6.勇者は踊る
国境を越えると、そこは藤色の空の、晴れ渡る雪国だった。
ラッシル帝国は、烈女王エカテリンの系統を引く、大国である。雪の結晶を紋章にし、主に北に広大な領地を構えている。寒冷地主体で、領土のほとんどが非居住だ。
昔は環境から農民と労働者の男性が早死にするので、女性が強く、元々は女性にも男性と同等の継承権があり、多くの女帝を出していたが、二百年程前、王族同士の争いがあり、その結果、暫くは、男子のみの原則長子相続となる。
先代、名君と言われた皇帝エフゲンには三人の息子がいた。跡取りの長男パシキンは自分の護衛マルファを愛していたが、身分があるため、結婚は出来なかった。皇帝である父が急死して、この長男は王位につくはずだったが、三男ニコラドが反乱を起こした。長男は妊娠した恋人を助けるため、部下の老将ラセンに、妻として彼女を保護してくれと言い残し、戦って死んだ。老将は、国民に人気のある戦争の英雄だったので、三男はうかつに手出しもできず、また、反乱自体が不意打ちゆえに成功したきらいがあり、コネリングを怠っていたため、早い時期に次男アレクサンドに倒される事になった。
マルファは、老将との間に穏やかな関係を作り、宮廷を離れて、静かに暮らした。子供は男の子で、パベルと名付けられ、成長して自国の貴族と結婚したが、夫婦仲は悪かった。結婚前、恋人タチアーナ(父と同じく護衛の女性)との間に女の子が一人いたが、恋人は子供を連れて実家に戻り、子供は臣下として育てた。父親については、死亡していた親戚の男性の名を挙げていた。
それがラールである。
ラールの母は、ラールが成人する前に病死したが、娘に
「身分の高い男性の、愛の誓いは信用してはいけない。」と言い残した。
ラールの母の家は臣下の立場とはいえ、ラッシルに統一された地方の首領の家系で、統一時に準貴族になったため財産があり、父親の実家の財産と権利を放棄しても、困ることはなかった。
ラールの父の正妻は、彼よりかなり年上で、彼の父の従兄弟の娘にあたり、つまりは政略結婚だったが、「皇帝の血を引く自分にふさわしい相手」として、結婚を決めたのは彼自信である。にもかかわらず、直ぐに、若い東方系の血を引くメイド(屋敷に遣えていた、善良な医師の末娘)のブランカという少女を愛人にした。が、妻の実家をはばかり、彼女が妊娠した時、コーデラの外れに偽名で別荘を作ってかくまった。産まれたのが男の子だったため、妻の実家から刺客が差し向けられ、逃げた愛人と赤ん坊は、教会の前で倒れる。
その子供がホプラス、すなわち今の俺だった。
刺客は二人とも始末したと報告したため、事が露見した後でも、父親は遺体すら探そうとしなかった。祖父にあたる医師は、それを聞いて屋敷を出、貴族とは縁を切り、皇都の下町で、開業医として暮らしている。
父の正妻は、自分が来たから追い出されたラールの母には同情していたが、後の愛人には良くない感情しかもっていなかった。ただし刺客を差し向けたのは彼女ではなく、彼女の父と兄だったが、不仲が有名だったので、疑われ、心労で早死にした。
ラールの父は再び、亡き妻の母方の従兄弟の娘と結婚したが、彼女はまだ幼く、二人の子供はできないまま、父は放蕩がたたって、早死にした。若い未亡人は財産を持って、実家に帰って両親と暮らした。
連絡者から聞いた情報だと、ラールの父の評価は低く、「名君の祖父と聡明な父には欠片も似なかった」とされているらしい。融合前の俺は、皇帝の長男の家系にも関わらず、王位につけないというジレンマがあったんだろうなあ、と、同情していた。
ラッシルの王位や爵位相続は、正妻の子供にかぎり、さらに誕生時に正妻である必要があった。このため、ホプラスの存在は、爵位と領地にとって、驚異ではなかった。ただ、刺客を差し向けた事情としては、ちょうど、現・次男皇帝が正妻(年の離れた若い待女で、庶民だったが、内乱で国内を納めるため長らく独身だった皇帝が、唯一愛した女性で、彼女を堂々と正妻にするために、皇帝は苦労した)と正式に結婚する前に、出来た子供に王位をつがせるため、法律を変えようとしていた事がある。
原則王位だけの改正だったが、それが貴族の相続にも影響があると噂されていて、それで、子供のいない正妻の実家が恐れを感じたようだ。
肝心の改正内容は、「現在または過去の正妻の子であり、父親が認めれば、男女別なく継承権を持てる」というものだった。
次男皇帝は、弟の三男に彼の息子より年長の息子と孫息子がいることを警戒し(父親が処刑でも息子は無罪ならおとがめなしで、財産も継げる)、自分の娘(皇太子の双子の姉)をその甥より優先させたかったからである。
それにより、優先度の高い長男の家系である、ラールの立場が微妙なものになりそうだが、法的にはラールは王家の血は引いていない事になっていて、条件にも当てはまらないので、そもそも新法律でも、継承権はない。正体がばれていないが、ホプラスも同様だ。
次男皇帝の子供は娘アレキサンドラ、息子イーヴァンで、皇太子は息子のほうであるとみなされているが、皇帝は迷っていた。長じるに従って、息子の不出来が、目につくようになったからだ。また、三男の孫オーロフが、なかなか立派な若者に成長し、アレクサンドラ王女と、本気で(連絡者知識レベルで)恋をしていた。
このため、一部には、アレクサンドラとオーロフを結婚させて、娘を女帝にして、跡を継がせようとしている、という噂があった。
ラールは、自分より二つ下のアレクサンドラに仕えていることになるが、双子の弟である、イーヴァンの命令にも、従うことになっている。(ボディガードや待女と恋愛というパターンが続いたため、皇太子に直接、若い女性の側近は置かない方針になった。)
彼女が現在、ディニィの護衛になっているのは、アレクサンドラと皇帝の命令である。
故に、この任務の間中は、「ぼっちゃん」に悩まされる事はない。
そのはずだった。
※※※※※※※
もう夜も明けようかという時、北国の初夏の朝。ラッシルでは、一番過ごしやすい季節だ。宮廷の片隅で、俺達は、捕まっていた。
「せめて、その二人、目隠しして貰えないかな。一応、兄貴と弟なんでね。」
ルーミは、自分の上に乗って、服に手をかけている、軍服姿の大男に言った。
大男は、そうしろ、と合図し、仲間は、俺とエスカーの頭に、自分達の上着を脱いで、被せようとした。俺は抵抗して、
「放せ!ルーミから離れろ!」
と叫んだ。背後から、俺を捕らえた男が、俺の背中を蹴った。
「黙れ!」
もろに食らって、つんのめったが、怯んでなんか、居られない。
「黙ってたまるか!ルーミを離せ!早く、その汚い手を、ルーミから退けろ。これ以上何かしたら、お前達を全員殺す!」
「黙れって!…俺たちの顔なんて、どうせわからないだろう。」
彼らは、目だけマスクをしていた。隠していなくても、系統の違う民族で、服も髪形も同じ、後から正確に見分けるのは容易な事ではない。
「じゃあ、ラッシル騎士団の全員を殺す!」
大男は、目を丸くし、
「驚いたな。虫も殺せん奴って話だったが…」
と、注意をルーミから反らした。
焔が炸裂した。大男は、焼かれた部分を押さえて、転げた。
ルーミは立ち上がり、服を整えて、俺に向かい、
「もう限界だな、お前が。」
といった。俺は相変わらず左手を魔封環、右手は、背後の男に捉えられていたはずだが、男が怯んだため、自由になっていた。
男達は、ルーミの左手に魔封環をはめたのだが、ルーミの魔法手は右だ。盾を持ってないから、俺と同じく、左と思ったらしい。
いつの間にか拘束を抜けたエスカーが、俺の魔封環を、「魔法で」砕いた。
「なんだ、こいつ!」
「両手とも塞いだはずじゃ。」
エスカーは、やれやれ、と一言言うと、
「あのオモチャなら、そこに転がってます。持ち帰るならどうぞ。…それで押さえられるのは、せいぜい、中級までですよ。」
と、なんだかどうしようもない顔で、彼らを見た。続けて、ウィンドカッターと呼ばれる、風の攻撃魔法で、全員のマスクを(と言っても、目元を隠す程度のお義理程度の物を)器用に
切って外した。
マスク一枚なくなっただけで、顔の印象は大分異なり、判別は容易になる。男達は、リーダーらしい大男を抱え、証拠を残したまま、あわてて逃げ去った。
エスカーは、小部屋の窓をあけた。
「兄さんが、変なもの、燃やすから。」
「さっとあぶっただけだよ。焼いても良かったが、連中、いまいち本気モードじゃなかったし、だったら多少は同情するし。…て、文句あるなら、お前が、凍らせろよ。」
「えー、僕は両手とも縛られてたのに。」
「よく言うよ、魔封環、魔法で壊しといて。」
エスカーはわざとらしく、舌を出して見せた。
「しかし、治まらないなあ。脱げよ、ホプラス。」
「え?!」
「背中、蹴られただろ。治してやるよ。」
言われた通りに、上着を脱ぐ。上着も頑丈なので、傷はなく、多少赤くなっている程度だ。
「でも、あいつ、けっこう、力あったからな。ホプラスが、気を反らしてくれなかったら、どうなってたか。あー、むかつく、なんか治まらん。」
「それならそれで、僕が助けますよ。」
エスカーは、残していった物を一通りしらべた。
「制服はラッシル騎士団のものだったけど、正直、騎士が勝手にここまでやるとは思えません。騎士のふりをして…とも考えれられるけど、けっこう強かったですからね。それに、ラッシルの魔封環なんて、有効性はともかく、騎士か警察か、少なくとも公職でないと、手に入らないものです。こっちの画像記録装置といい、僕たちを連れ出した命令書といい、かなり身分の高い人が、裏にいますね。」
「でも、その身分の高い人が、なんで、こんな画像を見たがるんだ?身分が高すぎて、おかしくなったのか?」
「さあ、僕にそんな人の心理を聞かれても。政治的・社会的に、兄さんの名誉が失墜すると、都合のいい人がいるんじゃないかな。」
ラッシルにきて間もない俺達だが、心当たりは、一つだけあった。
※※※※※※※
これまでの、状況はこうである。
俺達は、ラッシルに招待されていて、国賓として王宮に滞在中だ。丁度、皇太子が、ラッシル内のカエフ自治区の領主の長女と婚約した直後であり、ディニィがコーデラを代表して、お祝いにきた、という、丁度よい形になった。
俺達は、熱狂的歓迎を受けた。特に、優雅で美しい、最高位神官でコーデラ第一王女のディニィと、勇者パーティのリーダーで、光り輝くような美貌と噂のルーミを、一目見ようと、民衆は殺到した。
そして、もう一人、密かに注目をあびたのが、悲劇の皇太子パシキンによく似た、ホプラスの容姿だった。
一般には、ホプラスの実の母は、子供と死亡した、となっている。また、パシキンの若い頃の肖像画は出回っておらず、想像で、髭を生やした勇ましい姿で、敬意を表して、王としての正装で描かれる事が多い。だが、当然、若い頃の姿を、はっきり覚えている者もいる。
皇帝その人がそうだった。
ラッシルを訪れて皇帝に謁見した時、彼と、幾人かの年配の貴族や、側近は、目を見張った。
その夜、すぐ、ラールが迎えに来て、「陛下が、個人的に会いたいと仰せよ。」と、連れていかれた。
「どうも、陛下は、ルーミか、あんたが、私の恋人だと思ってるみたいなのよ。…いい、陛下に聞かれたら、はっきり否定してよ。生返事なんか、しようもんなら、明日は結婚式よ。陛下はそういう方なの。私は、あんたとも、ルーミとも、結婚する気なんて、ないんだから。」
と、会見前にラールから念を押された。
もちろん、俺もその気はないし、その気になられても困るが、こうきっぱり言われると、微妙に面白くなかった。俺はともかく、ルーミのどこが不満なんだ。
しかし、皇帝には、いきなり、
「君、アレクサンドラと結婚して、ラッシルを治める気はないか?」
と聞かれた。驚いて、理由を聞く。
「私には兄がいた。聡明で勇敢で、とても立派な人だった。本来なら、兄と共に、ラッシルは発展するはずだった。…肖像画が苦手だったので、若い頃の絵はない。嫌でも若くして弟に殺された事を思い出させるから、想像で中年以降の姿に描かれたものばかりだ。だが、私は、兄の若き日の勇姿を、瞼の裏に焼き付けている。それは、今の君に、生き写しだ。…君は、もともとは、ラズーパーリではなく、ラッシルとの国境付近の村の出身で、教会の養子だそうだね。『これも縁だ』と思うのだが、どうだろう。」
さすが、慧眼の誉れ高い皇帝、見抜いたか。おそらく、ホプラスが似ているのは、顔だけではないのだろう。
俺は丁寧に断った。そんな事は計画にないし、あったとしても、ホプラスに子供は出来ない。後継者問題で、もめるのは必須だ。
それに…。
「…私には、心に決めた人がいます。」
「まさか、ラールかね?」
「いえ、違います。…その人は、子供のころから、一緒にいる人ですが、もうじき、他の人を選ぶ事が決まっているのです。ですが、私は、その人以外は、考えられないのです。」
後は、皇帝の慧眼に掛けるしかない。ただ、ラッシル人は、コーデラ人と比べ、男性同士に、否定的な考え方をする者が多い。百年前まで処罰対象だったからだが、ラールは少なくとも「偏見」は無かった。
下手に嘘を言って、ごまかせる相手ではないし、何よりも、身内として扱ってくれた皇帝に、嘘はつきたくなかった。
「しかし、それでも、結婚している王族や貴族もいる。君は、国作りには、興味はないかね。」
「皇帝陛下は、王妃様を心から愛してご結婚された、というお話を伺っております。陛下のご治世に、そのご様子が伺えます。」
それを聞いた皇帝は、いきなり笑いだした。
「そのような所まで、兄にそっくりだな。」
こうして、皇帝との会見は無事に終わり、翌日は、誰の強制結婚式にもならなかった。
しかし、翌日の夜は、俺たちの歓迎パーティがあり、それに関連して、騒動があった。
まず、アレクサンドラ王女の宮殿で、ディニィ達と共にいたラールのもとに、皇太子から、パーティ用のドレスが届いた。白地に金の刺繍の、細かい、華やかなものだった。
しかし、それは、皇室の女性(血縁以外の、例えば皇族の妻や婚約者、時には寵姫も含む。)の着るものだった。
ラールは、自分の血筋に対して、皇太子はよくこういう皮肉をやるが、これは着たら冗談ではすまない、と言っていた。
ディニィが、間違ったふりをして、自分が着ようかと言ったが、それだと皇太子が今の婚約者をふって、コーデラ王女に申し込んだ、と解釈されるから、やめたほうがいい、という意見が、エスカーから出た。
結局、これは皇女に相談し、「皇太子がまちがったようだが、ここにコーデラ王女がいる以上、間違いを公にすると、めんどうなことになりかねないから、皇女が弟からの贈り物として着る」という、苦しいところで、落ち着いた。
内々にだが、皇帝が、急に皇女の婚約を認めてくれた、というので、筋は通る。
ラールには代わりに、瞳と同じラベンダーブルーに、裾に藤のような紫の花の図案を染め上げた、ノーブルなデザインのドレスに、銀とライラックアメジストとアクアマリンのアクセサリーを、「俺が」選んだ。最初はキーリに選ばせてやったが、センスがなく、狩人族の小柄な女性なら似合うかも、というのを選んでしまった。緑にピンクの蓮の刺繍のある、肩の膨らんだ、可愛らしい衣装に、紙の花の髪飾り、東方風のデザインガラスの耳飾りだった。それはサヤンが着ることになった。
ルーミが見立てたのは、ワインレッド一色の、艶のある生地で作られた、セクシーなドレスで、髪飾りは同色の羽飾りで宝石なし、首飾りは銀とガーネット。なるほどラールにはぴったりだったが、宮廷の夜会には合わなかった。
ディニィは、薄い空色で、裾に向かって濃くなる、レースの生地に、コーデラの国花である、古典的なピンクのツルバラをデザインしたドレスを選んだ。さりげなく、ルーミにアクセサリーを選ばせるように仕向けた。頭はティアラと決まっているので、首飾りを選ばせた。ディニィにも服にもよく似合う、ピンクパールを選んだ時にはほっとした。
次に俺達だが、男の服は簡単だった。上着の色くらいしか変化がない。ユッシは黒、キーリは濃い紫、エスカーは濃い茶色、俺は濃紺。ちょっと見は、全員、黒だ。
しかし、ルーミだけは、違った。エスカーの
「兄さんは『顔』なんだから。」
に始まり、女性達の「あれも似合う」「これも似合う」に、着せ替え状態だった。結局、光沢のあるオリーブグリーンの生地の上着になった。途中経過を考えれば地味だが、俺達のものよりは派手だ。
「ただでさえ、正装なんて、滅多にしないのに。」
と、本人はぶつくさ言っていたが、よく似合っていた。
パーティは華やかに進行した。
最初に、皇女とオーロフの婚約発表があった。次に、皇太子と婚約者から、姉たちに祝福の言葉。皇帝から一言ずつ賜り、俺達の紹介。後は踊るなり食べるなり、「遊ぶ」なり自由。
ユッシとキーリはダンスが出来ないので、飲み物と果物をパクついていた。俺とエスカーは、ひっきり無しに、違う相手と踊り続けた。ルーミがディニィ、ラール、サヤン、皇女としか踊らないので、他を一手に引き受けた感じだ。
ラールとは二回踊った。
「なんかもう、殆ど、ルーミと踊ってたわ。意外に人見知りするのね。」
「それもあるけど、一応、気遣ってるんだよ。皇太子殿下と君が踊ると、ドレスの言い訳をしなくちゃならないし。」
「ああ、その心配はないわ。ぼっちゃん…殿下は、ダンスが苦手で、婚約者とも、踊らないから。昔、まだ小柄だった時、大柄な伯爵夫人に片手で振り回されてから、すっかりダンス嫌いで。」
「その割には、さっきから、君と踊ってる僕を睨み付けてるけど。」
「自分より、いい男が嫌いなだけよ。…ルーミは『なあ、皇太子って、その気はないよな?ねとっとした目で、ずっと俺を見ているんだが。』って言ってたわ。」
それは穏やかでないが、確か、連絡者は、皇太子がラールに気がある、みたいな事を言っていた。ラールは、どうも年下は対象外のようだが、ここまでスルーされると、気の毒になってきた。
俺は、踊りながら、キーリの方に近づき、曲の変わり目で、
「ダンス、習いたいって、言ってたろ?ラール、教えてあげて。」
と後をまかせ、休憩の為に、人気のない、バルコニーに出た。
ほどなく、俺の姿を見たのか、ルーミがやってきた。バルコニーのテーブルに、食べ物の皿と、飲み物を置いた。
「お前、踊ってばかりだから、腹減ったろ。」
肉や魚、野菜をバランスよく取ってきて、飲み物は、俺の好きなミントのソーダだ。俺は笑った。気遣いが嬉しかった。
「ラールとばかり、踊ってたんだって?」
ラストはディニィと踊らせたかったので、わざとからかうような口調で言ってみた。
「足を踏んでも平気なのは、ラールだけだからなあ。あいつ、背があるから、俺とだと、顔が近すぎて、今一、踊りにくいんだけど。…酒場で踊るようなダンスだったらなあ。得意なのに。」
そっちか。予想はついたが、なんて色気のない。
「ラストくらい、ディニィと踊ってくれば。踊りやすい背丈だろ。パーティの顔同士だし。」
「ラストは、ディニィは皇帝陛下と踊るよ。皇太子が皇妃様と踊るから。」
「婚約者とは、踊らないのか。」
「婚約者のお姫様、昔の乗馬の事故で、足がお悪いんだと。皇太子が気にせず、踊ってやればいいのに。なんか、変だぞ、あいつ。ダンス嫌いになった話は、ラールから聞いたけど、皇族にしちゃ、『卑屈』じゃないか?」
ルーミが何時になく辛辣だ。ねとっとした目付きで見られた事を、余程気にしているのだろうか。
確かに、皇太子より小柄なエスカーは、堂々としていて、ダンスも話術も上手く、自分より背の高い貴婦人達とでも、物怖じすることなく踊っていた。
「皇太子の事なら、心配すること、ないよ。単に、見とれてただけだろ。」
軽口のつもりだったが、ルーミは引っ掛かった。急にふくれ面になり、
「どこに見とれたか、言ってみろよ。」
と言った。
「ラールにも『あんたが綺麗で可愛いからでしょ。』って言われた。で、お前も同意見なんだろ。どこがどう可愛いか、言ってみろよ。」
「そりゃ、全…」
全部、だが、これを言ってしまえば、冗談では済まない。
「全然、ないからだろ、ラッシルには。髪の色とか。皇都のあたりは黒髪が多いし、北の方の金髪は、ディニィのより、もっと薄い色になるから。」
「あ、髪か。そりゃ、皇女様にも、皇妃様にも言われたけど。」
グラスの飲み物に、ガラスの瞳が映る。その澄んだオリーブグリーン。陶器よりもなめらかで、黒子一つない顔。ほんのり桜色を添えている。ふくれ面が治り、少しばつが悪いのか、はにかんだような表情。
しばらくこのまま見ていたかったが、彼は急に話題を変えた。
「ところで、話は変わるが、お前、どう思う?ティリンス師のこと。エスカーは、何か隠している、とは言うが、深刻なものとは思ってない。疑うほどよく知ってる訳じゃないけど、通信で連絡が取れないのが、気になるんだ。」
気になるのは、俺も同じだ。しかし、もしラスボスが用意されているなら、カオスト公であって欲しかった。ティリンスには動機がない上、今まで伏線もほとんどない。
だが、ルーミには、自分も気にしていたと伝え、カオスト公の動向も不穏だから、ラッシルは出来るだけ早く立ち、コーデラに戻ろうか、と言うにとどめた。
「ラッシルを出る時、ラールは…」
とルーミが言いかけた時、サヤンが広間とバルコニーの間のカーテンを明け、
「やっぱりこんな所に隠れて。次でラストだって。ホプラス、踊ってよ。」
と顔を出した。
広間に戻ると、一斉に注目を浴びる。エスカーが皇帝一家に、「子供の頃から、あの調子で…」と言い訳をしている。
ディニィを見る。優雅に微笑み、気にしている様子はない。
やがてラストダンスになる。俺はサヤンと踊るため、一緒に中央にでた。エスカーは疲れたらしく、軽く足を押さえ、ラールやキーリ、ユッシとソファに座った。
ルーミもそちらに行こうとしたが、急に、皇太子の婚約者の姫に近付き、彼女にダンスを申し込んだ。姫君は、最初はためらっていたが、彼女の母と兄 (おそらく)が勧めるので、ルーミに手を取られ、中央に進んだ。
皇太子は、すでに母親と踊る準備をしていたので、これ自体は、礼儀には反していない。
始まると、注目は一斉にルーミ達に集まった。
「あら、お珍しい。トゥルイデ様が。」
「ほんと、笑ってらっしゃるわ。」
「ああやって、堂々としていらっしゃると、お綺麗な姫様だとわかりますわね。シンプルなドレスのご趣味も良くて。」
そして貴婦人達は、異口同音に、「殿下には、ちょっと勿体無いかもしれませんわね。」と、小声で付け加えた。
皇太子は、昔は小柄だったかもしれないが、今は背もすらりとして、ルーミよりは少し低い程度、顔立ちは髭の似合わないタイプで、細身だが、すっきりして、好青年と言って言えなくもない。宮廷人は、単に、子供の頃の失敗談を、いつまでも覚えているだけじゃないだろうか。
やはり俺は同情するかな、と思った時だった。
踊り終わったルーミに、ラールが話しかけた。軽く拍手の動作をし、明るく微笑んでいる。
すると、皇太子が急に、母親の手を振り切り、挨拶もなく、奥に引っ込んだ。
皇帝は短くため息をついて首を振った。
その後、乾杯があって、皇女が口上を述べて、お開きになり、キーリがラールを自宅に送ろうと申し出たが、近いからと断られていた。
ラールは宮殿の直ぐ近くに、母方から継いだ家があり、今夜はそちらに帰る、と言った。
俺達は、宮殿に泊まりだが、個室を与えられた。しかし、ルーミは寝るぎりぎりまで、俺の部屋に来てしまうので、あまり個室の意味がなかった。
俺の部屋でシャワーを使い、駄々広い寝台に、ぽんと横になる。ダンスのし過ぎで、明日は筋肉痛かも、と情けない発言をしながら。
「寝る時は、自分の部屋に行けよ。」
「いいだろ、ここで寝るよ。」
「…ベッド、一つしかないだろ。」
「広いんだから、一緒に寝よう。」
俺はアンティークの目覚ましを、床に取り落としそうになった。
「考え過ぎかもしれないけどさ、なんか、危機を感じるというか、落ち着かないんだよ。」
まだ皇太子の目付きを気にしてるのか。連絡者情報なので、微妙だが、ラールの件を教えてやるか。
俺は、皇太子が見てたのはラールだろう、と、自分の推論と、ダンスで上流婦人達から聞いた話を合わせると、と適当に付け加えて説明した。
ルーミは一応、それについては納得したようだが、自分の部屋に帰る気配はない。
だが、ここで寝られたら、俺には地獄だ。取り合えず、部屋は隣だ。眠ってしまったら、運んで置こうか、と思った時、覆面騎士から、皇妃の名前で、呼び出された。
命令書を要約すると、「皇女の事で相談したい事がある」だった。
怪しむべきだったが、先日、俺が皇帝に呼び出された事もある。
着替えて着いていくと、俺達だけでなく、エスカーも呼び出されたようで、廊下で合流した。一応、女性の部屋に行くから、と魔封環をはめようとしたので、これは変だと抵抗したら、小部屋に蹴り入れられた。
※※※※※※※
そして、現在に至る。ある意味、ルーミの勘は当たった。
「で、この後、どうしましょう?さっきの奴が民間の医者に行ってくれたら、足がかりにはなるけど、コーデラに比べて、ラッシルの騎士って、玉石混淆で、人数が桁違いに多いですからね。見たとこ、コーデラではあまり見ない民族系統の男性ばかりでしたから、絞れるかも知れませんが。それがかえって、顔を見ているとはいえ、個人の特定しにくい要因になります。姫に報告して、皇女を通して抗議するとして、その間に逃げられるかも知れませんし。」
「ディニィに報告するのか?」
とルーミが困った顔で言った。
「そりゃそうですよ。僕たちは国賓で、こういう扱いを受けなくちゃならないような理由はありません。」
ルーミは気押されて黙ったが、彼の躊躇の原因が解った俺は、
「『いきなり殴る蹴るされた。』とだけ報告しよう。エスカーが魔封環を砕いた話にはわざと触れずに、情報を一部隠そう。尋問で洗いだしがしやすくなる。」
と弁護した。ルーミはほっとしていた。エスカーも納得したようだ。
ディニィが、起きるまで、二人は俺の部屋にいた。ルーミはまた風呂を使った。エスカーは、その間、ダンスで得た、ラールと皇太子の情報を俺に展開した。連絡者情報より、少しくわしい程度だったが、短期間に初対面の女性達から、これだけ聞ければたいした物だ。
そして、ディニィが起きた時、まだラールの姿がなかった。珍しいが、今日は自宅から通うのだから、多少、遅いのだろうと、ディニィは言った。
たが、俺達は、自分達の迂闊さを呪う事になった。
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