第14話 異世界といったら老賢者と覚醒イベントだよな
それぞれの馬に乗って、ぼくたちはいつかの河原へやってきた。
流れは相変わらず急で、泳いで渡るというのはさすがに厳しいだろう。
双眼鏡を覗いていたユウが、興奮した様子でぼくに向き直った。
「わからないけど、もしかしたら本当に遺跡かもしれないね! 行ってみたいなあ!」
「そのためには、この急流をどうにかして渡らないといけない。何か上手い手はないかな」
「そうだねえ。……まあ、素直に船かな」
「そんなもん無いよ。どこかで借りるにしたって、運んでくる車も無いんだから」
お金もないしな。
叔父さんがちょくちょくワールド・ゲート社に相談に行っていて、借金の相談をしているんだけど、いつになるやら。
できる限りお金は節約しなきゃいけない。
この島は食料は安いけど、それ以外のモノがべらぼうに高いんだ。
ユウはぼくの肩に手を置くと、女の子なら誰しも見とれてしまうような笑顔で頷いた。
「無いものは作ればいい。だろ?」
「作るって言ってもなあ、無茶言うなよ。ぼくはイカダも作ったことないんだぞ」
ユウの指さす先には、草に覆われた何かの塊がある。
かき分けてみると、朽ちかけた古い木造船の残骸があった。
大きさは二〇フィート級かな。
プレジャーボートといった趣だけど、これは木製。
FRPの同クラスを新品を買えば、ざっと一〇〇〇万円くらいだ。
もちろんぼくらには縁が無い。
というか、こんなのあったっけ。あずさに聞くとあったらしい。へえ。
ユウは続けた。
「僕ももう中三だしさ。ちょっとばかり『腕試し』してみたいんだよ、信也」
「本気かよ」
船にはあちこち穴が開いているけど、骨組みは無事らしい。
ユウは少し悲しそうな顔をした。
「僕の父はワールド・ゲートだ。知ってるだろ」
「え? ああ」
「来年、僕は島を出て本土の学校に通うことになる」
「ユウは頭が良いから、どこの学校でも付いていけるだろ」
それこそワールド・ゲート社が運営する私立WG学園にだって、学費免除の特待生で入れるだろう。
女子の制服が可愛いお金持ちの学園で、あずさが憧れていたっけ。
「そしてその後は……たぶん、父の後を継いでワールド・ゲート社に入ることになると思う」
「そう? でも、そんなのわからないだろ」
ユウはかぶりを振った。
「ワールド・ゲートの管理職や取締役は、九割以上が世襲なんだよ。政治家や大企業創業者の子弟を入社させてその血を取り込み、政界に影響力を持つのが経営方針なんだ。明治維新以来、ずっとそうしてきた。僕の祖父も、昔は衆院議員だったからね」
「華麗なる一族だね。なんかかっこいいなあ」
ぼくは華やかな屋敷で、着飾った男女がダンスパーティーなんてやっている場面を思い浮かべた。
ぼくには縁の無い世界だけど、映画なんかでよく見るんだ。
「かっこいい? 冗談を言わないでくれ。比喩じゃなくて、本当に敷かれたレールを走るだけの人生だ」
「でも、それが一番楽じゃないか? しなくていい苦労をわざわざ背負い込む事もないよ。普通に生きるのだって大変なんだからさ」
新世界島は自由だって言うけど、ぼくは正直、その自由を持て余しつつある。
何をやったらいいのか、いまいちよくわかないんだ。
「信也。きみは貴族制度を容認するのかい?」
「えっ?」
「実力よりも血筋が優遇される社会なんて、貴族社会そのものじゃないか。なのに表向きは公平だの平等だの、民主主義だの謳っているんだ。お笑いだろ」
「……ん、そうかもね」
そういえば総理大臣も先祖代々五代目だって、新聞に書いてあったな。
首相夫人もWGの元社員なんだっけ。
ユウは唇を噛みながら言った。
「僕は自分自身の意思がある。父さんやWGの駒なんかじゃない。僕の人生は僕のものだ! 君をあそこに送り込めたら、きっとその証明になる、そう思うんだ」
ユウにはユウの苦労がある。
WGだからって、何でも思い通りにはならないもんな。
それに、自分の実力を試したいって気持ちもわかるんだよ。
何よりあそこに何があるのか、ぼくだってすごく気になるんだ。
*
ユウに言われるまま街まで来た。
日曜だからって混雑するわけじゃない。
農家や漁師が多いから、曜日はあんまり関係ないんだ。
「えっ? でもユウ。ここは酒場だよ。ぼくたちは未成年だ」
「昼間は喫茶店さ。まあ、飲んで騒がなければ、昼間でもこっそりお酒を出してくれるみたいだけどね」
「そういう問題じゃないだろう」
ぼくたちは街の大通りにある一件だけの酒場に来ていた。
ぼくたちは中学生なのに、こんなところに来ていいのかな。
「ちょっと兄さん。あんまり堅いこと言わないで。ユウがせっかく手を貸してくれるんだから」
ぼくがやったら怒りそうなのになあ。
ユウばっかりえこひいきしおってからに。
……おっと。そんなことをしている間にユウは店に入ってしまった。
「すいませーん。
ヨボヨボのおじいさんが焼酎の瓶を抱えて出てきた。
「何の用じゃ、ユウ。わしは忙しいんじゃ」
「少し楽しそうな話があってね。まあ、座ってよ」
「なんじゃ、もったいぶりおって。おお、おぬしらはこの間引っ越してきた新顔じゃな。娘さん、いきなり赤の他人と家族になるというのは気苦労も多いじゃろうが、めげちゃならんぞい。嫌なことは断固としてノーを貫く事じゃ。簡単に身体を許してはならん」
ずいぶん詳しいな。
ぼくとあずさが本当の兄妹じゃないことは、誰にも言っていないはずなんだけど。
でもまあ、田舎ってのはこんなもんだよな。
というか、身体って何だよ。
ぼくはあずさのパンツを洗うこともあるんだぞ。
普通の女子なら嫌がりそうなもんだけどな。
お爺さんは店の前に並ぶオープンテラス的な席に腰を下ろした。
ぼくらも座る。
「船木さん。これ、見てよ」
ユウのポケットから出てきたのは、なんとスマートフォンだ。
この島は電波が届かないから使えないんじゃなかったっけ。
いや待てよ。本土に行けば使えるのか。
たしかお父さんが単身赴任で本土に居て、時々会いに行ってるって言ってたな。
画面に映っているのは、いつの間に撮ったのか河原に放置された船の写真だ。
「ほほう。わしにそんなものを見せて、どうするつもりじゃ?」
「いやあ。これ直せないかなあ、と思ってね」
おじいさんの目つきが変わった。
「直せるかじゃと? わしを誰だと思っておる! 神の手とまで言われた天才船大工じゃぞ! スワンボートから原子力空母まで、直せぬ船などない!」
「さすが船木さん」
「じゃがわしは忙しい。この店のママに気に入られるために、クソ不味い安酒をボトルキープせねばならんからの」
なんか可哀想になってきたそ。大丈夫か、この爺さん。
ユウは続けた。
「ところで、去年のお歳暮で『異世界』とかいう純米大吟醸をもらったんだけど」
「なにい? 純米大吟醸じゃと?」
「うん。でも、うちの家族は誰もお酒を飲まないんだ。僕はもちろん未成年だしね」
お爺さんは急にしおらしくなって、揉み手まで始めてしまう。
「まあ、何でも直せるとはいえ、原子力空母は言い過ぎかの。じゃがこの程度の船なら、楽勝じゃよ。のう、ユウよ。もし……もし、純米大吟醸を余しておるなら……」
「船木さんにあげちゃってもいいかなあ」
「船を見せてみよ」
う~ん、欲望に正直なお爺さんだ。
*
お爺さんをプルトに乗せ、ぼくが引いて家まで連れて行く。
いや、きっついなあ。
天気も良いし、熱中症になりそう。
お爺さんは大丈夫かな。
「笹原の坊主、もうちょっと揺れを減らさんか。酒がこぼれてしまうわい」
「あっ、サーセン。プルト、もう少しそっとだ」
「でもじじいだよ!」
じじいだからこそ、と思うんだが。
「そこをなんとか。な? キャンディやるから」
プルトは気に入らない人の言うことはとことん聞かないし、乗せたがらない。
船木の爺さんだって、ぼくが必死に頼んでどうにか乗せてくれたんだ。
女の子なら勝手にどんどん乗せるくせに。
知ってるんだぞ、学校の休み時間にみゆきちゃん乗せてるの。
ラバなのに、人間の女の子のどこがいいやら。
「ちょっと兄さん。遅れてるわ、早くしてよ」
あずさは馬に乗ってるから楽だよなあ。
ちょっとムカつくが、お兄ちゃんらしいところを少しは見せないとな。
家までは一時間。そこから川まで、さらに三〇分。
き、きつい! もう一頭馬が居たらなあ。
あずさのビーナス号に二人乗りさせてもらおうかと思ったけど、それならぜったい嫌だ、とプルトがワガママを言うもんから仕方がない。
着く頃には、ぼくははっきり言ってグロッキーだ。
船木さんの相手はユウに任せて、少し休ませてもらう。
老技師はしげしげと船を覗き込んだ。
「何ともまあ、見事に朽ちておるわい。買った方が早いかもしれんぞい」
「でも、高いんでしょう?」
「そうじゃな。自分でやれば材料費だけじゃ。ユウよ、設計はおぬしがやれ。わからんところは教えてやる」
「僕に……できるだろうか」
「大丈夫じゃ、ユウ。お前ならな」
なんと、ユウが設計するらしい。大丈夫かなあ。
でも、確かにユウならやれそうな気もする。
プロに仕事を頼むってのは、お金が必要なんだ。
そこをケチるからブラック企業が生まれる。
お爺さんとユウ、あずさが船を囲んであーだこーだ言っているのを横目に、ぼくは寝転がって空を見ていた。
いやあ、良い天気だ。
くそう、腰が悲鳴を上げているぞ。
お爺さんとユウは何やらややこしい数字を言い合っていて、あずさはそれをキラキラした目で見つめていた。
試しに耳を傾けてみると……。
「アウトリガーが――」
「でもチキリが――」
「バルバス・バウが――」
何を言っているのかさっぱりわからん。
ぼくはいつの間にか眠ってしまった。
夢の中で、ぼくは船長になって悪者とチャンバラをしていた。
ようし、かかってこい海賊ども!
キャプテンシンヤが相手になるぞ!
囚われのあずさを助け――いつもこんな役回りですまないとは思っている――ぼくは伝説の秘宝を探す航海を続けた。
「起きてよ、兄さん」
「んん……。ふあ~あ」
あずさに揺り起こされると、空はいつの間にか真っ赤に染まっていた。
いやあ、こんなきれいな夕焼けは本土じゃ絶対見られないよなあ。
「帰るわよ」
「おっ、そうだな」
ぼくは思い切り伸びをして、腰をコキコキと鳴らした。
う~ん、疲れてるなあ。
「あよっこらせ」
と言って船木さんはプルトにまたがった。
ん? 待てよ?
「はよせえ。日が暮れるわい」
ぼくが引くんだよなあ、やっぱり。
*
翌日。学校に着くなり、ユウがぼくの肩を掴んできた。
だから顔が近いって。
「ねえ信也! こんな感じでどうかな? どうかな?」
「えっ、もうできたの」
渡された黒いプラスチックの筒から、丸められた紙をポンポンと取り出す。
机に広げると、あずさをはじめ、クラスのほかのみんなも覗き込んだ。
「なんかすげえ!」
「ユウ、かっこいい!」
みんなが口々に騒ぎ立てるけど、ぼくは図面に見とれるばかりだった。
ユウが引いてくれた図面は、まるで専門の技師が書いたみたい。
なんか熱中しちゃったみたいで、徹夜したらしい。
目の下に隈がある。ぼくは帰るなり布団に倒れ込んだのだけど。
「ユウ……すごい! すごいわ!」
あずさが人を褒めるなんてめったにない事だけど、これは誰だって褒めざるを得ないだろう。
すごく格好いいボートになりそう。
本土のマリーナでお金持ちが優雅にクルージングしているのを見たことがあるぞ。
別世界のおとぎ話だと思っていたけど、これならあるいはできちゃうかもしれない。
キャプテン・シンヤの大冒険が始まるぞ! 錨を上げろお!
ぼくは頭の中で大海賊の首領になっていて、悪者の船に乗り込んでチャンバラを始めていた。
昨日と設定が違う? 気にするな。
「まずは材料集めからだね」
ユウの一声で現実に引き戻された。
そうだった、船をどうにかしないと船長になれない。
でも、ユウはたった一晩でこんな図面を引いてしまった。
こいつとなら……できるかもしれない。
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