第二章

第十話 撫子の少女とそれからのこと

「ですから、〈西方オクシデント〉と〈東方オリエント〉というのはあくまでも私たち西方から見ての話で、この大陸は東に倍以上広がっており、いくつかの文化圏を抱えています」


 ネルケは目の前の少女に、北方大陸の地図――と呼ぶほど上等でなく、せいぜい概略図――を示しながら説明する。


「東方の中の、特に東寄りを〈極東〉と呼んで区別する向きもありますが、公平に言えば〈西方〉〈中央〉〈東方〉とおおむね三分割して呼ぶべきではないかという意見もあります」

「ネルケさまは〈東方〉に行ったことはあるの?」


 図を指でなぞって話に聞き入っていた栗色の髪の少女――モニカの質問に、ネルケはピンク色の頭をかく。


「残念ながら、行ったことはありませんね」


 モニカの快復から一ヶ月あまりが過ぎ――ネルケは未だゲルノート家に留まっていた。


 経過観察のため数日逗留したのだが、そこからずるずると居座ることになってしまった。

 ヘルガに強く引き留められ、モニカに懐かれ、セイブルにも名残惜しそうな目で見られて折れたのだ。


 何もせずに居候するのも抵抗があり、本業の薬品作りの他、体力の回復してきたモニカの家庭教師のまねごとを始めると、モニカはもちろんヘルガにも喜ばれた。


 客室から移動し、使用されていなかった蒸溜室のある一画――この世界では貴人館の蒸溜室の主は、彼らをパトロンとする薬師や錬金術師である――を住居すまいとして与えられ、なし崩し的にゲルノート家のお抱えになりつつある。


(好都合と言えば好都合なこともあるのよね)


 モニカを救い、セイブルの未来を変えたわけだが、彼の不幸はこれだけではない。

 思い出してみれば、彼はただ一人・・・・の家族である妹を救うために手を汚すのである。

 つまり父親やヘルガはゲーム開始時点で亡くなっている。


 問題は二人の死についてはゲーム外ですら情報がほとんどなかったことだ。父親は「他の貴族との抗争で死亡」、ヘルガは「夫の死と娘の容態に苦悩して倒れた」、これのみ。


(あたしにはどうにもできないかもしれないけど、毒を食らわば皿までって言うし)


 セイブルの父親とはまだ面識はないが、ヘルガには情も移ってしまった。人が死ぬかもしれないとわかっていて何もしないというのはどうにも心苦しい。

 モニカが快復したことでこちらも何か変わればいいのだが――。


「ネルケさま?」

「あ、ごめんなさい」


 モニカに呼びかけられて我に返る。

 けていた頬や肉の落ちていた手足も健康的な肉付きに戻り、卵に目鼻といった風情。


 こんな少女に全幅の信頼を置いた笑みを向けられると、胸にじんわりと湧いてくるものがあり、彼女を助けたことは間違いではなかったと確信できた。


「今日は何か他に聞きたい話はありますか?」

「魔法をおぼえたい!」


 毎度の勢いに苦笑してしまう。


「前も言いましたが魔法の修得は危険が伴うのでダメです。何かあれば夫人に顔向けできません」

「えー」


 ぶんむくれる少女をなだめる。


「それじゃあただ魔法のお話だけしましょうか――それでいいですかセイブル様」


 部屋の片隅に椅子を出して座っていたセイブルに声をかけると、彼は鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこちらを見返した。


「――俺に聞くのか」

「保護者でしょう。モニカ様が心配で監視しているのでは?」


 そう言うと、セイブルは「別に監視の意図はないが……」と奥歯に物の挟まったような言い方をした。


 この一月ばかり、モニカの次に顔を見ているのはセイブルだろう。こうしてモニカの相手をしているところを眺めていることもあれば、一緒にお茶をすることもある。

 仕事もあるのだろう、ふいにいなくなったかと思えば戻ってきたりする。自由になる時間をできるだけこちらと過ごすことに充てている様子だ。さすがシスコンと言うべきか。


「お兄さまが興味あるのはネルケ様ですよ。――ねえ?」


 モニカが含みのある流し目で異母兄を見る。


「は? あたし? なんで?」


 思わず素が出たが、気が緩むとたびたびあることで誰も特に気にしていない。

 モニカが口を押さえて吹き出すと、セイブルは渋い顔で居心地悪そうに姿勢を正した。




「この世界……物質や自然現象のあるこの世界の事を、私たち魔法を扱う者は〈物質界マテリアル〉と呼んでいます」


 舌を滑らかにするため甘い飲み物コーディアルの用意をした後、ネルケは魔法についての基本的な講義を始めた。


「そしてこの〈物質界〉に重なり合うように存在する、まだ何の形にもなっていない純粋なエネルギー……〈精霊力ニューマ〉の世界が〈精霊界イシリアル〉です」


 黒板にそれぞれの世界の名前を書いた楕円を二つ、接するように描く。


「で、この二つの世界の間を繋ぐ通路のようなもの……これを生き物はそれぞれ持っています。――無機物にもあるという説もありますがここでは端折りますね」


 楕円と楕円の接した部分を横断する線を描き加える。


「私にもあるの?」

「ええ、私たち人間はもとより、そこいらの犬猫といった動物から蝶のような昆虫、そこの花瓶の花にいたるまで皆ね」


 ネルケは雑に若干丸っこい人型を描くと、その内側に胴体から手足、頭まで全身に伸びた枝のようなものを描き込む。


「この、〈精霊界〉と、〈物質界〉に存在する私たちの体に重なり合って根を張った通路を、我々は『具象回路』と呼んでいます。これらは西方における呼び名で、東方の各文化圏では『経絡チャクラ』とか『タオ』とか……まあそれぞれの体系ごとに違った呼び名があるそうですけど」

「我々の〈サイキ〉に通じるところがあるな」


 興味深げに口を挟んだセイブルにネルケが頷く。


「具象回路により〈精霊界〉から〈精霊力〉を引き出して利用するところは魔法も武芸者の〈気〉も一緒です。要は我々魔法使いは〈精霊力〉を主に自然の事象……炎や雷などに変換して扱うわけですが、武芸者は魔法とはまた別の集中法――〈東方〉で言うところの〈調息法プラーナヤーマ〉という呼吸法で、〈気〉と呼ばれるまた別の力に変換しているんです」

「別の?」


 これはモニカだ。

 ネルケは頷き、


 「特に生物に強く働きその特性を強化する力ですが、量と密度次第では物理的な作用を及ぼすこともあります。これはセイブル様は身を以て知ってらっしゃるでしょう」


 視線を向けるとセイブルが頷く。


「そういう意味では〈気〉の利用に長けた武芸者も一種の魔法使いとは言えなくもないですね」


 そう、話を締めくくった。

 さすがにモニカはついてこれていないようで頭をひねって唸っている。これで魔法のことはひとまず諦めてくれるといいのだが……。


 窓から外を眺めると、思いついたように言う。


「天気もよろしいですし、せっかくだから散歩がてら外に出て、セイブル様に実演していただきましょうか」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 城館には従士達の訓練場がある。


 ゲルノート家の女性従士フレア・シェーンベルクは、不意に沸き立ったざわめきに型稽古の手を止め、そちらを見た。

 主の嫡男、セイブル・ゲルノートが二人の少女を伴ってやってきたところだった。


「かまわない。皆、気にせず続けてくれ」


 敬礼をする者たちに手を振って返し、三人は打ち込み台の並ぶ一隅に向かう。


 従士達は顔を見合わせると、ぞろぞろとそれを見物するように動き出す。

 フレアもその流れに混ざって移動すると、オディロ・ミュラーとイルザ・ヘンデルと合流することになった。


「なんだ、若もネルケ嬢にいいとこ見せようってはらかな」

「あんたじゃあるまいし……」


 オディロの軽口を払いのけるように、呆れた口調でイルザが言った。


「いやいや、はっきり言ってネルケ嬢が散歩がてら見学に来ると他の男共の鼻息も荒くなったりするからね。女の子の目があるっていうのはやはり男にとっては違うもんだよ」

「……女の目なら普段からあると思うけど?」

「ンフッ」

「鼻で笑ったね!?」

「……あんたら、じゃれあいするなら私から半径二十歩以上離れて、できれば視界に入らない位置でやってくれる?」


 二人をしらけた半眼でじとっと見やり、フレアはため息をつく。


 ネルケ達に視線を戻すと、セイブルは木剣を携え、打ち込み台から七、八歩ほど離れた位置で足を止めた。


「貴様らよく見ておけ、若が〈神濤しんとう流〉の必勝芸を見せてくださる」


 フレア達の近くでは、指導役の従士が初伝者達に活を入れている。


 正眼に構え、気息を整えると、セイブルは木剣を右の脇構えにうつした。鋭い気合いと共に目標目がけて力強く払い上げる。

 剣が届くはずもない距離だが、ずどんっと打ち込み台が強打される音がして、巻いた藁が弾けて飛び散る。


 〈気〉の砲弾を飛ばす、〈神濤流〉の必勝芸『つばくろ落とし』だ。


 続いて打ち込み台に駆け寄り、再びの裂帛の気合いと振り下ろし。

 不可視の〈気〉のハンマー――『磐根破いわねやぶり』を受けて打ち込み台は折れ飛んだ。


 見物人から喚声が上がり、ネルケとモニカが手を叩いているのが見える。


「……いや、やっぱり若もちょっと浮かれてるでしょ、あれは」


 オディロがぼそりと言った。


「どいつもこいつも……」


 フレアはため息をついた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 昼下がり、ネルケは蒸溜室でアルコールやハーブの精油の蒸溜を行っていた。


 主に従士達に需要のある薬剤は、創傷や擦過傷、打ち身などの外傷――小さな怪我に治癒魔法を利用していてはきりがない――に対する物はもちろんだが、隠れた人気薬に抗真菌効果のあるハーブの精油を用いたローションや軟膏がある。

 軍隊の風土病、水虫対策だ。


(そろそろ時間ね)


 時計を見て、作業を切り上げ始める。


 図ったように廊下からパタパタと小走りの足音が聞こえ、「ネルケさま!」とモニカが顔を出した。背後からは侍女が「そんなに走ってはいけませんよ」と言いながら追いかけてくる。


「お茶にいたしましょう!」


 少女は目の前にやってきてそう宣言する。


 モニカに手を引かれるように向かった談話室ではヘルガが待っており、三人でのお茶になる。

 主にモニカが身振り手振りを交えて今日見聞きしたことを母親に報告しながら進む。いつもの光景だ。


 ヘルガの都合がつかない時は代わりにセイブルが入り、談話室ではなくネルケの蒸溜室近くの部屋で、ネルケの用意した茶や菓子をつまむこともある。


 ゲルノート家への逗留以来、ネルケには一日三食プラスお茶の時間と規則正しい生活が身についていた。食事の質も上がっている。


 最近は目のくま・・も薄くなり、小柄で細いのは変わらないが、肉付きは以前のガリガリと比べると女性らしくふっくらして不健康さはなくなってきた。

 ゲームでファンだったニッチな趣味層なら「もどして」と言うところかもしれないが、本人的には知ったことではない。


「今日のお茶は甘酸っぱくていいわね」

「ネルケ様よりいただいたコーディアルを使わせていただきました」


 ヘルガ付きの侍女がネルケを見て一礼した。


「素敵な物をありがとう、ネルケさん」


 にっこりと微笑むヘルガに、ネルケも微笑みを返しておく。


「ところでネルケさん」

「はい」


 改まって切り出したヘルガに、ネルケもなんとなく姿勢をただす。


「近々私たちは王都ヴァルムへ上ることになります。つきましては当家の主、カールが貴女に直接礼を述べたく、ヴァルムへ招きたいと手紙で申しております。もちろん本来なら、娘を救っていただいた礼は父親自ら足下そっかへ膝を折り、尽くすべきと存じますが、主人は立場上自由に動けないこともございます」


 一言一言丁寧に言うと頭を下げて懇請するヘルガ。


「当然、道中から滞在まで当家が全て手配しますので、よろしければ物見遊山のつもりでヴァルムの当家上屋敷かみやしきへ足をお運びいただけませんか」


 ネルケは慌てて手を振った。


「ヘルガ様、頭を上げてください。――そういうのいいですから」

「――あら、そう?」


 顔をあげてころっと笑みを浮かべるヘルガ。

 彼女は意外とこういうおふざけをする。


「申し訳なく思ってるのは本当なのよ。無理を言ってうちにいてもらっているところに、ヴァルムまで呼べときたら、さすがに勝手がすぎるでしょう」


 夫人は頬に片手を当て困った顔でため息をつく。


 「楽しく過ごさせてもらっているので私は気にしませんよ。王都にも興味はありますし」


 ネルケにはむしろ渡りに船、といったところだ。


「本当? モニカもいるからネルケさんが来てくれれば心強いわ。ねえモニカ」


 そう言ってモニカに笑いかけ、ヘルガはネルケの手を取って両手で握りしめた。

 ネルケは苦笑してその手を重ねた。

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