夢と現実

「私は将来、世界中を旅して回りたい。」

父の問いに、私はほぼ反射的に、しかしはっきりと答えた。

世界中を旅して回る。それが私の今世の目標を達成するために必要なこと。


父は少し、複雑そうな顔をする。

「世界中を旅したいんだね、どうして?ずっと家にいるのはいやだ?」

「別に嫌なわけじゃないよ、ママもパパも優しくて大好き。できることならずっと一緒にいたいよ。でも、やりたいことがあるんだ。」

「やりたいこと?家じゃできない事かい?」

「うん、世界に出て、色々なことを知りたいの。本で読んだり、人伝に聞くだけじゃなくて、私の目で世界を見たいの。」

ぶっちゃけ半分嘘だ。これが何の目的もない普通の人生であったなら、私は浮浪よりも安定を選ぶだろう。世界の情景に興味はあれど、そこまでアクティブな性格ではない。

私が旅をしたい理由はただ一つ、愛する子供の為だ。


一方で、どうせ転生してもう一度人生をやり直すなら、色々見て回りたい。我が子がどんな世界で生きているのか知っておくことはきっと無駄ではないだろう。

特にこんなファンタジスティックな世界で生きていくのは、生前のような世界とは違った難しさがあるに違いない。


「そうか、旅をして回りたいのか...いや、反対したいわけじゃない。きっと楽しいだろうな。ただ、パパは少し心配なだけだ。」

そりゃそうだろう。幼い一人娘が世界中旅したいと言ったら、親なら誰だって心配になる。

まだ幼い子の戯言と言って流してもいいはずだが、父は大分真面目に受け取ったらしい。まだ足元が覚束ないうちから魔法の本を読んで理解し、勝手に練習し始める程に早熟な子だから、きっとやりかねないと思ったに違いない。

また、この世界は元の世界より危険なことが多く、女性の一人旅は一般的でないのだろうか。魔獣なんて概念が飛び出してくるくらいだもの。


「パパは私が旅に出るの嫌?危ないの?」

「そうだなあ、危ないこともいっぱいあるだろう。女の子だしなあ...それに、お前が居なくなったら俺は寂しいよ。」

子ども特有の柔らかい髪を、ごわごわした手が梳くように撫でる。よく見ると傷や火傷の跡が無数にできている。古いものもあれば、最近できたであろう跡も。

優しい父の気持ちは尊重してあげたい。無用な心配をかけたくない。でも、諦めるわけにはいかない。


「それでも旅したいの。魔術師って強いんでしょ。魔術師になれば、危ないことも減るかもしれない。そのために、今からいっぱい練習しているの。」

父は更に難しそうな顔をして黙り込んでしまった。元々無口な人だが、ここまで眉間にしわが寄っている所は中々見ない。


「そうか、そこまでして旅がしたいんだな。勿論、気が変わったりすることもあるだろうけれど、パパはお前が本当に旅に行ってしまいそうな気がしてたまらない。...魔術師になりたいって言ったね。あれも本当かい?」

「本当よ。魔法を使えれば、できないことも少なくなるでしょう?」


「そうだな、魔法を使えるようになった方がいい。そのためには教育を受ける必要がある。ママもパパも正しい魔法の使い方を知らないからね。それに、ただ魔法を使うだけじゃなくて、旅先で生きていくための知識だって必要だ。...ママもパパも考えたんだ。メティ、お前は凄く賢い子だ。だから、このまま家で育てるよりも、きちんとした学校に通わせるべきじゃないかって。」


そんなことを話していたのか。確かに学校に行くことは大切だ。

この世界は余り学校に行くことが一般的でないようだ。農家の子は農家に、職人の子は職人に、商人の子は商人に、そうして両親から職業が受け継がれるため、学校と言うものを必要としない。


しかし、学校そのものは少ないながらに存在する。

何のためか?生まれた家の職業を継げない人の為、そしてより高度な教育を必要とする職業のためである。

前者は簡単だ。職業訓練校のようなもので、例えば商家に生まれなかった子がどうしても商人になりたい場合、商業校で算術や地理を学ぶことができるし、同様に工業校では製造を学ぶことができる。こういった学校は各地でぽつぽつと存在し、入ること自体は容易い。


一方で、後者が指す学校はこの国に一校しかない。正式名称は国立魔科学園。

その学校では、教育機関は研究機関を兼ねており、魔法や科学を研究する人たちが教鞭をとっている。

専門的な知識を持つ教師達の元で高度な技術を学び、今後に役立てる。

...それが表向きの目的である。


実際は貴族や裕福な家庭の子女が白を付ける為の施設という側面も仰せ持っている。

この国全体に関する知識を得ながら、学校で将来国を背負う者たち同士でコネを作るという目的も存在し、寧ろ生徒の絶対数で言えばこちらの目的で入ってくる生徒の方が多いという。


本来この学校は貴族や神官の子のみが入ることを許された学校であったが、10年ほど前に現王が平民にも門戸を開いたらしい。

それ故か、貴族や神官の子らはほぼ面接のみで入れるほど緩い一方で、平民に課された入学試験は苛烈を極め、余ほど優秀でないと入学が許されない。

入学者数が決まっておらず、合格点に達していない者は全て不合格とされるため、平民が受験可能になった最初の数年は殆ど合格者が居なかったともいう。

最近では入試問題の傾向が分かり、裕福な平民は幼い頃から教育に力を入れているようだ。


父は、明らかに後者の学校への入学を進めている。

私がそんな学校に合格すると思っているのだろうか。入試問題を手に入れるにも高いお金が必要だ。うちはお金に困っていないとはいえ、そこまで裕福なわけではないだろうに。

「パパ、私その学校しってるよ。入るのが難しいんでしょ?私、大丈夫かな。」

「さあ、どうだろうね。でも、メティなら行ける気がするんだ。入る為には試験が必要だけど、今から勉強を始めれば十分間に合う。特に、メティはあんな難しい本を理解して魔法を使っているじゃないか。他の子たちは今から文字を学ぶくらいだ、不安になる必要はないよ。」

「そんなものなの?どんな問題が出るとかわかんないよ。」

「それは何とかなる。職人仲間の息子が受験したことがあるらしい。職人になりたくないとヒステリーを起こした息子に『合格したら喜んで別の道を応援してやろう』って言ってな。息子は喜んで勉強し挑戦したが、惨敗したらしい。甘く見るなよってことでそいつはしぶしぶ職人の道を選んだそうだが。その時の出た問題について話をきいたから、ちょっとは参考になるだろう。」

記念受験だな、と笑う父にぽかんと口を開けてしまう。

そんな都合のいいことがあるのか、確かに平民でも貴族と机を並べて学校に通えると聞いたら、取り敢えずで受験する人は多そうだ。

そういう人を省くための試験であるのかもしれない。


「勉強する教材はあるの?パパの部屋には魔法と魔道具の専門書はあったけど、他の本は無かったよ。」

「それも何とかしよう。その職人仲間も何冊か教材は残してあるらしいから、借りてこれる。残りは別の職人仲間や知り合いの商人に聞いてみて、どうしてもなければ問題集を買ってやろう。少し高いけど、メティのためなら問題ないさ。」

なるほど、この職人、特に魔彫師という仕事は横のつながりが強いらしい。仕事が関係ない場面でも、困った時はお互い様で助け合う関係、とてもありがたい。

教材の確保も問題ない、ならば普通に考えて受けるだけ得だ。

私は職人の娘であるが、学校に入学できれば魔法を活かした職業に就けるだろう。研究者、官僚、軍人、優秀であれば何にだってなれる。

極端な話、学校に影響され好奇心を世界ではなく魔法に向けるようになれば、旅なんて危険なことは考えず、魔法の研究機関に就職して安定した人生を送るかもしれない。案外父はそう願っているのだろう。


だが、私にとってこの学校の話はあまり魅力的ではない。

仮に今から勉強して合格したとして、通い始めてから卒業までの期間は中等部と高等部合わせて6年。

実に6年の期間をその学校だけに費やすこととなる。さらに言えば、入学可能年齢は12歳から。つまり、どう頑張っても10年以上拘束時間が発生する。

10年あれば、別の方法を使ってより早く旅に出ることも可能になってくる。例えば、魔法を独自で習得しつつ修学期間が3年の商業校に通って商人になれば、キャラバンにでも拾ってもらって世界中を旅する事だってできる。

私の第一目標は子の捜索であって、魔法の探求ではない。魔法は好きで極めたいとも思うが、目標を前にすれば子を探すための道具に過ぎない。


「うーん、でも学校に行ったらずっと学校に行かなきゃいけないでしょ?学校以外にも旅に出る為に力をつけることはできそうだけど。」

「そうだね、でもパパは学校に行って、もっとこの世界について知識をつけて欲しいんだ。知識を付けた上で行きたいというなら止めないよ。でも、あまり早まってほしくないんだ。」

どこまでも優しい言い方で、しかし大の男には似合わぬか細い声だ。

余り父を虐めたくはない。だが、私が"普通の子"でない以上譲れないものもある。

父を時間をかけて説得するか?それとも、時間をかけてでも確実に旅に出る為に、国立校を受験するか?


「うーん、すぐにはわかんないよ。パパ、返事はまた今度でもいい?」

「いいさ、何も問題はないよ。何なら何か月後、1年後だっていい。自分の人生だから、じっくり考えておいで。」

ひたすら考え込みながら父の作業場を後にし、家に帰る。こうやって考え込みながらでも自己強化魔法は頭の片隅で維持できているのだから、成長と慣れは恐ろしい。


帰ってからは、いつも通り鍛錬を行う。が、如何せん雑念が多過ぎて上手く集中できない。

いつもなら問題なく行えている魔力探知が途中でブツブツ途切れて使い物にならない。ダメだ、気持ちをきちんと切り替えないと。

もう一度深呼吸をし、魔力探知の範囲をぐっと上げる。目も開いたままだが問題なく使用できる。このまま範囲を広げて、できれば長時間維持し続けられるようになりたい。


が、今の自分ではまだ魔力の変換効率が悪いのか、急に気が遠くなって切れてしまった。考え事があるだけでここまでパフォーマンスが落ちるとは、魔法使いは夢のまた夢だろう。

落胆と不安が押し寄せる中頑張っても仕方ない。一旦休もう。将来のことはまた明日考えよう。

ベッドに横になり、ふーっと息を深く吐くと、そのまま意識が遠のいていく。精神的にも肉体的にも疲れていたのだろう。

そのまま眠気に身を任せ、ゆっくりと休むことにした。

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