神様の言う通り

「こんにちは、お名前は...ミナ様、でしたっけ?」

 生臭い空間とは対照的な、機械じみた音声が聞こえた。

 一瞬優しいようで、どこまでも冷徹な感情のこもっていない声。


 あの病院の看護師でこんな声をしている人はいなかったはず。

 というか、そもそもここはどこだろうか。


 私は確か、子供を無事に出産して、それで...


「私の子は!?」

 一気に蘇る記憶と同時に、私は思わず口に出していた。

 滴り落ちる生ぬるい体液と体が避けるような痛みが蘇る。あんな大変な思いをして産んだ大事な子はどこに行った?


「落ち着いてください。あなたの子はここにはいません。そして、あなたはすでに死んでいます。」


 そんな焦る私に動じず、声は私に語り掛ける。

 ここにはいない?ではここはどこだというのだ?そもそも死んでいるなんて、死んでいるならどうして私はこうやって生きているように話せる?


 そこで私は我を取り戻し、ぐるりと周りを見渡した。

 白い空間。どこまでも続くような虚無に、光が拡散して白く見えるのだろう。

 床も白く、それでいてシミ1つない。

 体をねじって自分の姿を確認すると、死ぬ前に来ていた病院着だ。ただし、出産時に汚れた様子もなく、洗濯した後のように綺麗だ。

 体の痛みも苦しみもない。我が子以外は、全てが死ぬ前と同じ姿。


 その現実離れした様子に、逆に現実を直視できるようになった。

 ああ、私は死んでしまったのだ。


 一瞬で冷め切った情緒を確認したのか、再び声は私に語り掛けた。

「落ち着いたようですね。その通り、あなたは出産時に出血多量で死亡しました。ここはあの世...と言いたいところですが、あの世とは少し違います。少なくとも、この世ではありませんが。」


 男性とも女性ともいえないような声が頭に直接刻み込まれるようで、気がおかしくなりそうだ。

 声の主も見当たらない。不気味なことこの上ない。


「では、ここはどこだというのです?貴方は一体誰ですか?」

「そうですね、実際に見せたほうがきっと早いでしょう。」


 その瞬間、ぶわりと風が舞う。

 いや、正確には風ではない。空気の流れと言うには余りに重々しい、しかし目には見えないオーラとでもいうべきだろうか、そんなものが大きく揺らぎ、空間を歪める。ピキリ、と割れるような音が連鎖し、光が飛び込む。

 ひび割れは空間だけでなく、目の前の床まで続き、私のいた場所を残して崩れ去った。


 今まで虚無が続いていた空間に、突如それは現れた。


 山のように巨大な影が私の視界を埋め尽くす。余りの大きさに、端から端まで視認できない。

 中央部から生えた大きく真っ白な翼を何対も持ち、そのうち一対は何かを大事そうに抱き締めて、中央部を覆い隠している。それ以外の翼はゆっくりと羽ばたき、空中を漂う。

 鳥が羽ばたくよりもずっと静かでゆっくりと、そして優雅な動きだ。


 ふいに中央部の翼が微かに開き、隠していたものがちらりと見えた。

 巨大な目玉だ。それも、何十メートルもありそうな。

 ただ私を真っ直ぐと見つめる美しい目玉が、翼に守られていた。


 人の理解の範疇を超えた歪な化物のような姿をしたソレは、私が想像し得る何よりも神聖で尊い。

 これが何か?そんなものは一瞬でわかった。


 天使だ。

 紛れもなく、本物の。


「ご理解いただけたでしょうか。」

 余りの衝撃に声が出せない。声を出すことすら烏滸がましい、と言う方が正しいだろうか。

 この大いなる存在にとっては私なんて塵にすらならないというのに。



「ご心配なく、私はあなたに危害を加える気はございません。ただ、あなたにに天啓を授けに参りました。」

 天啓?私はすでに死んだ身であるにも関わらず?あの世でやるべきことがあるのだろうか。

 それともなんだ、生き返るとでも言うのか。


「はい、その通りでございます。貴方様は生き返り、即ち別世界へ転生し、そこでやっていただきたいことがあるのです。」

 心を読めるらしい。そりゃこれ程までに壮大な存在であれば、私如きの心を読むなんて簡単なことだろう。


 それはそうとして、転生とは?輪廻転生の価値観は一神教の天使とは無縁じゃないのか?

 それも別世界ときた。そこまでしてやって欲しいという事は一体何なのだろう。


「簡単なことです。貴方にはその世界でいくつもの試練を与えます。転生先の異世界はあなたが今まで生きてきた世界とはかなり異なります。魔法や異種族が存在し...そうですね、所謂ファンタジーの世界と言えばお判りでしょうか。」

 ファンタジーと言えば、生前よく夫とゲームをプレイしていたことを思い出す。剣と魔法のファンタジーは鉄板で、私もそういうゲームで遊ぶときはわくわくしたものだ。

 それでも、そういう世界に転生するとなると話は変わってくる。命の危険もある、生き延びるだけでも大変な世界ではないか。

 その中でも試練を与えられる?私はなぜそんなことをしなくてはならないのだろう。


「ご想像の通りの世界で間違いありません。試練は、神の御意思によって与えられるものです。あなた、子供を産んだ直後に亡くなりましたね?」


 頭から冷水をかけられるような感覚に襲われる。

「それが何か、関係あるのですか。」

 自分でも驚いた。先ほどまで追い詰められたネズミのように縮こまっていたのに、子供の話が出た瞬間、無意識に低い声を出していた。

 神の御意思と私の子供が関係あるって?なぜ私にそんな話題を振った?



「はい、あなたの子供は、その異世界にいるのです。」

 その瞬間、頭を揺さぶられるような衝撃を受けた。強い吐き気と頭痛が私を襲い、止まったはずの心臓がギリギリと糸で締め付けられるように痛んだ。


 どうして、私はあの子を無事に生んだはず。私は死んでしまったけれど、あの子が死ぬ理由なんてないはず。

 死ぬ直前に産声だって聞こえたじゃないか。それともその後、容態が急変したのか?


「貴方の子供は死んではいません。ただし諸事情であなたのいた世界からこの世界へと移り住んだのです。あなたの次の人生は、異世界に移り住んだ貴方の子供を探してもらうために与えられます。」


「子供を探す?異世界で?それはどうして、子供の場所を教えてくれないの?...いえ、それよりも、子供に会えるの?」

 様々な疑問がぽつぽつと湧いては消え、最後に残ったのは希望だった。


 淡い期待だった。本来ならば死んだ私には許されないことだから。

 愛してると伝えそびれた。その後悔をずっと引き摺っている。もし、可能であれば、また我が子に会いたい。

 会って、それで、愛してると伝えたい。よく生まれてきてくれたと褒めてあげたい。

 それが可能ならば...その試練を受ける価値があるかもしれない。


「子供の場所は教えられません。それを探すのも試練のうちですから。貴方には異世界で生きていくための新しい体を与えます。このままでは失われる、新しい命です。その体にあなたの魂を与えることで、その子の親は救われるでしょう。」


 失われる新しい命。軽くなった自分のお腹をさすり、胸がきゅっと締まる。

 もし我が子が生きて生まれることができなかったら。考えるだけでも呼吸が浅くなる。私がその子の代わりとなることで、その子の両親が悲しむことはなくなるだろう。

 愛する人を失う悲しみは痛い程によくわかるから。


「具体的に何をすれば良いか、そのうち分かるでしょう。天啓に従い続けて世界中を旅すれば、いつかあなたの子供にも会えるでしょう。それでは、お元気で。

 ...どうか、神の御加護があらんことを。」


 もうこれで話は済んだとばかりに天使は体を揺らめかせる。その振動が空間そのものを歪め、私の体まで到達する。視界も音も、全てが波打ち始める。


 異世界への転生が始まるのだろうか。

 正直不安でいっぱいだ。試練と言うのも具体的に何をするのか分からないし、どんな世界かもわからない。

 今まで住んでいたところとは打って変わって危険なところかもしれない。


 それでも、一途の望みにかけてみたい。

 愛する夫も失い絶望しかけていた私を救ってくれたのは、我が子だ。


 幸せに過ごしていたらそれでいい。その時は静かに去ればよい。

 もし何か辛いことがあるのなら、助けになりたい。

 だって、同じ世界に存在してくれるだけで有難い存在だから。


 そんな母の思いを伝える為なら、例えそんなもの微塵も信じていなくとも、


「神よ、私をお助けください。」


 完全に背景と私が混ざり合い、溶け合って1つになった。

 ぐちゃぐちゃで不均一だったものが、攪拌して均一になった。

 私の体は白い空間を色付け、無限遠に拡散して、再び空間は真っ白に戻った。


 私の魂はもうそこにはなく、暗い暗い闇の中へと堕ちて行った。


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