第十四話 撫子の少女と野蛮人たちの宴

「と、クルギア伯が暴力行為に関する苦情を申し立ててきているわけだが。何か申し開きはあるか?」


 乱闘から三日後、本来の主が不在の執務室にネルケとフレアは呼び出されていた。

 セイブルの言葉にネルケの隣でフレアは口を尖らせた。


「店を出ようとしたところに絡んできたのは向こうですし、大負けに負けても五分五分フィフティ・フィフティです」


 セイブルは手元の書簡に視線を落として読み上げる。


「『魔法使いをともない、その力を誇示した高圧的な態度で接し、さんざんに侮辱した』とある」


 これにはネルケも黙っていられない。


「そんなわけないじゃないですか、少なくとも前半は」

「だろうな」


 セイブルも相手の言い分など信じていない。


「だいたい、茶店の店主だっていたでしょう。ここの法廷局は比較的公正な仕事をするって聞いてましたが……」

「だからだ。店主はこちらからの『迷惑料』を受け取っているからな」


 聞いて、フレアはちっと舌打ちする。


「で、相手はどうしろと?」


 セイブルは別の書状を机から拾い上げる。


「こちらは訴状ではなく果たし状だな。証人はボーデ伯。要約すると――本年の睡蓮祭で決着をつけよう」

「睡蓮祭?」


 ネルケの問いにフレアが答える。


「毎年、晩夏に睡蓮祭って祭りがあるんだけど、その時に有志各家の騎士や従士達を集めて公開剣闘試合をやるのよ。秋の収穫祭にやる奉納試合の選考も兼ねてるんだけどね」

「ボーデ伯からも『侯と伯という世の木鐸たる立場の者たちが、かかる私闘に明け暮れ王都を騒がすは傍輩ほうばいとして容認せざることはなはだし』……いつまでも喧嘩とか迷惑だからこの機会に決着をつけられるならつけてくれ、ということだそうだ」


 書状を机に放りながらセイブルが続ける。


御屋形おやかた様は『こうした野蛮なことはお前に一任する』と」

「ほー、面白いじゃないですか。私ら向きですし」


 そう言ってフレアは右拳を左てのひらに打ち付ける。


「『ら』っていうのは不本意なんだけど……」


 〈東方〉に対する備えであるウィニアは、尚武の気風が強いと言えば聞こえは良いが、腕っ節で物事を解決したがる人物が多い傾向がないでもなかった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



(また一体何を企んでいるんだ父上は……)


 クルギア伯ケストナー家当主、エビーク・ケストナーは灰色の髪の毛を両手でわしゃわしゃとかき混ぜ、今日も頭を抱えた。

 まだ四十を過ぎたばかりだが、若い頃からの苦労のせいかいくらか年嵩に見える。


 ウィニア侯との抗争のどさくさで新当主となったエビークだったが、前当首である父ハイモンには相変わらず振り回されっぱなしだ。


 本来はクルギアに引っ込んで蟄居しなければならないハイモンだったが、本領には影武者を送り、王都の中屋敷なかやしきに残って引き続き影響力を行使してくる。

 今回もまた勝手にクルギア伯の名で策動しており、未だに自分がケストナー家の頭領だと信じて疑っていない様子だ。


 そもそもハイモンは気性の似ていない息子を疎んじていたため、事件がなければエビークがケストナーの当主となることはなかっただろう。孫には甘かったので、直接孫に譲ることを考えていたに違いない。


 先日は妙な三人組を使ってウィニア侯カールの暗殺という暴挙を計画し、実行直前に侯の妻子が揃って上京すると聞くやそちらの襲撃に切り替えたという。


 幸い失敗に終わり、また尻尾を掴ませることもなかったようだが、報告を受けた時は心臓が止まるかと思った。


(戦争を起こしたいのか、父上は)


 彼自身は警務局長の職自体は惜しいと感じていないし、そもそもあの件に関して言うなら非はこちらにあったと理解している。


 王都であるヴァルムで権力を行使していたいハイモンと違い、彼は本領であるクルギアを重視していた。

 中央でつまらぬ権力争いをしているくらいなら、クルギアを巡察して殖産にでも励んでいる方がよほど有意義だと考えている。


 耄碌しているとしか思えない父を拘禁なりしたいところだが、生憎と王都勤めの家人達にはまだ前当主ハイモン派が多く、弱腰な――ように見える――エビークを軽んじているところがある。

 従士達などもヴァルムで幅を利かせていた頃が忘れられないのだろう、ウィニア侯への敵意を募らせている者が少なくなかった。


 エビークが若い頃から丹念に領地を見て回り、地道に実績を積み重ねてきた国許くにもとであれば自分の派閥の方が強いのだが……。

 ヴァルムでの権勢に固執しているハイモンに代わり、ずっとクルギアで足元を固めることに腐心してきたエビークは、逆にこちらでは全くと言っていいほど存在感がないのである。


(ウィニア侯の一門は結束が強いと聞く。こんな状態ではそもそも勝ち目などあるわけないな)


 エビークは自嘲した。


(しかし睡蓮祭か……野蛮は野蛮だが、額面通りの話なら戦争よりはマシか)


 問題はやはりハイモンが何を企んでいるかである。


「ご主人様」


 侍従のノックと呼びかけに我に返ると、入室を促した。


「どうした」

「先代様の件でご報告が……」


 侍従はエビークに耳打ちするように顔を寄せてきた。

 一通り話を聞くと、エビークは顔色を変えた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「騒ぎに巻き込んでしまってすまない」


 フレアの退出後、セイブルはネルケを呼び止めて詫びた。


「驚きはしましたけど、それは別に」


 ネルケはゲルノート従士団の強さに対してほとんど無条件の信頼感を持っているようだ。セイブルからすれば何故そこまでと思いはするが、嬉しくないと言えば嘘になる。


「セイブル様は試合には出場されるんですか?」

「いや、俺は出場はしない」


 出れば優勝も狙えるんじゃ、というネルケに苦笑する。


「興味がないわけでもないが、基本的に騎士や従士たちの催しだし、事故もあるからな。一門の総領息子がうかうかと出しゃばってもいい顔はされないだろう。なにより試合への出場は彼らにとって名誉な事だから、機会を奪うわけにもいかない」

「じゃあうち・・からは誰が出るんです?」


 ネルケの「うち・・」という表現に若干のむず痒さを感じながらセイブルは思案する。


「まあ……先日の件の当事者であるフレアは候補から外せないだろうな。若手を出すのが慣例だし……それに」

「それに?」

「俺の母親についてはフレアがもう話したと聞いているが……」

「……ええ」


 セイブルの母ファルマの実家シェーンベルク家は、代々ゲルノート家に仕える騎士の家系であり、カールの侍従を務めていたが、娘ファルマが主君の子を身ごもった時点で、役を退いた。

 主人におもねるために娘を差し出したと疑われれば、主の名誉にも傷がつくと考えたからだろう。

 しかもその子供が長男・・だと知ると封土も返上しようと申し出たそうだが、カールはこれを慰留した。


 現在のシェーンベルク家はファルマの兄、フレアの父であるオスカーが継いでいる。

 セイブルにとっては伯父にあたるわけだが、斯様な事情から距離を置いているため、直接顔を会わせたのは数えるほどで、儀礼的な挨拶の機会くらいしかない。


 さすがのカールも責任を感じているようで、現在はシェーンベルクの一人娘であるフレアを引き立てる機会を窺っているところらしい。


 自分が生まれる前後の話なので、伝聞や憶測が含まれることを断りながら、セイブルはそんな説明をした。


「じゃあ、フレアにとっては今回は家の面目のためにも腕の見せ所ってわけですね」


 セイブルは頷く。


「こんな他家との因縁のない、真っ当な試合であったらなお良かったんだがな」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 屋敷の裏手にある従士達の訓練施設は、さすがに本拠城館のものより手狭だった。

 ネルケは邪魔にならないよう隅っこのベンチに座り、顔見知りの従士達を目で探す。


(屋敷の人達も『客人』として扱ってくれるんだけど……正直ウィニアの城館の方が居心地良かったな)


 従士をはじめ、ごく一部の一緒に異動してきた者たちを除けば、一から関係の築き直しになっているため若干気が重い。


 従士達の中に、後輩に稽古をつけているフレアの姿を見つけた。


 〈神濤しんとう流〉は素振りや型稽古に呼吸法といった基礎、体作りに終始する「初伝」。実戦的な技術を伝授される「中伝」。能動的に〈サイキ〉を用いる、より高度な技法を伝授される「奥伝」の三段階がある。

 これは多少の差異はあれど他流でも似たようなものだ。


 王都詰めには見習いである初伝者は基本的にいないので、中伝者以上が木剣を持って立ち合う地稽古の比率が大きい。


 木剣での立ち合いは基本的に寸止めだ。

 刃引きの擬刀はもちろん、木剣でも当たれば大怪我をするし、打ち所が悪ければ死ぬ。

 綿を詰めた暑苦しいキルティングの上着――ギャンベゾンと呼ばれる――に堅革の防具は、事故に備えたもので、木剣や鉄剣で思い切り殴り合うことまでは考慮したものではない。

 実際、勢い余った衝突事故のような打突を受けるのは避けられず、よほどの上級者でも体に痣は絶えなかった。

 従士達にとって地稽古は常に強い緊張感を強いられるものであり、またそれも胆力を鍛える修行のうちなのである。


 武芸には素人のネルケだが、士気の高い従士達の訓練の様子は頼もしい。

 彼らの警固を打ち破ってカールを暗殺するのは並の腕前では不可能だろう。思い浮かぶのはあの三兄弟だ。


 ひょっとしたらもともと襲撃を受けるはずだったのはカールではないか? と考える。

 ゲームにはあの三兄弟は出てきていないが、報復に三人ともセイブル達に斬られていたとしたら辻褄は合う。


「ハァイ」

「……ハーイ」


 視線に気付いたフレアが、稽古を切り上げてネルケの座るベンチにやってきた。


「はあ、夏の稽古は地獄だわ」


 言いながら汗に濡れた訓練用の防具を外し、ギャンベゾンの前を開く。

 卓上の素焼きの水瓶の蓋をあけ、椀で中の麦湯をすくうと一気に飲み干した。


「ちょっとちょっと――」


 汗でじっとりと胸に貼りついた肌着をあらわにしたフレアに、ネルケは慌ててベンチに積んであった手拭いを押しつけた。


「大丈夫よ、あっち向かなければ見えやしないって」


 当人はそう言うが、ネルケの方が気が気でない。

 フレアは受け取った手拭いで気持ちよさそうに汗を拭いた。


「で、代表にはなれそう?」


 ネルケが問うとフレアは頷く。


「モチよ」


 出場は王家の直臣かその一族郎党の中から、伯以上の家であれば二人、それ以下の家では一人ずつ。大きな家ほど高倍率だ。

 フレアは現在王都に詰めているゲルノート家の騎士や従士達の中では指折りの使い手と言えるし、二十歳前後という年齢層で言えば図抜けている。


 とはいえ女性で、しかも嫡男の従姉妹という要素は彼女の立場を難しいものにしていた。

 代表になればやっかむ者もいるだろうし、良い成績を残せなければそれみたことかと言う者も出るだろう。


 そうしたことに堂々と――むしろ生き生きとして立ち向かうフレアに、ネルケは羨望を覚える。


 後日、自薦他薦五名の候補者たちでの総当たり戦の結果、フレアは四勝をあげて堂々の一位で代表の座を獲得した。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 盛夏を過ぎ、残暑と呼ぶのは人の勝手とばかりに、まだまだ手加減のない晩夏。

 中天を回った太陽がいよいよ激しく照りつける草原の上、緑の絨毯の中を走る一筋の街道を、一台の馬車が往く。


「あちぃ、あちーよ」


 強い日差しが幌をじりじりと灼く馬車の中、目の覚めるような鮮やかな赤毛の少年がぐったりと呻く。

 幌は風通しのため左右ともまくり上げられており、天井部の分厚い帆布キャンバスが馬車上に日陰を生み出している。が、日差しはその帆布越しに熱波を送り込んでくるかのようだった。


「だらしないのやめなさいって言ってるでしょ」


 隣に座る、卵色の猫っ毛をボブカットにした少女が声を潜めて言う。

 少年は苛立たしげに指で車体をトントン叩いた。


「だってさぁ……王都っていつになったら着くんだよ」

「もうここは王都の中だよ」


 少年の愚痴に苦笑気味に答えたのは二人の向かいに座る初老の男だった。

 少年は驚きに顔を上げる。


「ええっ。畑と牧草地しか見えないじゃんか。こんなの俺の田舎と変わんないよ」

「初めて来た人はだいたい勘違いしてるもんだけどね。君が考えてる『王都』まではもう小半刻(三十分)といったところかな」


 一口に王都ヴァルムと言ってもその意味するところは文字通り広い。

 「王都」と言われて人々が想像するであろう姿は広義的にはその半分に満たず、その中心部から徒歩で半日程度の範囲をひとまとめに王都として扱う。

 郊外に分散した一部の都市機能や、食糧自給の半分程度を賄う周辺の農村なども総じて王都の範疇なのだ。


「外から来る人間がイメージしてる『王都』は、我々の間じゃ中央市街って言うんだよ。お役人なんかはヴァルム市って呼んだりもするみたいだけどね」


 この馬車は、その「王都圏」を日がな往来して人や物を運ぶことを生業としているポーターだ。実際、麻袋や木箱といった荷物も積まれていた。


「はぁ~、マジかよ。王都って広いんだな……」

「恥ずかしいから、街についたらその田舎者丸出しの態度改めてよね」

「なんだよ、カーヤだって同じ村育ちだろ」

「私はボーデに住んでたこともあるし、王都も初めてじゃないもの」

「目くそ鼻くそってんだ、そういうの」


 目の前で口喧嘩を始めた少年と少女を見て、初老の男は仲裁に入った。


「ああ、ほら。先の方に市壁が見えてきたよ」

「おお、ほんとだ」

「距離があるからね、もう少し近付くと高さにびっくりするかもしれないよ」


 少年は目を輝かせて馬車から身を乗り出す。

 その落ち着きのなさに、少女カーヤがうんざりと少年の名前を口にした。


「だから、そういうのやめなさいって言ってるでしょ。カミル!」

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