第五話 撫子の少女と悪夢の異形
ネルケが知るゲーム設定における〈巨神の背骨〉は、標高六千メートルから八千メートル級の峰々をいくつも抱く無数の山脈からなる、大陸――いや、世界全体でも最大級の大山脈である。
その最南端の外れに
今は狼煙台基地として使われている遺跡跡も、〈古王朝〉時代に同様に〈東方〉への備えとして作られた物である。
その狼煙台より大きく下ったところにネルケ達が目指す洞窟はあった。
「――ここか」
切り立った断崖、そこだけ崩れ落ちたようにぽっかりと空いた洞窟を前に、セイブルが独りごちる。
それは乱杭歯のような鍾乳石が異形の生物の口腔を思わせる鍾乳洞だった。
「雰囲気ありますねえ」
「――奥は結構広さがあるみたいね」
オディロとフレアが中を覗き込む後ろで、グスタフが松明を用意している。
「過去に一度調査されたはずだが、慎重に行くぞ」
松明を前方に掲げたグスタフに続いてセイブルとオディロが並び、その後ろに杖に〈光明〉の魔法をともしたネルケ。最後尾にフレアと、その辺で拾ったいい感じの枝に、やはり〈光明〉をかけたイルザが並ぶ。
かび臭い湿った空気の中を、狭い場所に入り込まないよう、できるだけ広いルートを選んで進む。ここが過去において遺跡の裏口として機能していたのなら、人間の行き来が困難な通路をとるとは思えないからだ。
そう考えて進めば構造はそれほど入り組んでいなかったが、一本道でもなかった。外では現実の地形とゲームのそれを照合するのは困難だが、洞窟という限定環境ではそうでもない。おおむねゲームのマップと一致しているようにネルケには思える。
一度大きな地下水脈に行き当たって立ち往生し、引き返すことになったが、それ以外は順調に奥へと進み、唐突に断ち切られたような壁に突き当たった。
「ここも行き止まり?」
後ろでつぶやいたのはフレアかイルザか。
ネルケは前に進み出て壁を探る。
ゲームと一緒であればこの壁のどこかに――。
「これかな?」
壁面から突き出している不自然に四角い岩を引っこ抜こうと四苦八苦していると、グスタフがやってきて代わってくれた。
ぼこんと岩が外れ、その下のくぼみには明らかに人工物のリッドがあった。取っ手に指を掛けて開くと古風な
「――『帝国万歳』っと」
ドキドキしながらゲームで出てきたパスワードを入力すると、壁面の一部が後ろへへこみ、ドアのように横へスライドして通路が開いた。この『帝国』は〈古王朝〉――大ルクシウス帝国を指す。
「おお――」
「……マジであったよ」
誰ともなく感嘆の声が上がり、呆けたようなイルザの口から若干の興奮を含んだ声が吐き出された。
「〈
「何の話だ?」
ネルケの独り言をセイブルが聞きとがめる。
「いえ。以前に話したと思いますが、ここは〈古王朝〉末期に竜骸石の供給ができなくなり放棄された施設です」
「敵対勢力に利用されないように施設の表層を崩して使用不能にしたという話だった」
「ただ、いざというとき再起を図れるよう、施設深部を保全する手配はしていたようで、先ほど洞窟でも見たような地下水脈の流れを利用した動力が確保されているようです」
セイブルは考えこむように顎を撫でた。
「水力機構というのは俺も王都や港町で見たことはあるが……
「水の流れや落差を利用して水車なんかを回したりするのは一緒ですけど、それで雷のようなエネルギーを発生させて利用しているんですよ。
〈古王朝〉は高度な魔法の文明であり、その魔法の仕組みに関してはもちろん、魔法が生み出す熱や電気といった物理的エネルギー、それらをより
特に電磁気学はそこそこのレベルにあったという。
文明を支える基幹技術であった高度な魔法技術が、竜骸石の枯渇によって再現不可能になり、社会自体が大きく後退した現在。
過酷な時代を生き抜くのに必死だった人々にそうした知識を継承する余裕はなく、その概念すらほぼ失われてしまった。
何より当時の記録媒体を読み出す技術も失われてしまったことが大きい。
『オクシデント・ストーリーズ』設定資料集にもそう書いてある。
一行が通路へと足を踏み入れると天井に自動的にともった明かりも、なにがしかの電気的な仕掛けが生きているのだろう。
「こりゃ便利だ」
オディロが明かりを見上げて口笛を吹く。
通路は二~三人が余裕を持って並んで歩ける幅があり、壁や天井は木でも石でもない、つるりとした質感の人工的な素材でできていた。
「奥の調査前にここで小休止としよう」
セイブルの言葉に全員が頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇
この世界の「戦う者」は質は高く、数も多い。
一説によれば、社会が平時に無理なく維持できる軍隊の兵数は人口の約一%程度だという。
例えば農閑期を戦闘訓練に充てる農兵なども存在はするが、そうした予備兵力は除いた上で専従の「戦士階級」だけでその一%を切ることはまずないだろう。
その理由は単に人間同士の争いに留まらない、人類共通の脅威の存在があった。
『それ』と遭遇したのは遺跡深部の調査を始めていくらもしないうちだ。
成人男性の胸ほどまでもない小柄な人型のシルエットに、緑色がかったコールタールを塗り込めたような肌。首は胴体に半ば埋まっており、頭部から背中にかけてそこだけ深紅の背甲のような組織を背負っている。両腕は鋭いかぎ爪を備えていた。
「――レッドキャップ! 三体!」
レッドキャップと呼ばれた異形の出現を前方警戒のグスタフが叫ぶと同時に、ネルケを除く五人は一斉に剣を引き抜き戦闘態勢に入っていた。
通路は廊下としては広いが、複数人が剣を振り回して戦うには狭い。
セイブルがネルケを背後にかばうように位置取りし、グスタフとオディロが前進する。
勝負自体はあっけなかった。
グスタフが先頭の一体に突っ掛け、頭部を片手半剣で叩き潰す。その脇を駆け抜けたオディロの突きが、二体目のレッドキャップの胸板を貫いた。
オディロに三体目が飛びかかろうとするが、剣を突き立てたレッドキャップを間に挟むようにして位置取りし、盾として阻む。そのままそいつを三体目に向かって蹴り飛ばし剣をひっこ抜いた。
ひるんだレッドキャップの胴をグスタフが薙ぐと、軽い体は壁まで吹っ飛んで激突する。
地面に倒れて動かなくなった三体の異形は燐光を放つ粒子となって消滅した。後には爪先ほどのサイズの、乳白色をした小石が残されていた。
(はやっ)
ネルケは二人の手並みに感心した。さすが終盤の敵キャラなだけはある。
「おいおい、どういうこった。ここはもう二、三百年がとこ閉鎖されてたって計算ですがね」
「『幻獣』は物も食う必要がなく、子もなさない。虚空から生まれ、斃れれば虚空に還る存在だ。どこにいても不思議ではない」
オディロのぼやきにセイブルが答えた。
『幻獣』は〈古王朝〉末期に現れた存在とされ、混乱と文明の衰退に拍車をかけたという異形の怪物達だ。
大きさや姿形は様々だが、共通して持っているのは人類への敵意。
敵対行動として人を食うこともあるが、生理的な摂食行為の必要性はなく餓えることはない。交配も行わない。
何もないところに忽然と発生すると言われ、実際に市街地で衆目の中いきなり現れた事例もあるという。
人間の力での撃退は可能だが、斃せば幻であったかのように消滅する。
まさに
人類が戦士を数多く必要としているのはこの存在のためである。
もちろんゲームでは主にザコモンスターを担当していた。
亡骸の代わりに残る小石は極小サイズの竜骸石で換金アイテムだ。
◇◆◇◆◇◆◇
途中、さらに二度ほど幻獣と遭遇しつつ、所々土砂で埋まったさして広くない階層を探索し、いくつかの階段を登り、ホールのような広間に出る。
奥に並んだ二つの扉の間に円筒形の構造物があり、中にはつるんとした質感の、丸みのある人型の物体が長い腕を抱くようにうずくまっていた。
不意に円筒の上部が赤く点灯し、女性的な声がホールに響き渡る。
『警告します。職員証あるいはゲスト・パスの所有確認ができません。お持ちの職員証あるいはゲスト・パスをこちらに向けて提示してください。紛失された方はここより退去してください』
「なにっ」
「なんだあっ」
イルザとオディロが素っ頓狂な声を上げてあたりを見回す。
『繰り返します。職員証あるいはゲスト・パスの所有確認ができません。お持ちの職員証あるいはゲスト・パスをこちらに向けて提示してください。紛失された方はここより退去してください』
一行は戸惑いながら警戒態勢をとる。震えるような低い音が断続的に鳴り響き、赤いランプが明滅した。
『警告します。職員証あるいはゲスト・パスの提示がなく、退去もなき場合、無断侵入者と見なして攻撃を行います』
円筒の中にうずくまっていた人型の、目にあたる部分に光が入り、ゆっくりと立ち上がるとこちらに一歩踏み出す。
『無断侵入者と判断しました。攻撃を行います』
大柄なグスタフよりさらに一回りも二回りも大きな人型は、二本角の頭部の乗った両肩の先、ムカデのように平たく長い蛇腹構造の腕を大きく広げた。
「――鉄機兵」
ネルケのつぶやきに一同にさらなる緊張がはしった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます