第24話 異世界だからファンタジーだと思ったのに

 夢を見ていた。

 ただの夢じゃない。

 だって、ぼくはこの光景が現実じゃないと認識できる。明晰夢っていうのかな。

 映画館でスクリーンを眺めているような感覚だ。

 ぼくは透明人間になって、マイアさんの近くに立っていた。

 場所はおとぎ話に出てくるような、立派な神殿。

 塵一つ落ちていないきれいな神殿だった。

 マイアさんは神殿から街を見下ろしていた。

 数え切れないほどの建物が大きな川まで続いている。

 壊れた家は一軒もない。

 そうか。これは過去の光景だ。

 ぼくとマイアさんがいるのはこの神殿で、向こうの川はぼくたちが苦労して渡った大河だ。

 ぼくの時代には六番川なんて味も素っ気も無い名前が付いているけど。

 川には一隻の大きな船が浮いている。

 金属ともプラスチックともつかない素材でできていて、流線型の船体はとても未来的に見えた。

 舷側には船名がこの国の文字で書かれている。

 メイフラワー号。

 偶然にも、ぼくたちが乗ってきた船と同じ名前だ。

 船は船底から水をしたたらせて空に浮かび上がった。

 船が空を飛ぶなんておかしいはずだけど、ぼくは『そういうもの』として素直に受け入れた。

 あれはただの船じゃない。

 次元転移装置を積んで地球を目指す移民船だ。

 雲一つ無い青空に白い満月が浮いていて、月に被さるように金色の輪が浮かんでいた。

 船は飛行機のようにその中に突っ込んでいくと、すう、とかき消えるように消えていく。

 そうか、あの穴が地球につながっているんだな。

 少なくとも五万年前からこの世界の人々は地球に行っていたらしい。

 そしてこれは、その最後の一隻。

 この国に残った全ての人が乗っている。

 でも、全てが無事に着いた訳じゃないようだ。

 その中の一隻は小笠原近海に沈んで、今も次元転移装置が動いている。

 それが『ゲート』の正体だ。

 マイアさんは船が完全に消えるまで見送った後、膝を付いて手を合わせ、頭を垂れた。

 

「神よ。民をお守りください。彼らの行く手にいかなる試練が待ち受けていようとも、いつの日か彼らに笑顔の訪れんことを。私もせめて心だけでも共にあることをお許しください。願わくば、王族の使命を果たすために強い心をお与えください」

 

 マイアさんは日本語を話している訳じゃない。

 知らない言葉だ。なのに、初めて出会ったときから意味がわかった。

 バベルの塔が崩壊する前、人類は同じ言葉を話していたという。

 でも、それはあくまでも寓話、もののたとえだったはずだ。

 どうやらここで使われていた最初の言葉が、ぼくたちにも遺伝子レベルで組み込まれているらしい。

 マイアさんは街を歩いた。

 宇宙船のような家。原始的な竪穴式住居。SF映画みたいなサイバーな店も。西洋風の館や中華風、日本式の住宅まである。

 きっと、いろいろな建築の源流がこれなんだ。

 中には思い思いの生活の痕跡が残っていた。

 ベッド、食器、書棚……。

 しかし、どこへ行っても動くものは何一つ無かった。

 完全に無人だった。

 街から少し離れた小高い丘に向かうと、斜面を覆い尽くすようにたくさんの墓標が並んでいる。

 マイアさんはそこでいつまでもいつまでも祈っていた。

 ここには自ら死を選んだ人たちの魂が眠っている。

 マイアさんは決して街からは出なかった。

 マイアさんはこの国の王族で、巫女でもある。

 この王都を出るときは、他所にお嫁に行くときだけ。

 もう誰も居ないのに、律儀だな。

 王族ってのは大変だ。

 何をするでもなく、無為な日々が続いていく。

 一週間。一ヶ月。一年。

 暮らしていくには何の不自由も無かったけど、マイアさんは暇を持て余していた。

 動物の知能を大きく引き上げる機械で、話し相手を作ろうとした事もあった。

 その中には馬やイルカもいた。

 でもしょせん動物なので、価値観が合わない。

 多くはマイアさんの話題について行けなかった。

 彼らは人間ほど長くは生きられず、話し相手が死ぬたびにマイアさんは涙を流した。

 そもそも、元々は動物を賢くして労働力に使おうという発想があったらしい。

 でも、知恵が付けばそれに比例するようにサボタージュが発生して、結局はロボットに置き換えられていったみたいだ。

 機械の効果を抑えれば、それだけ生産性は下がった。

 ロボットへの置き換えも仕方がない。

 知恵を持った動物たちは放置され、やがてその血は薄れていった。

 人々と一緒に地球に行った一部が、ごくまれに先祖返りを起こして各地に伝わる獣人伝説の元になったのかもしれない。

 ある日、マイアさんは万能工作機に難しい注文を出した。

 その装置は、完成すると細胞活性装置がある部屋に設置された。

 椅子の上にヘルメットのようなものがぶら下がっていて、何本ものコードで壁とつながっていた。

 ぼくはその機械を見たことがない。

 でも、使い道は不思議と頭の中に浮かんできた。

 その機械に座り、ヘッドセットを頭に被る。

 手元にあるスイッチを入れると、微細な電磁波がマイアさんの脳神経組織をスキャンするのがわかった。

 ある種のコンピューターに記憶が蓄えられたんだ。

 

「バックアップ完了」

 

 マイアさんは本を読み始めた。

 何百冊も、何千冊も。

 立体映画を収めたメモリーチップを再生機に差し込んでは、何千本も映画を見続ける。

 アクション、恋愛、冒険、ホームドラマ。

 ジャンルは問わず、手当たり次第だ。

 やがてマイアさんは万能工作機でワープロを作ると、小説を書き始めた。

 最初は模倣から。

 やがて全人類を感動のるつぼに巻き込みそうな大作まで。

 キャンバスを前に絵筆を取った。

 最初は拙いものだったけど、やがて写真と見まごうまでに腕を上げた。

 CGと合成音声を使って映画を撮り始めた。

 単純なシナリオだったものが、やがて哲学的な内容のものまで作るようになった。

 音楽を。彫刻を。演芸を。漫画まで。

 思いつく限り、あらゆる芸能をマイアさんは身につけた。

 あらゆるモノが手に入る以上、芸術だけが人間に残された道だった。

 AIは気を遣って何もしなかった。

 でも、作品を見てくれる人は誰も居なかった。

 そうこうしているうちに、マイアさんはお婆さんになっていた。

 顔には深く皺が刻まれ、腰は曲がり、歯も抜け、目は曇っていた。

 ある日、台車に――車輪が無いけど、使い道は荷物用台車そのものだ――今までの作品を積み込み、エレベーターで地下の動力室へ運んでいった。

 何を思ったか、マイアさんは作品を次々と質量転換炉に放り込んでいった。

 本が、絵画が、彫刻が、データチップが、次々と原子レベルに分解されていく。

 あるものは蓄積されて原料となり、あるものは質量をエネルギーに変換された。

 マイアさんは細胞活性装置に入り込んでスイッチを入れる。

 一時間と経たないうちに、まるで二十歳ほどの姿になったマイアさんが出てきた。

 皺はすっかり消え、みずみずしい肌は染み一つ無い。

 服を着るよりも先に記憶をバックアップした機械に腰を下ろし、ヘッドセットを被ってスイッチを入れた。

 若い頃のバックアップデータがマイアさんの脳に上書きされていく。

 それは、これまでの数百年を捨て去る行為だった。

 ひとりぼっちの思い出なんていらない。

 そう思っているみたいだった。

 再び街を歩くと、少しだけ風化が進んでいる。

 万能工作機で作り出した維持管理ロボットは、神殿の地下から出てこないみたいだ。

 再び本や映画、音楽に耽溺し、それを身につけていく。

 そして再び老婆になると、作品を全て破棄し、若返っては記憶を消した。

 それを何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も、気の遠くなるほどの間繰り返した。

 そのたびに街は風化して砂に帰って行き、墓地の丘は緑に包まれていった。

 そして何度目かの時、マイアさんは万能工作機から何かを取り出した。

 

「……うふふ……格好いい」

 

 それは、どう見ても拳銃だった。

 鉛の弾丸が出るのか、レーザーが出るのか、粒子ビームが出るのかはわからない。

 何にせよ、人の命を一瞬で消してしまう道具だった。

 マイアさんは拳銃を構えると、おもむろに壁に向かって引き金を引いた。

 一瞬で壁は赤熱し、煙を上げながら三十センチ近い大穴があいた。

 

「……わあ、すごーい。うふ、うふふ……」

 

 ぼくはこの穴を知っている。

 コードか何かを通す穴だと思っていたんだ。

 自動的に修理をするロボットを、マイアさんは止めた。

 引き金に指を掛けたまま、マイアさんは拳銃をこめかみに押しつける。

 その目はうつろだった。まるで、ここではないどこかを見つめているような。

 

「……ばーん」

 

 十秒ほどそのままでいたかと思うと、拳銃を質量転換炉に放り込んだ。

 そして、また繰り返した。

 何千年も経ったある日、久しぶりに何かが動いた。

 機械で賢くなった動物かと思ったが、神殿の一階には一人の男が倒れていた。

 ドロドロに汚れた服、垢だらけで無精髭の伸びた顔、そして今にも死にそうな乾きと栄養失調。

 

「もし。お困りですか?」

 

「うう……」

 

 男はうめき声を上げると、気を失った。

 ぼくはこの男を知っている。

 ずいぶん若いけど、発田さんだ。

 人間、案外変わらないものなんだな。

 マイアさんは発田さんを細胞活性装置に入れると、食事を用意した。

 細胞活性装置は栄養の補充はしてくれない。

 専用の機械を使うか、あるいは普通の食事をするかしなければならない。

 発田さんが目を覚ました。マイアさんは発田さんの頭をそっと撫でた。

 

「おかえりなさい。よくお戻りになりましたね」

 

「えっ……?」

 

 最初は驚いていた発田さんも、マイアさんの話を聞き、ぼくたち同様に古代文明の証拠を見せられると納得したようだ。

 発田さんも地球の様子や、この世界に来たいきさつを話し始めた。

 

「つまり、他にもどんどん人間がここに戻ってきているのですね?」

 

「そう……ですね。戻るという認識はないでしょうが。新世界を発見し、探検しているところです。いずれ開拓民が来ることでしょう」

 

「そうでしたか。これでやっと、私も役目を終えられそうです」

 

「終える?」

 

「はい。これでやっと、天に帰ることができます」

 

「でも、あなたはまだ生きているじゃありませんか。悲しいことを言わないでください」

 

 発田さんは、しばらくの間この神殿で過ごした。

 学ぶことは無数にあったし、マイアさんも地球のことを色々知りたがったからだ。

 発田さんは小麦粉を用意すると、手打ちでうどんを作ってマイアさんに食べさせた。

 

「とてもおいしいですわ。うどん、というのですね」

 

「俺の故郷じゃ、よく食べてたんです」

 

 マイアさんは気に入ったのか、うどんのデータを万能工作機にインプットし、いつでも食べられるようにした。

 ぼくたちが神殿に入ったとき、最初に出してくれたうどんと同じレシピだ。

 出汁の取り方が微妙だったのはこのためらしい。

 発田さんはあまり自炊をしないから。

 ある日のこと。発田さんは顔を真っ赤にして俯きながら、絞り出すようにして言った。

 

「ねえ、マイアさん。俺と……俺と一緒に暮らしませんか。その、二人で」

 

「それは私と結婚したいという意味ですか?」

 

 発田さんはますます赤くなった。

 

「ええと……その……は、はい」

 

 マイアさんは穏やかな笑みを浮かべると、ゆっくりと頷いた。

 

「お受けしますわ」

 

「ほ、本当ですか! やったーっ!」

 

 迎えに来る、と行って発田さんは仲間の元へ戻っていった。

 その日からマイアさんの暮らしは変わった。

 笑顔が戻ったんだ。

 毎日楽しそうで、カレンダーと時計を見てはその時を待っている。

 そんな日々がしばらく続いた。

 でも、ぼくは知っている。

 発田さんは道に迷った上に頭を殴られ、この神殿の場所を忘れてしまった。

 それでもあちこち探し回ったけど、未だに来られていない。

 この頃は島全体がジャングルと砂漠に覆われていて、目印も何も無いんだから。

 砂漠やジャングルの中っていうのは本当に右も左もわからなくて、同じ場所をグルグル回ってしまうことも多い。

 そんなことは知らないマイアさんは、これでようやっと解放されたことを知って、記憶をバックアップする機械を処分した。

 もう、やり直す事はできない。

 なのにまた、何年も経った。発田さんはまだ来ない。

 マイアさんは万能工作機からレーザーライフルを取り出すと、レンズを口にくわえ、足の指を引き金にかけた。

 これは間島に出してくれたのと同じモデルだ。

 武器なんて色々な種類があるのに、一番最初にレーザーライフルを思いついたのはこのせいか。

 その時だ。

 コンソールのモニターに、ぼくたちが映った。

 マイアさんはライフルを質量転換炉に放り込むと、エレベーターに乗り込んだ。

 そこから先は、ぼくたちの経験した通りだ。

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