第17話 転機はいつだって不意打ちだ。って、何度目だ

 出発をいつにするか話し合った結果、二日後ということになった。

 すでに船は、古代のピラミッド建築よろしくころ――並べた丸太のことだ――の上に据え付けられ、固定しているロープを切りさえすれば進水できるんだ。

 探検に必要な装備も積み込み、今は船木の爺さんと発田さんが最終チェックをしてくれている。

 ぼくの腕にブーブーと文句を言いつつも、あの間島ですら協力してくれていた。

 ユウは急な用事があって、今日は来ていない。

 あれだけ働いてくれたんだ。

 色々家のことも溜まっている事だろう。

 あずさが言った。

 

「ねえ、兄さん。足りないものもあるし、今から買い物に行かない?」

 

「うん、いいよ。ぼくも一段落付いたところだ。発田さん、すいませんがあとお願いします」

 

 船室から発田さんが顔を出した。

 

「おう。ま、ほとんど終わってるからな。仕事って訳じゃなし、のんびりしてこい」

 

 ぼくはあずさと一緒に街へ向かった。

 プルトとビーナスに乗って、通い慣れた道を歩く。

 新世界島に来てから三ヶ月。

 もう目をつぶってもこの道を歩ける。

 今日は天気も良くて、道の向こうに逃げ水が浮いていた。

 

「まずは食料ね」

 

「おやつは五〇〇円までだぞ。バナナはおやつに含む」

 

「バカじゃないの? 含まないに決まってるじゃない」

 

 ちなみにこのコンビニは夜の一〇時で閉店するし、チェーン店じゃない。

 個人経営の小さなスーパーといったほうが近いかな。

 おやつと飲み物、それに細々としたものを色々籠に放り込む。

 この島は何もかもが高い。

 特にお菓子とかジュースとかの嗜好品は。

 

「川を渡るんだって? そりゃあすごい大冒険だ。気をつけてくれ。わしももう少し若ければ、あずさちゃんと冒険できたのになあ」

 

 店長さんはオマケにチョコレートとガムを付けてくれた。やったね!

 

「次はここね」

 

 雑貨屋はファンシーな文具や小物も並んでいて、あずさのお気に入りだった。

 店の一角が洋服コーナーになっている。

 でも、この街は若い女の子が少ないから、あまりお洒落なものは売っていない。

 虎柄やシマウマ柄のワンピースはあるのに。

 あずさはカタログを見て注文しているようだった。

 当然試着はできないけど、あずさは何を着ても似合うからね。

 ぼくは軍手と靴下、肌着とタオルを買った。

 これはいくらあってもいいし、探検が終わった後も使える。

 

「そうそう、あずさちゃん。注文の品、入ったよ」

 

「ちょ、ちょっと! 兄さんは外に出て!」

 

 あずさに店を追い出されてしまった。

 でも、ぼくはしかと見たもんね。おばちゃんが棚から取り出したのは、フリルの付いたセクシーなブラジャーだ。

 最近ちょっとキツそうだったからな。

 ワンサイズアップならDカップという事になるな。

 あずさも恥ずかしがるくらいなら、ぼくに洗濯をさせなければいいんだ。

 桶と洗濯板で洗うから大変なんだぞ。

 買い物を済ませると、喉も渇いた。

 ぼくたちは酒場のオープンテラスに掛けて、ソーダ水を頼んだ。

 これは安い。

 近所に炭酸ガスを含んだ湧き水があって、そこで汲んでいるんだ。

 それに合成甘味料を溶かし込んでお金を取ろうってんだから、いい商売だな。

 

「いよいよ明後日ね」

 

「うん」

 

「川の向こうには何があるのかしら? 楽しみよね」

 

「うん」

 

 あずさは口を尖らせた。

 

「もう。うん、ばっかり」

 

「うん」

 

 この調査が終われば、もうあずさと一緒に何かやるなんて無いかもしれない。

 それに……本当はあずさは、ぼくよりもユウと一緒に来たかったんじゃないかな。

 

「――、兄さん!」

 

「えっ? ああ、ごめん」

 

「ちょっと、だいじょうぶ?」

 

 あずさはぼくのおでこに手を当ててきた。

 少しひんやりとして、気持ちがいい。

 っておい、顔が近いって!

 

「な、何でもないよ。大丈夫。熱なんかないったら」

 

「そう……? ならいいけど」

 

 そう言って、あずさは長い髪を耳に掛けた。

 その何気ない仕草に、ぼくは目を離せない。

 もう、聞いてしまおうか。あずさはユウの事を好きなのか、って。

 

「ねえ、あずさ」

 

「うん?」

 

 ぼくは口を開きかけた。その時だ。

 蹄の音が高らかと響き、美しい白馬マーキュリー号が急ブレーキを掛けた。

 

「大変だ信也、あずさ! 今すぐ来てくれ!」

 

 ユウは顔中汗だくで、ものすごく慌てた顔をしている。

 

「どうしたんだ、ユウ」

 

「事情は後で話すから! 大急ぎで川に行かなきゃ! さあ早く!」

 

 何が何だかわからない。

 でも、ユウはふざけている様子なんて、みじんもない。

 ぼくとあずさは頷き合って、それぞれの馬に飛び乗った。

 

「どうしたの?」

 

 プルトは事情を飲み込めていないようだけど、それはぼくだって同じだ。

 

「わからない。でも、何かあったな。プルト、河原だ」

 

「りょーかい!」


 *

 

 サラブレッドは言うなれば短距離選手で、あまり長距離を走るのは得意じゃない。

 ユウのマーキュリーとあずさのビーナスはぼくらを置いて走り去ったけど、息切れを起こしてやがてぼくらが追いついた。

 ラバは偉い。

 

「兄さん! 大変なの!」

 

「どうしたのさ」

 

 あずさは真っ青な顔をしていた。

 先に事情を聞いたらしい。

 きっと、いい話じゃないだろう。ユウが走りながら続けた。

 

「社員の話を立ち聞きしたんだ。ぼくたちの調査に、本土のワールド・ゲート本社がストップをかけようとしているらしい。船を接収しに父島駐留の警備部が高速艇で向かってる!」

 

「な、何だって? 何の権利があってそんなことするんだよ!」

 

「警察への協力だってさ! 危険防止のためって言ってるけど、もちろんそれだけじゃない。ぼくたちの船は船検基準に適合していないだろ。長さ五メートル以下の船外機船で船検が免除されているのは、三・七キロワット以下なんだ。ぼくらのエンジンは四キロワット以上出せる。それに、そもそも未登録だ」

 

「屁理屈だ! それを言うなら、あの流域はぼくの家の私有地だぞ!」

 

「そう、屁理屈だよ。あくまでも口実に過ぎない。でも、判断するのは警察なんだ! 僕らは、ワールド・ゲートが来る前に出発する必要がある!」

 

 マーキュリーとビーナスは息が上がり、倒れそうになりながらもどうにか河原まで頑張ってくれた。

 

「だいじょうぶ? ちょっとやすもう?」

 

 プルトが気遣って二頭に声を掛けるけど、返事をする余裕もないみたいだ。

 ラバは偉い。

 

「プルト、そいつらを連れて帰るんだ。ぼくたちは今から出発する!」

 

「へえ、しんやはせっかちだね。あせってもしかたないよ」


 *

 

 事情を話すと、発田さん、船木の爺さん、それに間島は目を丸くしたけど、意外と驚いていないようだった。

 

「池本。お前がたれ込んだんじゃねーのかよ」

 

「おい間島!」

 

 ぼくは間島の襟首を掴んだ。

 さすがに言って良いことと悪いことがある。

 

「おいおいアニキ。ワールド・ゲートはこの島の支配者だぜ。俺たちが好き勝手するのを許す訳ねーじゃん。このクソアマがよ」

 

 ちなみにクソアマは女の人に対する悪口だ。

 まあ、間島は遺伝子をイデンコと読んだりするようなやつだからな。

 でも、どっちにしろ口にしていい言葉じゃない。

 

「だからといってユウとは関係ないだろ。取り消せ」

 

 ぼくと間島はしばらくの間睨み合った。

 なんだ、こいつの目は。

 ただの意地悪や、金持ちに対する嫉妬だけでこんな目をするだろうか。

 嫉妬どころか、憎んでさえいるような。

 普段はあんなにおちゃらけたやつなのに。

 こいつ、ユウと何かあったのか?

 ずいぶん長く感じたけど、不意に間島が目をそらした。

 

「わかった、わかったよ。どうせこの島じゃ隠し事なんてできやしねえんだ。池本が漏らさなくたって、いずれ誰かが見に来たさ。すまねえな、池本」

 

 ユウはかぶりを振った。

 

「いいんだ。でも、本当に僕じゃない。それだけは信じてくれ」

 

「ま、お前が嘘をついて俺らをハメるようなヤツじゃねーことくらい、知ってるっつの。悔しいけど、そこは認めてやらあ」

 

 そう言うと、間島は人差し指をユウに突き出す。

 

「だが勘違いするな。あくまでもアニキの顔を立てて俺も信じてやるんだからな」

 

「うん。今はそれでいい」

 

 船木さんはため息をついた。

 

「……いつかこうなるのではないかと思っておった。この島に先住民がいるのは、奴らにとって不都合じゃ。どうにかしてわしらを止めようとするじゃろうな。とはいえ、わしも歳じゃからの。ワールド・ゲート社と事を構えるには、少々身体がついていかんようじゃ」

 

 船木さんは斧を取ると、船を固定しているロープの前に立った。

 

「おぬしらも、引き返すなら今のうちじゃぞ」

 

 声を上げたのは、意外にも間島だった。

 

「んなわけねーだろ、爺さん! 俺はワールド・ゲートには恨みがあってな。あいつらの鼻を明かしてやれるなら、なんだってやるのさ! だってそうだろうよ。俺をボコって本土にいられなくしたのはWGだからな!」

 

 ここにきて意外な事実が判明した。

 あれ、どう見てもヤーさんだろ。

 つかこいつ、WGと揉めたくせにこの島に来たのか。

 

「うむ。んじゃ、いくぞーい」

 

 船木さんは斧を振り上げたけど、ふらついて尻餅をついてしまった。

 

「あいたたた……ぐぬぬ、神よ! 今一瞬の命を!」

 

「なに大げさなこと言ってるんだ、爺さん。俺がやるから貸せ」

 

 発田さんが斧を拾い、ロープに叩きつけた。

 

「よし、みんな掴まれ!」

 

 船は少しずつ滑り始め、やがて勢いよく水しぶきを上げて進水した。

 すかさずユウがエンジンに飛びつき、キックスターターを踏み下ろす。

 軽快な音を立ててエンジンが目覚めた。

 浸水はない。

 ぼくたちはやったんだ!


「発田さん!」

 

 ぼくは船から手を伸ばしたけど、発田さんはかぶりを振った。

 

「爺さんを一人でこんなところに置いておく訳にはいかんだろ。お前たちだけで行くんだ。お家の方にも言っておかないとならんしな」

 

「でも!」

 

「いいんだ。俺が追いかけていたのは、きっと……ただの思い出。若かりし日の、青春の幻影なんだから。俺の思い出の中で、彼女は永遠に若く美しいままだ。俺はこの思い出だけでいい……。それに俺だって、オッサンになった姿を彼女に見せたくはないからな。だから……いいんだ」

 

 いいんだ、だって?

 だったら、なんでそんな泣きそうな顔をしてるんだよ!

 

「そんな! せっかくここまで来たのに! 一緒に行こう、発田さん!」

 

 発田さんは顔を伏せたまま叫んだ。

 

「バカヤロウ! 今までの努力を無駄にする気か! 時間がないんだ! ワールド・ゲートがすぐにでも来るぞ! だから……だから、俺ができる限り時間を稼いでやる! さあ早く行け! チャンスは今しかないんだ! 行けっ、信也! 行ってくれ!」

 

 ユウがぼくの肩に手を置いた。

 

「各所、異常なしだ。信也……行こう」

 

 ぼくは唇を噛んで、頷いた。

 

「よし。ユウ、エンジンと舵を頼む」

 

「任せて。……そういえば、まだ決まってなかったね。この船の名前、何にする?」

 

「そうだな――」

 

 探検船の名前といえば決まってる。

 

「ディスカバリーだ」

 

 あまたの探検船の名前として使われ、スペースシャトルの名前にも使われたし、木星まで行った宇宙船にも使われた。

 公民館で観たキューブリックの映画の中でだけど。

 

「発見、って意味だね。よしっ! ディスカバリー、発進!」

 

 エンジンの唸りが高まり、自動遠心クラッチが接続されると、船は最初はゆっくりと、だが徐々にスピードを増していった。

 手を振る二人がだんだんと小さくなっていく。

 

「行ってきます……!」


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