悪夢の想起

「ねえミナ、次はこのゲームで遊ばない?なんか妙にレビューが荒れてるし評価も低いんだけどさ、意外とこういうところに名作が隠れているかも?」

 目の前の男性はニコニコとしながらスマホを見せてきた。そうだ、この人はこうやって無駄にチャレンジ精神がある人間だった。

 どう考えたって評価の高いゲームをやった方が楽しいのに、こうやってわざわざ掘り出そうとするんだから。

 全く、仕方のない人。


 懐かしい名前、懐かしい風景。そして、懐かしい人。

 それらは全てもう現実のものではなく、儚く消え去った夢の跡であることは、私自身がよく分かっている。

 人はその夢に縋りたくなるものだ。だから、私もこうやって夢を拒否できないでいる。

 束の間の夢でもいい。私が享受したかった幸せを、こうやって少しでも長く味わっていたいの。


「どうしたのミナ、そんな悲しそうな顔をして。今にも泣きだしそうじゃないか。」

 そんな顔をしないで。そんな優しい声を掛けないで。私をその名で呼ばないで。

 折角失ったものだと諦めていたのに、また願ってしまいそうだ。


「大丈夫だよ、愛してる。嫌なことがあったんだね?そんなの忘れてしまうくらい、楽しい事を一緒にしようよ。」

 ああ、そうしよう。一緒に楽しい時間を過ごそう。笑ってそう言いたいのに、夢であると気づいてしまってはもう言えない。

 夢とは残酷だ。何よりも愛していた人を、この感情を、想起させて私を苦しめる。

 やめて、私はもう新しい人生を踏み出したんだ。新しい世界で、新しい人たちと一緒に暮らしているんだ。


「愛しているよ、永遠に。」


 人は永遠に生きることはできない。それどころか、貴方はあまりに短命過ぎた。

 どこにも行かないで。ずっと私と一緒に居て。


 ほらだって、私のお腹には貴方との子が、



 どろりと流れる血液と、身体が避ける様な痛み。張った腹が暴れるような感触。

 夢と言うには余りにも鮮明な記憶がそのままそっくり蘇る。

 耳鳴りのするバイタルサインに、頭に響く人の騒めき。

 何もかもがあの時のまま。


 結局私は、誰も愛しきることができなかった。


 ---

 暗い部屋に、古い時計の秒針が時間を刻む音。ぐちゃぐちゃになる記憶の中でも、最新の現実であることを数秒かけてようやく思い出した。

 全身滝の様な汗を流しているのは、きっと布団を深くかぶり過ぎたせいじゃない。


 単なる夢として終わらせるには、あまりにも鮮明だった。

 忘却とは生き物に与えられた救いである。にも拘らず、転生してから10年以上が過ぎたのに、未だ彼の顔も声もはっきりと思い出せる。

 まるで、永遠に忘れるなと強制されているかのように。


「最悪ね。」

 この学校に来た目的は何か?父に勧められたから?魔法を学ぶため?

 いや、根本的な理由はもっと違う。


『学園に入学し、そこに潜む問題を解決せよ。』

 それが全てだ。


 入学した今、私はこの学校に潜む問題を見つけて解決しなければならない。

 タイムリミットは6年。長いようで短い時間だ。のんびり過ごしていれば一瞬で過ぎ去ってしまう。

 普通の子のように生きてはならない。私には課せられた使命がある。


 今すぐにでも調べ始めなければならない。この学校に潜む問題を。


 ---

「この学校に何か問題はあるか?何それ?そんな課題あった?」

 小声で確認するメグに、私は首を振った。

「ううん、そういう訳じゃなくて。うーん、噂程度に聞いたくらいよ。なんかこの学校にはちょっと問題がある、みたいな。」

「何よそれ、そんな噂聞いたことないわ。」


 私たちは今、図書館で調べものをしている。歴史の課題で、自分の選んだテーマについて調べなければならないのだが、なんせ資料が沢山あり過ぎるのだ。

 この図書館は国内でもトップを争うほどの広さで、その蔵書数は王族の住まう宮殿に匹敵する程と言われている。

 そんな中から目的の本を探す経験は前世を合わせても生まれて初めてだ。最初のうちは建物1練地下から最上階までまるまる占める図書館に圧巻されていたが、今では広すぎて逆に大変に感じてしまう。


「聞いたことないならいいわ、でもちょっと気になるのよね。」

「そもそも問題って何よ。生徒同士のいざこざなら毎日のようにそこら辺に転がってるでしょ。家同士の争いの延長線みたいなものだから、教師も基本放置だけど。」

「うーん、多分そんなんじゃないと思う。もっと大きい規模だと思うんだけど。」

「そんなの知らないわよ。そんなに気になるのなら、調べてみればいいじゃない。この膨大な数の本の中から。」

 メグが後ろに続く棚を指さし、再び自分の作業へ戻ってしまった。

 これ以上邪魔をするのはよそう。いずれにしても、課題が先だ。


「えっと、ベンカル王国の農業の歴史......農業、農業の歴史はここら辺か。」

 当然ながら、農業の歴史についてだけでも何列もの棚がある。この中から更に作物で絞って調べた方が効率的か。


 そう思い、隣の棚を確認しに行く。

 すると、そこには先客がいた。


 富と権力を示す黄金の髪に、天空を連想させる青い瞳。見る者全てを虜にする整った顔立ち。

 見た瞬間に分かる。シュルト殿下だ。


 彼はこちらに気づいていない。棚の上の方に夢中になっている。

 何をしているのかと眺めていると、彼はどうやら高い位置にある本を取ろうと自棄になっているようだ。

 勿論足元には脚立があるが、彼の身長はまだ成人男性のそれより低く、届いていない。そもそもこの図書館の本棚は成人男性が脚立に乗ってようやく届くかどうか、そんな位置にある本が多すぎる。欠陥ではないのか。


 そう一瞬思ったが、ふと魔法の存在を思い出した。

 背中の帯に差している杖を取り出し、しっかりと両手で構える。

 魔術師において杖は命と同等らしいので、いつでも携帯するように言われている。騎士が帯剣するようなものだ。正直大きくて邪魔に思うことが殆どで、役に立つことなんて学校内ではほとんどないが。

 それがようやく今役に立ちそうだ。


 私はシュルト殿下にこっそり近づくと、『浮遊』で彼の取りたがっていた本をふわふわ浮かせ、彼の方へと降下させた。

 彼は驚き本を手に掴むと、私の方を勢いよく振り向いた。そして私の存在に気が付くと、ふわりと柔らかい笑みを浮かべた。


「ありがとう、君が本を取ってくれたんだね。」

 その笑顔は一体何人の乙女の心を奪ってきたのだろうか。普通の女性ならば一瞬にして見惚れてしまうであろう、そんな罪深い笑顔だった。

 しかし生憎私はなので、『良い印象』以上の感想を抱くことはない。一目惚れするような性質タチでなくてよかった。

「助かったよ、僕の魔法じゃこの本だけうまく浮かせられなかっただろうから。」

「いえ、シュルト殿下のお役に立てて光栄です。」


 ちらりと彼の手元にある本を見ると、『魔道具と農業』と書かれている。

 シュルト殿下は私の視線に気づき、ああ、とこちらに本を見せてきた。

「これね、僕は魔道具を農業に活かしたいと思ったんだ。昔各地へ視察をしに行った時、農民が毎日重そうな桑を持って畑を耕しているのを見てね。もし、魔道具を使って作業を効率化出来たら、農民の生活もよくなるし穀物の生産量も上がるかなって。」

 浮いを孕んだ表情1つで絵になりそうなほど美しい。本当に国民の生活を心配しているのだろう。

「殿下は国民の事をよくお考えなのですね。」

「うん、国王陛下にそう言われて育ったからね。」


 昔、近所に住んでいたバーディスが言っていたことを思い出す。現国王は国民の事をよく考えて動く王だと。

 シュルト殿下もそれを受け継いできたのだろう。

「農業に興味がおありなのですね。魔道具を使って効率化と言うのは、既に試みがあるのでしょうか。」

「僕の知っている限りだと、少しだけね。この本にもある通り、実験段階にはあったようだけど予算の問題で実際に導入するには至らなかったとか。それに、勿論農業も大切だと思うけれど、それ以上に魔道具に興味があるんだ。ほら、例えば君のその杖。凄くいい杖だね。魔術師の杖はアクセサリーとしての側面も高いから細やかな装飾が入ってることが多いけれど、君のはそうじゃない。どこで買ったの?」


 手に持っていた杖は、父のくれた大切な宝物だ。

 そんな私の杖を、シュルト殿下は相当気に入ったらしい。なんだか少し目がきらきらしている気がする。

 王子様と言う位だから勝手に少しとっつきにくい人を想像していたが、思ったよりも朗らかで人懐っこい性格なのかもしれない。それか、王子としてそういう性格を演じているのだろうか。


「この杖は父と父の知り合いが作ってくれました。地元で素材から掘り出して、魔石への刻印も魔彫師である父が彫ってくれました。」

「君の父上は魔彫師なんだね。いい父上をお持ちだ。この杖は、装飾品というよりも道具であることの重きを置いているね。僕は魔道具に目が無いんだ。王子じゃなかったら君の父上に弟子入りでもしてたかもね。」

 にやっとウインクをするシュルト殿下に思わずたじろぐ。

 それ、王子の発言としてどうなんだ。どうやら彼は思ったよりもお茶目な性格をしているらしい。


「御冗談を。」

「そうだ、まあ冗談だ。実際僕は王族だからそんなことはできない。それでも、魔道具に対する思いは本気だ。......じゃあな、そろそろ僕は行く。ありがとうね、本を取ってくれて。」

 シュルト殿下は手を振ると、颯爽と本棚の影へと消えていった。

 何だかよく分からない人だった。外見は完璧な美少年であったが、中身は好奇心旺盛な普通の男の子という印象だ。あの冗談もこういう性格を演じて言ったのだとは思えない。


 まあ、王子様のことなど私にとっては関係ない事だ。

 私もとっとと目的の本を見つけ、元居た場所に戻ろうとかび臭い本棚のジャングルから抜け出した。少し広めの開けた場所は勉強スペースとなっており、疎らに人が静かに勉強をしている。さっきまでメグといた場所だ。

 元居た場所から動いていないメグを発見し、軽く声を掛けて私も隣に座ろうとした。


 すると、何だか視線を感じる。それも一人ではなく、何人かが私を見ている。本を取りに行く前は感じなかった視線だ。

 何だ何だと見つめ返してやると皆一度は目線を逸らすが、私がそっぽを向くと再びこちらを見てくる。

 しかも何だか視線が少し痛い気がする。少しうるさくし過ぎたか?


「あんた、また何かやったの?」

 メグもそれに気が付いたのか、こちらを見てくる。

「何もやってないよ。さっき本を取りに行った時、シュルト殿下と会ってちょっと話して......」

「シュルト殿下と話したの!?じゃあそれが原因じゃない。」

 声が若干上ずり、慌てて口を自分の手で塞いでいる。


 意味が分からないという顔をする私に、メグは面倒くさそうに説明してくれた。

「見ればわかるでしょ、あの顔と地位。全女子生徒の憧れの的よ。そんな人と話したら一体何を話していたのかと噂されるに決まってるじゃない。」

 成程、確かに言われてみればこちらを見てくるのは皆女子生徒だ。人が近くにいることは魔力探知で知っていたが、殿下と話すこと自体がそこまで重い行動だとは思っていなかった。


「別に悪いことは何もしていないんでしょうけれど、女の嫉妬は怖いわよ。殿下とあまり仲良くし過ぎると後で何を言われるか分からないわ。」

「忠告ありがとう、今度からは気を付けるよ。」

「そうして頂戴ね。」

 隣の机に腰かけると、ノートの隣に探してきた本を並べて開いた。

 分厚い本だ、本の虫としては読みごたえがあって嬉しい限り。


 どうせこの本を読み終える頃には周囲の人間もどこかへ行って、私と殿下が話していたことなんて忘れてしまうだろう。

 そう思い、私は課題に集中して取り組み始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る