第4話 非効率な業務フローの発見

 魔王軍に転生して2日目。今日から本番だと言われたが、私、阿井澤あいざわ 晴太せいたは、まだこの異世界の仕組みに戸惑いを覚えていた。人事部長兼総務部長という重責を担うことになったものの、魔王バルグリムから直接言われたのは、伝統を守り秩序を維持すること、揉め事の解消程度だった。しかし、ブラック企業で過労死した経験を持つ私には、この組織の働き方を根本から変える必要性を強く感じていた。


 だが、着任早々、驚くべき事実を知らされた。前任の総務部長付きの秘書は、総務部長の奥さんだったそうだ。部長の突然の退職に伴い、彼女も夫と共に故郷に帰ってしまったという。その結果、私の秘書であるナディア・エンバーが、総務部付きの秘書の仕事も兼務することになったのだ。


「ナディアさん、大丈夫じゃないですよね? 仕事が増えて大変でしょう?」


 私の問いかけに、ナディアは優雅に微笑んだ。


「ご心配なく、晴太様。ダークエルフの魔法を駆使すれば、この程度の仕事量は何とかなります。それに……」


 彼女は少し照れくさそうに続けた。


「晴太様の仕事ぶりを間近で見られるのは、私にとって光栄なことです」


 なぜこんなにも評価が高いのかわからないが、好意的に見てくれるのはありがたい。思わぬことを言われ、少し照れながらも、私は安堵の息をついた。ナディアさんの存在は、この異世界での仕事を進める上で、かけがえのないものになりそうだ。


「まずは実態を把握しないといけませんね」


 私は呟きながら、ナディアさんにかき集めてもらった、デスクに山積みされた報告書を眺めた。そこには魔王軍の各部署から上がってきた業務報告が綴じられている。しかし、その報告書の形式は部署ごとにバラバラで、比較すること自体が一苦労だった。


「ナディアさん、これらの報告書をデータ化することはできますか?」


 私の問いかけに、ナディアさんが優雅に頷いた。


「承知いたしました、晴太様。影魔法を使って、すぐにデータ化いたします」


 彼女の手から漆黒の影が伸び、報告書を包み込んだ。瞬く間に、部屋の隅にある魔法の映写機が光り、壁一面にデータが投影された。


「す、すごい……!」


思わず声が漏れた。


「これが影魔法……驚きました。魔法って戦うことに使うことばかりイメージしていました。こんな便利な魔法があるなんて」


 ナディアさんは少し得意げな表情を浮かべた。


「お役に立てて光栄です。影魔法は情報管理に非常に適しているんです」


「ありがとうございます、ナディアさん。これで分析がしやすくなりました」


 データを眺めながら、私は愕然とした。各部署の業務時間が異常に長く、休憩時間は極端に短い。さらに、同じような作業を複数の部署で重複して行っている例が目立つ。


「これは……完全な非効率ですね」


 私の呟きに、ナディアさんが心配そうな表情を浮かべた。


「阿井澤様、魔族の中には夜行性の者も多くおります。そのため、一概に労働時間だけで判断するのは難しいかもしれません」


「なるほど。異世界ならではの事情なんですね。でも、それを考慮しても、この残業時間は異常だと思います」


 データを詳しく見ていくと、特に目を引いたのは戦闘部門の報告だった。セリス・ノクターナが率いる特殊戦闘部隊の業務内容が、他の部隊と大きく重複している。


「ナディアさん、この前お願いした各部門の責任者との面談なんですが、セリスさんとの面談を最優先で調整していただけませんか?彼女の部隊の状況を直接聞きたいのです」


私の言葉に、ナディアさんは目を丸くした。


「セ、セリス様との面談を最優先に……ですか?」


「はい、そうです。何か問題でも?」


ナディアさんは少し困ったような表情を浮かべた。


「いえ、問題はございません。ただ……」


「ただ?」


「……いえ、何でもございません。承知いたしました。すぐにセリス様との面談を調整いたします」


ナディアさんの様子が少し変だったが、私はそれ以上追及しなかった。おそらく、部署間の序列や慣習があるのかもしれない。しかし、効率化のためには、そういった慣習にとらわれずに行動する必要がある。


「ありがとうございます、ナディアさん。では、準備をお願いします」


ナディアさんが部屋を出て行った直後、突然ドアが勢いよく開いた。


「阿井澤さ〜ん!早速お声がけいただけたのですね!」


現れたのは、青紫色の髪をなびかせたセリス・ノクターナその人だった。彼女は嬉しそうに部屋に飛び込んできたが、机の角に足を引っかけてつまずき、私の腕の中に転がり込んできた。


「う、うわっ!セリスさん、大丈夫ですか?」


「あ、はい……ごめんなさい。ついうれしくて……」


先ほど戦闘訓練場で朗らかな笑顔とともに挨拶をしてくれたセリスさんが、顔を真っ赤にしながら立ち上がる。慌てて戻ってきたナディアさんがため息をついた。


「セリス様、どこで待ち構えていらっしゃったんですか?あと、ノックくらいはしてくださいませ」


「そ、そうだった……ごめんなさい」


突然の出来事に、私は少し戸惑った。昨夜と午前中に会った時は、こんなに慌ただしい印象ではなかったのだが。


慌てて姿勢を正したセリスさんに、私は苦笑しながらイスを勧めた。ナディアさんは、あきらめたような表情で私たちを見守っている。


「さて、セリスさん。あなたの部隊の業務内容について聞きたいことがあるんです」


「はい!何でも答えます!」


セリスさんの熱意に圧倒されながらも、私は質問を続けた。すると、驚くべき事実が次々と明らかになっていく。特殊戦闘部隊は、通常の戦闘任務に加えて、他部隊の訓練や装備管理まで担当していたのだ。


「なぜそこまで広範囲の業務を?」


「それが……私たちにしかできない仕事だと思っていたんです。他の部隊に迷惑をかけたくなくて……」


 セリスさんの言葉に、私は頭をかかえたくなるのを抑えた。ここでマイナスの感情を表しては、彼女のやる気に影響する。だが、彼女の善意が、結果として部隊全体の過重労働を招いていたことだけは伝えなければならない。


「セリスさん、あなたの気持ちはわかります。でも、これではあなたの部隊が疲弊してしまいます。本来の任務に集中するためにも、業務の見直しが必要だと思うんです」


「で、でも……他の部隊に迷惑を……」


「迷惑どころか、むしろ喜ぶはずですよ。自分たちの仕事を取り戻せるんですから」


 私の言葉に、セリスさんは少し考え込んだ様子を見せた。


「わかりました。阿井澤さんがそうおっしゃるなら……私たちの業務を見直してみます」


「もし、他の部隊の方との調整が難しそうでしたら、私たち人事部も同席しますので、ご安心ください」


 セリスさんの決意に、私は安堵の笑みを浮かべた。しかし、これはほんの始まりに過ぎない。魔王軍全体の業務フローを見直し、効率化を図る必要がある。


「ナディアさん、他の部署の責任者とも面談の予定を組んでいただけますか?」


「承知いたしました。ですが……」


 ナディアさんは少し躊躇した後、続けた。


「中には、セリス様のように素直に応じてくれない方もいらっしゃるかもしれません」


「そうですね...でも、やるしかないんです。この組織を変えるためには、一人一人と向き合っていく必要があります」


 私の決意に、ナディアさんとセリスさんが頷いた。魔王軍の働き方改革は、ようやく第一歩を踏み出したところだ。しかし、この先には想像もつかない困難が待ち受けているはずだ。それでも、私は諦めるわけにはいかない。


 人間界でブラック企業に潰された過去を持つ私がここに喚ばれたのは、この魔王軍を理想の職場を作り上げるためなのだろう。バルグリムさんから直接言われたわけではないが、この組織を根本から変える。そう、たとえこの世界の支配者である魔王に立ち向かうことになろうとも――。

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