第26話 家に帰るまでが冒険だ。これはマジで言ってる
新しいエンジンを付けた船は、快適そのものだった。
静かで、振動もなく、何よりもパワフルだ。
燃費だって驚くほど良い。
ワールド・ゲートに見つかると面倒なので、河を下って一度海に出ることにした。
けっこうな急流だけど、オーパーツなエンジンにはそんなもの屁でもない。
海に出ると、視界が一気に広がった。
今度はのんびり船釣りもいいな。
こんなの本土にいた頃は夢のまた夢だったよ。
天気も良いし、波も穏やか。いい気分だ。
「んもう、日焼けしちゃう」
「僕にもちょうだい」
「いいわよ」
あずさとユウは日焼け止めを塗り始めた。
もちろん例の機械で作ったものだ。
ぼくももらおうかな、と思ったけど。
「ハッ! 日焼け止めだあ? アニキはそんな軟弱なもの塗らねえよな?」
「おっ、そうだな」
くそ、間島のやつ。余計なことを言いやがって。
日焼けすると後で痛いだろうが。
シミ、ソバカスの原因になるだろ。
「だろ~? さすがアニキだぜ。硬派じゃん」
そう言うと間島はサングラスをかけた。
えっ、それはいいのかよ。
なんか納得いかないなあ。
ぼくたちは街に近くてひと気のない岩場に上陸する予定だった。でも。
ちゃぷん。
ん? なんだ、この足下の水は。
「やべぇぞアニキ! 浸水だ!」
「なんだって!」
ぼくは無意識に船べりに手を置いた。
何も考えてはいなかった。
ただ、揺れるから掴んだだけだ。
なのに、船べりが一気に一メートル四方こけ落ちた!
「うわあっ!」
転げ落ちそうになるのをあずさが引っ張ってくれた。
あずさを押し倒す形になったけど、どうにか落水は避けられた。
あ……危ない。
コーキングが甘かったのか? いや、そういう次元の問題じゃないな。
あっ。胸触っちゃったから怒られるぞ。
「に、兄さん。……は、早くどいてよぉ……」
「ご、ごめん」
赤くなってる場合じゃない――お互いにだ――。
浸水箇所は三カ所、いや四、五、いやどこもかしこもだ!
タオルや毛布、脱いだ上着を当てるけど浸水は止まらない。
ユウはエンジンを全開にして舵を陸に向けた。
舳先が持ち上がり、船底が水面を叩く。
あっ。舳先がもげた!
これだけスピードが出てれば当然だよな。
翼があれば飛んでる。
あちこちに部品をまき散らしながらも、ディスカバリー号はどうにか陸地に突入した。
「ギリギリセーフ……かな」
ずぶ濡れになったけど、どうやら海水浴はせずに済んだみたいだ。
三人が降りるのを確認して、ぼくは岩場に飛び降りた。
その衝撃が原因だったのかどうかはわからないけど、ぼくが降りた直後にディスカバリー号は分解し、材木と鉄の山になってしまった。
「僕のせいだ。僕の設計が甘くて――」
ぼくはへたり込んで呆然とするユウの肩に手を置いた。
「新しいエンジンの力に船体が耐えられなかったんだ。だって、明らかに五〇〇馬力くらい出てたろ。ユウが悪いんじゃないよ」
「信也……ありがとう……」
ユウはばくの胸に顔を埋めると、小さく震えはじめた。
うう、なんか良い匂いがする。
ぼくはまさか、ホモになったのか。
「だいじょぶか~?」
ぼくたちを気に掛けてくれたのは、アザラシのおじさんだった。
いや、性別はわからないけど。
肩から上を水面から出してくつろいでいる姿は、日帰り温泉にいるオッサンそのものだ。
なにせ、偶然か狙ってかは知らないけど、ぼくのタオルを頭に乗せてたんだもの。
「うん、ありがとう。ぼくたちは平気だよ」
「そうか~、よかったな~!」
「驚かせてごめんね。ゆっくり温まってよ」
「みずはつめた~い!」
「いや、気にしないで。タオルはあげるよ」
「さんきゅ~」
おじさんはアザラシなので、別に手を貸してくれたりはしない。ヒレだし。
ほかのおじさんが材木の破片で遊び始めた。
まあ、楽しんでくれるならいいか。
あとで片付けよう。
残骸からエンジンを回収し、鞄に詰めてぼくたちは街を目指した。
最後にもう一度だけ振り返る。
「さよなら……ディスカバリー号」
*
みんな無言だった。
疲れていたのもあるけど、色々と考えることが山ほどあったからだ。
ぼくは、自分が何も知らない子供だったことに今更ながら気付いた。
神殿を壊して、本当に良かったんだろうか?
政府は毎年九兆円もこの島の開発につぎ込んでいるらしい。
期限付きとはいえ入植者の生活保障をやっていれば、かなり掛かるよな。
街は他にもあるし。
けど、事務手数料としてかなりの割合をワールド・ゲート社が中抜きしているし、本土から持ち込む物資も、送料以外にもかなり上乗せがされている。
収穫物を一括して買い上げてくれるけど、そこからも手数料を取られるんだ。
お金は掛かるけど、確かに便利で何も考えなくていい。
でも、本当にこのままでいいんだろうか。
答えはそう簡単には出そうにない。
そうしているうちに、街が近づいてきた。
すでに夕暮れだ。
酒場の前を通りかかると、テラスで船木の爺さんが飲んでいた。
ぼくたちはお礼を言いたかったけど、大きないびきをかきながら鼻提灯を作っている。
とても幸せそうな顔で、とても起こす気にはなれない。
また後で来ようと通り過ぎようとしたけど、船木さんは目を覚ました。
「おお、無事じゃったか若者たちよ! これでもう、思い残すことなど何も無い。……事もない! わしだってまだまだ人生これからじゃからな! ふぉふぉふぉ」
「色々お世話になりました。なんとお礼を言ったら良いか」
「礼にはおよばぬよ。わしが楽しむためにわしがしたこと。ただ、それだけの事じゃ。さ、話はまた今度聞くとして、今はもう一杯飲むかのう」
ぼくたちは船木さんに深々と頭を下げ、歩き出した。
商店街の端で、間島が足を止める。こいつとはここでお別れだ。
「じゃあな、アニキ。また今度な」
背を向け、一歩足を踏み出した間島をぼくは呼び止めた。
「間島。二学期になったらさ、お前も学校に来いよ。本当は中学生なんだろ」
「……へえ、さすがアニキだ。やっぱ知ってたか」
「当たり前だろ」
間島は帽子のつばを下ろすと、ポケットに両手を入れた。
「やれやれだぜ。せっかく歳をごまかして牧野さんちで働けてたのに。……まあ、考えておくよ」
背中越しに手を振って、間島は去って行った。
あいつはたった一人で、誰にも頼らず生きている。
すごいやつだよな。
ぼくにはとても真似できそうにない。
ぼくには叔父さんがずっと居てくれたし、今となってはもう君枝さんやあずさのいない暮らしなんて考えられない。
その後ぼくたちは発田さんの店に立ち寄ったけど、シャッターは降りていた。
裏口に回ろうとして、台所から女の人の鼻歌と、包丁で何かを刻む音、それに美味しそうな匂いがするのに気付いた。
発田さんは独身だし、自炊をほとんどしないはずだ。
おっと。
どこかで見たようなスクーターが停まってるぞ。
タイヤが無くて、空中に浮いて走るやつ……おいおい、こんなの今の人類に作れる訳ないじゃん。オーパーツだよ。
でも、こうやって路肩に何気なく置かれていると、思ったより違和感がない。
ぼくたちも川に沈めなくてよかったかな? 今更言っても遅いけど。
「うどん、もうすぐ茹で上がりますからね~!」
ぼくらはこの声を知っている。マイアさんだ。
風呂場からくぐもった感じで聞こえる発田さんの返事も、すごく幸せそうだ。
ぼくたちは顔を見合わせて無言で頷くと、ドアの横に船から外したエンジンを置いて立ち去ることにした。
お礼には後で行けば良い。
邪魔をしちゃ悪いからね。
街を出て、ぼくらの家を目指す。
何度も通った道だけど、以前より少し小さく見えた。
次の分かれ道で、ユウともお別れだ。
「信也」
「うん」
「あの時はちゃんとお礼を言えなくてごめん。信也が助けてくれなかったら、死んでいたのは僕だったかもしれないね。本当にありがとう」
「いいんだ。結果論だけど、ぼくはこうして生きているから」
「でも、あの時は目の前が真っ暗になった。信也が死んじゃうって、本当に思ったんだ。あんなことは二度としないって、約束してくれるかい?」
「……善処するよ」
ユウは軽く目を伏せると、少し悲しそうな顔をしてぼくの肩に手を置いた。
「何か恩返しできる方法があれば言ってくれ。僕にできることなら何だってする。君が望むことなら、何でも」
大げさだな。女の子に言われたらドキッとする台詞だけど、男じゃねえ。
でも、気持ちは嬉しいかな。
「そうだな。ユウはもっとあれだ。自分が望む生き方をするといいかもしれない」
「どういう意味だい?」
「ワールド・ゲートの貴族じゃなくて、ただ池本ユウとして生きなよ、ってこと」
「できるだろうか。僕に……」
「ぼくを対岸に送り込んだだろ?」
ユウは目を丸くしていたけど、やがて微笑を浮かべて頷いた。
「わかった。それがキミの望みなら」
「ああ」
ぼくたちは握手をして別れた。
ユウはぼくたちの姿が見えなくなるまで、いつまでもいつまでも手を振っていた。
やがて陽は落ち、残照が青く照らす空に一番星がきらめいた。
「ねえ兄さん」
「うん?」
あずさは自分の左手を見ながら言った。
「手を、つないでもいいかしら」
「えっ」
どういう意味だよおい。
「あたしね。パパもママも仕事で忙しかったじゃない。だから家ではずっと一人ぼっち」
「……」
「小さな頃、仲の良い友達いたの。あの子と公園で遊ぶのが好きだったわ。一緒に遊んでいると、いつも夕方にお兄さんが迎えに来て、手をつないで帰って行ったの。それがすごく羨ましかったのよ」
「そっか」
「そうよ」
ま、そうだよな。世の中、しょせんそんなもんだ。
ぼくはあずさの兄貴だもんな。
「本当よ! 本当の本当にそれだけなんだから!」
「わかったわかった」
街灯が無いから、あずさがどんな顔をしているのかわからない。
でも、いいじゃないか。
転んで怪我したら大変だし、ちょうどいい。
ぼくはあずさの手を引いて、残りの道を歩いた。
その後は一言も会話はなかったけど、ようやく家が見えてきた。
窓からは明かりが漏れ、夕餉の煙が煙突から上がっている。
「もう着いちゃったわ」
「うん」
家の扉を開けようとすると、君枝さんがちょうど出てきて、ぼくたちを見て目を丸くした。
「あら! 二人とも無事だったのね! よかったわあ!」
君枝さんがぼくたち二人を抱きしめる。
少し照れくさいけど、とても落ち着く気分だった。
この時、ぼくは急に実感した。
そうか。この人は、ぼくのお母さんなんだ。
血のつながりは無いけど、お母さんになってくれたんだ。
「どうだった? ワイらの裏庭は!」
叔父さんは変わりない。ワールド・ゲートが忍び込んでいた事には気付いてもいないようだ。
「うん、とっても楽しかったよ」
「そうかそうか! さ、風呂に入って飯を食え。詳しい話はその時に聞こうじゃないか」
ぼくらに気付いたのか、馬小屋も少し賑やかになった。
そう、ここはぼくの家だ。
ぼくたちの家だ。
帰ってくる場所なんだ。
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