第18話 アメリカ映画はダクトテープで何でも解決するのに

「流れが速くなるよ。みんな、落ちないように気をつけて」

 

 流れの緩やかな三角州を出て本流へ。

 ユウの言うとおり、急速に流れが速くなって、ディスカバリー号は川下に流された。

 エンジンが甲高くうなりを上げ、流されそうになる船体を支える。

 ユウの腕は、本当に素人とは思えないほどだった。

 

「流れに逆らって直進はできない! 斜めに進むよ!」

 

 波が当たるたびに船体が大きく揺れる。

 この島に来るときに乗った船なんか目じゃないくらいの大揺れだ。

 ぼくたちは振り落とされないように、しがみつくだけで精一杯だった。

 

「隠れるために、少し下流に着けよう。みんな、良さそうな場所を探して!」

 

「アニキ、あそこはどうだ?」

 

 水没した木が並んでいる一角があった。

 確かにあそこなら目立たないだろう。

 

「よし! みんな、掴まって!」

 

 ユウが舵をそっちに向け、やがて大きな衝撃が全身を突き上げた。

 出発から五〇〇メートルほど下流で、船は対岸に乗り上げた。

 

「着いた……のか?」

 

 まるで一時間も乗っていたかのような気がするけど、ユウの腕時計を見ると五分しか経っていなかった。

 ぼくは時計――時価一〇〇〇円――を忘れたらしい。

 舳先から下を見る。芦のしげみを通して、泥におおわれた川底が見えた。

 

「兄さん、もやいを!」

 

 あずさの声に我に返る。

 そうだ、いつまでもこうしていたら船が流されてしまう。

 

「よ、よし!」


 ぼくはロープの端を受け取ると、大きく息を吸い込んでから川底に跳んだ。

 泥が足にまとわりつく。

 未踏査領域一番乗りという感慨に浸る余裕はなかった。

 河原にそびえるひときわ高い松の木に、ロープをがんじがらめに縛り付ける。

 ロープワークもユウから教わったものだ。

 あいつ、何でもできるんだよなあ。

 船尾からもう一本のロープが伸び、別の木に結わえられた。間島だ。

 同時に川音を打ち消す勢いで響いていたエンジン音がバン、と大きな音を立てて停まる。

 ガソリンがもったいないからユウが止めたんだろう。

 なにせガソリンはリッター九九〇円もするんだ。

 ごうごうと流れる川音の中、ぼくは足下に目を向けた。

 ぼくの足跡。

 ぼくが最初に付けた足跡。

 ここには地名すら付いていない。

 

「信也!」

 

 ユウに肩を揺すられるまで、ぼくは丸っきり実感が沸かなかった。

 でも、着いたんだ。

 出発した地点を見たけど、すでに発田さんと船木さんの姿は無かった。

 

「お礼を言う暇も……なかったな」

 

 ぼくたちは誰からというでもなく、河原に立って向こう岸を見つめた。

 未知の島に来て、そのまた奥地の未踏査領域にぼくらは来たんだ。

 ぼくは不意に、入植を決めた叔父さんが見せてくれたパンフレットを思い出した。

 剣を掲げた女騎士が描かれたあれだ。

 たしか『あなたの冒険が、いま始まる』みたいなコピーが載ってたっけ。

 思い切り誇大広告だったけど。

 でも今、本当にぼくたちの冒険が始まったんだ。

 

「兄さん」

 

「信也」

 

「アニキ」

 

 三人が、いつの間にかぼくの背中を見つめているのに気付いた。

 みんな不安そうな顔をしている。

 そうだ。ぼくがリーダーなんだから、みんなの不安を取り除かないと。

 

「行こう! ぼくたちの世界に!」

 

 ぼくは胸を張って、遺跡の方角を指さした。

 でも、みんなの不安な表情は消えない。

 くそう、やっぱりぼくじゃカリスマが足りないのかな。

 

「ええと……あのね、信也。やる気になっているところ悪いんだけど」

 

 ユウが水を差した。なんだよもう。もっとテンション上げていこうぜ。


「……エンジン、壊れちゃった」

 

「えっ」

 

「魚沼さんが元々無理なチューンナップをしていたんらしいだ。しかも安物のシリンダーを使っていたらしくて。水が大量に掛かったのもあって、金属が歪んで割れちゃった」

 

「割れた?」

 

「そう。エンジンのシリンダーが割れちゃったから、もう動かない。ピストンも焼き付いて、破片がクランクケースに入ったらしい」

 

 ユウが指さしたのは、エンジンの冷却フィンがある部分だ。

 クランクケースと接する部分に米粒ほどの穴が開いていて、そこからオイルが漏れている。

 

「さっきのバン! はこれかあ。ガムテープで何とかならないかな」

 

「無理だね。ガソリンと空気を十五分の一まで圧縮して、そこからさらに爆発させるんだよ。それを毎分数千回。テープじゃ絶対に無理だ」

 

「まじか。くそ、これじゃ帰れないぞ」

 

「大丈夫だよ。いざとなれば……助けを呼べる」

 

 ユウはズボンのポケットをまさぐると、スマートフォンを取り出した。

 最新型の高いやつだ。

 

「おいおい、この島には携帯の電波が来てないんだぜ」

 

 ぼくは何気なくユウのスマホの画面を覗き込んだ。

 画面上部のアンテナマークがずらりと並んでいる。

 

「あれ? なんで電波あるの?」

 

「じつは港に基地局があってね。回線速度は遅いけど。役場とワールド・ゲート社に関係する端末だけを選択的に繋いでいるんだ」

 

「ずるいなあ」

 

 ユウは少し暗い顔をした。

 

「そう、ずるいのさ。本土の情報を何でもかんでも入れてしまったら、色々と不都合があるからね。島民に知られたくない情報をシャットアウトしてるんだ」

 

 間島はあからさまに不機嫌な顔をして舌打ちした。

 

「情報統制だ、クソ。ったくヤツら、やりたい放題やりやがって。島民は何も知らない家畜でいろ、って事だぜ。どうするアニキ?」

 

 間島はぼくを見た。

 いや、ユウとあずさもぼくを見ていた。

 どうしてそんな不安そうな顔をして、ぼくを見る? 

 ……ああ、そうか。ぼくがリーダーだったな。

 助けを呼ぶべきだろうか?

 でも、水と食料は一週間分ある。毛布やテントも。

 ぼくには政治とか、経済とか、難しいことはわからない。

 でも、警備部に捕まったらもう進めなくなっちゃうのは間違いない。

 みんなこの先に何があるのか見たくて、何ヶ月もかけて準備してきたんだ。

 一瞬、発田さんの言葉を思い出した。

 サンクコスト、コンコルド効果。

 今までつぎ込んだお金や時間を無駄にしたくないという心理から『損切り』が遅れて損失が拡大してしまう、って意味だっけ。

 でもね発田さん。

 ぼくにはあなたが「何があっても最後まで諦めるな」と言ってたように思えてならないよ。

 コストパフォーマンスだけでは割り切れないものがあるんだ、って。

 それこそが本当に大切なものなんだ、って。

 ぼくだって見たい。

 あそこに何があるのか。

 あるいは何も無いのか。

 そんな好奇心が、きっと人類をアフリカの一種族から全世界に広げたんだろう。

 

「助けを呼ぶのは後でもできる。ユウ、そうだよね?」

 

「うん。家を出る前に満充電にしてきたし、買ったばかりだから電池も劣化もしてない。使わなければ数日は電池も持つだろうね。もちろん防水もバッチリだ」

 

「わかった。……進もう」

 

 そう言った瞬間、みんなの顔が明るくなった。

 これで良かったのかな。

 今は考えるのはよそう。

 きっと良かったんだ。


 *

 

 ディスカバリー号を隠すために、ぼくたちは適当な枝や草を船体にかぶせた。

 これで遠目にはわからないはずだ。

 ざっと見回してみたけど、奥地へ行くためには結局藪を横切るのが一番近いらしい。

 藪を鉈やナイフで切り開き、一歩、また一歩と足を進める。

 思いのほか足取りは重くて、二〇メートル進むごとに交代する。

 

「とりゃー! えい、やあ!」

 

 あずさの振り回すナイフはものすごく危なっかしくて、近づくこともできない。

 さすがに見かねたのか、ユウが助け船を出した。

 

「あ、あずさ! 僕が代わるよ」

 

「えっ? まだまだ余裕よ」

 

 正直を言えば、ぼくとユウ、間島で交代しながらやったほうが早い。

 でも、当のあずさはやる気満々だ。

 なかば強引にユウが代わる。

 

「つ、疲れた……」

 

 おっと、意外。

 ユウもそれほどスタミナがあるわけじゃないんだな。

 結局ぼくと間島が交互に鉈を振り回し、どうにか深い藪を抜け出すことができた。

 ちょっとした草原と、その向こうには砂漠のような荒れ地が広がっている。

 ぼくたちはそこで一休みする事にした。

 保存用の食料とお菓子、水筒に詰めた水でのピクニックだ。

 本当はお弁当を用意する予定だったけど、慌ただしく出てきたからな。

 多少食事が貧相なのは仕方がない。

 

「さて……と」

 

 ぼくたちは荒れ地の向こうにそびえる遺跡を見据えた。

 間島が興味深いことを言い出す。

 

「ふうん。メソポタミアの遺跡によく似ているな」

 

「メソポタミア?」

 

「ジッグラトっすよ。アニキ、聞いたことないっすか? 日干しレンガを積んで作った塔で、高いところっていう意味らしいっす。聖書に出てくるバベルの塔も巨大なジッグラトじゃないかと言われているんだ」

 

「ほーん。なんか授業で習った気がするな」

 

 一つしか無い双眼鏡を交代で使い、建物の様子を観察する。

 大きさはよくわからないけれど、大雑把に五階建てのビルくらいだろうか。

 茶色のレンガを積んで作られているみたいで、明かり取りの窓が等間隔で開いていた。

 周囲に動くものは見当たらない。

 間島は続けた。

 

「ジッグラトを作ったシュメール文明は、メソポタミア最古の都市国家っす。文明は大きな川のほとりから始まる。だとすれば、あれもきっと人類が作ったものに違いない。少なくとも、人類と同じような発想をする種族が作ったに違いないっす」

 

「そうなんだ。詳しいなあ」

 

「ま、このくらい常識っすよ、常識!」

 

 でもお前遺伝子をイデンコと読んだよな、とは言わずにおく。

 ぼくは荷物をまとめ、リュックを背負い直した。

 

「よし、そろそろ出発しよう。行けばわかるさ。もっと詳しい事だってね」

 

 三人とも興奮した様子で、出発の準備を始めた。



 *

 

 草原を抜けると、途端に乾燥した砂漠のような地形になった。

 砂に足を取られて歩きにくい上に、相当暑い。

 直射日光がほとんど痛いくらいで、帆布に穴を開けて作った簡易ポンチョが役に立った。

 本当は防寒用に持ってきたんだけどね。

 夜は冷えるから。

 ジッグラトに近づくにつれ、民家の跡らしい建物がぽつぽつと建ち並び始めた。

 ずいぶんと古いものらしく、屋根は全て無くなり、壁に触れるとボロボロと砂が落ちた。

 出入り口や窓の高さからして、やっぱり人間サイズの生物が作ったもののようだ。

 近づくにつれ建物は増えていった。

 

「どうやらあの大きなジッグラトは神殿か城のようなものらしいっすね」

 

 ぼくも間島の意見に賛成だった。

 ジッグラトを囲むようにして街が広がっていて、かつてはかなり大きな街だったようだ。

 ぼくたちが休んだ草原にも、もうちょっと注意してみれば何か遺物があったのかもしれない。

 

「宝物あるかしら! 宝石とか、金貨とか!」

 

 あずさの目は見たこともないほどキラキラしていた。

 

「何者も黄金を蝕むことなし。されど人の心は黄金によって蝕まれる、かい?」

 

「ふふっ」

 

 ぼくはユウの言葉に思わず吹き出してしまうが、目ざとくあずさに見つかってしまった。

 

「あーもう兄さん! 笑った? 笑ったでしょ!」

 

「いや、別に。お金は無いよりはあったほうがいいからね」

 

「早く行きましょ! ねえユウ、あたしはそんなにがめつい女じゃないの。ね?」

 

 ユウは笑顔のまま、何も言わない。

 あずさは大人ぶっているけど、実際はけっこう子供っぽいところもあるんだ。

 すねてほっぺたを膨らませる表情が、ぼくはわりと好きだ。

 本人は嫌がるだろうけどね。

 間島は興味深そうに陶器の破片を拾っては、まじまじと見つめていた。

 

「やっぱり、人工物っすよ。建物を造る生き物はけっこう居るんす。蟻、シロアリ、蜂なんかの他には、ビーバーなんかも。でも、さすがに陶器を作るのは人類だけっす」

 

「本物の異世界文明、って訳だ」

 

「そういうことっすね。歴史に残る大発見! マジマ文明ってことで、いいっすか?」

 

「もう好きにしてちょーだい」

 

 そして、ついにぼくたちは神殿にたどり着いた。

 入り口の周りには瓦礫が折り重なっていて、そうとう古そうに見える。

 それでも、入り口の周辺はそれなりに片付いていた。

 三人を見回すと、全員が無言で頷く。

 くそう、やっぱりぼくが最初に入るのか。

 

「涼しいな」

 

 日差しが遮られ、内部は意外なほど涼しかった。

 中は瓦礫の山が続いており、足の踏み場もない。

 窓から差し込む光が舞い上がった塵に乱反射して、キラキラと光っている。

 埃の積もり方から見ても、気の遠くなるほど長い間、誰も出入りしていないみたいだ。

 

「奥に続いてるわ」

 

 あずさが指さす方向には、ぽっかりと口を開けた入り口があった。

 もしかすると、あの奥にはご神体があるのかもしれない。

 ご神体ってのも変か。まあ、それっぽいの。

 ぼくたちは懐中電灯を取り出し、奥へと進んだ。

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