第二話 撫子の少女と車輪の騎士団

 大陸を縦断し、雲を貫き天にそびえる霊峰を擁する大山脈〈巨神の背骨〉。

 神代の昔に太古の巨神と真の竜が激しい争いの末相打って倒れ、両者の骸がこの大陸となったという神話にちなむ。

 この〈巨神の背骨〉により切り取られ、地理学的にほぼ独立した大陸の西側およそ三分の一を特に西方亜大陸、あるいは単に〈西方オクシデント〉と呼ぶ。


 かつてその西方全域を支配した『大ルクシウス帝国』と呼ばれる大国があった。

 現在はただ〈古王朝〉と呼ばれるその国は、竜骸石と呼ばれるエネルギー資源を用いて高度な文明を築き上げ、十世紀以上に渡って栄華を極め、その資源の枯渇により文明の衰退を招き、そして滅んだ。


 〈古王朝〉の崩壊から二世紀余が経つが、良きにつけ悪しきにつけその遺物は西方各地に残っていた。

 そのうちのはた迷惑な物の一つが『呪詛』と呼ばれる人造の病、その病原体だ。

 多くは衰退期の動乱のなか作られた兵器の一種で、その効果は致死性のものから非致死性のものまで多岐にわたる。


 ある例では〈古王朝〉時代の遺跡――おそらくは軍事施設――に宝捜しに潜り込んだ盗掘者が、死に至る熱病を発症する『呪詛』を持ち帰ってしまい、都市が一つ壊滅寸前にまで追い込まれたという。

 それは致死力、感染力ともに強力な『呪詛』であったが「活性化から一定の期間で消滅する」という安全装置が仕込まれていたため、それ以上の事態にならずに済んだ。


 感染や活性化の条件が不明瞭なことも多く、不活性状態のまま社会に潜伏している『呪詛』も相当数存在すると目されている。

 セイブルの妹を苛む病もそんな『呪詛』の一つだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇



(う~ん……)


 準備をして明日、診察のためウィニアまで同行すると応じるとセイブル達は宿に引き上げていった。

 おそらくセイブルはゲームの設定でもこうして名の知れた魔法使いや薬師等をまわって解決策を求め、物語の敵手との接触を持つことになるのだろう。


 茶の後片付けをしながら考える。


 正直、『呪詛』などというものはネルケの――というか現在の人間の力でどうにかなるような代物ではない。〈古王朝〉時代の生きた設備や道具の力を使わないと無理だ。

 昨日までのネルケであればやはり診るだけは診るとしても、対症療法以上のことはできなかっただろう。


 ただ、今は心当たりがある。

 あくまでもこの世界がゲーム、『オクシデント・ストーリーズ』と同一という前提にあればだが、設定上『呪詛』も除去可能なアイテムが存在することを今のネルケは知っている。


 問題は入手手段の現実性やリスクもあるが、何より気に掛かるのは「世界がシナリオ通りに進むとしたら、そこに干渉することの是非」だ。


 ゲームのストーリーを信じるのであればだが、これから〈西方〉は危機に晒されることになり、それを主人公カミル達が解決する。下手に手を出した結果筋書きが崩壊し、〈西方〉社会も一緒に崩壊してしまってはたまらない。


 逆に手を出さない場合、ゲームで起こった悲劇をそのまま見過ごすということになる。


 例えばセイブルの妹は結局助からない。敵の手によって彼の目の前で幻獣モンスター化され「望み通り病気は治っただろう? ちょっと見た目も中身も変わってしまったかな、フハハハハ」というオチだ。

 直前の戦いのダメージもあり、セイブルは化け物となった妹に手も足も出せないままに殺され、妹は主人公達に斃される。


 ちなみに後にその場所を訪れると亡霊ゴーストとなり人格も失われたセイブルと妹がいて戦闘になり、倒すと消滅するという悪趣味なサブイベントもある。静かに放っておくか、せめて成仏させてやると考えるかはプレイヤー次第。


 当人に関わってしまった以上、見捨てるにはあまりも重い話だが、介入するとなると話に大きく影響を及ぼすことになる。


 いま一つは自分自身の先行きである。

 ゲームの情報をはっきり思い出してわかったことだが、ネルケ自身も端役として登場していた。


 各都市には鍛冶屋や錬金術師の工房といった、装備の改造やアイテムの製造、および購入を行える施設があり、ネルケの小屋もその一つだ。

 施設管理者のNPCは黒いローブのフードからピンクの髪をのぞかせた魔女。ローブの下は、目の下にクマのある、ちびで陰気な痩せぎすの少女――つまりそれが自分ネルケの姿だ――で、ちょい役ながらニッチ層にほそぼそと人気を獲得していた。なんだか不本意だが。


 ゲームの展開では終盤に〈西方〉各地の都市は幻獣モンスターの大発生で混乱に陥り、多くの死者・行方不明者といった犠牲を出すことになる。

 そして少なくともゲーム内ではネルケは再登場しない。つまり生死の確認もできない。


(まあ、死ぬと限ったわけでもないし、立ち回り次第ってことかしら……)


 それに関してはゲームの知識という情報は強いアドバンテージになるだろう。


 セイブルとの会話中、それとなく年齢を確認したが十六歳だという――ちなみにネルケは十五だ。

 ゲームの設定では彼は十八歳だったはずなので、物語の開始までにはあと一年から二年近くの猶予があるわけだ。


(そもそもこの得体の知れない『知識』が果たして真実なのかもわからないし……)


 自分の正気を疑ってみるものの、心のどこかにはこれが狂気の産物でもなんでもない、真正の事実だという確信もある――まあ、一般的に狂人というのはみんなそう思っているのだけど。


 〈西方〉の危機といっても現実的にはいまいちピンとこないこともあり、とりあえずできるだけ『現実』と『知識』を突き合せて裏を取っていくべきだろうと結論づけ、ネルケは明日のための旅支度をすることにした。



 ◇◆◇◆◇◆◇



 〈西方〉は現在おおむね東西南北、四つの国に分かれている。

 北部の『ヴァラグント』。

 〈古王朝〉の継承国家を自称する西部『西ルクシウス帝国』。

 南部に腕か足のように延びた半島には『ペデシア』が。

 そして東には〈巨神の背骨〉と接し、またその南端にある山脈の果て、〈東方オリエント〉との玄関口を持つ〈西方〉の守り『東ルクシウス王国』。


 東ルクシウス――西ルクシウスの『帝国』に対して単に『王国』と呼ばれたりもする――の城郭都市ウィニアは、その名の通りウィニア侯爵領の中心的都市である。


 この地を治めるウィニア侯たる、カール・ゲルノートの城館は市を見下ろす小高い丘の上にあった。

 眼下の城市と比べれば小なりとはいえ、掘り割りと、矢狭間やざま虎口こぐちを備えた城壁に囲まれた要塞でもあり、有事にはウィニア防衛の支城の役割も果たす。

 またゲルノート家の私兵――専従の職業軍人である従士団の拠点ともなっていた。


 当主は年の半分を王都の上屋敷か、領内の巡察で過ごしており、現在は息子のセイブルが城代を務める。


 城館の奥は彼らあるじとその家族の居住空間となっているわけだが、その中で特に異彩を放つ一室があった。

 晴天の昼日中だというのに鎧戸とカーテンがぴっちりと閉じられ、一筋の光の侵入も許すことなく、ただ魔法灯ランプの白い輝きだけが室内を照らしている。


 薄暗い室内に子犬の鳴き声のような咳が響く。

 部屋の中央の天蓋付きベッドの上、上半身を起こした小さな人影が激しく身を震わせて咳き込んだ。

 

「モニカ様――」


 控えていた侍女が椅子から立ち上がり、サイドテーブルの吸い飲みを手に取った。「失礼いたします」と頭を抱きかかえるように支え、少女に慣れた様子で液体を飲ませる。


「……ありがとう」


 モニカと呼ばれた少女がかすかに嗄れた声で礼を言うと、侍女も頭を下げてから吸い飲みを卓へと戻す。


「寝疲れいたしましたか?」

「ううん、平気」

「眠くなければ何かお持ちしましょうか」

「大丈夫――ちかごろお兄さまがいらっしゃらないけれど、お忙しいのかしら」


 再び横になった少女が侍女に問いかけた。


「セイブル様は先日から魔女様をお訪ねになっております」

「魔女?」

「はい、〈東方〉の薬や術にも通じた名のある魔女様だそうですから、きっとモニカ様もよくなりますわ」


 魔女は余人には得体の知れない薬や知識を扱うため、恐れられたり胡散臭く思われたりする面もあったが、薄謝で人々を助ける存在として一般的には敬意を払われてもいる。


 薬が効いてきたのか、少女の目はとろんと夢心地の様子だ。


「魔女さまとお話できる?」

「どうでしょう、きっとものすごいお婆さんでしょうから、ちょっと気難しい方かもしれませんね」



 ◇◆◇◆◇◆◇



 一頭立ての小さな馬車の御者席で、ネルケは立て続けにくしゃみをした。

 馬車はネルケが祖母から受け継いだもので、幌の中の荷は当面必要と思われる薬と器材である。


「お体のお調子が?」


 オディロ・ミュラーと名乗った栗色の髪の従士が気遣わしげに馬を寄せてくる。

 セイブルに付き従う三人のお供は揃って二十歳そこそこの青年たちで、歳若い――というか幼くすらある魔女ネルケに対する好奇心を隠す様子はなかった。


「いえ……なんか鼻がむずむずと」

 

 そう言いながら手巾ハンカチで口元を拭う。


「それ――」と、今度はネルケの方から話しかける。

「はい?」

「その紋章、車輪ですよね」

 

 オディロたち従士が鎖帷子の上に被っている貫頭衣型の真っ青な陣羽織サーコートは、前後に車輪の意匠が地色の白に染め抜かれていた。


「ええ。戦車チャリオットに由来する、ゲルノート家の家紋です。今は持ってきてないけれど馬標うまじるしも鉄を貼った車輪ですね」


(やっぱり設定通りかぁ)


 ゲルノート家の私兵、ゲルノート従士団はそのシンボルから『鉄輪てつりん騎士団』の異名を取る精強無比な軍隊だ。

 ゲームでも『ゲルノート従士』は終盤に敵として登場し、兵士系ザコ敵の最上位『鉄輪騎士』の混ざった編成は舐めてかかるとパーティーが半壊しかねない。


 また『オクシデント・ストーリーズ』は『戦争イベント』というタクティカルコンバット形式のミニゲームがあり、やはり終盤その敵となるのがゲルノート従士団だ。


 主人公カミル達は他の貴族の後援を受けて軍団戦に臨むことになるわけだが、敵側の部隊ユニットであるゲルノート従士団と比べてプレイヤー側の部隊ユニットは一段劣り、正面から戦えるのは主人公パーティーの部隊ユニットくらい。

 ゲーム中屈指の難易度のイベントで、普通に勝つだけでも一苦労、経過ターン数と損害により判定される戦闘評価で最高ランクをとろうと思えば、運にも大きく左右された。


 槍持ちゲルノートと古語が表わすの家は武門の家柄であり、ゲルノート侯爵家はこの国最強の武力集団という設定なのである。

 つまり、目の前の人のよさげな青年もその一員というわけだ。


(見えないけどね)


 オディロという人物キャラクターはゲームには出てこなかったはずだが、見た目はゲームの『ゲルノート従士』そのものだ。ゲームで倒されるザコの中に彼もいたのかもしれない。


 ネルケは一行の先頭を行く少年に目をやる。

 黒髪の少年、セイブルの装いは従士たちと同色の青の上っ張り――貫頭衣ではなくブルゾンである。背中にはやはり車輪の意匠。

 東ルクシウスの王家は濃く深い群青ぐんじょう色を象徴色シンボルカラーとしており、象徴色として青系統の色を許されるのは一部の重臣達の家のみである。


(まいったなぁ……細かいところまでいよいよゲームの設定と同じだわ)


 一夜明けてみれば全ては何かの夢か妄想だったというのを期待したわけでもなかったが。


 アチェムからウィニアまでは馬車の足で二日ほど。

 それまでに少し覚悟を決めなければならないかもしれない。





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