第十三話 撫子の少女と野蛮人たち

 大ルクシウス帝国、いわゆる〈古王朝〉の支配力の低下により、各地に勃興した軍閥や豪族勢力。それらがおよそ一世紀にわたる動乱の時代を経て、紆余曲折の末に再統合された結果が、現在の〈西方〉勢力図である。


 <古王朝>における東部軍の最高責任者『征夷大将軍』が、<東方>に対する防衛責任という名分で東部の各勢力をまとめ上げ、その一大軍閥をもって建国したのが東ルクシウス王国だ。

 そうした経緯もあってか、王権は対<東方>の軍事における権威にとどまっており、諸侯連合の盟主として「担がれて」いるという印象が強い。

 要するに王の立場や権威は<東方>からの脅威がない限りさほど強くないのだ。


 ちなみに<古王朝>の継承国家を自称する西ルクシウス帝国は、「王国が征夷大将軍の軍ならば、我らに従うべきではないか」と主張しているが、王国はそもそも現帝国の正当性を認めていない。


 ウィニア侯ゲルノート家は、征夷大将軍を補佐する征夷副将軍の家柄であり、王国では五指に入る名門ではある。

 〈東方〉への押さえとして王国の辺境ウィニアに配置されたゲルノート家の権勢もまた、対〈東方〉戦略によるところが大きかった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 明けて翌日の昼頃、ネルケは王都ヴァルムの市街にいた。

 随伴者はフレアで、長身で姿勢の良い女性従士を颯爽と連れ歩くのは、同性でもなんだか見せびらかしているようで悪くない気分だ。


 ネルケはブラウスとスカートといういたって普通の町娘の出で立ちに、鞄を肩から提げている。

 フレアは大きなラッフルカラーのシャツに、引き締まったヒップラインにぴったり張り付くような筒袴ズボン。小剣を吊った腰の剣帯の上に青い飾り帯サッシュを巻き付けている。垂らした帯の先には小さな車輪。


「イルザ達とは一緒でなくて良かったの?」

「ん?」


 昼食に入った茶屋で、ネルケはいつもの眠たげな半眼でワッフルをかじっているフレアに尋ねた。

 フレアは少し顔をしかめて答える。


「ああ、あいつら……イルザとオディロはつきあってんのよね、わりと前から。だから私はいつも一緒なわけじゃないのよ」

「あ、あの二人やっぱりそうなんだ?」

「ま、本人らは人前じゃあまりイチャついたりしないようにする気ではいるみたいだけど……全く気付いてないのは若くらいじゃないかしら」

「ありそう」


 二人で顔を見合わせて笑った。


「じゃ、午後にモニカ様とお茶の約束をしてるんだけど、良かったらフレアも来る?」


 思い出したように誘ってみる。

 するとフレアは苦い顔をして首を振った。


「あー、モニカ様とだと奥方様も体があいてたら来るんじゃない? 私、奥方様とはちょっと」

「そうなの?」

「直接何かあるわけじゃないんだけどね……」


 ちょっと考え込み、


「私が若の従姉妹だって聞いた?」


 爆弾発言をしてくる。


「ええっ!?」

「まあわざわざ言うような奴もいないか……。私の叔母が若の母君なのよ。シェーンベルク家はゲルノート家に仕える騎士の家系で、叔母も従士やってたんだけど……まあ、王都勤めの間にお手つきになったってわけ」


 衝撃の事実だが、若年や性差をものともしないフレアの強さになんとなく納得できたところもある。


(お母さんの方の血だったのかしらね……)


 セイブルの圧倒的な武芸のセンスや強大な〈サイキ〉を導出する具象回路はその血筋によるところも大きいのだろう。


「だからまあ、奥方様にはちょっと近寄りがたいのよね。たぶん何もないとは思うけど、多少気まずいというか」

「なるほど」


 ネルケは納得してこの話を打ち切ることにする。


「じゃ、次はブティックでも覗いてから――」


 言いかけた瞬間、どやどやと店に入ってきた者たちがあった。


「ああ、暑い暑い」

「おい店主、茶だ――」


 生成きなりのチュニックに、尻や内ももに当て革のついた乗馬用の筒袴。身なりにだらしないところはないが、どうにもガラが悪いというか横柄な雰囲気の若者三人組。

 腰の高い位置にお揃いの紫紺の飾り帯サッシュを巻き、チュニックを絞っている。

 その下、ズボンのベルトと二重になっている剣帯には小剣がぶら下がっていた。


「――クルギア伯のところの従士よ」


 こちらも腰に巻いたゲルノート家の青い飾り帯を押さえ、フレアが声を潜めて言う。


「面倒なことにならなきゃいいけど」


 ため息。

 ネルケも今朝方セイブルに聞いた話を思い出していた。




 その日の朝食の後、ネルケはセイブルに声をかけられ談話室に連れ込まれた。


「市街へ出るなら念のため一応説明しておく――」


 内容はウィニア侯ゲルノート家とクルギア伯ケストナー家との因縁についてだ。

 もともと仲が良いとは言えなかった両家が決定的にこじれた一件は昨年の秋までさかのぼる。


 十二歳になったばかりのゲルノート家の小間使いの少女が、買い物の用事に出かけた帰り、乱暴をされたあげく殺された。

 現場の路地裏から逃げ去る男の姿を目撃した者が複数おり、犯人は酒癖の悪さで有名だったケストナー家の下男とすぐに知れる。


 しかし事はそう簡単には進まなかった。ケストナー家こそが、王都ヴァルムの治安維持を担う警務局の局長職を家職としていたからである。


 ゲルノート家の抗議に対してケストナー家と警務局はのらりくらりと下男を庇い、あげく無関係な町人を犯人に仕立て上げ、ヴァルム市民の顰蹙ひんしゅくを買った。

 幸いなことに裁判を管掌するのは別の部局であり、ケストナー家の横槍には難色を示したが。


「そんなこと許されるんですか……」

「そんなもの許すわけがないだろう」


 もちろんゲルノート家もそのまま黙ってはいない。一月ひとつき余が経ち、ほとぼりも冷めたと真犯人の男が揚々と外出し、酒を飲みながら「武勇伝」を語っているところをゲルノート家従士が取り囲んだ。

 泣きわめく男を目抜き通りの広場に引きずり出し棍棒で滅多打ち。動かなくなったそれ・・を台を立てて吊るす・・・と、ヴァルム市民の喝采が上がった。


(みんな蛮族かな?)

「何を考えているかだいたいわかるぞ」


 そうは思ったが、理解もできる。

 警察や司法の機能が弱く不完全な時代は自力救済がまかり通る。「やったらやられる」「やられたらやり返す」が抑止力となるのだ。

 仲間や下の者が酷い目にあったのに何もしない親方についてくる者はいないし、舐められた一党はそれからもいいように扱われる。

 ましてや結束の強いゲルノート家の人間達からしてみれば、幼い被害者は末の娘か妹のようなものだ。


 客観的にはろくでもないが、ケストナー家が下男を庇ったのも同じような理屈だろう。


 両家間の緊張が高まり、すわ戦争かとなってようやく王家による仲裁と事件の調査が入った。


 もともと職権を濫用し、賄賂を要求したり冤罪を仕掛けて他者を陥れようとしてきた警務局の親玉であるケストナー家である。

 王都市民はもちろん他の貴族達にも疎まれており、さして強くない王権も今回ばかりは容赦がなかった。


 当主は隠居のうえ蟄居を命ぜられ、家職は剥奪。少なくとも今代のうちの復職はないとした。

 警務局にも大鉈が振るわれることとなり、改組のため局長代行には謹厳実直で知られたボーデ伯ドナート家当主、ウルリヒ・ドナートが任ぜられ、これも王都市民の歓声が上がる。


 ゲルノート家は家臣の監督不行き届き、市中を騒がせた罰として、当主は一ヶ月の謹慎を言い渡された。


 かくしてケストナー家は切歯扼腕、ゲルノート家に怨嗟の念を抱いているのである。


 市街で両家の家人が顔をあわせれば、その場でにらみ合い。罵り合いから殴り合いの喧嘩に発展してもおかしくない。


 昨日の賊も彼らによるものだろうという。


「ただの逆恨みじゃ……」

「それで納得するような相手じゃないから困ってる」


 セイブルは話をため息で締めくくった。


 ひとまずわかったことはある。

 カール・ゲルノートの死因はおそらくこの抗争だ。




「こっそり出よう」


 そう言うと、フレアも「仕方ないか」という顔で頷く。

 前払いなので勘定の必要はない。


 壁際に寄り、三人組の視界に入らないよう移動する。

 その時、新たな人影が店に入ってきた。


「おい、人を置いていくもんじゃないぞ」


 腰には紫紺の飾り帯、どうやら彼らの連れらしい。


 店の中の男達はその声に振り向くと、出入り口脇の壁に張り付いていたネルケの姿を認め、一人がにんまり愛想良く笑うとこちらに歩み寄ってくる。


「やあお嬢さん、そんなところでなに――」


 視線がネルケの隣のフレアをとらえ、腰の飾り帯に気がつくと笑顔が凍った。

 冷たい目でフレアを見やると、


「……辺境ウィニアの田舎女が、百姓仕事に飽きて王都観光か?」


 そう吐き捨てる。


「そうね、王都に来てまでイモの相手をすることになりそうでうんざりしてるところよ」


 フレアも開き直って相手を睨み返した。


「大の男が四人も雁首並べて昼間っからぶーらぶら、若い娘捕まえてニヤニヤ、正直薄気味悪いのよ。家が無役になってあぶれた家人はヒマなのね」


 ふん、と鼻で笑う。


「――相手してらんないわ。さ、行きましょ」

「いや倍は言い返してたよね……?」


 言うだけ言ったか、ネルケの肩を出入り口に押しやるように促す。


 男達は出入り口を塞ぐ形でずかずかと回り込んできた。


「おっとっと、そうつれなくするなよ。そっちのお嬢ちゃんの話をまだ聞いてないなあ」

「相手しちゃだめよ、つけあがって絡んでくるだけだから。こういう手合いは無視するに限るの」


 どの口で言うのかというところだが、ネルケもこいつらと話したいことなどないのは確かだ。


 男の一人がネルケの手を掴もうと不意に腕を伸ばす。


「うちの子に――」


 フレアはその腕を掴むと相手の腕を肩からひねり上げ、


「触んなっ!」


 別の男に向けて蹴り飛ばした。


「あっ、このクソアマッ」

「女だから殴られないと思ってるとタダじゃ済まさねえぞ!」

「あら、女子供しか殴れないタイプかと思ったわ。あんたらのところの下男みたいに」


 本格的に気色ばむ男たち相手に、フレアも正面から身構える。


(ああもう、そろって野蛮人過ぎる)


 文明人のネルケにはこうした際の対処法というのは備わっていないので、流されるままだ。


「てめぇっ!」


 フレアは殴りかかってきた男に対し、体捌きで横に回り込み、肩を突き飛ばして勢いを変えてやる。

 男はよろけて椅子につっこみ、足を取られて顔から転倒した。


 妙に生き生きとしたフレアを見ながら、ネルケは肩に掛けた鞄から武器になりそうなものを取り出そうとする。

 乱闘者たちが誰も腰の小剣を抜いていない・・・・・・・・・・・・・ことに考えが及ばなかったこともあるが、そもそも素手の喧嘩のやり方なんて、ネルケは知らない。

 素手じゃなければわかるという話でもないけれど。


 ネルケが鞄の中で棒状の物を掴んだ瞬間、がっしと肩を掴まれる。

 フレアが最初に蹴り飛ばした男が忍び寄ってきていたのだった。


「ひゃっ」

「捕まえた――おい、そっちの女――」


 ネルケは無我夢中で棒状の物を引っ張り出すと、男の顔にスイング。


「にゃっ!」

「いでっ!」


 顔を叩かれて男は悲鳴を上げたが、自分の口から出た声にネルケ自身も仰天する。

 握りしめていたのは『ねこぱんちワンド』だった。


 肩を掴んでいた腕を払いのけて距離を取ると、ワンドを握ったまましゅっしゅっと拳を繰り出す素振りをする。


「にゃっ、にゃっ」

「このクソガキ……ふざけやがって」


 言って、男はワンドに目を留め、


「お前まさか……魔法使いか!」


 思わずといった様子で腰の小剣に手を伸ばす。


「だったら何よ」


 ワンドを構えてネルケが言うと、男は舌打ちして小剣から手を離した。


「おいっ、お前ら――」


 後ろを向いて仲間に呼びかけようとしたが、一人は床にのび、もう一人は椅子に倒れ込んで呻き、いま一人は腕を背中までねじり上げられて悲鳴を上げていた。


「最後まで刃物は出さなかった分別だけは褒めてあげるわ」


 フレアはそう言って男を突き飛ばすように解放する。

 このうえ刃傷沙汰が起きれば両家の間で戦争が勃発することは避けられないだろう。わかっていて挑発する彼女も軽率の誹りを免れないと思うが……。


 男は苦々しげに「おぼえてろよ」と言い、肩を極められていた男と一緒に、のびた二人をそれぞれ担いで出入り口に向かう。


「雑魚は負け慣れてるから退き際だけは鮮やかよねー」


 フレアは男達の背中に捨て台詞を投げ返す。


「ごめんなさいねご店主さん。何か壊れてたらゲルノート家に連絡をちょうだい」


 フレアはカウンターの陰に隠れている店主に声をかけると、迷惑料にいくらかの硬貨をテーブルに置いた。

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