第七話 撫子の少女と大きな蛍

 『オクシデント・ストーリーズ』で航空機の入手は中盤の終わり、終盤戦の開始を意味する。

 今のネルケにとっても、クリア後ダンジョンである『中心領域メディウス・ロクス』への一大ショートカットという大事業に王手をかけたところだ。


「空飛ぶ機械って……〈古王朝〉の空飛ぶ船のこと?」


 イルザの質問にネルケは苦笑する。


「さすがの〈古王朝〉でも巨大な船を飛ばすのはまだ夢物語だったみたいだけどね。そうね……空飛ぶボートくらいかな」


 ここにあるのはタンデムシートのモーターグライダー『ルッキオラ』と、大型の四発ティルトジェット機『アルバトロス』――ちなみにどちらも複葉である。


 ゲームで主人公達の移動手段として使われるのはアルバトロスだが、設定資料集には両方簡単な諸元と解説、デザイン画が掲載されていた。


「これで、メディウス・ロクスへ行けるというわけか……」


 あらかじめ説明を受けていたセイブルが大きく息をく。


 ネルケの説明にはセイブルも半信半疑で、現物を見せた方が早かろうと従士達には伏せることになった。ネルケが航空機の存在を可能な限り秘匿したいと主張したこともある。

 半信半疑のままではどこでどう口が軽くなり話を漏らすかわからない。実物を見て深刻さを悟れば口も固くなろうということだ。


 それに――どのみちここから先、従士達は連れて行けない。


「これより先は魔女殿と俺の二人で行く。お前達は戻って吉報を待っていてくれ」


 ここからメディウス・ロクスへと向かうことを説明し、そう宣言したセイブルに四人は色めき立つ。

 普段寡黙なグスタフが一歩前に出た。


「どういうことですか」


 ネルケはローブの上に肩からかけたカバンを探りながら、


「あたしも皆が一緒なら心強いんだけど――あった」


 取り出したのは握りこぶし大の竜骸石だった。今は乳白色の、その石を掲げて続ける。


「これで余裕を持って動かせるのはそこの二人乗りのものだけなの。そっちの大きなものなら十人近く乗れるんだけど、少なくともこの石より倍以上は大きくないと……」

「この中で一番腕が立つのは俺だ。だから俺が行く。実の妹のためだからな」

「ですが――」

「従士の立場からすれば聞き入れられない話だろうが、俺もこればかりは譲れん」


 セイブルはきっぱりと言い切り、四人は説得は無理と諦めて引き下がった。


「どのみち今日はもう夕刻だから、ここで一晩明かして出発は明日の朝になるけどね」

「ちなみにだけど、このコークーキとやらでアングリ山脈の中心までどのくらいで行けるの?」


 フレアに問われてネルケは考え込む。


(設定だと〈西方〉の東西幅は二千キロメートル強だったはず。東部の外れのここから中央まで角度を加味しても千何百キロもない感じで、ルッキオラの速度が時速百二十キロってところだから……単純計算では十時間強か。実際は風に流されたりしてもっとかかるだろうけど)


「単純に乗ってる人間のことを考えずに昼夜兼行する覚悟なら一日かからない、常識的にはまあ途中で降りて休んだりして二日あれば、かな……」

「二日!? 東部の端っこからアングリ山脈中央まで休んで二日!?」


 フレアは目を剥いた。


「まあ馬よりずっと早いし空には道も地形もないからね。そっちのでかい奴ならもっと速いし中で休めるから楽なんだけど」

「知ってるか、〈古王朝〉時代には西方の西の端と東の端に住む人間が、まるで同席しているかのように会話できる魔法技術が広く普及していたそうだ」


 話に入ってきたセイブルが続ける。


「この飛行機械といい、〈古王朝〉にとって西方はさぞ狭い世の中だったのだろうな」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 格納庫の端、巨大な扉が外側へ向かって開いていく。

 外壁は岩壁に偽装されており、外からその光景を見ているものがいたら、山の岩壁に横長のスリットが開くように見えたろう。


 冬用のコートに着替えたネルケは管制室を出てランチャー・レッジ――発進台の正面に待機している機体に向かう。


 『ルッキオラ』は馬の鞍のようなタンデムシートがついた複葉の動力付きモーターグライダーだ。大きな風防シールドはあるが、コックピットはない。

 そもそも戦術偵察や観測用途のものであり、軽便さと視界が優先され、これからネルケ達が行う長時間飛行や、目指す高度での活動は最初から念頭に置いていない作りだ。


 鉄機兵と同じような一種のセラミック、白磁のごとき滑らかな素材でできており、筒状の電磁式ジェットエンジンが胴体に内蔵され、搭乗者は正面から見て丸っこい凸の形をした断面の上にまたがる形だ。


 〈古王朝〉のジェットエンジンは主に電気系魔法を利用した一種のリニアモーターである。


 吸気口前方の空気を電離させ、電気的にエンジン内に吸い込み、電磁加速をかけて後方へと圧縮。その圧縮気体をさらに魔法で加熱し、膨脹しようとする圧力を噴射して推進力とする。

 着陸時には電磁加速を逆転させた逆噴射の機能も備え、驚きの短距離着陸を可能としている。ルッキオラは離陸性能も高いのでその辺の原っぱで離着陸できた。


 とはいえ圧縮比は高くなく、ルッキオラの最高速度は時速百五十キロいけば御の字だし、アルバトロスにしてもその倍もいかない。


 単純化すれば『電離した流体を取り込み電磁加速で後方へ排出する』という噴流推進の仕組みは、〈古王朝〉では一般的な推進器の形式だ。その原理でウォータージェットも実現できるため、船舶にも用いられていたという。


 なにより可動部がない、構造的にはただ内部にくびれのある筒であるため、耐久性も整備性も非常に高い。素材の恩恵もあるが、二世紀以上の時を経てまだ使用に耐えるほどに。


 ルッキオラの横にはセイブル達が並んで待っていた。


「いえー」

「いえー」


 通りがけ、フレアとイルザと軽くハイタッチを交わす。


「お待たせしました」

「いや……」


 セイブルもネルケと同様、冬着に身を包んでいたが、テンションについてこれないのか困ったような顔を見せる。


 ネルケは前方のシートに跨がって、風防下のコントロールパネルを跳ね上げた。そこにはびろうどのようなクッションを敷いたスペースがある。

 竜骸石を取り出し、そこにそっと収めるとコンパネをおろして閉めた。


「すまない」


 セイブルが目を伏せる。

 このサイズの竜骸石となるともはや金があるからといって手に入る物ではないし、何よりネルケにとっては母親の形見であった。

 これがなければこの計画もありえなかった品だ。


「言いっこなしですよ」


 セイブルも後ろに跨がり、装着していたハーネスに機体の命綱を繋ぐ。

 ネルケが前傾し、左右に突き出た操縦桿を握って「起動」と唱えるとコンパネに明かりが灯った。

 透明な風防にも輝く記号や文字が現れる。


「オペレーティングスペル……ナビゲーションスペル……デバイスコントロールスペル……疑似具象回路よし」


 〈古王朝〉時代の機械は自動化が著しく、ちょっと気の利く人間なら素人でも表示通り直感的に使いこなせるようになっていた。

 当然離着陸も半ば自動である。でなければゲームで主人公カミル達も飛行機など扱えまい。


「みんな! 線の向こうまで下がって!」


 ネルケが手を振り、従士達を下がらせる。


「エンジン始動!」


 こおおおお、と空気がエンジン内を流れる音がする。


「ええと、ブレーキOK……進路OK……」


 風防の表示に従い律儀に確認手順をこなしていく。


「準備よろし、行きます!」


 大きく深呼吸。

 思い切って右グリップのスロットルをひねり、エンジン出力を上げるとブレーキを解除した。

 ごうっ! と轟音を立てて機体が滑るようにランチャー台へと動き出す。


「テイクオフ!」


 レッジから飛び出した瞬間、ふわりと内臓がひっくり返るような落下感覚に、セイブルが後ろでうひゃっと似合わぬ悲鳴を上げた。

 残りのスロットルを全部開けると、ネルケも体を後ろに持って行かれそうな感覚に襲われる。

 落下は一瞬のこと、滑空機であるルッキオラはすぐに揚力を得てぐんぐんと高度を上げ、増速とあいまって二人をぐいとシートに押しつけた。


 およそこの二世紀以上の間、誰一人として体験することのなかったであろう速度と高度で二人は宙を舞った。



 ◇◆◇◆◇◆◇


 右グリップがスロットル、左グリップが昇降舵エレベータ。左右の体重移動で傾きロール足踏桿ペダル方向舵ラダー……。


 ルッキオラはアクロバット飛行ができるような運動性はなく、旋回半径も大きく速度も遅い。そのぶん簡単には失速したりしない安定感があった。


 高度な自動操縦機能がついているのであまり意味があるとは思えなかったが、一応改めて操縦系統の復習と確認を行う。

 自動操縦の方で対応しきれない問題が起こった場合は、神に祈る方が現実的かもしれない。

 

 後ろで、セイブルはたまに感嘆のため息をもらしながら眼下の光景を見渡していた。


 二人とも最初は空を飛ぶ――しかもほとんど生身で――という初めての行為の緊張と興奮で体を固くし、シートの上で体を小さくして高度に怯えていたが、小半刻もするうちに慣れてきた。


「メディウス・ロクスの位置はわかるんだったな」


 風防の遮風能力は高く、シート上は無風とは言わないものの速度相応の風圧は受けないでいられた。多少声を張る必要はあったが、至近距離でなら会話に支障がないのはありがたい。


「機体に地図がついていて、〈古王朝〉時代の軍事的なものですからメディウス・ロクスの位置も確認できるんです。ついでに――」


 ネルケはおっかなびっくり、慎重に右に軽くバンクし、ゆるく旋回する。


「で、離すと」


 機体は自動的に元の進路に戻った。

 魔法なのかその原理は不明だが加速度センサーのような機能があるらしい。


「機体が自分の位置や向きを把握していて、設定した目的地へ向けて勝手に飛んでくれるんですよ」

「――大した技術だ」


 セイブルの口から、ほうとため息が出る。


「例えばこれで〈巨神の背骨〉は超えられたりしないのか?」

「無理です。そんな性能はルッキオラにもないですし、私たちの体がもちません。高い山に登ると呼吸が苦しくなるというのは聞いたことがあるでしょう。おまけに真夏でも凍っているほど寒い」


 これは吹きさらしのルッキオラのみならず、『アルバトロス』でも同じだった。与圧キャビンや暖房などという気の利いたものは備わっていないのだ。酸素マスクすらない。

 仮に機体が高高度まで上昇できたとして、〈巨神の背骨〉を越えるあいだ人間の方が保たないだろう。


「正直、アングリ山脈でもギリギリですよ。――ルッキオラも私たちもね。だから直前までは高度を低く取ってます」


 設定資料集によれば、〈巨神の背骨〉が六千から八千メートル級なら、アングリ山脈は二千から三千メートル級であった。ペデシア半島の蓋であるラディクス山脈も似たようなものらしい。

それでも標高三千メートルでは気温は地上より二十度近く下がる。


「着替えたのはそのためか」

「当然です。アングリ山脈越えは厳しくなりますよ!」


 ネルケは遙か彼方を睨んで宣言した。

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