誕生

誕生直後は正直記憶がない。

苦しいのに体が動かなくて、どうしようもなくて、ひたすら耐えていた。

出産時、母と子の双方を経験できるだなんて、広い世界でも私くらいのものではないか?


世界に誕生した時は、まだ感覚が一切機能せず何も分からなかった。

ただ歴然とした「不快」と「快」があり、ほとんどの時間が不快であったことだけだ。

不快な時は涙が勝手に溢れ出て、声を上げて泣いた。私自身が意図しようがそうでなかろうが、泣くことは止められなかったし、泣けば不快が解決することもあった。

そういえば、天使がこの体の持ち主は命を落としつつあったと言っていたことを思い出す。

その通り、この時死産しかけていたことを後の「母」から聞くこととなる。


暫くすれば、不快に思うことが減り、コントロール不能な程の大泣きが減った。

赤子として生まれて、暫くは何もすることがない。

そりゃそうだ、赤子のうちからやることなんて、どの世界においても無いだろう。

耳も目も利かなければ、手足を動かすことも出来ない。

ただ暇に耐えるしかない。



やがて目が開き、視界が開けて分かったことがいくつもある。

まず最初に目に入ったのは、私に乳をやる女性。ここで私の最大の懸念が解決される。

よかった、人間だ。異種族もいると言われていたから、人間離れした種族に生まれたらどうしようと思っていた。


順当に予測すれば、この女性は母だろう。美しい白金の髪に翡翠の瞳をしており、顔立ちも整っている。この人が母ならば、この体もきっと美人に育つに違いない。

彼女は母親らしく私の世話をよくする。私が寝ていない時間の大半は彼女が隣におり、私に良く話しかけている。


そして、もう一人男性が私のことをよく見に来る。これは恐らく父親だろう。薄い茶色の髪に隠れた薄い紫の瞳が私を見る度に若干細められる。

いつも真顔で愛想のない男だが、それでも愛情をもって接しているのだろう。ごわごわした手つきの割に、撫でる動作はとても優しいのだ。


彼ら、改め私の両親は良く私の前で会話をする。

この世界の言語は私にはまだ理解できない。当然だ、外国語のようなものだ。

故に彼らが話す言葉は大半がよく分からないが、その中でも1つの言葉をよく私に話す。


メ―ティア。


それはきっと、私の名前だ。


---


ゆっくりと流れる日々、私はそれをただ無為に過ごしたわけではない。

勿論普通の赤子は何もせず過ごすのだろう。それが本来の姿であり、この上なく正しい。


しかし、私は違う。

私の目的は、我が子を探すことだ。

その為にはきっと世界中探し回らなけばならないだろう。いつまでも同じ場所にとどまるわけにはいかない。

天使の言う「天啓」もまだわからないし。


よって、私は少しでも時間を無駄にできないのだ。


まずは簡単なところから始めよう。言語習得だ。

言語が無ければ人とコミュニケーションを取ることも、本を読んで情報収集もできやしない。

この世界全体において、この母が話す言語がどれほど使えるか分からないが、それでも第一言語として覚えておくに越したことは無い。そして、母国語の理解度というのは、今後生きていく上での思考力に直結するといっても過言ではない。私の場合、母国語と言えるかは分からないが。


両親が話す内容をひたすらに聞き、状況と照らし合わせる。

私にミルクを与える前に話す言葉、寝かせる時に言う言葉、彼ら同士で話す際繰り返される言葉。

内容は予測できる。私だって母になる覚悟はしてきた。


簡単な単語を覚え、意味を予測して語彙を付けることは言語学習の第一段階。本来ならばここで自分もその単語を使用し、より単語の理解を深めるべきだが...生憎話せる口がない。

せめて喃語を発せられるようになるまで待とう。


次は文法の習得に移ろう。

文法と言うのは、ざっくりいえばどんな単語どんな順番で来るかだ。

異世界とてそんな狂ったような文法は存在し得ないだろう。人間にとって使いやすい形に帰結するはずだ。


今まで覚えた語彙がどの順番で使用されるかしっかり聞き取ろう。

特に私に話しかけているときはチャンスだ。簡単な表現しか使われない。


ところで、赤子の脳というのはとんでもない。

大人になってからの脳の働きとはまるで違う。何かを覚えることに特化しており、一度聞いた言葉を忘れない。世の子供達が親の言葉から言語を学べるわけだ。

耳だってそうだ。日本語しか話さない人は日本語に存在しない音を聞き取りにくいと言われている。それはどの言語を母国語とする人も同様で、語学を学ぶ人間にとって大きな壁となる。

それが、あまり感じられない。私自身は日本語話者であるはずなのに、日本語にないような音もしっかりと聞こえる。

私の記憶にある言語とは混濁せずに、この赤子の体は初めての言語を目一杯習得しようと励んでいる。やはり赤子と言うのは健気で尊い生き物だ。


---

「あう」

「メ―ティア、どうしたの?お腹すいた?」

感嘆の声を上げれば、母は優しくこちらに話しかける。

お腹は空いていない。ただ、少し感動しただけ。


青い空から降り注がれるまばゆい光。

その光に照らされるのは石やレンガ造りの建造物。

見慣れない形の街灯、少し凹凸のある石畳、家のそばに添えられた見たことのない葉をつけた植物。

初めて見る世界がこんなにも美しいとは思わなかった。

天使はファンタジーの世界と言っていたな、あれはこの上なく正しい表現なのだろう。まさにファンタジーの王道設定と同じ、近代ヨーロッパの街並みとそっくりだ。

建物の構造までよく似ている。この世界の気候や地質がヨーロッパに近いのだろうか?


私が住んでいる地域はそれなりに人も多く、今歩いている市場通りにも活気のある露店がいくつもある。

売り手と買い手の声が交差し、市場全体が騒めきで溢れかえっている。生前も商店街に買い物をしに行くことはあったが、街並みと合わせるとまた違った魅力がある。

私を連れて買い物をしにきたのだろう、しっかり抱きかかえながら人混みを歩いて回る。


道行く人々の風貌は実に様々だ。

普通の服装に籠だけを持つ人、なぜか巨大な剣を持っている人、兵士の恰好で見回りをする人、長いローブに身を包む人。

髪の色も金銀茶黒にあわせ、青や緑といった前世ではあり得ない色をしている人もいる。あれは地毛なのか?きっとファンタジーだから地毛なのだろう。


母はゆっくりと歩き、近くにある露店の品々を眺めていく。

八百屋に肉屋、魚屋に、小物売りまで。店員と思わしき人が次々に母に声をかけていく。

恐らく品物を勧めているのだろうか、笑顔で自慢の品々を披露する。それに母は笑いながら応対し、たまにいくつか買っていく。

通りを抜け切る頃には、籠が食べ物でいっぱいになっていた。

はしゃぎきって疲れた私に母は、

「帰ろうね。」

と微笑んで道を切り返した。


私の家は、住宅街に並ぶ同じ形をした家の中の1つといったところだろう。

特別に大きいわけでもないが、小さいわけでもない。少なくとも貧乏ではないことが察せられる。


家具だってそうだ。こじんまりとした家だが、部屋の隅に知らない花が生けてあったり、小さい絵が飾ってあったり、毛の短い絨毯が敷いてあったり。

小物で飾る余裕がある程度には裕福だ。それは、将来世界を旅して回りたい私にとって良いことだ。


「寒い?今あったかくするからね。」

私は目を見開いた。そう、私は最近あるものに釘づけだ。

この世界のもの全てが今のところ魅力的ではあるが、その中でもこの「道具たち」は格別だ。


母は私を暖炉の近くへ連れて行き、暖炉へ指をすっと軽く振った。

その瞬間、暖炉からボウッと音が鳴り、同時に炎が湧き出た。


この暖炉は度々使っているが、着火剤を入れている所を見たことがない。

そもそも暖炉は指を軽く振っただけでこんなに勢いよく火は付かないものだ。私の常識で考えるなら。

それに暖炉だけではない。家中の道具に度々原理が不明な道具が多く存在する。キッチンのコンロも家の照明も、母が指を振るだけで起動する。

原理が考えられないのなら、それはきっと私の知らない原理が存在するのだ。


恐らく、「魔法」ではないだろうか。


この家の中にはおよそ電化製品のようなものが見当たらない。コンセントもないし、ケーブルも無い。赤子の私がケガしないように隠しているのかもと考えたが、それにしたって不自然なほどだ。

そんなものが存在しない程高度な技術を持っているのかとも考えたが、それにしては暖炉なんて少々原始的な温め方であるし、街並みや建物の作りと合わせてもアンバランスだ。

天使が言っていたじゃないか。この世界には魔法が存在すると。この道具たちはその魔法の一部ではないだろうか。


具体的にはどんなものか分からない。皆が使えるのか?それとも一部の人だけに限られているのか?

魔法を使用するにあたって必要なものは?手間がかかるのか?

私がある程度成長して何かを学べるようになったら、まずは魔法から学ぼうと誓った。


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