第九話 撫子の少女とはじまりのおわり
メディウス・ロクス地下階は十階層ごとに倉庫や職員の詰め所の
十階層のアイテム部屋には
警備スタッフの詰め所らしい部屋のロッカーを漁ると、男性用の黒と女性用の白のコートが一着ずつ。『
それぞれ光を全く反射しない黒と、一点の染みも変色もない純白のコートは、返り血などの汚れがついても各々の色の中に吸い込まれるように消えてしまうという、洗濯いらずの上着だ。
防御力も高く、火・氷・雷の三属性にも強い耐性を持ち、着用者を熱や寒さから守る。
つまり、これを着れば帰りはルッキオラの上で凍えないですむのだ。
ネルケの希望で二人はさっそく着込むことにした。
また、一振りの長剣も見つかり、これはセイブルを喜ばせた。波や雲を思わせる特徴的な縞模様を持つ、〈東方〉由来の鋼を研究して作られた特殊鋼の剣だ。ひたすら強靱で腐食にも強いが特別な効果はないと聞いて、セイブルは望むところだと不敵に笑う。
銘は『雲降ろし』。
他、『にくきゅうグローブ(格闘武器)』『ねこみみカチューシャ(アクセサリ)』『ねこぱんちワンド(魔法の杖)』など、ゲーム通りだが実際に見ると制作者の正気を疑う装備がいくつか見つかった。背嚢に押し込む時にセイブルが呆れた顔で見ていた気がするが、気にしないことにする。
そして、肝心の
除去装置は成人の前腕ほどの長さの棒で、途中に節のように太くなった部分に竜骸石が収まっている。
「これが――」
ネルケが差し出したそれを、壊れ物を扱うような慎重な手つきでセイブルが受け取る。
「これがですよ!」
ネルケは興奮して低い鼻をそびやかし、得意げに言った。
「早く戻りましょう!」
「ああ!」
除去装置をかき抱くセイブルの背中を叩いて急かし、二人はさきほどの大部屋へと戻る。
『ゆる……さない……』
二人は同時に足を止め、顔を見合わせた。
「何か言ったか魔女殿」
「や、そちらこそ」
『かえさない……』
先ほどよりもはっきりと部屋に響いたのは、ネルケよりもさらに幼げな――恨みがましい少女の声。
『みんな……しんでしまえ……』
部屋の中央、幻獣の消滅の逆再生のように光の粒子が集まり、高さがセイブルの倍近くありそうな巨大なシルエットを描く。
ひときわ強く輝き、光を失った後に現れたのは、鈍色の巨獣。
正面から見ると針金のような体毛に覆われた巨大な類人猿のようなシルエットだが、吻が長く突き出し、その端からは鋭い牙が並んでいるのが見え隠れしている。また、ずんぐりとした胴体に生えた尻尾は丸太のように太い。
首の両側には魚のエラのようなスリットが左右三つずつ、こちらが呼吸器官らしく、規則正しくうごめいている。
極めつけに、赤く炯々と輝く眼がいくつも、前となく後ろとなく頭部全体に不規則に点在していた。
「……『フレンジー・ビースト』」
ゲーム終盤に現れる幻獣だ。今のネルケでは逆立ちしてもどうこうできる相手ではない。
固まったネルケに除去装置を押しつけ、背嚢を振り落とすとセイブルが床を蹴って飛び出した。
雲降ろしを引き抜き、内腿を斬りつける。
〈
眼の配置はいい加減に見えて死角はなく、横に回り込もうとすると尻尾が飛んでくるため、正面からの殴り合いになった。
振り下ろされる拳を避けながら、むしろその拳に向かって斬りつける。
狂獣は小さな悲鳴を上げて飛び退くと、左右のエラが開いて大きく息を吸い込んだ。胸郭がいっぱいに広がり、やにわに口から高温の息を吐きかける。
「ぐおっ!?」
セイブルは咄嗟に腕で顔をかばい、床を転がり――、
「うん?」
起き上がると不思議そうに自らの体をパタパタと叩く。
無窮の直黒の防御効果が敵の
そうしたことを理解して動揺するような頭もないのか、息つく暇もなく狂獣は襲いかかってくる。
セイブルと狂獣の正面対決を見ながら、ネルケは援護の隙をうかがっていた。
(せめて大技を使う隙を作れれば……)
ゲームと若干異なるところ、それはセイブル達武芸者の〈
ゲームでは特殊技ボタンを押しながらあらかじめ設定された組み合わせのボタンを押せば『必勝芸』は一瞬で発動したが、現実ではものによって一呼吸の
攻防の中で三者の角度は変わっていき、ネルケから見てフレンジー・ビーストの背中にセイブルが隠れる形になる。
(今っ!)
「〈
背中で魔法が炸裂し、さしもの狂獣も苦鳴をあげてたたらを踏み、こちらを振り返った。
「〈
稲光がはしり、狂獣の顔面を打つ。
怯んだのも一瞬のこと、狂獣は咆哮をあげてこちらに襲いかかってくる。
発動の早い初級雷魔法をもう一回撃つが、今度は怯みもしない。
最後の数歩は跳躍して上からネルケに飛びかかる。
「あばっ、あばばばばば……!」
腰の抜けそうな迫力に圧倒され、力の入らない体ももどかしく、どうにか横へ走って――というかよろけて――身を躱す。
そしてもう一度〈球電〉の準備をはじめる。
着地した狂獣はゆっくりこちらに向き直り、拳を振り上げ、振り下ろさんと――。
「ハィアアアアアアアッ!」
駆け込んできたセイブルが裂帛の気合いと共に跳躍し、振り下ろされた一撃が狂獣の腕を断ち切った。
振り下ろした剣を着地と同時に左に返し、脚を深々と右へ薙ぐ。
〈神濤流〉『高波返し』。
「〈
よろめいた狂獣の横に、ネルケの魔法の球電が漂い現れる。
「――『
強く踏み込んで斬り上げたセイブルの一撃が、踏ん張りを失った狂獣の巨体を切り裂きながら、球電へと押し込んだ。
触れた球電がその熱量と電圧を解放し、斬撃に続けて体を大きく震わせ狂獣は絶叫した。
もんどりうって倒れた狂獣の頭をセイブルが叩き割ると、巨体は光の粒子となって消え失せた。
「――無茶をするな! 心臓が止まるかと思ったぞ!」
幻獣の消滅を確認し、ネルケを振り返った第一声がそれだった。
「……絶対間に合うと思ってたし……〈
緊張から解放され、息も絶え絶えに言うネルケ。
「まったく……上手くいったからいいようなものを……」
セイブルはまだ言い足りない様子だったが、代わりにため息を吐き出した。
「で、でも一体なんだったんだろあの声……」
「魔女殿にわからないのなら俺にわかるはずもないが」
ゲームにはなかった
なんにせよ――。
「早く出よう、ここ」
「同感だ」
二人は荷物を拾うと、足早に階段へと向かう。
『声』はもう聞こえてこなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
ウィニアのゲルノート館、モニカの寝室には最初の診察の際と同じ顔ぶれが集まっていた。
違いといえば昼間であることと、セイブルが追い出されなかったことか。
窓の固く閉じられた部屋、魔法の灯明の下、ネルケがベッドの上のモニカに向けて
「〈回復せよ〉」
コマンドワードはただそれだけだった。
瞬間、棒の先からばしっと
揃ってうっと悲鳴をあげてよろめき、侍女は驚きのあまりへたり込んでしまう。
「なんだ……うまくいったのか?」
閃光を直視してしまいチカチカする目を抑え、頭を振りながらセイブルが尋ねる。
ネルケは黙ってモニカに近づき、両肩に手を載せ〈
周囲が固唾をのんで見守る中、皮疹や紅斑――炎症がみるみる消えてゆく。
「効いた……!」
セイブルが歓喜を抑えられない様子で声を震わせた。
モニカは信じられないというように両手を眺める。
「窓をあけていただけますか?」
ネルケが侍女に向かってそう言うと、彼女は戸惑い、
「ですが……」
と窓とモニカを交互に見て躊躇う。
代わりにつかつかと音を立ててヘルガが窓へと向かった。カーテンを払い、窓と鎧戸を開け放つ。
三ヶ月ぶりの、もう見ることはないと思っていた太陽の光に目をしばたたかせ、モニカはゆっくりとベッドから降りると、おそるおそる直射日光に手を晒す。
「どう……だ?」
セイブルの質問には答えず、モニカはそのまま窓際まで歩き、陽光の下の外の世界を一望すると振り返って言った。
「お日さま……暖かいよ」
少女の目からは涙があふれ出し、誰かの歓声が部屋の空気を震わせる。
侍女はこのニュースを館の住人達に知らせるべく部屋を飛び出し、ヘルガはモニカを抱きしめて嗚咽をこぼした。
(良かった……全部うまくいった)
その光景を眺めながら、ネルケは目を閉じて安堵のため息をつく。
そうしているとまぶたの裏にすっと影が差し、目を開ければ、そこにはセイブルが立っていた。
セイブルはネルケの前に片膝を折り、その手を取って恭しく額に押し頂く。ネルケは思わず、ひゃっと小さな悲鳴を上げた。
「心より感謝いたします、『撫子の魔女』殿。私は――ゲルノート家はこのご恩を決して忘れることはないでしょう」
顔を上げ、潤んだ瞳でネルケを見上げる。
「お、お立ちください。私は魔女としてつとめを果たしただけで――そこまでされるほどでは」
「いえ、どうか私たちの感謝をお受け取りください」
ヘルガがモニカを伴ってやってくる。
「このたびのこと、どれだけ言葉にし尽くしても……っ」
声を詰まらせ、まなじりを拭うヘルガの傍らで、モニカがやつれた体を折って頭を下げた。
「本当にありがとうございます、魔女さま」
ネルケは三人の感激の嵐を一身に受けながら、
(何にせよ、これでまずは一段落……かしらね)
その満足感で、この先に対する若干の不安を塗りつぶしておいた。
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