第十五話 撫子の少女とお弁当

 剣が鎧の板金を擦って軋みをあげ、胸元の白い花飾りを裂き落とした。

 審判が赤い旗を上げると、剣の主――赤い花飾りを左胸に咲かせた鎧姿も剣を軽く掲げて勝利を噛みしめる。


 睡蓮祭公開剣闘試合本戦は出場者十六名の規定であり、その前に予選会が行われる。

 会場は本戦同様ヴァルム市の中心部、王城の近くにある円形闘技場だ。

 闘技場と銘打たれてはいるが、実情は閲兵や出陣式、凱旋式といった軍事的な式典から、市民向けの様々な催事まで行う巨大イベント会場といったところだ。


 予選も特に非公開ではないが祭りの初日でもあり、観客は他の催しに気を取られてほとんどいない。ちらほらと闇賭博の関係者であるその筋・・・の人間らしき姿が見られたりする。

 本戦は一試合ずつ順番に行われるが、予選はアリーナを区切って四試合が並行して進行していた。


 装備やルールも本戦と特に変わりない。

 鎖帷子と板金からなる鎧に、面頰付きの兜、左肩からそれぞれ赤白の飾り帯サッシュをたすき掛けにする。

 武器は南部樫材の重く頑丈な木剣。決着が長引くことになるため盾はなし。

 武器を落とすか、頭部や胴体に有効打をもらったら負け(審判が判断する)。

 その他、飾り帯にはちょうど左胸にあたる部分に帯と同じ色の睡蓮の造花がついており、これを落とされても負けである。

 怪我もつきものだが、悪意のあるものでなければ反則を追及されることはなかった。




 ネルケは揚々と控えの天幕に戻ってきた赤い花飾りの選手を出迎える。


「お疲れ様。午後にもう一勝したら勝ち抜け?」

「そうなるわね――ありがと」


 兜の面頰を跳ね上げてフレアが答え、ネルケが差し出した水の入ったコップを受け取り、飲み干した。


「若たちはオディロのとこ?」

「うん、あたしは知らないけど有名な人が相手なんだって」


 もう一人のゲルノート家代表はオディロだった。彼は五人中三位だったのだが、二位の従士が「自分より若い者に機会を与えたい」と辞退したため繰り上げで代表となった。


「相手は確か……カスパー・ハイデンとか」

「ハイデン卿! 出場してたの!?」


 フレアの剣幕にネルケはたじろぐ。


「有名な人なの? セイブル様も『出れば良かった……』って言ってたけど」

「睡蓮祭と収穫祭の奉納試合を三年連覇した人よ。といっても十年くらい前」


 兜を外し、手拭いで顔をごしごし拭くとフレアは続ける。


「剣の腕前だけではなく、人品卑しからぬと評判で、国王陛下から男爵位と封土を与えられたのよね」

「爵位を賜ったってことは直臣として独立したってこと?」

「爵位を持ったまま元の主人に仕えることもできなくはないけどね。ハイデン卿は結局独立したそうよ、ボーデ伯から」


(またボーデ伯……)


 過日より頻繁に名前のあがるボーデ伯だが、『オクシデント・ストーリーズ』においても登場する。

 主人公カミルたちに協力する貴族の一人で、主人公が育ったルナルク村を擁する地方を治める。


(まあ伯なんてそう多くはないけど、ここまで名前が出てくると何か因縁めいたものを感じるわね)


「まさか男爵になって何年もして、自ら出場してくるなんてねぇ……? もう三十も半ば近いんじゃないかしら」


 フレアはそう言うが、ネルケとしてはそこはあまり興味のない話ではある。


「すぐそこだし、終わってなさそうなら見に行く?」

「そうね――」


 その時、隣の試合場で悲鳴が上がった。

 ネルケは一瞬フレアと顔を見合わせ、次の瞬間に二人は走り出す。


 隣の試合場に到着すると、砂地が血で赤黒く染まっているのが見えた。

 倒れた白の飾り帯の選手をセイブルと共にイルザが抱え起こし、半泣きで治癒魔法をかけている。

 慌ててネルケたちが駆け寄ると、丁度セイブルに外された兜の下からオディロの蒼白な顔が現れたところだった。


「おっ、オディロが……脚を……血が……!」


 血を吸った砂地にしゃがみこみ、狼狽するイルザを「大丈夫」と宥めて傷口を確認する。

 股関節近くの内もも、そこを深く傷つけて大きな動脈が破れたらしい。

 当初の出血量こそ多かったようだが、イルザの治癒魔法で傷口自体は塞がりつつあり、血もあらかた止まっている。

 救護員の治癒魔法使いが駆けつけたのを片手をあげて制し、ネルケは重ねて治癒魔法をかけた。


 呆然と立ち尽くしていた赤の選手を審判が引き離し、白――オディロの競技続行不能と赤の勝利を宣言する。

 あくまでも事故であり故意によるものではないと判断されたのだろう。


 人体構造と可動域の関係上、現行の鎧は脇の下や、股関節から内ももにかけての装甲が甘い。刃などついていない木剣でも、切っ先が鎖帷子を引っかけて貫くこともあるし、股引ももひきの上から人の肉をえぐるくらいはできた。


 赤の選手――カスパー・ハイデンは面頰を跳ね上げ、こちらに深く腰を折って礼をすると、いたたまれない様子で立ち去る。


 オディロを救護員とイルザに任せてネルケがふと見れば、その後ろ姿をセイブルが剣呑な眼差しで見送っていた。




 オディロとイルザを医務室まで送ると、会場は昼休憩に入っていた。

 ネルケは手荷物の弁当を取りに行こうと、関係者に開放されている地下の控え室へと向かう。


 ところどころ魔法灯のついた薄暗い石造りの通路を歩いていると、途中の部屋から小さなうめき声が聞こえてきた。

 若干薄気味悪さを感じつつ、急病人か何かであれば捨て置けないと、ネルケは部屋を覗き込む。


 室内では男が一人、ベンチにうずくまり息を荒らげていた。

 ネルケは恐る恐る控えめに声をかける。


「あのう……大丈夫ですか? お体の具合が悪そうですが」


 はっと顔を上げた男には見覚えがある。オディロに怪我を負わせたカスパー・ハイデンだ。

 カスパーは落ち着かなげに目をせわしくぎょろつかせて「問題ない」とかなんとか、ボソボソと呟きながら立ち上がり、ネルケを軽く押しのけるようにして足早に控え室を出て行った。


 何よ、と呟いて男の背中を見送り、部屋に視線を戻すと、ベンチの上にごく小さな巾着袋が置きっぱなしだ。

 ネルケはそれを拾い上げ、男の後を追ったがその背中はもう見つからない。


 中身を覗いてみると、白い結晶質の粉末が入っていた。


(……まさかね)


 粉末のついてしまった指を舌に押し当ててみると軽い苦みが走って、ネルケは慌てて手洗いへ走った。




「魔王散?」


 揚げパンドーナツを手に持ったまま単語を反芻したセイブルに、ネルケは巾着袋を示して頷く。


「ええ、名前の通り散薬(粉薬)なんですけど……強い興奮剤です。〈東方〉の薬で、儀式薬の材料として利用されたりもします。こっちでもご禁制とかじゃないはずですが――依存性もあってあまり性質がいいとは言い難い薬です。そもそも〈西方〉ではあまり見かけない物なので」


 ネルケも製造方法は知らないが、祖母の下で少量ながら実物を見たことがある。祖母は麻黄エフェドラが主原料ではないかと言っていた。確かにあの苦みには覚えがないでもない。


「ハイデン卿がそんなものを……」


 フレアは巾着を手に取ると中を覗き込み、柳眉をひそめて呟いた。


「――さっきは動転しているイルザの手前黙っていたが……あのオディロの怪我だが、おそらくハイデン卿の故意によるものだ。俺の見立てでは、だが」


 セイブルの言葉に、フレアはまさかという顔をする。


「ハイデン卿は人格者でもあったと聞いてますが」

「わからん、だがタイミングを窺っているように見えたし、あの二人の技量でそうそう起きる過失でないことも確かだ」


 首を振るセイブルにフレアはまだ釈然としない様子で、


「それはそうかもしれませんが……」


 と口籠もる。


「薬の影響ですかね」

「だとしても、そもそもそんなものにまで頼って勝負に臨むというところから理解できないな。勝利の名誉というなら、彼は今更そこまで無理を押して出場する必要もないはずだし」


 そうネルケに答えると、セイブルは揚げパンにかぶりつく。


「……せっかく作ってもらったのに、なんだか雰囲気が暗くなっちゃったわね」


 フレアが気遣うような上目遣いでネルケを窺う。


 三人の前に広げた弁当はネルケが厨房を借り、前日から準備して用意したものだ。

 トマトと煮込んだ挽肉とたまねぎのみじん切りにチーズの詰め物フィリングや、オレンジの砂糖漬けを詰めた揚げパン。南瓜にブロッコリー、ひよこ豆とベーコンという具だくさんのキッシュ。

 途中で医務室に寄り、揚げパンを二人分イルザに包んで持たせたが、多めに作っていたので残りを三人で食べきるのは厳しそうだ。


「仕方ないよ、まさかこんなことになるとは思わなかったし」


 張り切っただけに少々へこんでしまう。

 砂糖漬けの入った揚げパンには粉砂糖がまぶしてあり、一口食べると甘みが落ち込んだ気分に染みた。

 ベーコンとブロッコリーが好物だというフレアはキッシュに舌鼓を打つ。


「ま、応援してるから午後にフレアに景気よく勝ってもらって気持ちを挽回させてもらおっか」

「任せてちょうだいよ」

「でも、怪我には気をつけてね」


 一心に弁当を貪っていたセイブルが顔を上げる。


「俺はハイデン卿の試合も様子見をしてこようと思う。どうにも気になる。――この薬も俺が預かっておこう」

「わかりました……って若、ちょっと食べ過ぎじゃないですか?」


 いつの間にか弁当は大部分が平らげられていた。


「ちょっ、大丈夫ですか? そんなに無理しなくても……」

「問題ない、美味しかった――っ失礼」


 言いながらセイブルは小さくげっぷをする。

 ネルケとフレアは弾かれたように笑い転げ、セイブルは拗ねたように渋い顔をしてみせた。




 午後の試合、フレアは危なげなく勝ち抜け、介添えのネルケと二人で気炎を揚げる。

 カスパーの方も今回は怪しい動きもなく、当然のように勝ちを収めていたという。


 帰りがけ、医務所にイルザとオディロを迎えに行く二人と一度別れ、ネルケは一人で手洗いに向かい、そのまま行方知れずとなった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 ネルケは顔をまさぐられるような感覚で目を覚ました。

 焦点の戻った目の前には、浅黒い肌に、より濃い髪色をした少女の顔と、彼女の持った手拭いがある。


(だれ……?)


 使用人のお仕着せらしき姿のその少女は、ネルケと目が合うとぱちくりと水色の瞳をしばたたかせ、大きく振り返って声を張り上げた。


「旦那さまぁ、この人また・・目を覚ましましたよう」


 若干舌足らずというか、変わったイントネーションだ。

 容姿からすると南方大陸からの移民だろうか。南部であればいざ知らず、王国では珍しい。


 どういう状況かわからず、ネルケは混乱した。

 セイブルとフレアと別れて、手洗いに行ったところまでは思い出したが……。

 とりあえず自分はベッドか何か、寝具に寝かされているらしい。


 少女の背後に灰色の髪をした細面ほそおもての中年男性が現れ、ネルケを覗き込んできた。

 着ている物は上等で品も良く、穏やかで貴族的な風采をしている。

 見覚えのない男の登場に警戒心がかき立てられる。


「さて、今度は正気かな?」

「こおあ……っ」


 開口一番失礼な男に、「ここはどこですか?」と尋ねようとして呂律ろれつがまわらないことに気がついた。

 口の端からよだれが垂れたのを慌ててすすり上げると、少女が手拭いでていねいに口のまわりを拭いてくれた。

 咄嗟に礼を言いかけて、思い直す。余計によだれが出るだけだ。

 もどかしさを抑えて代わりに笑みを返すと、少女もにっこりと笑った。


「良かった、意識はしゃん・・・としたみたいだ。しばらく前に一度目を覚ました時は朦朧とした様子で要領を得なかったから心配したよ」


 そう言われてもさっぱり記憶にない。

 体を起こそうとして身をよじるが、これも思うように手足に力が入りきらない。


「無理しない方がいい」


 男はそう言って少女に指図し、ネルケの上体を起こさせる。

 少女は意外な力強さでネルケの体をずりあげさせ、ベッドのヘッドボードにクッションを当てて寄りかからせた。

 見下ろした服装は、記憶にあったときのままだ。


「さて。『お名前は?』と聞きたいところだが、暫くは無理だろうしひとまずこちらから一方的に自己紹介だけさせてもらおう」


 少女に飲み物の用意を言いつけると、男は芝居がかった調子で言った。

 とりあえず差し迫った害はなさそうな人物だと判断し、少しでも情報が欲しいネルケは大人しく聞くことにする。どうせ思うように質問もできないのだし。


「まず君の面倒を見てくれていた彼女がソフィア。賢くて気の利くいい娘だよ」


 男は柔らかく目を細めて笑みの形を作る、声色には父親が娘を慈しむような響きがあった。


「そして私はエビーク・ケストナー。クルギア伯だ」


 胸を張って堂々と名乗った後、声のトーンを落として続ける。


「きっと、たぶん、おそらく――そう、今はちょっと実の父親に軟禁されているけど」

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撫子の魔女と黒の剣 すけ @suke1108

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