第10話 まずは家の周りを見てみなきゃね

 夢を見た。

 ぼくはカウボーイみたいな格好をして、プルトに乗って荒野を進んでいた。

 投げ縄で牛を捕まえたり、無法者をリボルバーで撃ち倒して囚われのあずさを助けたりする。

 いやいや、さすがにアメリカかぶれしすぎだろ。無い無い。

 ここはいちおう現代の日本国なんだ。いちおうね。

 でもコルト・ピースメーカーはかっこいい。

 欲しいなあ。銃器に興味が出るお年頃なんだよぼくは。

 

「あー」

 

 小鳥のさえずりで目を覚ます。

 天井を見て、ぼくは自分が異世界の島にやってきたことを実感した。

 おい! どうすんだよ! もう引き返せないぞ!

 今更ながら、ぼくは叔父さんのとんでもない無謀が心配になった。

 異世界? 農業? ふざけんな! 考えなしにもほどがあるぞ! 現実見ろよ、現実!

 でも、もう帰れない。

 ぼくの帰る場所は、もうここしか無いんだ。

 望んで来たわけじゃないのに。もう帰れない。帰れないんだ。

 その後、三〇秒ほど天井を見つめ続けてからぼくは身を起こした。

 やってしまったことは仕方がない。

 まあいいさ、住めば都っていうし。それにみんな一緒だから全く寂しくはないもんな。

 立ち上がって布団を畳むと、指をさした。

 

「布団ヨシ!」

 

 ぼくの部屋は布団と段ボール箱が積まれているだけの、シンプルすぎる内装だ。

 壁も板、床も天井も板張り。窓にはガラスがはまっている。

 これってけっこうすごいことだぞ。何せ、島にはガラス工場なんて無いんだから。割れたら交換が利かない。

 窓の外は全体的にもやがかかったようで、細かな水滴が顔に当たる。

 雑木林と隣の畑だけがどこまでも続いていた。

 

「ホー、ホー、ホッホー。ホー、ホー、ホッホー」

 

 よく聞くけど、何の鳴き声だろう? まあいいや。

 

「おはよー」

 

 みんなもう起きていた。

 君枝さんが台所で料理をしているらしくて、香ばしい匂いと音が漂ってくる。

 朝食は、なんとハムエッグとご飯だ! 味噌汁も付く。

 一見単純な料理に見えるけど、電気とガス無しで作ることを考えてみたらいいよ。

 ご飯一つ取ってみたって、ろくに火力調整もできないかまどの火に、肉厚のアルミ鍋をかけるわけだ。

 炊き上がるまでは目を離すこともできない。

 ぼくたちは電気釜に頼りっきりだったから、とてもじゃないがこんなに上手には炊けないだろうな。

 

「もちろん練習したのよ。茂さんとキャンプに行ってね」


 ぼくに黙ってね。

 年季の入った木のテーブルに四人全員が掛ける。

 一部がそり上がっているので、一枚板でできているのがわかる。

 たぶん手造りだ。前の住人はずいぶんと器用な人だったみたいだね。

 

「美味しそうだなあ。じゃ、いただきまーす」

 

「兄さん、お醤油取って」

 

 おおっ! あずさがなんか妹っぽいことを言い出したぞ! これだよ、これが妹だよ。

 ちょっと感激しちゃうなあ。

 

「……兄さん? お醤油」

 

「えっ? ああ、醤油ね。はい」

 

 こうやって揃ってご飯を食べていると、何だか本格的に『家族』って感じがするな。

 ぼくは両親が居なかったから、こういうのちょっと憧れていたんだ。

 

「当座の食材は本土で買ったものだけど、そのうちちゃんとしたものも作りますからね。期待していてちょうだい」

 

「うん。君枝さんのハムエッグ、すごく美味しいよ」

 

「そう? よかったわ。信也さんの好みがわからなかったから、ちょっと心配だったんだけど」

 

「とっても美味しかった! ごちそうさま!」

 

 食器を片付けると、叔父さんがコーヒーを淹れてくれた。もちろんハンドドリップだ。

 コーヒーメーカーなんて使えないからね。電気ないし。

 

「どうだ信也、あずさ。ワイのコーヒーは?」

 

「とっても美味しいわ」

 

 あずさは砂糖とミルクをたっぷりと入れていて、まるでカフェオレみたい。

 食後の優雅なティータイムも終えると、君枝さんが嬉しそうに言い出した。

 

「ねえ、みんな。私たちの土地を見てまわらない?」

 

 君枝さんの言うことももっともだ。

 自分の家の庭がどんなところなのかをまず知らなければどうしようもないからね。

 ぼくたちは各自着替えて、三十分後に集合した。

 叔父さんとぼくはありがちな作業服とブーツだけど、あずさと君枝さんはなんて言うのかな、サファリルック? 昔の探検隊みたいな服だ。

 モデルをやって家計を助けていたあずさはともかく、君枝さんだってすごくお洒落だよね。

 

「ほら、信也」

 

 叔父さんがぼくに渡してくれたのは、鞘に入った大きなナイフだった。

 

「これは……?」

 

「お前のナイフだ。これを使いこなせるようになったとき、お前は一人前の男だ」

 

「一人前……」

 

 ぼくはナイフを抜いてみた。刃渡りは十二センチほどで、峰の部分に半分ほどギザギザの刃が付いている。

 片面は平らで、熊のレリーフが彫られていた。

 厚みは五ミリ近くもあって、カッターナイフとは比べものにならない重量感。

 持ち手の部分が長くて、両手で握れるようになっている。

 本土で持ってたら銃刀法違反だけど、ここでは必需品なんだろうな。

 ぼくはあずさを見た。

 あずさの腰のベルトには、少し小さめのナイフが吊されている。

 女の子がほしがる物には見えないけど……。

 

「叔父さん。これ、いつ買ったの? ぼくは見たこと無いんだけど」

 

 叔父さんはばつが悪そうに薄い頭を掻いた。

 

「いやその、出発前に君枝さんとな。色々必要なものも出てくるだろうし、預かってもらっていたのだ」

 

「つまり、ぼくに黙ってウキウキショッピングやってたんだな? くそう、ぼくだって色々欲しい物があったのに。君枝さんとのキャンプもその時か」

 

「まあ、気にするな。百円ライターもやる。この二つがあればサバイバルは勝ったも同然だ」

 

「ぼくらが行くのはハイキングだろ? 何がサバイバルだよ、ほんとにもう」

 

 家の鍵はなくすといけないから、きちんと戸棚にしまっておく。

 玄関は開きっぱなしだけど、誰が来るっていうんだ?

 君枝さんのお弁当と水筒に入れたお茶、それにレジャーシートをリュックに詰めて、ぼくたちは家を出た。

 日が高くなってくると、霧はすっかり晴れていた。

 暑くもなく、寒くもない。

 スモッグなんて全く無くて、変な言い方だけどガラスみたいに空が晴れ渡っていた。

 

「よーし、君枝さん、信也、あずさ。ワイらの領地で楽しいハイキングと行こうじゃないか、がっはっは」

 

 そう、ぼくたちは大地主なんだ。

 新世界島はほぼニューギニア島と同じくらいの面積があるのに、人口は数万人。

 ほとんどが無人地帯なんだ!

 税金だって五年間免除されてるし、働けば働いただけ稼げちゃう。

 農地経営が軌道に乗れば、大金持ちになるのだって夢じゃない。

 やっぱり投資は堅実にね。


 *


 裏の小川に架かっている橋を渡ると、草ぼうぼうの空き地がどこまでも広がっている。

 元々は畑だったらしい。

 小麦か、あるいは水田かはわからない。

 あぜ道があって、そこだけは踏み固められて歩きやすくなっていた。

 

「少し疲れたよ。一休みしない?」

 

「おっ、そうだな。ワイも疲れた……」

 

 あぜ道をかれこれ三十分近くも歩いていて、あずさが少し辛そうだったからね。

 都会っ子は軟弱だなあ。……ってぼくもか。

 だってほら、ぼくはお兄ちゃんだから。

 自分からは言い出しにくいだろうしね。

 

「少し先に大きな川があるはずだ。そこで休むとしよう」

 

 叔父さんの言うとおり、川があった。でかい。

 一級河川なんてレベルじゃない。

 黄河とかインダス川とかナイル川とか、もうその辺のレベル。

 流れはそこそこ急で、水量は豊富みたいだ。

 ぼくたちは河原に腰を下ろした。

 水筒の水を飲むけど、ほとんど空に近くなっている。

 川の水、飲めるのかな? さすがにやめたほうがいいだろうな。

 叔父さんが地図を広げ、磁石で方位を確認する。

 

「ここがワイらの家だ。今居るのは……この辺だな。敷地の境界は、ここから……ここまで」

 

「おおう? 縮尺おかしくない?」

 

「まあ、おおよそ四〇〇〇ヘクタールといったところかな」

 

 四〇〇〇ヘクタールったら四〇平方キロメートルじゃないか!

 浦安にあるでかい遊園地のざっと八六倍!

 それに、大半の土地が未開拓の森林と砂漠とくれば、この重装備も納得だ。

 今日一日で回れるのか? 無理だ。

 なんだか本当にサバイバルになってきたな。

 

「わりと本気で馬でも買わなきゃならんな。役場の人にも勧められた事だし。車はさすがにちょっと、なあ」

 

 ぼくは何気なく河原の石を拾った。ん? なんかピカピカしてるぞ。

 

「兄さんそれ!」

 

「ん?」

 

 あずさが目をまん丸にしていた。

 ぼく、何か変なことしちゃったかな。

 

「それ、翡翠じゃない!」

 

「これが?」

 

 翡翠が何なのかよくわからないけど、ピンポン球サイズのきれいな石だった。

 

「そうよ! すっごく高いんだから!」

 

「へえ……? じゃああげるよ」

 

 あずさは赤くなっているんだか青くなっているんだかわからないような顔をして、両手をブンブンと振った。

 

「な、何言ってんのよ! そんな高価な物、もらえないわ……」

 

「河原の石じゃないか。いらないなら捨てるけど」

 

「バカ言わないで! 捨てるくらいならもらうわよ!」

 

「まあ、これをお金に換える方法はわからないけどさ。本土で売るなら船代で赤字かもよ」

 

「そ、そうかもね。でももらっておくわ。念のため」

 

 あずさは石をリュックにしまった。

 重たいだけだと思うんだけどなあ。

 でも、こんなものが無造作に転がっているところを見ると、間島の言っていた財宝も信憑性が出てくるな。

 もしかしたら、もしかするかも。

 

「ヤバいヤバいヤバいヤバい……あ、あたし大金持ちじゃない……」

 

 ヤバいのはお前だと言いたくなったけど、まあいいや。

 君枝さんのお弁当、楽しみだったんだよね。

 こっちの方がぼくにしてみれば大事さ。

 ぼくたちはレジャーシートを広げて、早速お弁当を食べ始めた。


 *


 川に沿って少し歩いてみたけど、橋なんてものは無かった。

 この向こうに行くには、橋を架けるか渡し舟を作るかしなければいけないみたいだ。

 そして橋を架けるのは現実的じゃない。

 瀬戸大橋みたいになっちゃう。

 そんな国家プロジェクトを個人の力でできるはずがない。

 国ですら今はできないだろうな。金ないし。

 彼方に見える川の向こうは、岩だらけの荒野だった。

 草はほとんど生えていなくて、時折岩が転がる赤土の大地が、無限に思えるほど続いている。

 

「ん?」

 

 何だろう。砂漠の向こうに、何か建物があるような。

 

「叔父さん、双眼鏡持ってる?」

 

「ほれ」

 

 ずしり。やけに立派だな。船員とかが使うやつだ。

 

「……ニコンのすごく良いやつじゃん。新品だな」

 

 叔父さんは額の汗を拭いた。

 

「ええとその……たまたまポイントがけっこう貯まっててな、カッコよくてつい。でもほら、今まさに必要だろ? な?」

 

「別に何も言ってないよ。叔父さんが自分で働いて稼いだお金をどう使おうと自由だろ。パチンコやらオトナのお店やらに使うよりずっといい……」

 

 ぼくは双眼鏡を覗き込んだ。何だかんだでよく見える。

 

「……やっぱり、建物だ」

 

 砂漠の向こう、地平線に近いあたりで、まるで中東の遺跡みたいな四角い建物が建っている。

 

「見間違いじゃないのか?」

 

「見てよ」

 

 叔父さんに双眼鏡を渡すと、明らかに様子が変わった。

 

「なるほど人工物に見えるな。そうとう古そうだが……変だぞ。この島に文明があった形跡は無い。少なくとも、国はそう言っておる。そもそも人間じたい存在しなかったはずなのだ」

 

「でも、あるじゃん」

 

 もちろん、地図には何も書かれていない。

 

「わからん。例えば蜂なんかは正確な六角形の巣を作るが、あれは文明とはいわんだろう。新種の白アリの巣かもしれん」

 

「どれだけでかいんだよ」

 

 叔父さんの言うことはいつも適当だ。

 でもまあ、クワッガもすごく大きかったしな。

 ここは地球じゃない。異世界なんだから、何があってもおかしくはないよね。

 イルカだってラバだって喋るんだ。

 

「気が向いたらいつか行ってみるといい。あそこもたぶん、うちの地所だ」

 

「マジかよ。どうやってさ」

 

「どうやって? どうやってだと? それを考えるのはお前の領分だろ」

 

「なにっ」

 

「人から与えられるものに価値などない。自分の手でつかみ取ったものこそ価値があるのだ! それに、ここまでの土地だけでも十二分に生活できそうだからな。若い者は危険を避けるだけでは先細りになるだけだぞ。ワイはおっさん」

 

「……ふむ? 叔父さんもたまには良いこと言うじゃん」

 

「もっと褒めてもよいのだぞ! ムハハ」

 

 ぼくたちはその後も歩き続けたけど、ハイキングと言うにはあまりにも本格的だった。

 いや、叔父さんが本格的にしちゃったんだ。

 地図と磁石は飾りかよ。無計画すぎるだろ。

 光の差さない深い森、岩が転がるばかりの荒れ地、そして無限とも思える大平原。

 気がつけばいつの間にか陽は落ちていた。

 大きな木の下で叔父さんがぼくたちを見回した。

 

「ここをキャンプ地とする!」

 

「おい、何言ってんだよ叔父さん」

 

「……すまん」

 

 すまん、じゃないだろ。でも。

 

「いいのよ、あなた。仕方がないじゃない。ね?」

 

 君枝さんがそう言うんじゃしょうがない。

 でも、あまり甘やかさないでほしいなあ。

 薪を集め、枯れ草をねじ込んで百円ライターで火を付ける。

 生木はだめだ。落ちている枝を集め、大きな木はサバイバルナイフで削って燃えやすくする。

 最初は少し苦労したけど、やがて良い具合に燃え始めた。

 すぐに帰る予定だったから、食料も水もほとんど無い。

 ポケットにあった飴やチョコレートだけだ。

 ぼくたちはたき火を囲み、銀色のでかいアルミシート――サバイバルシートというらしい――で身体を覆った。

 畳むと手のひらサイズのシートで、薄い割には案外暖かい。

 こういうのは用意が良いんだよな。

 夜も更け、叔父さんと君枝さんは抱き合うようにして眠っている。

 星空がきれいだった。

 空全部が星で、あまりの星に天の川すらわからない。

 でも、きれいな星空じゃお腹は膨れないんだよ。

 何か食べられる木の実でも無いだろうか。ぼくは立ち上がった。

 

「どこへ行くの?」

 

 あずさだった。

 

「いやあ、木の実でも無いかなって」

 

「あっても夜中に動くのは危険よ。コンビニなんて無いんだからね」

 

「なあに、平――」

 

 平気だよ、という言葉をぼくは飲み込んだ。

 すぐ近くの茂みで何かがガサリと動いたからだ。

 あずさがぼくの腕を掴む。

 少し震えているみたいだ。

 まあ、ぼくも喉がカラカラで脂汗をかいている。

 なんだ、今のは!

 頭の中を色々な影が浮かんでは消える。熊、虎、ライオン、それに未知のモンスター。

 ドラゴンとかいるかも。オークやゴブリンやスライムが出たら?

 でも。でも、でも! 

 ぼくがあずさを守るんだ。

 だってそうだろう、ぼくがやらなくて誰がやるってんだ!

 くそっ、無茶苦茶怖ええ~っ!

 

「兄さん、火を」

 

「よ、よし」

 

 ぼくはたき火に槇を追加して火力を上げた。

 野獣は火を恐れるはず。

 頼む、立ち去ってくれ……!

 再び茂みが動き、小さな影が出てきた。

 炎に照らされて逃げていくのは、どうやらウサギらしい。

 ぼくらはホッと胸をなで下ろした。

 

「ウサギでよかったわ。ゴブリンとかオークとか出たらどうしようって」

 

 そんなものはない。だからそういう異世界じゃないって。

 でも虎は出るらしい。

 

「ぼくらがあれに食われちゃう事はないね」

 

「安心したらお腹がすいちゃった」

 

「あのウサギを捕って食べればよかったのかな」

 

「それはかわいそうよ」

 

 あずさはそう言うけど、いざとなればそうせざるを得ないよなあ。

 ぼくたちは身を寄せ合って眠った。……つもりになったけど、あまり眠れなかった。

 さっき出たアドレナリンがまだぼくの全身を駆け巡っている。

 夜が明けると、そこは最初に遺跡のような建物を見た河原に近かった。

 これなら歩いて家まで行けるな。

 ぼくたちは家に入るなり、死んだように倒れ込んだ。

 長い旅だったなあ。

 本当は二、三時間で帰ってくるつもりだったのに。 

 これだけ広い土地を、ぼくたちだけでどうしろというんだよ。

 無計画にもほどがあるぞ。本当にどうするつもりなんだ。

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