似た鳴き声を上げながら、イザベルににじり寄っていた。
明らかに普通の生き物ではない形相。自然に生まれなき異形の姿。
それが『魔獣』である。
「誰か、」
イザベルの細い声では誰にも届かない。恐怖で腰が抜け、上手く立てない。
魔獣は明らかにイザベルを視認してこちらに向かっている。殺される。
魔獣が操る魔力が形を成し、こちらに斬りかかってくる。
イザベルはぎゅっと目を閉じ、迫り寄る痛みに体を縮こませた。
しかし、恐れていたような身を切り刻む痛みは来なかった。
代わりに地面を叩き割るような硬い衝撃波が、イザベルの軽い体を後方に吹き飛ばした。
恐る恐る目をゆっくり開けると、目の前にはよく見覚えのある小柄な少女が魔獣の前に立ちはだかっていた。
「メーティア!」
---
なぜこんな場所に魔獣が?そんな疑念はすぐに心から捨てた。
今そんなことを考えたって仕方ない。今やるべきことは、目の前の魔獣からイザベルを無事に救う事。
もうこれ以上目の前で大切な人を死なせたくない。
ちらりと後ろを見る。イザベルは腰が抜けている。戦意喪失しており、明らかに戦えるような状態じゃない。魔法で応戦するのは無理だ、彼女は戦おうという意思を持てない。
私は多少魔法の心得があるが、人を守りながら戦えるほど器用じゃない。
「イザベル!落ち着いて、ゆっくり後ろに下がって!十分距離が離れたら走って、誰でもいいから先生を!」
イザベルはその言葉に若干正気を取り戻したのか、這うような形で後退りを始めた。
魔獣はそれに刺激されたのか、攻撃魔法を繰り出してきた。
彼ら魔獣は攻撃性が強化された獣だ。本能に従って強い肉体と膨大な魔力で人を殺そうとする。人とは相容れぬ天敵として歴史上語り継がれてきた。
だが、弱点はある。大抵の場合、人よりも単純な知能を持っている為使う魔法の種類が少ない。
頭上に振り下ろされた岩の塊をギリギリで避け、魔獣の目をじっと見つめる。
後方にはイザベルがまだ居るからそちらに距離を取ってはいけない。かといって、常にイザベルと魔獣の間に入っていなければ、魔獣はすぐ私を放って仕留めやすそうな彼女の方に向かうだろう。
これ以上距離を詰めさせてもいけない。
雷弾を数発魔獣の足元にぶつけると、魔獣は若干後ずさった。私を警戒している。それでいい。
一番大事なことは、戦意を失わない事。戦う意思を無くすことは、魔術師が魔法を使えなくなることと同義だ。
授業で魔獣の挿絵を見た時、何て可笑しな姿をした存在だと思った。
動物はそれぞれ特異な能力に特化した姿をしている。兎は後ろ足が太い分瞬発力に長けるし、馬の足は長時間高速で走ることに向いている。一方で猫科は隠密に向いた脚の構造をしているかと思えば、熊の爪は獲物の身体を容易く引き裂いてしまう。
そんな生態系で様々な生物の特徴を取り込むなんて、器用貧乏は生存競争においては寧ろ不利に働くものだ。
だが、今は理解できる。彼ら魔獣が一見不合理な容姿をしている理由が。
彼らは、獲物の恐怖心を煽るためにこんな姿をしているのだ。
理解できない姿は人の恐怖心を煽る。人は恐怖すると、動けなくなる。
思考が止まり、筋肉が硬直し、生を諦めてしまう。
そうやって簡単に獲物を捕食できるのであれば、この見た目も妥当だろう。
つまり、ここで怯んでしまっては魔物の思う壺。
父に貰った杖をそっと握りしめ、意識を集中させる。大丈夫、時間稼ぎができればいい。
先に動いたのは魔獣の方だ。魔獣は勢いよく私の方に飛び掛かると剥き出しの犬歯を振りかざした。
奴の歯は魔力を纏っている。どんな魔法がかかっているのかは分からないが、噛まれれば致命的と考えた方が良さそうだ。
横に最低限ステップして牙を避け、超近距離から高火力の火球を顔面に打ち込んでやった。魔獣は一瞬怯んだが、すぐに体制を立て直して距離を取った。
恐らく、こいつは戦い慣れている。しかも随分頑丈な体をしているようで、魔法の効きが悪い。
距離を取ったのならば遠くから狙撃するまで。
雷弾を複数カーブを乗せて放つと魔獣は体をねじって横に避けた。だが、同時にその先には天雷弾を放っている。
天雷弾は高速で魔獣の胴体にヒットし、流石に応用魔法は効いたのか魔獣はぐらりとよろめいた。
そのチャンスを逃す程馬鹿じゃない。
基礎魔法じゃあの硬い体には刺さらない。ならば、応用魔法以上を使わねばならない。
さっき見た決闘を思い出せ。彼らが使っていた魔法を真似しよう。
魔力を魔獣の周囲に張り、そこから風が勢いよく噴き出すイメージを。
魔獣が体勢を取り戻した瞬間、風牢が発動した。周囲の葉と土と音をともに巻き上げ、魔獣を風の刃が舞い散る牢屋に閉じ込めた。
風牢は確かに魔獣を内側に閉じ込めて幾分か傷を与えたが、それでも付け焼刃で殺せるほどの威力は無かった。
暫くは風牢を維持していたが、内側で魔獣が随分暴れているのか風のコントロールに必要な魔力が増大している。これでは相手が死ぬ前に私の魔力が尽きてしまう。
止む無く風牢を中断すると、相当内部で暴れていたのだろう、芝生がちりちりに焼け散っている。
それでも応用魔法2連続は相当効いたらしい。体が明らかに傷だらけだ。
後ろを確認すると、イザベルはもういなくなっていた。
恐らく私の言った通り先生を呼びに行ってくれたのだろう。こうなれば、私も自分以外を気にすることなく思い切り戦える。
後ろを見ていた私が油断したと思ったのだろう、魔獣が一気に距離を詰めてきた。
蹄の付いた前足を軸にぐるりと回転し、尾で叩きつける気だろう。体には炎を纏っている。当たったらお陀仏だ。
だが、後ろを向いていても油断していた訳ではない。
強化した脚力で空中で舞い上がり、魔獣の上を取る。
魔獣は真上にいる私に対して火炎ブレスを吐いてきたが、重力に反している為威力がかなり減少している。これ位なら防御魔法で防いでも大したコストにならない。
上から水流山を発動させ、魔獣の頭上から思い切り落としてやる。重力で加速された水流は魔獣の顔を覆い、狙い通り呼吸困難を引き起こした。
魔獣とはいえ所詮生き物だ。鼻から息を吸い込まねば活動はできない。酸素が不足して脳機能が低下すれば、魔法だって使えなくなる。
魔獣はもがき苦しむが逃がしてやる気は更々ない。水の流れをコントロールし、顔から水が滴り落ちないようにしっかりと圧力をかけておく。
私自身はより近距離で水流を操るために、自らに浮遊魔法をかけて魔獣の真上に浮き続けた。浮遊魔法はそれなりに魔力を消費するが、遠距離で水流を制御するよりはマシだ。
身体に纏った炎が消えた。奴が魔法を維持できなくなった証拠だ。
そもそも此奴は炎系統の魔法を得意としているようだから、水と相性が悪いのだろう。
魔獣もやられまいと必死になり、口内に魔力を込めている。あの火炎ブレスを再び吐いて、水を蒸発させようとしている。
だが、そんなことはさせない。水流山を再び発動し、水量を更に追加して口内に押し込んでやった。まさか口内にまで水を押し込まれるとは思わなかったのだろう、咽込んで余計に空気を吐き出してしまった。
ブレスを吐けない位に呼吸を止めてやる。私の殺意が伝わったのか、魔獣が甲高い鳴き声を上げて更に身をよじった。
魔獣は死を悟ったのか更に大暴れしている。辺り構わず火炎を撒き散らし、暴れてぐるぐると回転し続けた。横を掠めた火炎は私の制服を焦がし、皮膚を刺すような痛みを残していく。
それでも空に浮く私には大して当たらないし、当たりそうになれば防御魔法で防げばいい。
決して手を緩めない。ここで仕留めてやる。
次第に魔獣の動きが鈍くなり、頭を地面に打ち付けて脚をばたつかせ始めた。
もう少し、もう少しでこの魔物は死ぬ。油断はしない。より強く力を込めて圧力を掛けていく。
背中にぞわりと悪寒が走った。魔力探知に引っかかるよりも前だった。
ほぼ無意識に、本能的に体が動いた。あれだけ追いつめた魔物から水流山を解き、背後に距離を取ってしまった。
折角この魔獣を仕留められるチャンスを逃してしまったのだ。
それでも結果論で言うなら、この判断は正しかった。
私が体をのけぞらせた瞬間、それまで私がいた空間に重く鋭い鱗の様なものが飛来し、私の頬に傷をつけていった。あのまま滞空していれば私の身体は切り刻まれていただろう。
そしてそれは、明らかに先ほどまで目の前にいた魔獣の仕業ではない。
「もう一匹......」
いつの間にか背後には、もう1匹の魔獣が爛々とこちらを見つめていた。
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