第9話 すごいぞ、現代文明!

 異世界なんだからエルフが出てくる。

 これはお約束だ。

 森の奥に住む長命種族で美男美女ばかり……じゃあない!

 そういう異世界じゃないからな。

 

「俺ぁ田中だ。よろしく頼んまあ。こいつは俺のエルフだ。なかなか色気があるだろう?」

 

 田中さんはエルフのオーナーだ。もちろん奴隷ちゃんのご主人様じゃない。

 

「うん、そうだね」

 

 田中さんはエルフをポン、とたたいた。

 ぼくたちの荷物を運ぶのは『いすゞエルフ』という二トントラックだ。

 いや、エルフだけどさ。商品名じゃないか。

 ちなみに田中さんは普通に人間だ。

 馬車が出てくると思ったから、ちょっと意外だ。

 

「そりゃあなんだかんだ言ってもな、馬だって生き物だから限界ってもんがあるぜ。じゃあ聞くがよ、陸上選手と馬、フルマラソン四二・一九五キロを走ったらどっちが速いと思う?」

 

「そりゃ馬ですよ」

 

「ブブーッ! はずれ。そりゃ確かに馬は速いし力もある。最高速度は整地されたトラックで、サラブレッドなら時速七〇キロは出るさ。でも、そのスピードを維持できるのはせいぜい一〇分ってところだ。一日に走れる距離は頑張っても二〇キロ程度! それ以上無理させると怪我しちまう。人間ってのはな、動物界最強の持久力を持ってるわけだ。すげえだろ」

 

「すげえ!」

 

 つまり、ぼくもすごいということになる。

 陸上なんて体育の授業でしかやったことないけどね。

 でも考えてみれば、大昔の人類が馬を飼い慣らして家畜にするためには、どうにかして捕まえなきゃいけなかったわけだ。

 ひたすらひたすらひたすらひたすら粘り強く追いかけて、馬を根負けさせたんだろう。

 う~ん、昔の人は大変だったんだなあ。

 ちなみにエルフは一五〇馬力ほどのパワーがあるそうだ。

 つまり、馬一五〇頭分。厳密には違うらしいけど。

 うん、圧倒的だ。そりゃあ機械化されるよなあ。

 この島ではこういうものがバカ高いから馬が現役な訳でさ。

 ようは輸送の問題なんだ。

 補給線があまりにも細いから、自給自足に近い体制でこの島は成り立っているそうだ……。

 

「じゃ、行くぜ。乗りな!」

 

 この髭もじゃでムキムキなおじさんは、なんとぼくの叔父さんよりも年下だった。

 この島には引っ越し業者なんてものはないから、地元の人がアルバイトで運んでくれる。

 収穫期になると、エルフに限らずトラックの持ち主は引っ張りだこらしい。

 

「ワイらは前に乗るが、お前たち警察がいたら隠れるんだぞ。荷台に人を乗せてはいけない事になっているからな」

 

 田中さんは笑いながら叔父さんの肩を叩いた。

 

「ガッハッハ、堅いこと言うなや! 誰もとがめやしねえよ!」

 

 そんなわけで、ぼくとあずさは荷台に押し込まれた。

 このエルフは古そうだ。いや、実際古いのか。

 車体はあちこち錆びていて、荷台にはあちこち穴が開いて地面が見える。

 年代物のディーゼルエンジンは振動もひどくて、後ろは黒煙で何も見えないくらいだ。

 もちろんエアコンなんて無駄な装備は無い!

 いやあるけど、ガスがとっくに抜けているらしい。

 荷台のぼくたちは関係ないけど、叔父さんと君枝さんは大変だろうな。

 

「気持ちいいわね。オープンカーってこんな感じなのかしら」

 

「うん、ぼくも乗ったことないけど、きっとそうなんだろうね」

 

 少し埃っぽいけど、頬を撫でる風が心地よかった。

 エアコンより、ずっと良い風だ。

 街を出ると、赤茶けて荒れた大地がどこまでも続いていた。

 道もひどいもので、舗装はおろか砂利すらも敷かれていない。

 凸凹も酷くて、穴にはまるたびに荷台から飛び上がりそうになってしまう。

 さっきは晴れていたけど、だんだんと雲が広がり始めて、やがて頬にポツポツと水滴が当たり始めた。

 

「雨の匂いって、あたしけっこう好きよ」

 

「うん、ぼくもだ。でも、そんなことを言っている場合じゃなさそうだね」

 

 田中さんがエルフを停め、ぼくたちは総出で荷物に防水布を被せる。

 キャビンの後ろで長物を立てかけたりするためのフレーム――鳥居という――に防水布を引っかけると、ちょっとしたテントだ。

 ぼくたちはそこに潜り込んで雨を避けた。

 防水布を叩きつける雨粒とエンジンの振動で、とても会話などできそうにない。

 いつの間にかあずさは目を閉じ、膝を抱えたままの姿勢で眠ったようだ。

 じつはぼく、女の人が寝ている姿がなんとなく好きなんだよね。

 あずさの睫毛はとても長くて、ほっぺたもつやつやだ。まるで西洋人形みたい。

 

「フガッ! うう、ティッシュ、ティッシュ……」

 

 フガッ? フガッって言った?

 

「……見ないでよ。……ズバッ! ズビズバッ! ズビビ~!」

 

 見るわけないだろ。くそう。なんだよこいつ。

 鼻くらいもうちょっと静かにかめばいいのに。

 でもまあ、結局あずさだって人間なんだ。

 鼻水も出せば屁もこくし、ゲロも吐くしウンコもする。ぼくと同じ。

 目のやり場に困って、リアウインドウからキャビンを覗き込んだ。ワイパーで水滴を拭き取ろうとしてるけど、ゴムが古くなっていてほとんど意味が無いみたい。

 ついに田中さんは窓から顔を出して運転しはじめた。

 いやあ、ワイルドだな。

 

「悪いがちょっと山田さんの荷物を預かっててな。届けてくるぜ」

 

 そう言って田中さんは段ボール箱を持って近くの家に飛び込んでいった。

 この島には宅配便も来ないんだ。

 地元の人が一件いくらでワールド・ゲート運輸の下請けをしている。

 貴重な現金収入というわけだ。

 とんでもない田舎かと思っていたけど、案外上手く回っているみたい。

 

「よーし、行くか!」

 

 田中さんは勇ましくエンジンを吹かしたけど、まるっきり発進できなかった。

 雨でぬかるんだ穴にはまったらしくて、エンジンをいくら吹かしてもタイヤが空転するだけなんだ。

 

「悪いな旦那、坊主! 降りて押してくれねえか!」

 

 ぼくと叔父さんは降りしきる雨の中、靴やズボンの裾がドロドロになるのもお構いなしに車体を押すしかなかった。

 しかし意外に穴が深いのか、どうやってもタイヤが空転するだけだ。

 FRなんて買うからだ。四駆じゃないと。

 あっ、よく見ればタイヤがツルツルの丸坊主だ。確かにこれじゃあ滑るよな。

 

「ゴホッ、ゴホッ……」

 

 それにしても煙が多いなあ。それを言うと、田中さんは頭をかいた。

 

「うーん、やっぱ灯油じゃダメかな」

 

「ダメダメ、ディーゼルには軽油! 脱税だよ!」

 

「ははは。坊主、そんな堅いこと言うな。煙は出るが現に動いてるだろ。そりゃ燃料ポンプが少し傷むが……壊れたら直せばいいだろ? 自分でやるだけやって、それでも無理なら発田さんにでも頼めばいい」

 

「そういう問題じゃなくて」

 

 田中さんは少し困ったような顔をした。

 

「あのなあ? 政府が税金を正しく使うなら俺もそうするって。いいから頼むよ。ほら押して! さあ!」

 

 おいおいなんだよこの島、無法地帯じゃないか!

 フロントガラスのステッカーを見ると、案の定車検は五年も前に切れていた。

 

「私たちも押すわ。力を合わせなきゃ。あずさも降りて」

 

 ついには君枝さんとあずさまで出てくる始末。

 揺れる車体に会わせて四人で押した結果、車はどうやら前に進めた。

 田中さんはそのまま徐行してくれたので、走っているトラックに飛び乗る事になる。

 う~ん、さすが異世界。ワイルドだ。

 荷台に戻ったぼくとあずさは、どちらからともなく笑い始めた。

 ぼくたちが家族になったその日にこんなに泥だらけになるなんて、誰も思っていなかったからね。仕方ないね。

 にわか雨だったみたいで、やがて空には太陽が顔を出した。


 *

 

「ここだぜ!」

 

 ぼくたちに政府が用意してくれた土地に着いた。

 西町九丁目。なんと、番地が無い! うちだけで九丁目なんだ。

 道路の脇に小高い丘があって、そこにポツンと一軒の家が建っている。

 平屋の丸太組みで、一階部分は漆喰が塗られていた。

 漆喰が塗ってあるのにどうして丸太小屋だとわかったかというと、軒天――屋根裏部屋部分の外壁のことだ――が丸太で組まれているから。

 もちろん明かり取りの丸い穴が開いている。

 ぼくは知っているぞ、昔のアニメの再放送でこういうの見たんだ。

 

「悪いが、中に入れるのはあんたらがやってくれ。俺は運ぶだけが仕事なんでな」

 

 田中さんも協力してくれて、どんどん荷物を降ろす。

 家の前にはあっという間に段ボール箱の山ができた。

 ぼくと叔父さんの荷物は一割といったところだ。

 段ボール箱に油性ペンで書かれた字を見る限り、半分近くがあずさと君枝さんの衣類だ。

 あとは食料。保存が利くものが多く選ばれている。米、レトルトカレー、パックのご飯、インスタントラーメン、缶詰などなど。

 荷台にはまだ荷物が残っていて、田中さんはそれらをまた配りに行くらしい。

 

「じゃあな! よい異世界ライフを!」


 田中さんは黒煙をばらまきながら去って行った。

 いよいよぼくたちの家に運び込む段階だ。

 

「よし。じゃあ開けるぞ」

 

 叔父さんの手に、古びた鍵が光った。ドアの南京錠に差し込んで開ける。

 

「おおお……」

 

 全員が息をのんだ。

 石が敷かれた床と、暖炉を兼ねたかまどがまず目に入る。

 寝室に使えそうな個室が二つ。

 屋根裏に続く階段――いや、梯子が一つ。

 物置にはスコップや鍬などの農具が乱雑に積まれていた。

 鉄の部分はすり減っているし、少し錆が浮いている。

 この土地には以前に入植していた人がいて、その人が残していった家と道具らしい。

 道具は確かに貧弱だけど、全くの原野をゼロから開拓するよりははるかに楽ができるってわけだ。

 なんと、馬小屋まである。

 プルトみたいな馬が居たら楽しいだろうな。

 梯子を登ると、屋根裏部屋ももちろん使える。

 天井は低いけど、一番広い個室はここだ。

 あずさが叫んだ。

 

「あたしここ! ここがいいわ! 干し草のベッドを作るの!」

 

「いいなあ。ぼくもそれやりたい」

 

「ダメよ! もう決めたんだから!」


 強引に押し切られてしまい、屋根裏はあずさの部屋になってしまった。

 干し草のベッド、ぼくもやりたかったな。

 まあ、よくよく考えれば虫が沸きそうだけど。

 あずさがやりたいというなら止めはしない。

 

「さ、まずはお掃除から始めましょうか」


 君枝さんの指示に従って、まずは家の掃除からだ。

 水道はないけど、流しには井戸のポンプがある。でも、水は出ない。

 

「呼び水を入れなきゃダメだぞ。信也、これで川の水を汲んでこい」

 

「うん」

 

 バケツで水を汲んだのは、家のすぐ裏にある小川だ。

 とてもきれいな水が流れていて、魚も泳いでいる。

 川の水ですら飲めそうだ。

 でも心配だから、飲み水や煮炊きは井戸水を使うことにしよう。

 エキノコックスとかいたら嫌だもんね。

 戻るとき、馬小屋に川から引いた水が桶に溜まる配管があるのに気付いた。

 くそう、ここから汲めばよかったな。

 これは馬が水を飲む桶らしい。風呂や掃除に使う水はこれを使ってもいいな。

 台所に戻ってポンプの蓋を開け、バケツの水を流し込む。

 青銅のハンドルを何度か動かすと、冷たくてきれいな水が出てきた。

 一口飲んでみると、すごく美味い。

 ペットボトルに入って売っていてもおかしくないぞ。

 ポンプと格闘している間、君枝さんとあずさがホウキで掃き掃除をやってくれていた。

 水も出たことだし、あとはぼくたちも一緒にぞうきん掛けだ。

 それが終われば、ようやく荷物を運び込める。

 日が暮れる頃には、僕たちの家は見違えるようになっていた。

 

「暗くなってきたな」


 ぼくは壁のスイッチを探したけれど、そんなものは無いのだった。

 そう、この家には電気がない。

 家電のたぐいは電池で動く一部を除いて、全く役に立たないわけだ。

 元々置いてあったオイルランプにマッチで火を付ける。う~ん、これはこれでアリだな。キャンプみたいで良い感じ。

 まだまだ足りないものは色々あるけど、とりあえず住むことはできそうだ。

 かまどの近くには当座の薪が積まれているので、それを使って火をおこす。

 今日は初日だからレトルトカレーとパックライスくらいしかないけど、存分に身体を動かした後だけあって、ひどく美味しく感じた。

 

「明日からは私の手料理を作るわ。楽しみにしていてね」

 

 君枝さんは自信たっぷりみたい。楽しみだなあ。


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