第四話 撫子の少女とオースターの遺跡

 初夏、〈西方〉東部の河川は満々と水を湛え、いくつかの名の知られた大河は、その悠久にして雄大な流れをしばしばうたに詠まれてきた。


 〈巨神の背骨〉に源流を持つ河川群は、春が訪れる頃、雪解けによる増水と、平原部の緩やかな河床勾配による穏やかな流れもあって、水運がにわかに活気づく。

 水量を増した河へと、船溜まりから喫水の深い大型貨物船が我先にと乗り出し、河口からは海船が遡航してくる。また、渇水期には入れなかった小さな川への荷船の侵入も可能になる。


 秋に収穫された作物をはじめとして、各地の集積地に集められた物資はそのまま冬を越し、春の河の流れにのって東部中に走り出し、駆け巡るのだ。


 繁忙のピークの過ぎた初夏は、その気候と合わせて絶好の船遊びの季節といえるかもしれない。


 そんな初夏の陽光きらめく川面を、一隻の帆船が南へとくだっていく。

 陽炎号はゲルノート家所有の船、二本マストで比較的小型の縦帆船スクーナーである。速力、運動性とも申し分なく、主に領内の巡察や連絡に運用されていた。


「うー」


 ぷかぷかと綿雲の浮かぶ青空の下、陽炎号の甲板でネルケは舷墻の手摺にもたれてぐったりとしていた。

 ぐらついて息苦しくなる視界を拒んで目をつむり、こみ上げてくる不快感を吐き出して新鮮な空気を取り入れようと深呼吸する。幸いと言うべきか、めまいと不快感くらいで吐き気がするほどではない。


 こんなことなら、モニカの薬を調剤するついでに酔い止めの薬を用意しておくべきだったとため息をつく。


「こういうのも医者の不養生って言うのかしらね」


 涼しげな声に目を開けて振り返ると、艶のある黒髪を背中まで伸ばした二十歳そこそこの女性が立っていた。切りそろえた前髪の下で、眠たげな半眼が笑っている。


 フレア・シェーンベルクはゲルノート従士団に所属する女性従士だ。男物のシャツに筒袴ズボンという、鎧下もつけていない身軽な格好だが、腰の剣帯には片手半剣を吊っている。


 通常、貴人の侍者には同性の者がつく。男性の主人にはべる・・・のは侍従や小姓だし、貴婦人は侍女が身の回りの世話をする。

 そこで「では婦人の身辺警護も女性中心であるべきでは?」となり、この世界では女性の戦士階級は数こそ少ないものの、そこまで珍しい存在ではない。


「馬車も馬も平気なクチだし、船は初めてだから油断したよぉ」

「あと一刻もすれば港に着くそうだから、それまでの辛抱ね」


 フレアはネルケの隣にやってくると、同様に舷墻にもたれた。


「オースターの狼煙台までは麓の港から馬でなら半日ってところ」

「とりあえず地面にさえ立てれば何でもない距離だわ」


 再び舷墻に突っ伏す。


 普段女っ気のない船だけに、甲板作業をしていた若い水夫がネルケ達をチラチラ見ている。

 厳つい顔をした年配の水夫が、これ見よがしに傍らの空いたビレイピンを引っこ抜いてみせると、若い水夫はそそくさと仕事に戻った。


 ちなみにビレイピンとはちょうど棍棒のような形状とサイズで、固くて重い木材や、真鍮などの金属でできている。主に見習いや下級の水夫をこづいて・・・・脅す他、ピンレールと呼ばれる架台に挿し、索具を巻いて掛けるのにも用いられる。必要があれば引っこ抜くだけで索具が解けるわけだ。


「なあ嬢ちゃん達、接岸が近くなったら船室に引っ込んでてくれよ。甲板は大騒ぎになってお互い危ないからよ」


 年配の水夫が通りがけに二人に声をかけて去る。ネルケははぁいと答え、フレアはひらひらと手を振った。


「で、オースターの狼煙台にお嬢様の『呪詛』を解除する鍵があるって本当なの?」

「正確にはそれがある場所へ行くための手段があるはずなの」

「煮え切らないわねぇ。なんだか回りくどいし」

「だって、あたしも直接行ったことがあるわけじゃないもの。狼煙台に行けばハッキリするんだけどね」


 オースターの狼煙台は、〈巨神の背骨〉の最南端にあるオースター山中腹の施設で、文字通りの狼煙台だ。〈東方〉からの侵略に対する備えの一つであり、侵攻の情報を王都までリレーする狼煙群の一つだ。


 ネルケは続ける。


「あそこの基礎は〈古王朝〉時代の遺跡だからね、目的はそこ」

「それは聞いたことあるけど、あの遺跡はもう調査済みでスッカラカンじゃないの?」

「まだ見つかってない奥の設備があるはずで、逆に言えばそれが確認できればその先の情報も確かってことになる」

「確かねえ……」


 フレアはふうと息を吐き出した。


「まあ他に縋る物もなし、一族の言い伝えだっけ? 期待させてもらいますか」


 そう、ネルケは『ゲームの情報』を一族の口伝ということにしていた。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 遡ること三日前、モニカの診察を終え、ネルケはセイブルに相談があるとヘルガに後を任せて部屋を辞した。

 廊下で待っていたセイブルに応接間に戻りがてら事情を説明しておく。


「奥の手とは?」


 詰め寄ってくるその勢いにネルケは若干仰け反りながら、


「私の一族の言い伝えにいくつかの〈古王朝〉時代の知識があります。その一つに『呪詛』も解除可能な遺物についてのものがあるんです」


 と、ウィニアに来るまでに考えていた嘘をつく。


「それはどこにあるんだ」

「『中心領域メディウス・ロクス』」


 まるで何でもないことのように言うと、セイブルは呆気にとられたような顔をした。


「あれは場所のはっきりしない伝承の存在だろう。〈インペリウム〉が安置されていたという」


 〈古王朝〉文明を支えた、文字通り魔法のエネルギー、竜骸石。

 竜骸石は万物の根源、存在の原理と言われる未分化のエネルギー〈精霊力ニューマ〉の結晶体であり、厳密には鉱物としての石とは異なる。

 一説には竜の化石と言われており、名前の由来もそれだ。


 〈インペリウム〉は〈古王朝〉が西方全土に張り巡らせた各種インフラシステムに利用していた巨大な竜骸石で、大きな家屋敷ほどの大きさがあったと言われている。

 〈インペリウム〉が力を使い果たし、特に情報インフラが破綻したことが〈古王朝〉衰退の契機だったという。


 西方の中央部に「逆『く』の字」に横たわるアングリ山脈のどこかにあるという『中心領域メディウス・ロクス』は、〈インペリウム〉を設置したシステムの中枢であり、今はやはり廃墟となっている〈古王朝〉の首都カプトムンディと並ぶ最重要施設であった。


 ちなみに『オクシデント・ストーリーズ』ではクリア後のやりこみダンジョンの類である。


「そこに行くための手段についても伝わっています」

「それが本当なら世紀の大発見だが……君の一族は何故今までそのままにしていたんだ?」

「理由は二つです。まず私たちだけで調べるには危険すぎたこと」


 〈古王朝〉の遺跡は重要施設ほど劣化に強くきれいに残っている傾向にあるが、同時に厳重な警備態勢がしかれ、それが今もなお生き残っていることがある。侵入者対策の罠や自律兵器などだ。


「もう一つは、公開することによる世の中への影響です。未発掘の遺跡の生きている遺物が世間でどれだけ価値があるか知らないことはないでしょう」


 遺跡には盗掘者がつきものだし、また新しい遺跡の発見であれば国家や領主がその権利を主張する。

 特にメディウス・ロクスのあるアングリ山脈は、そのものが東ルクシウス王国と西ルクシウス帝国の国境となっている微妙な場所なのだ。


「正直、それによって起こるトラブルに巻き込まれるのは避けたいわけですよ」


 それらしくでっち上げた嘘を指折り説明するネルケに、セイブルはふうむと唸る。


「我々のことは信用してくれるということか」

「モニカ様のためには背に腹は代えられないということもあります」

「正直だな」


 セイブルは苦笑した。


「だが感謝はするべきなんだろうな」

「それは全て上手くいってから受け取りましょう。――私の話を聞いてもらえるということでよろしいですか?」

「モニカの為には背に腹は代えられないというところかな」


 二人で笑い、真顔に戻ってネルケは切り出した。


「オースターの狼煙台はウィニア領の管轄でしたね?」


 二人はこれからについて軽く話し合うと、探索行については翌日以降に詳細を詰めようと決めてその日はもう休むことにした。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「あー、地面最高」


 桟橋から固い地面に降りたネルケはブーツの底で地面を何度も踏みつけ、飛び跳ね、揺れのない大地を実感する。


「普通、河船は酔うほどのものじゃないけどね」


 従士の装備――女性の陣羽織サーコートはケープ様のものだ――を着込んだフレアが荷物を背負って桟橋をゆっくりと歩いてくる。


「まあ風が一定しなくて多少の揺れはあった。急ぎだったし」


 話を継いだ金髪の女性従士はフレアの同僚イルザ・ヘンデルだ。


 あとは舷門から渡し板を降りてくるセイブル、オディロともう一人、赤褐色の髪の大柄な従士グスタフ・ハーン。この六人が探索行のメンバーである。


 女性従士が二人含まれているのは、男所帯ではネルケが心細いだろうというセイブルのはからいで、二人は主にネルケの護衛ということになる。

 女同士、気安く接しようというのはネルケから言いだしたことで、二人ともその提案を歓迎してくれた。


 ちなみに両者とも武芸の腕の方はかなりのものらしい。

 フレアはあの眠たげなぼんやりした顔で、男性従士達の上位層に混ざっても遜色ないほどの武芸の使い手。イルザは魔法も扱える魔法剣士だという。


 船を降りた一行が向かうのは港街の代官屋敷だ。

 オースターの狼煙台は人里からは離れた位置にあるため、管理はここの従士達が交代で派出されている。


 代官への挨拶を済ませ、続くセイブルとの儀礼的な会談の間、他のメンバーは馬の手配のために厩舎の併設された従士館を訪ねた。


「洞窟……かね」


 人数分の馬の調達依頼の後、続いてネルケに唐突な質問をされた代官屋敷の従士長は、顎に手を当てて考え込む。主の嫡男の連れとあっては無碍な扱いもできない。


「確かに狼煙台より多少くだった所にそんなものがあるとは聞いたことはあるが」

「はい、あるとわかればいいんです。――ひょっとして周辺地図とかお願いできます?」

「明日の出発――いや、夜までに詳しい者を呼んで描かせておこう。セイブル様ももう少しかかるだろう、食堂でお茶でも飲んで待つといい」

「ありがとうございます」


 そう言って、右手で小さくガッツポーズをとる。


「その洞窟が例の秘密の入り口ってわけ?」


 食堂には一行の他に誰もいなかった。案内してくれた見習いの少年がお茶を用意して退出すると、さっそくフレアが先ほどのやり取りに食いついてくる。


「うん。これはいよいよだよ」


 さすがにネルケも高揚が隠せない。土壇場でだめだったらどうしようという一抹の不安もなくはないが。


「〈古王朝〉遺跡の調査というのは我々全員が初めてだと思うが、何か注意すべきことはあるのか」


 ボソっとグスタフがつぶやくように発言した。


「遺跡の防衛機構が生きてれば、警備の自律兵器なんかがあると思う。鉄機兵とか」

「鉄機兵――サヴァロンの鉄機兵?」


 ゲームの知識を思い出しながらのネルケの言葉に、オディロが素っ頓狂な声を上げる。

 イルザが首をひねった。


「なんだっけそれ、聞いたことあるけど」

「おいおい、有名な昔話じゃないか。西ルクシウスのサヴァロン遺跡の鉄機兵。半世紀前、剣豪アギノが挑んで勝利と引き換えに片腕を失ったって」

「そういえばそんな話もあったわね」

「半世紀前の剣豪と同格の相手となると……」

「……そういうのは若に任せるに限る」

『それはそう』


 フレアがぽつりと漏らした言葉に二人が強く同意する。グスタフの表情は読めない。


「セイブル様ってやっぱりそんなに強いの?」


 ずい、とネルケがテーブルに身を乗り出すと、オディロとイルザも同様の姿勢をとる。


「悔しいけど年齢考えたら桁違いだねアレは」

「あの歳でアレはなーんかずるいことしてる感じ」

「団でもかろうじて訓練の相手になれるのもう何人もいないしなぁ」

「若いから仕方ないのかもしれないけど、自分ができるから他人もできるだろうみたいな考えもやめて欲しいよのね」

「わかる、若が参加してくると訓練がまた一層つれぇんだ。幼気いたいけな顔して根性論者だし」

「『もう限界だというところからさらに一歩を踏み出すことを成長と呼ぶのだ』」

「言う言う」

「〈神濤流しんとうりゅう〉の神髄は気組みから始まり、技を得て術を学び、気組みに終わる。精神論だけで言っているのではない」

「言う――え?」


 いつの間にか二人の間にセイブルが顔を突っ込んでいた。


「上の人間がいないところで仲間内で何を話していようと俺は構わないが、少々気が緩んでいるようだな」


 固まった二人に言い置き、一同を見回す。


「屋敷に部屋を用意してもらった。明日は早い、各自ゆっくり休んでおくように」

「はぁい」


 話を振った二人になんとなく申し訳なさを感じて、ネルケは心の中で(なんかごめんね)と詫びを入れた。

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