第三話 撫子の少女と苛む病

 ネルケがゲルノート家の城館へと到着したのは日暮れ頃。


 城館は特に何ということもない、木と土と石を建材としたこの時代のごく当たり前の建造物だ。石積みや版築の城壁に、煉瓦と膠泥モルタル、漆喰の居館類。壮麗さや優雅さとはかけ離れていたが、質実剛健の風情で清掃も行き届いているようだった。


 賓客用の客室に落ち着く間もなく、浴場で旅の垢を落とす。

 晩餐にはもう遅い時間で、用意された軽食をつまんで人心地つく頃にはとっぷりと日が暮れていた。


「到着早々あわただしくてすまないが、奥方様が挨拶をなさりたいそうでな」


 「奥方様」とはセイブルの異母妹モニカの母親ヘルガだ。

 申し訳なさそうに客間まで迎えに来たのが城代たるセイブル直々というあたり、「奥方様」との力関係が垣間見えるが、実際この二人の関係は複雑なものがあった。


 なかなか子宝に恵まれなかったヘルガを差し置き、妾から生まれたのが男子のセイブルだったのである。

 そして何年も遅れてようやく生まれた娘が『呪詛』に冒されたとなれば心痛はいかばかりか。


『私は王都の上屋敷で生みの母と七つまで過ごしたが、流行病で母が亡くなってこちらに引き取られることになってね』


 ウィニアまでの移動の間、館で困らないようにとセイブルは家族の事情について一通りの説明をしてくれていた。歳が近いこともあって喋り方も若干気安くなる。


『父は母や私と奥方様を会わせないようにしていたからそれまで面識はなかったんだ』


 王国では国教のウガーラ聖教の教えによる一夫一婦制の原則をとっており、これは王侯でも変わらないため、第二夫人や側室と呼ばれるような存在はいない。

 とはいえ名家にとっては血を繋ぐというのも重要事項であり、妻との間に子がなされなければめかけを持つのは公認され、その子供は法的にも保護を受けられることになっていた。

 公妾や公式寵姫といった類の制度である。


 当時セイブルはまだ分別がつく年頃とは言えなかったが、父や家人たちの様子から「奥方様」に漠然とした負い目のようなものを感じていたし、対面の日には彼女が自分にどう接するかでこれからの人生が左右されると察してもいた。


『私の息子です。皆もそのように扱うように』


 屋敷の謁見の間で、ヘルガはセイブルを自分の隣に招くと家人達にはっきりとそう言ったという。

 そういう気性の女性であり、主人のカールが留守がちなこともあって、城館で家臣や使用人達から崇敬を受けているのはむしろ彼女であった。

 セイブルもその一人である。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「初めてお目もじいたします、侯爵夫人。『撫子の魔女』ネルケ・ヘルダーリンと申します」

「ヘルガ・ゲルノートです。名前で呼んでいただけたら嬉しいわ」


 セイブルに伴われて向かった応接間で、ネルケを待ち受けていた亜麻色の髪の三十路過ぎの貴婦人。戸惑い、値踏みするようなその金褐色の視線は、自己紹介ほど親しみやすいものではなかった。

 まあそれはそうだろうなと思う。魔女が来ると聞かされて、じっさい来たのは一四、五歳のやせっぽちの小娘である。


「娘のために足を運んでくださったこと、まずは感謝いたします魔女様。ですが失礼ながらその――なんというかとてもお若くていらっしゃる……」

「奥方様、高徳の魔女殿に対しそのような態度はないでしょう」


 セイブルが諫めるが、ヘルガは柳眉をひそめ「だけど、セイブル」と不審を隠さない。


「不安に思われるのも仕方ないと思います。ご令嬢のことを思えばなおさらでしょう」


 祖母に口を酸っぱくして言われていた。『舐められてはいけないよ。どんな商売でも依頼主に軽んじられたら最後、何もさせてもらえないからね』。


「ただ、私にできないことは先代であっても無理だと自負しております。よろしければ、今すぐにでも診察をさせていただけますか?」


 夫人ヘルガの目を見てはっきり言い切る。

 症状から夜の方が調子が良く、夜間起きていることが多いと聞いていた。

 そう伝えるとセイブルも頷く。


「先ほど様子を見た時は起きていたよ。魔女殿に会いたがっていた――確かに丁度いいかもしれないな」


 言って出入り口脇に控えていた女中に妹の様子を見てくるよう指図する。


「セイブル!」

「彼女にはそのために来てもらったのですよ。ここで云々するよりやるべきことをやってもらった方が早いでしょう。モニカにも準備があるでしょうから、さぁ、座って一服しましょう」


 手ずからお茶を淹れるセイブルを見てため息をつくと、ヘルガはネルケに無礼を詫びるとともにソファを勧め、自分も対面に座った。


 沈黙の中、ありがたいことに女中はお茶一杯飲みきる間もなく戻ってきて、ネルケはセイブルとヘルガに導かれて館の奥へと向かう。

 主人とその家族達の私的な空間となっている棟に目的の部屋はあった。


 セイブルのノックに応えて侍女がドアを開けて現れ、恭しくお辞儀をすると部屋の中へと声をかける。


「モニカ様、奥方様とセイブル様が魔女様をお連れになりましたよ」

「入っていただいて」


 部屋の奥から帰ってきたのは若干かすれたような細い声だった。

 セイブルに目配せでうながされ、ネルケは部屋へと足を踏み入れる。


 大きな板ガラス――貴重で高価な品だ――をはめこんだ窓が印象的な部屋で、中央には天蓋付きのベッド。

 魔法灯ランプはベッドサイドに一つあるきりだったが、ガラス越しに満月の光が射し込んで部屋を広く照らし出していた。

 ベッドカーテンは全て開け放たれ、その上で少女がこちらをじっと見つめている。

 顔貌は母親似のようだったが、髪の色は母親よりも濃く栗色がかっていた。


「魔女さま?」

「はい。『撫子の魔女』ネルケ・ヘルダーリンと申します」


 ネルケが一礼して枕元へと移動すると、ベッドの上の少女も身を乗り出してまじまじとネルケを観察し、声をあげた。


「嘘だわ。だってお兄さまと変わらないくらいの歳に見えるもの」

「見た目通りの年齢じゃないのかもしれませんよ? 魔女ですから」

「――そうなのか?」


 ネルケの隣に陣取って疑問を口にしたセイブルの頭を後ろからヘルガがはたいた。セイブルは釈然としない顔で後ろに下がる。


「モニカ、お喋りは後にしなさい」


 ヘルガに咎められてモニカは軽く首をすくめた。


「ごめんなさい。――モニカ・ゲルノートです」


 頷いて、ネルケはモニカの様子を見る。顔には紅斑がうっすらと、鼻の上を横切って若干けた両頬へと横断していた。目に多少充血が見られるか。


「少々強い明かりを作らせて頂きますね」


 ネルケが〈光明ライト〉の呪句を唱えると、部屋の中央、天井近くに熱のない白い輝きがともる。

 モニカは一瞬びくっとしたが、おそるおそる手をかざし、まぶしげに魔法の光を見上げた。


「大まかなところはセイブル様から伺いましたが……今、痛いところや何か不快なところはございますか?」


「微熱が続いてる、あと咳と――あぁと、失礼」


 背後で答えたセイブルに一同の視線が集まり、彼は気まずそうに首をすくめる。

 顔こそあまり似ていないが、その仕草はどことなく先ほどのモニカと相似をなしていた気がした。


 視線を戻すとモニカは軽く微笑んで頷く。


「あとは……少しだるくて手足の節々が痛いこともあります。咳もですが、街の薬師にいただいたお薬を飲むと楽になります」


 モニカが視線をサイドテーブルの吸い飲みとビンに向けると、侍女が気を利かせてビンをネルケへと手渡してくれた。

 中身を確認して思わず渋い顔になる。ワインに少量の阿片オピウムを溶かし、その苦みを丁字クローブで誤魔化した水薬ポーションだった。咳止めや鎮痛に効果があることは確かだが――。


「何か?」


 不安そうに侍女が尋ねてくる。


「――いえ、少し使用量や頻度には注意した方がいい薬なので」


 まあ濫用していい薬などないのだが。


 自分なら甘草リコリスを中心にハーブの精油を使った炎症止めのドロップか舐剤と、頓服には麻黄エフェドラを主薬にした咳止めというところだろうか。


 蒸溜による分離がせいぜいで、複雑に化学合成された薬品などない時代である。どうしても生薬頼みになり、効果はおだやかと言えば聞こえはいいが、限定的だ。阿片のような薬が幅を利かせるのも仕方なかった。少なくとも楽にはなる。


「まず最初に太陽の光に当たれなくなったと伺いましたが」


「もう三月みつきは前だ。陽に当たった手足が急に真っ赤に腫れ上がって――」


 再び語り始めたセイブルに視線が集まり、場が固まる。


「セイブル――」

「……申し訳ありません」


 ヘルガがため息をつき、セイブルは身体を縮こまらせた。


(奥さん、そいつ妹さんのためなら〈西方〉社会の転覆に加担も辞さないシスコンですよ)


 ネルケには納得しかない。


「そうですね。セイブル様からはこれまでにもう十分お話をお伺いしましたし、ご家族とはいえ女性の診察ですから、ここからはご遠慮願いましょうか」


 退場を促され、シスコン兄はしょんぼりと肩を落として去る。ドアの前で一度ネルケを振り向き、よろしく頼むと頭を下げてから退出した。


「お兄さまったら……」

「セイブル様は貴女のことが心配で仕方ないのですよ――っと、上を少しはだけていただけますか?」


 そろそろ暑くなってくる時期だが、モニカは長袖のゆったりしたワンピースの寝間着を纏っていた。侍女の助けを得て上半身をはだけてスリップ姿になる。

 細い腕を取ってみるとポツポツと皮疹があり、網目状の紅斑がうっすら広がりつつあるように見えた。


「これは足も?」


 モニカは頷いた。


「二週間くらい前から……痛みや痒みはあまりないです。咳とか、喉の方がヘンな感じがあります」


 かすれるような声の違和感はネルケも気になっていたところではある。背中に回って耳を当てるとかすかに喘鳴も確認できた。


「ちょっと失礼しますね」


 今度はモニカの胸に手を当て、〈治癒ヒーリング〉を唱える。魔法で病気を治すことはできないが、炎症などは取り除くことができる――一時凌ぎでしかないが。

 だが――。


「やっぱりだめなのね」


 けほっと空咳をしてモニカが言った。


「魔女さまの前に来た治癒魔法使いのかたも言ってたもの、これは『呪詛』だって。お兄さまにも聞いてらしたんでしょう」


 『呪詛』は肉眼では見えないほど小さな呪具の群れが病原体となっており、人体の体温や代謝といった生命活動に依拠して活動する。活性化すると自律的に増殖して宿主に対して定められた影響を与えるようにできているのだ。

 そして多くの場合、治癒魔法に対する対抗魔法が仕込まれている。


「これ、もう消えないのかしら。もっとひどくなるのかしら」


 腕の皮疹と紅斑を見て、震える声で絶望的なつぶやき。

 幼い少女が考えまいとして追いやっていたものが瞳からこぼれ落ちようとしていた。


 作られた病である『呪詛』はその症状も人によってデザインされたものだ。制作者の意図を読むなら、これは全身に炎症反応を起こすもののように見える。

 そしてそれは内臓にも及んでいる可能性が高い。進行性のもののようで今はまだ軽度だが。

 可哀想だが、このまま進行すればあと何年も生きられないだろう。


(ていうか、人の作った病気ってなによ)


 自然界に病は数知れず存在するが、そこになにがしかの悪意というものは一切介在しない。ただ、自然というのは人間にとって都合のいいばかりではない――むしろだいぶ厳しい――というだけのものだ。ネルケにしても祖母のもとで患者を看取った経験くらいある。


 翻って、この『呪詛』は完全に人の悪意による産物だ。人を苦しめるため、どうやって、どのように苦痛を与えるか、知恵をこらしたそのおぞましい結晶。

 そんな病態の再現が可能な技術の社会であれば、多くの病を無力化できていただろうに、あえて人を苦しめるために病を作り出して兵器としようという神経が理解できない。

 どんなろくでもない人物が何を考えてこんなものを作ったのかと考えると、怖気を通り越して怒りすら湧いてくる。


「わたし、もうお日さまも見られずにこのまま死んでしまうの?」


 嗚咽をこらえて、言うまいと耐えていた言葉を口にする。

 ヘルガが無言で娘を抱きしめ、侍女は目元を拭った。


 潤んだ目ですがるように見つめてくる少女にネルケがかける言葉は一つしかなかった。


「大丈夫です、私には奥の手がございますから」


 肚は決まっていた。

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