第3話 調律師カレンの工房

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 アスカは一晩中歩き続け、とある個人が人里から離れた僻地に営む工房の前にいた。

 いつぞやぶたれた頬から唇の端を無意識にさすって、気づいてやめたが、嘆息する。

「なにも期待しちゃいないだろう?

 俺なんかが、今更……」

 どの面下げて、彼女に会いに来たのだか。

 目的というほどのものがあったわけじゃない、調律師チューニングマスターになった彼女が、ギルドから離れたこのような拠点を持つようになったことは、小耳にこそ挟んでいたが、この半年、一度として足を運んだことはない。

(初めての場所なのに、未練がましさで気持ち悪くなりそう)

 浅く呼吸を整える。

「足りないのか、なにが?

 覚悟、誠意、自信――全部かよ、くそ」

 自分で自分に悪態をつく。推定はできても、実感が何も伴ってこない。

 入口の扉を引けば、目と鼻の先に彼女はいるはずだとわかっていて、俺は怖気付いていると。

(ほんとうにみっともないな)

 男として見られないことに痺れを切らし、強引に押し迫ってしまっただけ。

 それが彼女に恐怖を与えたなら、俺はもう強姦魔と本質さして変わらないだろう。

 やはり二度と顔を見せるべきじゃない気がしてきた。

 あの人を傷つけておいてよくも――


「アスカなの?」「!?」

 扉の前にまごついていたら、予想外に背中側から声がかかって、彼は飛び退く。

「……カレン」「来てくれたんでしょ、久しぶりだね」

「あ、いや、その」「上がってくでしょ、今日はどうして」

「近くまで、来ただけで。

 すまん、本当にたまたまなんだ」

「どうして?」「――いや、だって」

 気まずくなるだろう。

 ならなぜここに来た、というのはさておき。

「……困るな」

 彼女の傍らで待機していて男が、前に立ち塞がる。

 彼女の仲間、となるとギルド『ヘリオポリス』のプレイヤーだろう。

「始末屋などにうろちょろされては、彼女に迷惑だとなぜわからない」

 そうだ、彼女には仲間がいる。ミユキたちを契約紋で侍らせることしかしてこなかった俺とは違い、真っ当に信頼できるだろうプレイヤーの仲間。彼はアスカの肩へ無遠慮に手をかける。

「あんたは」「私こそがヘリオポリスのカドクラだ!」

「いや名前を聞いているんじゃない、興味もないよ。

 それに俺が誰だか知っていて触れるなんて、馬鹿だろう」

「なっ」

 彼の指が外側にひしゃげる。

 呻く彼をアスカは足蹴にした。

 二十メートル近くを弾かれた彼は起き上がり、ひしゃげた腕を抱えている。

「馬鹿な!

 この俺は黄道級ホルダーだぞ!?」

 私だか俺だか人称はせめてどっちかに統一したらよろしいのでは。

 意識するようなことではないかもしらんけど。

「その無駄に蓄えた自信はなんだ?

 先に仕掛けた品のなさを言っている、俺が始末屋だからどうしたって?

 聯合やあんたのギルドに不利益でもあれば別だが」

 アスカはさっさとスキルを彼へ向けて放つ。

 【小回復】で彼の腕はたちどころに修復された。

「それともなんだ、サンドバッグになりたいなら喧嘩は買うぞ」

「アスカやめて!」「――ッ、白ける」

 工房の前でいきなり喧嘩を吹っかけられるとは驚いた。

 カレンの手前、懸想してるから格好つけたいとかなら、好きにすればいいけど目障りだから死んでほしい。それを口に出さない程度の品性はまだ自分にだって残っている。

「相変わらず、俺には怒ってお仲間の顔色はうかがうのかよ」

「それは……」

 我ながら嫌なことを言っている。子どもっぽいとすればそうなんだろう。

 ただ、アスカは今気が立っている。

「カレンのせいじゃないよ、まぁ衝突した時点でどちらが正しいとかないんだろうけど。

 カドクラとやら、ひとつ忠告しておこう。

 次に迂闊な真似をすればあんたの黄道級、蠍は俺が貰ってもいいんだぞ。

 アンタごときに持たせるには正直勿体ない」

「――、貴様ッ」

 まだ喚ばれていないが、世界に十二体しかいない黄道級ホルダーの照応するモンスターとプレイヤーはひと通り攻略知識として仕入れている。ヘリオポリスのカドクラ――蠍を従えてから部隊長としての横暴が目立つようになったというが、プレイヤーとしては三十の坂越した年配だそうで、年の功だけで立っている典型的な無能とアスカは見立てている。そもそもヘリオポリスの人事サイドがカレン以外でまともな奴を起用した例をアスカは知らないが。ギルドマスターのマリエは彼からすれば『いいひと』じゃあるのだが、ゲーム初期にいち早くプレイヤー保護に動いた点は優秀だったものの、攻略に前向きとは言い難い。結果としてギルド『インサニス』を始めとした攻略最前線ガチ勢どもとは聯合内でもそりの合わないことの多くなり、ヘリオポリス内部でも部隊編成に不満を持つものが出始め、統制が取れているとは言い難いだろう。

 方針が違うならギルドを分裂させるでもいいはずなのだが、その筆頭となるべきカドクラには人望がない、人を率いるだけのカリスマが。だから黄道級などという過去の功績にしがみつかなくてはならない。

 忠告はしたのだが、向こうの沸点はアスカの想像より低かった。

「はったりもいいところだな、できるものなら今やってみせろ!」

 今度こそ蠍が喚びだされ、工房などお構いなしに尾の先からアマトへ毒液の水球を吐き出し始めた。

(本当に馬鹿なのかあいつ、カレンがいるのに!)

「きゃッ」「下がって!」

 災鴉がその背で蠍の毒球から建家を護って受け流す。

「聞き分けがないにも程がある」

 嘆息するアスカの右腕に纒で喚ばれたパイルバンカー状の器具が、軸を浮かせて180度回転する。

 災鴉――アスカの持つユニットだとカレンは気づいて声を上げた。

「アスカ、待ってそれは!?」

「ここまでコケにされてて黙っているわけにもいかなくてな。

 悪いけど、誰も怒ってくれないなら、俺がこいつを裁くしかなくなるんだ」

 アスカは纒のスキルを発動し、カドクラは右手の甲――契約紋から著しい虚脱感を覚えて愕然となる。

「やめ……ろ」「うん? 聞こえないなぁ」

「貴様、いったいなにをした!?」

「あんたがその身に感じていることが全てだろう」

「ふざけるな!

 契約紋の制御が効かない――ぐっ!?」

 蠍が彼の背後へ、意図に反して回り込んでいる。

 その首に噛みつかれ、毒を付与されて失神してしまう。

「案外、呆気なかったな」

(インサニスあたりのプレイヤーが、こんなのが黄道級だと聞いたらブチギレるんじゃなかろうか)

 アマトがそのスキルの発動を途中でキャンセルすれば、蠍は途端に静まり返る。

 制御はカドクラの手元に戻ったが、付与された毒を解毒しなくては死んでしまうだろう。

「蠍を制御できなくなる程度は笑ってられたが、自分で毒を浴びちまうとか世話がないぞ、本当に。

 【小回復】状態異常が解けない……黄道級の毒には血清が要るんだっけか、まずはオリジナルの毒を採集しないと」

 蠍は主人を助けるためだとわかれば、アスカへあっさり協調した。

 カレンはその背を見やって呆れている。

「相変わらず、モンスターとかとは仲良くやれるんだね」

 彼女は半ば巻き込まれた被害者なので、それぐらい文句を言う権利はあろう。

 アスカも徒労感のあった。

「怒ってるのか、俺のせい?」

「いや。カドクラさんにここまで節操がないのは、私も知らなかったから。

 ごめん、嫌な想いさせて」

「……やっぱ、俺はもうここに来ない方がいいんだな」

「え」

 カレンはそれを聞くと心外そうな顔をする。なんでそんな顔をするんだよ、俺がいないほうがきみだってせいせいするだろうに。

(血清作成用にプランタートルの種とスライム種が要るな。

 ミユキのストレージには何匹か残っていたはずだ、仕方ない一匹もらおう)

 こいつは無能だが、このまま死なせると後でヘリオポリスに対する言い訳が立たなくなる。

「だ、大丈夫だよ。この件でなにかあっても、私が絶対きみを弁護する」

「そう、ありがとう」

 素直に信じていいかはわからないが、これ以上ひねくれたことを云うのはやめよう。


 工房の前にカドクラと蠍を放置して、二人は屋内へ入る。

「ミユキは最近どう?」「変わりない、きみとは時々会ってるんだろう」

「そりゃまぁ、そうだけど」「あいつがプレイヤーから孤立しないなら、それでいい」

「アスカは、このままでいいの」「なにが」

「聯合の風当たりも厳しいんでしょう、最近は。

 自分たちの手に余るから、アスカに手を汚させてきたくせに、あそこの誰も責任なんて取るつもりはないんだよ?

 みんな自分たちの権利が守られてればそれでいいだけ、このままだとアスカが全部ひとりで背負わされて」

ㅤ『プレイヤーギルド聯合』、文字通りプレイヤーギルドが議席を持つ、ゲーム攻略のためのギルド・プレイヤー間の連携を確立するために設けられた共同体だ。

ㅤしかし今では当初の理念などすっかり廃れ、所属ギルドらの利権を優先する保守的な存在と化している。

「トカゲの尻尾切りって?

 まぁ、なるようになる。

 どうしてこうなった、なんてまで言わないけど、ゆーのすけさんのこととか……俺はあの人を知っていたから自分で選んで止めるしかなかった。元はキューリの知り合いだったけど、あいつはもういないんだし。

 ミユキがいて、きみがいて、それでいてやけを起こしたわけじゃないつもり。

 そのうえで、それでもあれは『いけないことだった』と、君がいうなら」

 カレンは首を横に振る。

「手を汚してないだけ、見ていて解決のために何もしようとしなかったひとに、アスカを批難する権利なんてない。

 それが正しいかはわからないけど、あの人はネクロマンサーで、プレイヤーを自分の都合のいい人形に変えて、人の死を弄んだんだ。そんなひととアスカは違う」

「そう違わないよ。

 上位調教でミユキを縛り続けているかぎりな」

「それは……だけど……」

「カレンは優しいよな。

 抜け道なんてないとわかってても、俺を必死で慰めようとしてくれる。

 でももう、自分的には割り切ったことだから」

「人から恐れられて、嫌われてもやること?」

「誰かに認められたいからじゃないよ、誰にも譲れないことを俺はしてるだけ。

 正しいことかはわからなくても、最後まで諦めたくなかった、今だって――」

 まだ君を好きでいたい。それを未練がましく、諦めきれていない。

「ほんとバカみたいだよな……俺には本当に守りたい人も物もないんだって、マリエさんにはいつぞ言われたけど、きっとその通りなんだ。だから自分の決めた道理に傾倒しなきゃならない。

 なにもするなというなら、キューリをなくした時に止まるべきだったんだろう」

「アスカは、ならきみはなにがしたいの?

 ピシカって猫のオルタナの子、イカロスの時に死んじゃった」

「それが?」

「自分が想ってる以上に、傷ついてるんだ」

「あれはオルタナだぞ、自我を持とうが、作り物じゃないか」

「でも大切にしてたのは私だって知ってる。

 ネーネリアや第二世代の子達をミユキが拾ったのは、きっとそれを大切にしていたきみに、忘れて欲しくないからなんだよ」

「……ならカレンは、オルタナや第二世代のこと、きみはどう考えてるんだよ」

 それを切り込むのは、ある種必然といえる。

 彼女もその答えを求められることをながらくわかっていて、自分なりの答えを持とうとしていた。

「オルタナをプレイヤーと同じように扱うなんて、私にはできない。

 だけど目の前で見捨てられるほど、割り切れるほど人間ができないというか、理性で結論出せないよ」

「それは、そうか」

「ミユキもアスカも、オルタナに入れ込みすぎてないかって、前はずっと怖かったな」

「――」

「それでも色々考えてたら、やっぱり助けが必要な誰かを放っておくきみは考えられないなって」

「なに、それ」

 アスカには正直、カレンがなにが楽しくてそう言えるのかわからなかった。

「私はそういう君のことが」

 戸を開く音がして、カドクラが入ってきた。

 アスカは殺気立った視線を彼へ向ける。彼もいいところを邪魔した自覚はあったらしく、気まずそうだ。

 一番怒っているのは自分かと想っていたアスカだが、それ以上にカレンの口調がよそよそしい。

「なんです?

 勝手に仕掛けて自爆って、彼に対して謝罪のひとつもないんですね、カドクラさん」

「きみこそそんな男と関わるのはよしたらどうだ、ギルマスもいい顔をしないだろう」

 ここで言うギルマスとはマリエのことだ。

 アスカは寂しそうに、「そうなの?」と彼女へ問うが、首を横に振っている。

「私とマリエさんが、彼とどれだけの付き合いだと想ってます?

 ぽっと出のくせ、指図だけはいっちょ前ですか」

「カレン、そんなに言うことじゃ」

 言葉のキツくなったことを彼女もようやく自覚したらしく、わざとらしい咳を挟む。

「ならどうしてアスカはいつも自分の風評に無関心なの、私はそれが信じられないよ!?

 キューリくんがいた頃もそう、ミユキが可哀想……」

「そういう言い方するか、だったら俺にどうしろって」

「そりゃさっきカドクラさんぶちのめしたみたいに、怒るべきときに怒るんだよ」

「「は?」」

 思わずカドクラと見合わせてしまった。

 直後互いに視線を外すが、

「いやぶちのめしてどうすんだよ、てっきりカレンなら『もっとみんなと仲良くして』とかそういうアレ言ってくれるかとばかり」

「いや君にそれ言って素直に聞いた試しないじゃないですか」

「は? 俺カレンの言うことならめちゃくちゃあてにして聞いてますが」

「いやそこを疑ってるわけじゃないよ、でも結構都合よく恣意的な解釈を挟んで誤魔化すよね、確信犯だし」

 カドクラは端でなんなのこの夫婦漫才と毒づいているが、こちとら見世物じゃない。

「……なに、御二方ってそういうアレか?

 実は付き合ってる」

「たとしてもそれカドクラさんに関係あります?」

「あ、ありません」

(だとして付き合っていいのかそれで?)

 部隊長が萎縮している。この二人のギルド内の立場を考えると、彼と調律師の彼女で対等で、おおよそマリエに次いでの発言権なはず。それだけ調律師というのが得がたい稀少なサイドジョブだからにほかならない。彼女でなければ後先弁えず、ズケズケ言わせてはもらえないだろう。

 そう、毅然としているときのカレンは本当にかっこよくて――

「つーか始末屋、お前んとこにはいるんだろう、契約紋で侍らせたってこれが」

 小指を立てて振るカドクラの品の無さに、カレンが沸点を超える。

「私の親友まで悪く言ってくれますか!?」「え」

 ミユキとアスカの関係をそのようにおちょくる連中自体はどこまでも陰口を叩いていたし、ふたりの方も主従関係をやっている以上は、そう言われてしまうことを半ば仕方のないことだといつしか妥協していた。

「出ていってくれます?

 ミユキのアスカへの想いをバカにした。

 真剣にあの子に向き合ってきたアスカのことも始末屋呼ばわり、あなたは」

「カレン、やめろ!」

 食ってかかろう彼女の肩を引いて、アスカが宥める。

 ……血の気の多いやつしかいないな。

「――、あぁと」

「その、襲って、悪かった」

 カドクラは流石に空気の悪くなったことに気づいてーー色々手遅れだったが、とにかく工房の外へ去ってくれた。アスカは彼女の肩を揺らす。

「ほら、もう行ったから、落ち着けって」

「アスカは悔しくないの?

 ミユキをあんな風に言われて、見られて」

「わかってる。でもあいつとは……ミユキと約束したんだ、あいつのお兄さんを見つけるって」

「生きてるかもわからない人を、ずぅっと捜してーーアスカさ、完全にやめ時を逃しちゃったよね、ご主人様のやめ時」

「かも、しれない」

 カレンはアスカへ振り返り、唇を重ねた。

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