第八話 撫子の少女と『中心領域』

「つっ……ついた……」


 頭重と倦怠感をこらえながらネルケが唸る。


「ようやくか――大丈夫か?」


 セイブルはネルケほど顕著ではなかったが、やはり疲労の色が濃い声音だ。


  目的地はアングリ山脈の「逆『く』の字」の曲がり角、山間の盆地に見つかった。

 荒涼とした土地にそびえる巨大な『塔』がそれである。


 塔の周辺にはいくつもの建造物が建ち並び、『中心領域メディウス・ロクス』としての一大基地を形成していた。ややもすると小さな街に見えなくもない。


 ルッキオラは大きく旋回しながら、塔にほど近い舗装スペース――おそらく滑走路なのだろう――へと滑空していく。


 道中何度か経験したが、着陸から緊張がなくなるということはない。

 ナビゲーションシステムはこちらの意図を読み取って半自動操縦を行ってくれるのだが、当然非常時の復航などの最終的な意思決定権はやはり操縦者にある。


 風防シールドに表示される通りの姿勢を維持しようとすれば細かい修正は機体がやってくれた。

 ルッキオラの失速速度は巡航速度のゆうに半分以下。馬の疾走で追いつけるレベルだ。

 風をはらんだふわりとしたタッチダウンの後、ほどなく逆噴射制動がかかりネルケ達は前につんのめりかける。


 機体を停止させると、二人はのろのろとハーネスの固定を外し、崩折れるように大地に降り立つ。

 本格的に山越えの高度を取ったのは一刻にも満たなかったはずだが、真冬のような気温と高度障害に悩まされ、気力体力を消耗していた。


 この盆地はそこまで標高が高くないようで、息も楽だし気温も涼しい程度だ。


「あー、あったま少し痛いかも……」

「今日はここで休息だな」


 セイブルが地べたに座り込んだネルケを気遣う。


  二人は滑走路の脇の、倉庫とも格納庫ともつかぬがらんとした大きな建物内にキャンプすることにした。


 ルッキオラのトランクから荷物を取り出し、防寒着をしまう。


「荷下ろしと最初の番は俺がしよう、君は先に休め」


 セイブルにそう声をかけられる。実際頭は重いしめまいもするが……。


「でも……」

「道中君がずっと飛行機械を見てくれていたんだ、疲労は俺以上で当然だ」


 ネルケはちょっとだけ考えて、


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 と、荷物から毛布を取り出し建物へふらつく足取りで向かった。


 地べたに毛布を敷いて寝転がっていると、セイブルが荷物を抱えてやってくる。

 近くで携帯用の焜炉ストーブを組み立て、炭に火をおこして湯を沸かす姿をぼんやりと眺める。


 ネルケはふとつぶやいた。


「ついにあたし・・・と二人でも『俺』になりましたねぇ」

「えっ?」

「『私』だったのに従士さん達と行動するあたりから『俺』になって。声色も堅さがなくなってきた印象ですよ」

「いや……それは失礼した」

「いいんですよ、むしろそっちの方が自然に気を許してくれたみたいじゃないですか」

「別に、無理をしたり気取ったりしていたつもりはないが……まあこっちが素かもしれない」

「あたしのこと随分と信用してくれたみたいですね」

「それは当然だ。妹のためにここまでしてくれているのだしな」


 ネルケはふふ、と笑い、


「なんだか嬉しいもんですねえ……」


 そう言って、倦怠感に勝てず目を閉じる。


「いったいなんなんだ……」


 セイブルがぼやいた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 ネルケが目覚めたのは夜半過ぎ、交代したセイブルも明け方には目を覚ます。

 二人とも頭痛やめまいはなく、だいぶスッキリした気分だ。


「昨日寝る前に私なんか変な事言いませんでした?」


 朝食のパンを渡しながらネルケが尋ねると、セイブルは一瞬言葉を失った様子でこちらを見やり、


「……おぼえてないのか」


 憮然とした調子の言葉を口からこぼした。


「あー、昨日は急に高く上ったせいで頭半分だったもんで」


 セイブルは軽くため息をついた。


「大したことを話したわけじゃない――そうだな、喋り方か」

「喋り方?」

「もうちょっとくだけた態度でもいいって話をしたんだ――君も『あたし』になってたんだけどな、戻ってしまって残念だ」


 珍しく冗談めかした態度でふっと笑う。


「えっ――」


 ネルケは口元に一瞬手を当て、


「――ま、いっか。まあいいですよね」


 ぽいっと掌で何かを放り投げるような仕草で話も投げた。


「従士達にとっていたのと同じ態度でもかまわないぞ」

「いやぁ、いきなりそれはちょっと……女の子には何事につけ準備ってものがいるんですよ」

「では、それを待たせてもらう前に、自分の準備もするとするか」


 セイブルはひとつ伸びをすると、固くなったパンを囓って顔をしかめると、茶を含んでふやかしてから飲み下した。


「今日はあの塔を登ることになるのか?」

「いえ、逆です。地下があるので降りるんです」


 メディウス・ロクスは地上五十階、地下三十階の巨大建造物だ。

 目当ての除去装置リムーバーは地下十階にある。


 ゲームではまず地上五十階に行くと『異界召喚装置』というものがある。やはり〈古王朝〉末期に、事態の解決のため、異界の知識を召喚しようという計画が立ち上がったのだという。

 その目論見は一部成功したようで、異界の知恵を記した『異界文書』や、異界から時間を超えてこの世界の過去や未来の一部を俯瞰した情報、『世界の断章』などが手に入ったと言われている。


 ゲームでプレイヤーがこの装置を作動させると、その『世界の断章(過去)』が手に入った――という名目で、イベントやムービーの回想モードが解放アンロックされるのだった。


 そしてそれと同時に地下へ入るためのパスワードが手に入る。

 まあ地下の肝心なところで手を抜かれて多少顰蹙を買ったのだが。


 〈インペリウム〉は地下三十階に設置されていたということのようで、ゲームではそこまで潜っても意味深な機械設備があるだけで何も起こらないのだ。


「地下に行くのにはまた合い言葉を入力する必要があるんですけど、それはこうです――『帝国万歳、帝国に光あれ』」

「先日のとほとんど同じじゃないか」

「違いますよ、つけたして繰り返すところが」

「違うってなぁ……」


 ネルケは訳知り顔で言う。


「ま、人間の管理する合い言葉なんてそんなもんですよ」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 メディウス・ロクスはクリア後のダンジョンだが、ゲームの序盤の敵から順に出現し、だんだん強くなっていく仕組みだ。

 地上階はザコ敵、そして地下階のテーマはボス・ラッシュだ。

 一階層ごとにゲームのボス格モンスターが配置されており、それを倒して進むことになる。

 ついでにボス達はそれぞれ行動ルーチンやステータスが後半にいくほど強化されている。


(いやあ余裕じゃないのさ)


 目的地は地下十階層、多少は強化されているボス格とはいえ、ゲームの前半の敵しか出てこないのだ。

 対するは終盤のボス、設定上でも〈西方〉屈指の実力者である。


(さあ行けセイブル! キミにきめた!)


 もはや全ては解決したも同然と、うっきうきで塔へ侵入するネルケ。その様子を何か胡乱うろんなものを眺めるようにセイブルが続く。


 開きっぱなしになっている塔の両開きの扉をくぐるとそこは巨大なホールになっており、正面には巨大な両階段が鎮座ましましている。

 地下への入り口はその正面階段の背後にあった。


 扉を解錠して下り階段を下りると第一の部屋に当たる。


 林のように円柱コラムの立ち並んだその広い部屋の中央にいたのは銀の鱗に包まれたトカゲ――『シルバーリザード』。人間より一回り大きな体躯だ。


「――〈迅雷サンダークラップ〉!」


 ネルケの掲げた杖の先端から初級の雷魔法がほとばしり、シルバーリザードを打ち据える。幻獣は声もなく消滅した。


「さ、進みましょ」

「あ、ああ」




 二人は順調に階層を下り続け、特に苦労もなく十階層まで到達した。


 十階層のボスは鉄機兵の一種『ロードヘッダ』。腕がそれぞれボーリングビットと岩盤粉砕用のハンマーとなった人型の坑道掘削機械だ。

 凶悪な見た目に反して戦闘用ではないため動きは鈍く、先の警備用タイプと比べると与しやすい相手である。


 「〈爆裂エクスプロージョン〉!」


 ネルケの魔法に打たれて大きくよろめくロードヘッダ。それをめくらましにセイブルが飛び込む。

 〈神濤流〉の突進突き『浪切り』がハンマーのついた左腕を断ち切った。


 ロードヘッダが反撃に振り下ろした右腕のドリルビットをセイブルは剣で強く払う。と、嫌な音を立てて剣の半ばに亀裂が入り、そこからぐねっと変形した。

 表面の皮鉄かわがねが砕け、芯鉄しんがねが曲がったのだ。


「セイブル!」

「問題ない! 剣が少々短くなる程度だ」


 セイブルは「ふん!」とロードヘッダの胴に剣を叩きつけ、曲がった部分を自ら折り飛ばす。同時に相手の胴にも亀裂が入った。


 一度大きく飛び下がると、半ばの長さになった剣を右肩に担ぐように構えて息吹を上げる。


 ロードヘッダの右腕をかいくぐって飛び込み、胴を右から横に薙ぎ、返す刀で胸部を斬り上げる。

 前部装甲の砕けたロードヘッダの胸から竜骸石が外れて飛んだ。


 力を失い倒れるロードヘッダの傍らに立つセイブルの剣、なくなったはずの半ばから先には、おぼろに白い輝きが刃を成していた。


「――〈神濤しんとう流〉『月魄刃げっぱくじん』」


 そうつぶやいて大きく息を吐く。一拍おいて無形の刃がすっと溶けるように消えた。


 『月魄刃』はゲームでは剣に〈サイキ〉をこめて十秒間の間、攻撃力とリーチを増加させる必勝芸だ。

 これを使ってから『磐根破り』か何かを連打するのが「レベルを上げて物理で殴る」ゴリ押しパターンの一つだったりする。

 まさかこういう使い方ができるとは……。


 感心している場合ではなかった。


「セイブル様、大丈夫ですか?」


 慌てて駆け寄ると、セイブルは頷き、


「まいった、なかなか景気よくいったな。これだけ立て続けに硬い敵を相手にすれば仕方もないが」


 言って折れた剣を掲げてみせる。


「ここが目的階でしたから、ギリギリですね。――ひょっとして愛着のある物だったりしました?」


 セイブルは首を振って苦笑した。


「剣士にとって剣は道具に過ぎない。もちろんいざという時、命を預けるためにも粗末には扱わず手入れもするが――そのいざという時に惜しむようでは本末転倒だろう」


 ふうと一息ついて一転、神妙な顔になる。


「ここに、あるのか」

「はい」


 ネルケも真顔で頷き返す。

 二人はそろって奥の扉を見やった。

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