第21話 あっ、オッサンのくせにフラグを立てやがって
ぼくはみんなのところに戻らず、間島に新しいパンツとズボンを持ってきてもらう。
もちろん例の機械で作ったものだ。
それを持ってシャワー室と言ってよいのか、ようは洗車場みたいな部屋で身体を洗った。
蒸気みたいなものが壁から噴き出すんだけど、熱すぎず冷たすぎず、身体をこする必要も無い。
本当はゆっくりお湯に浸かりたいけどね。
更衣室に戻ろうとしてドアをくぐると、タオルで拭くまでもなく身体の水滴が消えていた。
ドアに秘密があるみたいだ。
便利ではあるけど、なんか味気ないな。
「信也さん。こちらへ」
マイアさんに呼ばれて入った部屋には、白い棺桶のような、あるいはCTスキャンのような機械が置かれていた。
奥の壁には三十センチほどの丸い穴が空いている。
コードか何かを出し入れする穴だろうか。
マイアさんは機械を指さした。
「これは細胞活性装置です。頬の傷も、これで治せますよ」
「かすり傷だよ」
「あずささんやユウさんが見たら、大騒ぎですよ」
「……それもそうだね」
頬に傷があると、なんか歴戦の勇士っぽくてかっこいいかなと思ったんだけど。
まあ、治せるなら治した方がいいよね。
ドラキュラ伯爵よろしく棺桶に入り込むと、全身の細胞に見えない光が当たるような感覚がした。
「はい、もういいですよ」
一瞬だった。
マイアさんが抱えた鏡を覗き込むと、頬の傷は跡形もなく無くなっていた。
ついでに気になっていたニキビも消えていたし、虫歯もすっかり治っていた。
これは便利だ。
みんなのところに戻ると、間島が大げさな身振りでライフルを構えるポーズを取っているところだった。
「いやもう見せたかったね! アニキの号令一下、俺のレーザーがギューン! 船は大爆発を起こして、服に火が付いたやつらが次々と川に飛び込むんだから! あいつら苦し紛れにガンガン撃ってきたけど、あんなへっぴり腰で当たるかってんだ!」
自慢話が事実であることはまれ。
以前、叔父さんが言っていたことだけど、その通りだった。
あずさは驚くほど冷めた表情で、爪にマニキュアを塗りながら生返事をした。
「ええ、ご立派ご立派。知ってるわ、ドローン飛ばして立体モニターで見てたもの」
「んだよ、見てたのかよ。くっそ~!」
あずさとユウが見ていたことを、この時までぼくは知らなかった。
あずさはようやっとぼくに気付いたようで、顔を上げると笑顔になった。
「あら兄さん、本当にお疲れさま。危なかったわね、目の前に弾丸が落ちた時は、あたしまで背筋が凍りそうになったわ」
「そうそう。僕だったら気絶しちゃう。信也、無事で本当に良かったよ」
「んだよおめーら。アニキばっかりよお」
間島は頬を膨らませて例の椅子に腰を下ろす。
ぼくは間島が少し可哀想になった。
だからって訳じゃないけど、ユウとあずさにこれだけは言っておきたかった。
「それでもやっぱり、間島のおかげだよ。ぼくだけじゃとても無理だったんだから」
「あ、アニキい?」
間島はいっぺんに笑顔になった。
おいおい、そんなにちょろくて大丈夫か。
「へへへ。ま、これで一応貸し借りはなしになったかな? アニキ」
「もちろんさ」
ぼくが差し出した手を、少し躊躇して間島は握った。
何だろう。少し悲しそうな顔だ。
それより、気になることがある。
「あずさ。ドローンで見てたって言ったよね? ぼくらの家、どうなってるか見に行ける?」
「大丈夫よ。何も変わりないわ」
あずさはコンソールを操作すると――もう完全に使いこなしているみたいだ――立体映像でぼくらの家が写った。
あっ、屋根が傷んでるから直さなきゃ。
すぐ裏の畑で、叔父さんと君枝さんが汗を流しながら畑仕事をしているのが見える。
「無事みたいだね、よかった。ワールド・ゲートが来てたらどうしようと思ってたんだ」
「ドローンには武器も積んであるの。ええと、特殊な電磁波だかで痛覚神経を刺激して、この世のものとは思えない激痛を与える……何だっけ。
あずさが持っているコントローラーはゲーム機と同じだ。
自由に作れるのに発想が貧困だぞ。
とは言わない。怖いから。
「さすがあずさだ。気が利くね」
「ふふん、当たり前でしょ。あたしを誰だと思ってるわけ?」
「新世界島西町一番の美少女、笹原あずささんです!」
ちなみに二番はいない。
ぼくらが住む西町にいるのは、幼女と成人女性だけだ。
学校がある本町には何人かいるらしいけどね。
島にある他の街の事は知らない。
「おっほっほ。しんちゃ~ん、もっと褒めてもいいのよお――あっ、見て見て!」
叔父さんは君枝さんを抱き寄せると、チューをした。君枝さんも少し頬を赤らめている。
さすが新婚。
来年には家族が増えるかもよ! やったねあずさちゃん! ……じゃなくて。
「のぞき見しちゃ悪いよ」
「……わ、わかってるわよ、そのくらい。モニター、オフ」
とりあえず一安心だ。
「さあ、どうぞ」
傍らで話を聞いていたマイアさんが、機械から料理を出してテーブルに並べた。
なんと、特上の握り寿司! ……に見える何かだ。
ぼくたちは腹一杯になるまで寿司っぽい何かを食べた。
食後の熱いお茶がこんなに美味しいなんて思わなかったよ。
最初は呆気にとられていたけど、ここ結構快適だな。
いくらでも居られる。
余裕が出た事だし、少しずつ課題をかたづけておこう。
叔父さんが言っていたじゃないか、人間一度に対処できるのは一つだけだ。
何でも一つずつ片付ければいい、って。
「ところでマイアさん。あの、発田さんって人、知ってます?」
マイアさんは目を丸くして固まった。
「……マイアさん?」
「ええと、はい。二十年と少し前にお目にかかりました。お仲間とはぐれて、死にかけていたところをここに迷い込んできたのです。いずれまた来るとおっしゃいましたが……残念ながら、まだ」
「やっぱりマイアさんだったんですね。発田さん、会いたがっていましたよ」
「あの方がいるのですか? お元気でしょうか?」
「ええ、ここに来られたのも発田さんのおかげです」
そう言って、ぼくは違和感に気付いた。
二十数年前に発田さんを助けたのなら、この人はいったい何歳なんだろう?
でも、女性に歳を聞くなって叔父さんからきつく言われてる。
「私はもう、一万二千年も一人で待ちましたから。発田さんに会えたときは、本当に嬉しかったのですよ」
「一万二千年?」
「はい。かつての仲間たちは一人、また一人と異世界に消えていきました。地球という世界です」
「地球……」
言われるまでもなく、ぼくたちが生まれ、育った世界だ。
マイアさんたちはこの工場を使って、何不自由なく暮らしていたらしい。
医療技術も極限まで発達して、ほとんど不老不死になっていたそうだ。
「細胞活性装置は怪我や病気を治すだけじゃなくて、若返ることもできるんです。お婆さんになるたびに使えば、そのたびに二〇歳くらいまで肉体年齢を戻せます」
「そんなにすごい物だったのか」
「もっとも、万能ではありません。使うのをやめてしまうと、寿命が来たら普通に死にます。もしやめてしまえば、私の場合せいぜいあと二〇〇年程度しか生きられないでしょう」
ぼく的には、それだけあればじゅうぶんな気もするけどね。
「でも、どうして他の人は誰も居なくなったんですか?」
マイアさんは目を伏せて、とても悲しそうな顔をした。
まるで、涙を流さずに泣いているような顔だった。
「みんな退屈していたんです。ほとんど不老不死のようになって、望むものが何でも手に入る以上、次第に望むものが無くなっていきました。それに耐えられなかった人たちの多くが――」
マイアさんの顔に、さらに陰が差した。
「自ら、死を選びました」
ぼくは息をのんだ。何でも欲しいものが手に入るのに、わざわざ自分から死ぬなんて。
でも、何となく気持ちがわかる気がする。
うまく言えないけど。
「そうでない人たちは、異世界、すなわち地球へ行ったのです。全ての文明を捨てて、粗末な石のナイフを作って。獣を狩り、皮を剥いで身にまとい、洞窟で木をこすって火をおこす。ただ生きているだけでも大変だった事でしょう。当時の地球は氷河期で、何もかもが凍り付く地獄でした。でも、地球にもちゃんと人がいたんです。彼らにできて自分たちにできないはずがないと、みんなこぞって地球に向かいました」
「それは……いつ頃ですか?」
「最初の異世界転移は五万年前から始まり、一万二千年前までには全員が地球に移住しました。私を除いて」
氷河期の暮らしなんて、まるっきり想像が付かなかった。
石器時代。道具はせいぜい石のナイフ。ライターすらない。
ぼくは腰のナイフに触れてみた。
これは鉄でできている。
使い勝手も石とは比べものにならない。
「でも、彼らはあえてそれを求めたのですよ。万能の機械に与えられるものではなく、自ら掴み取るものを」
マイアさんは少しだけ誇らしそうな顔をして、すぐに寂しそうに顔を伏せた。
「私も本当は行きたかった。でも、誰かが残らなければならなかった。誰かが残って、適切な相手にこの神殿を託すまで、この場所で待たなければならなかった。……それが私です。私はこの国の王女でしたから。万が一地球で挫折したとき、戻る場所がないというのはあまりにも哀れでしょう?」
確かに、マイアさんは王女様と呼ぶにふさわしいと思う。
立ち居振る舞いが洗練されているし、なのに高圧的なところが一切無くて。
優しさに溢れていて。
そう、まるで――ぼくはよく知らないけれど――お母さんみたいな。
そうか。王というのは、国民を信じて見守る親であるべきなんだな。
ワールド・ゲートはマイアさんの爪の垢を煎じて飲めばいい。
王として振る舞おうというのなら。
「王女という立場が、嫌で嫌で仕方がなかった事もあります。でも、いつか誰かが戻って来て、この神殿を壊すなり継ぐなりしてくれることだけを信じて、ずっと待ち続けました」
「……その。何といったらいいか」
ぼくはそれ以上、何も言えなかった。
日本人の平均寿命は、八四歳ほどらしい。
それの何倍かを計算しようとして、ぼくは自分の顔が青くなるのに気付いた。
一万二千を八四で割ると、一四二・八。
人生一四二回。そんな気の遠くなるような時代を、この人はたった一人で耐えてきたんだ。
「本当に……よく、帰ってきてくれましたね」
「それなんですよ。マイアさん、最初に会ったときだってぼくらに『おかえりなさい』って。あれはどういう意味なんですか?」
「単純なことですよ。あなたたちも発田さんも人類です。私と同じですよ」
マイアさんは飲み物を一口含んだ。
普段喋らないと、たまに喋ったときに喉が痛くなるよな。
「あなたたちの遺伝情報を解析した結果、私の仲間たちの血を引いてる事がわかりました。私たちの種族、ホモ・サピエンスがアフリカから地球全土に伝搬したと聞いたときは、自分のことのように嬉しかった。ああ、私のしてきたことは、無駄じゃなかったんだ、って。それだけじゃありません。地球だけじゃ飽き足らず、無人と化したこちらまで戻ってきてくれました。だから、ここは元々皆さんの物なんです。使うなり壊すなり、好きなようにしてください」
「マイアさんは、この後どうするんですか?」
マイアさんは、懐から一枚の紙を取り出した。
発田さんの住所を書いたメモらしい。あずさの筆跡だ。
「そうですね……まずは発田さんに会って、それから決めようと思います」
メモをしまうマイアさんの表情は、まるで恋する乙女のようだった。
あらためて見るまでもなく、この人すごい美人なんだ。
よかったね、発田さん。
気楽な独身生活も終わっちゃうかな。
「いずれにせよ、ここには二度と来ないでしょう。私にとっては牢獄も同じですから。それでは皆さん、私はこれで。ごきげんよう」
マイアさんは立ち上がると、エレベーターまで足を進めた。
不意に振り返ると、寂しそうに口を開け、何かを言おうとした。
「――いえ、やっぱりお気になさらず」
「気になるなあ」
「いえ、個人的な話ですから」
「そこが大事なのに」
マイアさんは肩を落とし、唇を噛んだ。その表情は、すねたあずさに少しだけ似ていて、一万二千歳のお婆ちゃんにはとても見えない。
「あくまでも個人的な見解ですから、そのつもりで聞いてください。この神殿は破壊するべきです。私は……そうするのが正しいと思います。ではでは」
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