5.土の誇り
コーデラの神聖騎士団は、ラッシルの皇都経由で、ラッシル皇帝騎士団と共にやって来た。コーデラ騎士団からみればかなり遠回りだが、その割には手回しがよい。ティリンス師の要請で、「秘かに素早く」用意していたらしい。
手早く感じたのは、同盟国とはいえ、ラッシルの国内に騎士団をいれるので、普段ならあれこれ手続きがいる所を、現在は複合体のため、協力体制を取っているから、簡略化されたためだ。
なお、ラッシルには魔法剣士はおらず、騎士はコーデラの物より一回り大きな両手剣の剣士で、魔法は魔導師との分業だ。ただし、個人で魔法が得意な騎士はかなりいる。最初から剣と魔法を使って戦う前提なのは、ラールのような、ガードと呼ばれる、王族や大貴族の護衛を行う専門の戦士に多い。
派遣された騎士団員の中に、同期で、タルコースの義理の弟にあたるサディルス・オ・ル・クロイテス(クロイテスの妻は、タルコースの妹だった。)と、俺と仲の良かった、スイ・アリョンシャ、アベル・ガディオスの三人がいたので、俺の頼みを聞いてもらうために、話を通しやすかった。
大隊長は、ライテッタという、南方系の風魔法使いだった。彼が副大隊長だった時に、ニルハン遺跡の痛ましい事件で会っているので、面識はあった。そのせいか、俺やルーミには好意的だった。
彼らから『道具』を借り、転送装置から、奥に進む。ガディオスと、クロイテスが同行することになった。
風魔法使いの転送魔法は、術者の知らない、または視界にない道には使えず(使えなくもないが、イメージができないと、空中や水上など、足場のない所に出てしまう確率が上がる。)、ここの転送装置では一度に十人が限度だ。騎士団の殆んどは、エレメントが放出された場合に備え、決戦の地の外側で待機になる。
「土のエレメントは、火に比べたら大人しいもんだけど、気を付けて。」
と、アリョンシャが、昔と変わらない、飄々とした口調で、送り出してくれた。
クロイテスとガディオスは、二人とも、片手剣に盾のコーデラ剣術で戦う。魔法はそれぞれ水と土だ。普段のパーティの盾持ちはユッシだけで、俺は両手剣、ルーミは片手剣だが盾はもたず、ラールはナイフと飛び道具、キーリは弓、サヤンは素手なので、全体的に、防御が強化された事になる。
また、属性魔法の回復は、水魔法が一番優れているため、クロイテスの加入により、ディニィの負担も減らせた。
道中のモンスターは、エレメントで強化されていたが、土の場合は物理防御力と被回復力(回復魔法をかけてもらった時の回復力)の強化なので、物理攻撃は効きにくくなるが、攻撃力や素早さは強化されず、魔法防御力もそのままなので、このパーティには戦いやすかった。サヤンが蹴りが効きにくいとぼやいていたので、ディニィが強化魔法を掛けた。
森の中なので、慣れたキーリが強く、三人いる魔法剣士の威力も合わせ、モンスターはあっさり一掃して、奥に進んだ。
キーリの探知魔法で、風と土が交互に強くなるような、奇妙な波動のある所を追ってきたら、丁度、当たりをつけていた、廃墟にあたった。
「元は貴族の屋敷みたいだが…こんな所に別荘かな?」
ガディオスが不思議そうに言った。
「幽閉用の屋敷だ。『罪を犯した高貴な人物』を閉じ込めておく。」
クロイテスが説明をした。
「最初は、こんな所でも、毎日、きちんと食糧を運ぶ。それが、三日毎になり、一週ごとになり、無くなるまでに使用人や看守まで逃げてしまい、最後に一人残されて、逃げ出す体力も気力もなく、死ぬ。…アルメル公が、お妃を閉じこめたのが最後だが、お妃は、看守とメイドを味方につけて、コーデラに亡命した。明らかになった非人道的な浮気処理が、あちこちから避難されて、結局、アルメル公国は潰れ、ラッシルに統合されて自治領になった。」
「へえ、詳しいね、」
ルーミが、横から、感心して言った。クロイテスは、いきなりルーミに話しかけられたせいか、少し照れたように、
「その亡命したお妃の実家がタルコース家なんだ。彼女は、再婚して、私の曾祖母になったから。」
と追加した。その話なら、俺も知っていた。浮気相手はアルメル公の又従兄弟で、身内で、戦場で何度も背中を預けて戦った仲なのにも関わらず、拷問して殺してしまった。
浮気した妻に対する仕打ちよりも、こちらの方が人道的には非難された。法律的にも、皇帝には又従兄弟は狩りの事故で死んだと嘘の報告し、遺言状を偽造して、遺産を全部横領(又従兄弟には妻子はいなかったが、年の離れた弟と妹がいて、相続人は彼等だった。)した事がばれたため、結局は反逆罪に問われた。歴史で習った。
「しかし、この面子で、タルコースと対峙することになるとはなあ。」
と、ガディオスが言った。
騎士養成所の最終試験、コーデラ剣術の順位は、上から順に、ガディオス、クロイテス、タルコース、俺だった。準決勝はガディオス対タルコース、クロイテス対俺。賭けはタルコースと俺のどちらが1位かで賑わっていたようだが、対決は敵わなかった。
俺は正武器(魔法剣で使うメインの剣術。盾と片手剣のコーデラ剣術か、両手剣のラッシル剣術のうち一つ。)が両手剣、副武器(片手剣、両手剣の他、弓術、格闘、細身剣から、正武器と異なる物を一つ。)は片手剣だった。タルコースは正が片手剣、副が細身剣だった。
俺は孤児組、タルコースは貴族組のボスと見なされていたので、片手剣は練習でも対戦することがなく、試験のトーナメントは「世紀の対決」と大袈裟に言われたものだった。
ガディオスは、「運で勝ったみたいなもんだから、やたら注目されて、肩身がせまくてなあ。」と、冗談混じりに言った事がある。
建物の中は、入ってすぐに、広間があった。貴族の屋敷としては小降りだが、幽閉用の屋敷としては広い。
「図書室や骨董部屋や、衣装部屋、客室も揃ってる。」
とクロイテスが皆の疑問に答える。
「いちおう、長期滞在用の別荘としての体裁は整えてるんだ。幽閉されるほうも、身分の高い家の出だから、実家から文句が来ないようにね。」
この屋敷は地下が図書室になっていた。幽閉された誰かが、地下に本を大量に持ち込んだのかも知れない。
地下の扉を開けたとたん、土のエレメントが溢れだしてきた。予めエスカーが土の防御壁を作っておいたため、パーティに影響はない。
「外に出してもいいのか?」
と、ルーミが、俺に聞いた。
「回りが森だし、土の場合は、このぐらいなら心配はない。本隊もいるから。」
と返事をする。
「じゃ、あれは何だ?」
ルーミの指し示すほう、本が、陶器が、マントやドレス、イスが、襲いかかって来た。
そうか。しまった。植物が材料なら、こうなるのか。この屋敷が、木造でなくて、良かった。
「何よ、これ、こいつら、生きてる?!」
サヤンが気功で巧みにはじきながら、エスカーに叫ぶ。
「生きてはいないよ。土のエレメントは蘇生を司るとも言われ、小型で軽量の無生物が一時的に…」
「いいから、風を出してよ!」
キーリとガディオスが、エスカーにかわって防御壁を担当し、足りない部分はユッシの盾でしのぐ。無生物相手というのは、めったになく、勝手がいまいちだが、俺とクロイテスは魔法剣、エスカーとラールは風、ルーミとサヤンは物理攻撃で応酬した。
片付くと、暗く広い部屋が広がる。
ルーミが灯りを出す。部屋の反対に、人がいた。
「よく来てくれた。」
その人は答えた。エレメントは、水や食糧を取らなくても、宿主を生かそうとする。蘇生の力のある土の作用か、その人は、ぐったりとはしていたが、衰えては居なかった。
「タルコース、いや、クィント、俺が、俺達が解るか?」
クロイテスが、少し興奮して、声を掛ける。
タルコースは、反応して顔を上げた。
「サディか…?ディアディーヌ殿下、ヴェンロイド師…。ガディオス?…セレニス君…」
一座を見渡して、知った顔を呼ぶ。そして、俺の顔を見て、
「ネレディウス…。」
と言った。
「助けに来たんだ。さあ、帰ろう。」
クロイテスがそう
言うと、ディニィが進み出て、タルコースに、浄化魔法を当てた。分離された土のエレメントを、エスカーが風魔法で、一気に片付けた。
「駄目だ。宿主の私を殺さなければ、また再生する。そして、いつか、必ず押さえきれなくなり、暴発する。その前に、人でなくなる。実は、もう、限界が近い。さあ、早く、楽にしてくれ。」
俺は先の二人、水と風を思い出していた。水のキーシェインズは、エレメントからの力を誇り、全てを手に入れようとして、全てを失った。腐っても鯛で、最後まで、戦うエネルギーは、エレメントの力も加えて、充分過ぎるほどあった。だが、制御する精神がなかった。
ごく普通の魔法使いだった、風の宿主の女性は、被害を広めないように山奥にいくまでは正気だったが、その後、理性を失った。最後は、恋人の言葉に理性をとりもどしたが、浄化したあと、生きるだけの力が残っていなかった。
ディニィは、タルコースの状態を魔法で確認し、涙を浮かべた目で、俺を見て、
「後は、貴方に。」
ようやくそれだけ言った。俺はタルコースに向き直り、
「ああ、そのつもりで来たんだ。」
と、騎士団の剣と盾を差し出した。
「僕と、勝負してくれ、タルコース。」
俺は、ルーミに、普段使っている、自分の剣を預けた。彼は、灯りを出している右手はそのままに、左手で剣を受け取った。
「ホプラス…俺は手は出さない約束だけど、もしも…」
薄暗い中、彼の瞳に、緑の火が揺らめいている。
「必ず、勝って、戻るよ。」
お前の所に、と、心の中で付け加える。
だが、さすがにタルコースは強かった。今の彼には本来の体力はなく、体の中に残った、エレメントの力による所が大きい。元々の剣技の高さ(流麗な、と表現されていた。)に加え、風魔法使いであることによる、素早さと攻撃力の強化。さらに、土のエレメントによる、防御力の補助を受けていた。ただし風と土には強弱関係があるため、エレメントが放出された状態での、土の補助は微妙だったが。
一方、俺は、この数年の実戦で鍛えた腕はあるが、片手剣と盾なんて、何年も使っていなかった。つい盾がおろそかになり勝ちで、かなり傷を受けた。現在のタルコースの攻撃は、エレメントの影響で、純粋な物理攻撃とは言えず、俺には水魔法使いの特性の、魔法耐性があるため、攻撃の程度のわりに、傷が浅いのが、救いだった。
お互い、魔法剣は使わず、剣術だけを競う。勝負は、長引いた。
何回も打ち合った後、タルコースの懇親の一撃で、盾が割れて、弾き飛ばされそうになった。その隙に、最後の一撃がくる。ああ、決められた、と思った瞬間、
「ホプラス…!」
ルーミの声が聴こえた。そうだ、諦めている場合じゃない。
俺は、最後の素早さで、盾を構え直して防いだ。盾は完全に割れた。さらに一撃、やって来る所を、これも最後の攻撃力を集中させ、剣に全てを込めて、弾き飛ばした。
体制は逆転し、剣を飛ばされたタルコースの喉元に、両手で構えた剣を突きつける。
タルコースは、少し微笑んでいた。
「流石だ。だが、やはり、騎士向きではないな。」
そして少しずつ、彼の輪郭線は、ぼやけ始めた。
“ありがとう。そして、後を頼む。”
クロイテスが、タルコースの名を呼んでいた。幽かな声が、
“妹を幸せに。”
とこだまする。
銀色に光る霧、一瞬輝いて、誇り高き神聖騎士、クィントゥス・オ・ル・タルコースは、その凄烈な人生を終えた。
真っ先に、ルーミが駆けつけてくる。「回復なら姫が…」というのは、エスカーの声だろう。
座りこんだ俺を回復しようと、ルーミが手を伸ばす。その手を捕らえ、彼の存在を確めたくて、思いきり、抱き締めた。
俺は泣いていた。ルーミは、「離せ、回復できないだろ。」といっていたが、俺が泣いているのに気づくと、大人しくなった。
細い金糸のような髪を頬に感じながら、俺は自分の生命に感謝していた。
※ ※ ※
これで、人造の複合体、エパミノンダスの夢のあとは、全て片付いた。公式には、ダルタニス大隊長と刺し違えて死亡となっているマイディオスに対し、生存の可能性が出てきたわけだが、その事について、ディニィとエスカーにすら、ティリンス師から、何も情報がないのが不審だった。
逃げ延びて、風と火の複合体を作ったのは確かだが、守護者の俺にも情報のない、マイディオスという奴に、そこまでする力があったのだろうか。
カオストの関与を疑ったが、それも不自然だ。
そもそも、ラスボス候補を確認していなかった。これは俺のミスだ。
もしやティリンス師が、とも考えたが、彼が黒幕とするには、動機が薄すぎる。人造複合体理論(エレメントの暴発を押さえるために、理性があり、制御可能な生物、すなわち人間に複合させ、有効利用する)には、人体実験と一蹴して否定的だし、第一、彼には王族をしのぐ権力が、既にある。世界に複合体を放って、その後始末をしたとしても、むしろ事前に防げなかった事を責められこそすれ、今更、英雄にはなれない。
エスカーは、一刻も早く王都に帰り、確かめたかったようだが、俺達一行は、ラッシル皇帝から招かれてしまった。領地を王女付きで通過しておきながら、招待を断るわけにも行かない。クロイテスが、
「マイディオス逃亡の話は、騎士団でも、今回の件で初めて知った。私は同行しなかったが、報告では、現場は凄まじい状況で、『判別』できる者が少なかった。消息が知れない者は、『死亡』にするしかなかった。魔法院側で、把握していなくても、おかしくはない。」
と説明したので、一応納得し、相変わらず通信で捕まらない師匠にたいして、厚い書状を書いた。
「『…隠し事なんかしていたら、只じゃ置きませんから、首を洗って、お待ち下さい。貴方の最愛の弟子エスカーより。』、と。お願いしますね。」
渡されたガディオスは、奇妙な顔をしていた。
騎士団と別れる最後の夜、ガディオス、アリョンシャと飲みに行った。クロイテスも誘ったが、直前に、母親から連絡があり、奥さんに子供が産まれた、と伝えられた。このため、彼は酒場に行く代わりに、通信室に行った。
ルーミを誘ったが、
「久しぶりなんだろ。楽しんで来いよ。俺はディニィ達と、甘いものでもパクついてるよ。」
と、背中を押された。
「あ、待ってなくていいから。」
「誰が待つか。先に寝てるよ。」
との会話を聞いて、ガディオスが吹き出していた。
やや上品な酒場の、二階のテラス席を取る。
タルコースの話は出なかったが、クロイテスの子供の話にはなった。
「同期だと、あいつが一番だな。」
「カントバーデの所は?」
「あいつが結婚したのは、先週だろ。確か。」
「子供はいつ産まれてもいいじゃない。」
「…さりげなく、爆弾発言だな、アリョンシャ。」
二人が会話しているなか、俺は相槌程度しか、口を挟まなかった。
ガディオスが、
「アリョンシャもそろそろじゃないか?今までで一番、長いじゃないか。あの未亡人。」
「うん、でも、いざとなると、彼女の実家がねー。身分差に細かいほうで。僕の家、一応、地方貴族だけど…。」
「え、そうなのか。」
「父がね。母はずっと愛人だったから、僕が騎士になって、やっと正妻にして、僕も認知してもらった。でも、姓は母方のまま。…ガディオスこそ、どうなのさ。」
「ここに来る前に、振られてきた。」
「え、3年、一筋につきあっておいて。」
「最近、任務ですれ違いだったのを、ノーケアだったからなあ。難しいもんだ。」
「そうだね…で、さっきから静かだけど、君はどうなのさ、ネレディウス。」
回ってきた。これを避けるために、静かにしていたのだが。
ガディオスが、軽い調子で、
適当に調子をあわせれば、話題を変えられたのだろうが、アリョンシャの、
「だから、ルーミ君とはどういう話になってるの。将来の事とか。この戦いで顔が売れちゃったから、うかうかしてると、適当な女の人に取られちゃうよ。」
に、飲み物を吹き出しかけた。ガディオスまでもが、
「成長して美少年から美青年になったしなあ。背も延びたし。お前も気が気じゃないだろ。」
と言う。しかも、冗談ではない。古い付き合いだから解るが、二人とも、真面目に言っている。
「何で解ったのかって?お前の様子を見てたら、なんとなく、な。昔は正直、解らなかったが、王都で再会した時には、しばらく見てて、はっきり解った。…て、気がつかないほうが鈍いだろ。」
ガディオスは、比較的、その手の勘が鈍いと思っていた。ホプラスの意識はパニックを起こしているが、俺は冷静に落ち込んだ。当時は、俺が守護を開始した次期と重なる。連絡者が隠していたとはいえ、何で、気づかなかった。
いや、俺が「同性愛者の勇者か」と聞いた時、連絡者の奴は、「ホプラスとディニィ、ルーミとラール」とは言ったが、当事者の気持ちがどうか、とは話していない。意図的にミスリードさせられたみたいなものだ。
俺が真っ赤になって(照れと憤りで)黙っているので、二人は勝手に話を進めた。
「ひょっとして、まだ、何もないの?」
「まさか、お前、いくら何でも…て、その様子じゃ、無さそうだな、本当かよ。」
俺はようやく、ルーミはそうじゃないから、と答える。
「意外だね。ルーミ君のほうが、夢中なんだと思ってたよ。ちゃんと、確かめたのかな?」
「…うん。『触るな』と言われて、半日、目をあわせてくれなかった。混乱ガスのせいって事になって、なんとか丸く収まったけど。その時は、本当に、ほっとしたよ。ああ、これで元に戻れたって。」
「お前、それでいいのか?その…ルーミ君が、恋愛したり、結婚したりしたら、どうする?いい青年に育ってるし、たぶん、ずっと一人ではいられないぞ。」
あらためてそう聞かれると、よくわからない。計画のためなら、このままがいいはずだ。だが、「俺達」のためには、それでいいのか?それ以外にないのか?
「もともと、僕の望みは、『側にいること』だから。…そうだなあ。そうなったら、ルーミの子供の家庭教師にでもなるよ。」
計画通りなら、教育係りや護衛はいるだろうしな。だが、そのころまでには、回収されているだろうな、と思うと、急に切なくなった。
計画どおり、彼がディニィと結婚して王になったとしても、モンスターと戦うよりも、ある意味、壮絶な日々が続くだろう。そんな時に、側にいてやれないんだろうか。
「単純な俺には解りにくいが…お前がそこまで納得しているならなあ。」
「もう一回話してみれば?例えば、今日、待っててくれたら、言ってみる、とかね。」
その後、酒場でちょっとしたトラブル(地元の青年同士の、激しい口論)があり、その話から、アリョンシャと今の恋人の出会いの話になり、彼の家庭環境の話になり、その夜は楽しく過ごした。
それほど遅くはならなかったが、ルーミもエスカーも寝てるだろうから、そっと鍵をあけた。途端に、後ろから抱きつかれた。
「ホプラス、お帰り。」
と、抱きついた人物は言ったようだった。純金の頭、ルーミだ。グラスに浮かんだオリーブのように、とろんとした瞳。上気した頬。
「すまない、『酒豪』とよく飲み比べしてるというから、強いと思って、ラッシルの地酒を。」
と、済まなそうなクロイテスが、より酔っぱらったユッシを支えている。彼も酒を出す立場のわりには弱い。
この三人で飲んでたのか?意外な組み合わせだ。
クロイテスはユッシを部屋に連れていき、俺はルーミを部屋に連れて入った。
とにかく冷やそう、と思ったが、猫みたいにゴロゴロ言いながら、しがみついて来るので、剥がすのに苦心した。
何とか寝台に放り出し、顔と頭を冷す。ほどなく正気に戻り、「ホプラス…」
と、小さな声で、俺の名を呼ぶ。
彼の話によると、最初はディニィ、エスカー、サヤンと甘いものをパクついていたが、エスカーが、本格的ラッシル風紅茶をがぶ飲みして(濃い酒に紅茶を数滴垂らしたもの。つまり殆んど酒。)しまい、倒れたのでお開きになった。部屋に戻ってきた所、ユッシとクロイテスが誘いに来たので、乗った。ユッシは、ラール、キーリと飲みにでたが、「後は若い者にまかせて」途中で戻った所を、連絡室から出たクロイテスに会った、と言うことだ。
「あれ、エスカーは?」
「ディニィの所。」
「え?!」
「大丈夫、サヤンもいるし、ラールももう、戻ってるだろ。だいたい、エスカーなんて、まだ子供じゃないか。」
いちおう15にはなっているんだから、子供とは言えない、姫も強いし、護衛もいるし、倒れてるんなら、めったな事はないだろうが、姫も無邪気と言うか。
エスカーは、魔法力以前に、体質が酒を受け付けないらしい。ルーミも、言うほど強くはない。魔法力がなかったら、もっと弱かったろう。俺は飲酒可能年齢は、せめて18以上に引き上げるべきではないかと思う。
それでも今のルーミは飲めてしまうか。どっちにしても、この、だらしなく伸びてるルーミは、今の俺の目の前に存在するわけだ。
俺は先にシャワーを使った。アリョンシャの、「今日、待っててくれたら…」という言葉が、湯気の中にこだまして、少し残念な気がした。
上がると、ルーミは、寝台の上に起き上がり、膝を抱えて座っていた。俺の姿を見ると、無言でシャワー室に向かう。
「まだ抜けてないから、ぬるめで、手早くな。」
と声をかけると、「うん」と返事をした。
一番窓側の寝台に横になる。シャワー室の方には背を向けて、目を閉じたが、直ぐには眠れない。
ほどなく上がった気配がする
。のぼせもせず、溺れもせず。
しばらくごそごそと音がし、
「ホプラス、起きてるか?」
と声をかけられた。俺は返事をしなかった。明日はそれほど、のんびりも出来ないからだ。
最後の明かりが消えた。暗いまぶたに、眠気を感じ始めたその時、背中に暖かいものを感じた
。
ルーミの手が、俺に触れていた。背中から、肩、髪に。緊張が走る。
「ホプラス…お前は、行くなよ。どんな時でも、俺を置いて。」
ごく小さな声で呟く。それから自分の寝台に潜る音、やがて安らかな寝息が聞こえる。
緊張が解けて、少しだけ寂しさを含んだ、妙な安堵が倦怠を連れてきた。
色々考えて、心細かったんだな。相変わらず、素直と意地っ張りの極端な奴だ。
“お前はそのままで良いのか。”
いいんだ。将来のディニィには、遠く及ばないにしても、ルーミに取って、俺が唯一のものであることは、間違いない。
これ以上は望んではいけない。俺にとって、これ以上の物はないのだから。
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