天啓と戒め

究極に透き通った空間とは、遠目には何色に見えるのだろうか。多分青だな。だって澄んだ空は青いし。

無限に広がる青空に、私は簡素な結論を下した。ここは現実じゃない。そんなのはもう見ればわかる。

現実でないものに物理法則を当て嵌めたって仕方のないことだ。妄想している方が余程マシ。


「ようやく、天啓が下るのね。」

ここはあの世だ。間違いなく。だって、あまりに神々しいもの。こんなに荘厳な空があるのは天使のいる世界だけに違いない。もし現実にこんなものがあったら、皆この尊さで死んでしまうだろうから。

空以外は何があるかって?そんなものはない。ここにはただ、青い空があるだけだ。地面も建造物も何もない。

それでは、私は浮いているのか?いや、存在していることすら危うい。


「ミナ様、お待たせしました。神より天啓です。」

いつの間にかあの時の天使が目の前にいる。青い背景が、白い本体の輪郭を際立てている。あの時から何も変化はない、不変の存在が羽ばたいている。

ようやく天啓か、最初の天啓まで長かった。私が一人で動けるまで成長するのを待っていたのだろう。それ位の配慮は持ち合わせているようで助かった。


「お伝えしますね、『学園に入学し、そこに潜む問題を解決せよ。』以上、これが天啓になります。」

あまりに簡素な内容に思わず拍子抜けしてしまう。神は文学的な表現よりも簡素で直接的な表現を好むようだ。分かりやすくてありがたい。


「貴方の人生において、神の天啓は絶対です。決して背くことがないように、お願いします。」

私の人生は神の仰せのままに。隙に生きることは許されないらしい。


なんだかちょっと嫌だなあ、ともやもやする気持ちとは反対に、空はどこまでも澄み切っていた。


---


気が付いたら、元居た寝室の天井を眺めていた。いつの間にか白昼夢から覚めたような、そもそもどこまでが夢でどこまでが現実だったのか、境目がわからない。どちらにせよ、あれは無視できる夢ではない。私にとっては、現実よりも重要な世界だ。


「国立魔科学園、だっけ。」

魔法と科学の研究機関から派生した学園。

本来魔法と科学は分離した概念ではあるが、これらを組み合わせることでできるメリットもある。魔道具がその筆頭だ。

最も、学者を目指す人はそれほど多くなく、毎年数人程度らしい。大半にとっては、国の支配者層として力をつける準備段階でしかない。


そんな学校に入学し、そこに潜む問題を解決せよ、か。そんな簡単なものではない。入学自体簡単ではないし、そこに潜む問題なんて微塵も分からない。

しかし、言われたからにはやり切らねばならない。全ては愛する我が子に会うためだ。



「パパ、私学校を受けるよ。」

母の作った野菜スープを飲んでいた父は、目を丸くし、そして細めた。

「そうか、ついに決めたのか。」

「何々?ああ、メティちゃんが学校に入るってお話?」

キッチンで洗い物をしていた母が、わたわたとこちらにやってくる。

「そうだ、前話しただろう?うちのメティは賢いから、学校に行かせるべきだって。」

「そうね!それでメティちゃん、学校に行きたくなったの?無理しなくていいのよ?」

母は私が旅に行きたいということを知らないのだろうか。それほど学校に行かせたいという思いはないようだ。


「ううん、やっぱり決めたの。私、学校で魔法を勉強したい。魔法を勉強して、魔術師になりたいの。」

「魔術師!?魔法の才能があるってずっとパパは言ってたけど、私にはよくわからないわ。でも、きっとメティは凄い魔術師になるでしょうね。」

「まだ学校にも入れてないのに、気が早いよママ。」

朝ごはんのスープがコトリと目の前に置かれた。母は楽観的で夢見がちなところがある。そこに元気づけられる時もあるが。


「それじゃあ、後で知り合いに本を貰ってくるよ。協力できることがあれば何でも言ってな。まあ、パパは魔道具の事しか知らないし、ママも踊りと歌しか教えられないけれど...」


「踊りと歌?どうして?ママは踊れるの?」

「あら、知らなかった?ママは昔、踊り子だったのよ。」

目をまん丸にして驚く私を見て、母はおかしそうに笑った。母はずっと家にいたから、私が生まれる前のことは知らなかった。

「昔はお金を稼ぐために、町の酒場で踊ったり歌を歌っていたのよ。そしたらね、パパが......」

ごほん、と父が咳払いをして話を遮る。恥ずかしいのだろう、耳が熟した桃のように紅潮している。思わず母と顔を見合わせて笑った。


「ともかく、ママとパパはお前の味方だ。必要なものがあったらいうんだぞ。」

「はい、ありがとう、パパ!ママ!」

にこっと笑い、覚める前に温かいスープを口にした。


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それから毎日が少し忙しくなった。

父が持ってきてくれた本を読み、ひたすら覚える作業を朝から晩まで行い、それでいて魔法の鍛錬も欠かせない。


勉強は苦手ではない。私だって高校受験、大学受験を経てきた経験がある。それなりに良い成績だって収めてきた。

1つ前世と異なるのは、紙類がそれなりに高価であることだ。日本で勉強をしていた時は紙やペンなんて安価でいくらでも使用できたが、この世界ではそうもいかない。大量生産・大量販売は技術と資本主義があって初めて成り立つのだ。

仕方がないので、家の周囲の土に枝で書いて代用している。書き記したものを残せないのは痛手だが、書いて覚えることが大事だから仕方ない。やらないよりマシだ。


入学試験には学科試験の他にも魔法もしくは武道の実技が求められる、文武両道を求める校風だ。

私は武道はいずれもやったことがないので、順当に考えるなら魔法の試験を受けるだろう。しかし、知り合いの息子は武道で試験を受けたらしく、魔法実技でどのような内容が出るかは分からない。

「武道では剣術を披露したが、他の子はレベルが違った。幼い頃から王宮直属の騎士を呼んで練習していたらしい。」と言っていた位だから、要求される魔法のレベルも相当高いに違いない。


現在私は魔力探知も完璧にこなせるまでに成長している。勉強しながら自己強化・魔力探知を同時に行うことだって容易だ。変換効率が上がったのは勿論だが、脳の使い方が変わったという方が正しいだろう。複数のことを同時並行して思考する練習をし続けた成果が出たようだ。

最近は庭で母親の監視の元、炎や風といったエネルギーを発生させる魔法を練習している。なんせ自己強化や魔力探知とは違い、派手で実感が得られるからやりがいがある。ついでに母も私が何かを出す度にオーバーな程に褒めてくれる。


母は酒場で接客もやっていたのだろうか、人を褒めるのが上手い。私もそれに乗せられてすっかり楽しくなってしまう。

調子に乗って少し大きめの炎を出そうと魔力を多めに放出すると、少し眩暈がして一瞬目を瞑ってしまった。


その瞬間ゴウッと音を立てた火柱が眼前に壁となって表れた。実際は顔に近い位置に私の体と同じ程度の炎が出た程度だが、初めて出す巨大な実体を持つ魔法に驚き、思考を止めてしまった。

思考を止めれば当然魔法は維持できなくなる。幸い燃えるものが近くになかった為、私の前髪だけをチリチリ焼いて消えて行った。


「メティ!」

母は急いで私の元へ駆け寄り、火傷をしていないか確認すると、ぎゅっと抱き締めた。

「無事でよかったわ、痛いところはない?熱いところはない?」

「うん、大丈夫。心配させてごめんね。」

私の謝罪に母は半泣きで首をぶんぶん振り、再び強く抱きしめた。


今回は小さいボヤにすらならなかった。環境が良かったし、魔法自体もしょぼいものだからだ。

例え私が燃えたとしても、自己強化が入っていたので、怪我は大したことなかっただろう。しかし、もし驚いた拍子に自己強化まで切れていたら?コントロールの切れた炎が風で母の方へ飛んで行ったら?最悪命に関わる。


魔法を使用する時はいかなる場合でも冷静を保ち、常に思考し続けること。それは魔術師として生きていく上で何よりも重要なことだと、私は心に刻みこんだ。



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「はい、1、2、3。いいわね、あなたはリズム取るの上手ね!」

母の柔らかい手拍子に合わせて体を動かす。片足でバランスを取った後はぴょんと跳ねる。着地で足を挫かない様につま先から足全体へ衝撃を逃がし、音を立てずにくるりと回る。


受験勉強をするうち、私は運動不足に悩まされるようになった。当然だ。近所の子供達は皆で追いかけっこしている間、私は一人で本と格闘しているのだから。


実に良くない。なぜなら、健全な精神は健康な肉体に宿ると聞いたから。


何も筋肉ムキムキになる必要はない。ただ、適度に体力は付けておかねば精神的な体力だってつかない。それは妊婦時代によくわかった。


「ねえママ、私にダンスを教えて?お歌も出来れば歌いたいなあ。」

だから、家事の隙をついて母にお願いしてみた。母は元踊り子らしいから、きっとその道には詳しいはず。他に人も物も必要としないから、私のペースに合わせて自由に運動できる。歌だっていい練習になる。

「あらメティ、ダンスに興味があるの?いいわよ、まずは基礎トレーニングから始めましょうね。」


私はどうやら踊りというものを舐めていたらしい。

考えてみれば当然だ。踊りは全身運動であり、身体中の筋肉を余すことなく使うスポーツだ。ついでに柔軟さまで求められる。

母は良い母ではあるが、教師としてはそれなりのスパルタだった。


「メティ、腕が下がってるわ。もっと上げてアピールよ!」

「そこ足が曲がってるわね。真っ直ぐ伸ばしなさい!」

「ちょと動きが遅いわね、シュシュっと動いた方がかっこいいわ!」

5秒に1回指摘が飛んでくる。最初は指摘され次第直していたが、次第に体力が削られて、指示通りに体が動かなくなる。限界まで踊り続けた時は、指示を理解することすら困難になったほどだ。


私は理解した。確かに、健全な精神は健康な肉体に宿る。

それはなぜか?肉体を鍛える時には精神も鍛えられるからだ。


疲弊すると体が言う事をきかなくなる。魔法を使っているときと一緒だ。何をするにも持続力というのは大事だ。そしてそれは、日々鍛え続けなければ身につかない。

踊りでここまで息切れするようでは、歌だって苦労するのが目に見えている。

これからは日課に運動も加えよう。


「メティ、疲れちゃった?それじゃあ今日はここまでにしましょうね。頑張ったご褒美に、今日のおやつはイチゴを食べましょうね。」

母はどこまでも優しい。明らかに私がダメダメでも強い言い方はせず、私のモチベーションを上げるような言動をする。これがコミュニケーション能力というものだろう。


「うん、食べる。」

「うふふ、美味しいものね!さあ部屋へ入りなさい。」


私がふらふらしながら家に入り、待っていると大きなイチゴが目の前に差し出された。あーんと促されるまま口いっぱいに丸ごと頬張ったせいか、咀嚼しにくい。必死に汁をこぼすまいと手で口を覆って端から噛んでいく。

母は微笑ましそうにハンカチを口に当ててくれた。


「このイチゴね、ベディちゃんところのお家から貰ったのよ。あそこのパパの実家がイチゴ農家らしいの。ベディちゃん、最近貴方と遊べなくて寂しがっていたわ。......でも、応援してくれるみたいよ、受験。」

げほっと咽てしまった。幸い口の中のイチゴはもう半分以上飲み込んでいたから、被害はない。


「ベディ、受験すること知ってるの!?」

「そりゃあパパの知り合いから教材借りたじゃない、貴方が国立魔科学園を受けるって噂で持ちきりよ!お友達皆応援してたわ、だから最近は貴方を遊びに誘うのを控えてるらしいし。」

どこの世界でも、近所の噂話とは恐ろしいものだ。

「メティが受験するって聞いてから、この街の子供達皆魔科学園に興味津々で、他の子のママからも良く聞かれるのよ。試しにうちの子も勉強させてみたけど全然ダメ。メティちゃんはどうしてそんなにお勉強できるのかしらって。」

クスクスと笑う母になんと返していいか分からない私。自分が知らない間にそんなに噂が広まっていたとは、何というか恥ずかしい。


「えっと、私頑張るね。」

「別に負担に思う必要はないわ、貴方の好きなようにすればいい。貴方の人生だもの。」

ちょっと遊びすぎちゃったとばかりに私の髪をするする撫でた。母は私に甘い。母は私が世界に旅に出ると行っても父のように止めなさそうだ。


「ううん、私が頑張りたいから頑張るの。ママ、また明日踊り教えてね。」

「もちろんよ、お歌も頑張りましょうね!」

えいえいおーと天井に2つのこぶしが上がった。

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